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短編

ヒナちゃん

 ヒナちゃんの部屋に初めて遊びに行くことになった。


 あたしは彼氏の部屋へ行くみたいに自分を綺麗にして、洗面台の鏡を畳むと、LANくんのグッズが詰まったバッグを持ち、家を出た。



「いらっしゃーい!」

 ヒナちゃんはいつもの小鳥のさえずりみたいな気持ちのいい声で出迎えてくれた。

 ワンルームのマンションの一室は綺麗に片づけされていて、その上にお洒落な小物でかわいい色が塗ってあった。


「お邪魔しまーす」

 私は少し緊張した声で、出されたむっくむくもっこもこしたスリッパを履いた。

「いい部屋だねー」

 そう言いながら、部屋を眺め回しながら、すぐに気がついて甲高い声を上げる。

「わーっ! LANくんだ! LANくんがいっぱいいる!」


 天井を彼のポスターや切り抜きが埋め尽くしていた。

 優しい表情やきりっとした表情のLANくんに天井から見下ろされ、あたしはますます彼とヒナちゃんのことが好きになる。


「ふふ。今日はたっぷり『7福神factor』とLANくんの話で盛り上がろうね」

 ヒナちゃんがそう言いながら紅茶を入れてくれる。

 バタークッキーとチョコマフィンの香りが鼻をくすぐり、あたしはなんだかこれから何かの初体験をするようにドキドキした。


 同じ大学に『7福神factor(略して7ファク)』のファンはいくらでもいる。でも水野藍みずのらんくん(略して『LANくん』)は7人のメンバーの中でも断トツ飛び抜けて人気がなく、推しているのは(なんと!)あたし1人だけだった。


 同じゼミの柚子森ゆずもりひなちゃんはみんなの人気者で、口数の多い子ではないながら、誰にでも優しく顔もかわいくて、でもアイドルにはまったく興味がなかった。


 あたしはただゼミが同じというだけの関係だったけど、彼女と仲良くなりたかった。ヒナちゃんはまるでミロクボサツみたいにかわいくて、彼女とお近づきになれれば天国へ行ける気がした。


 心臓が飛び出そうな気持ちで、さりげなくを装いながら彼女に話しかけた。自分のスマホを手に「あの、ヒナちゃん。こういうの興味ある?」と、7ファクの動画を見せた。


 詳細はすっ飛ばすけどアイドルに免疫のなかったヒナちゃんは7ファクにどっぷりハマり、そして、なんと! あろうことか一番人気のないLANくんのことを大好きになってくれたのだ。自分の意志で!


「LANくんかわいい……」

「LANくんかっこいい……」


 あたし達はヒナちゃんの部屋の絨毯に並んで寝ころんで、一緒に呟いた。夢見心地に、


「LANくん産まれてくれてありがとう」

「LANくんのためなら何でもしてあげるよ」


 LANくんは高い天井からあたし達を見下ろし、笑ってくれた。


 あたしとヒナちゃんは同じ人が好きだ。でもライバルじゃない。ただ同じ価値観を共有する仲間だ。もちろん微妙に好きなところは違うが、人間だもの、お互い違うところを尊重し合い、意見が食い違っても寛容だ。


 ヒナちゃんはあたしなんかよりずっと純粋な気持ちでLANくんのことが好きなんだろうな。あたしはよく思う、自分がLANくんを好きなのは、彼を逃げ場として利用しているだけなんじゃないか、と。


 夜眠る前、苦しい気持ちによく襲われる。子供の頃を思い出して、あそこへどうして戻れないんだろうと考え出すと、もう消えてなくなってしまいたくなる。

 今の自分が嫌いで、この体から逃げ出したくて、自分をぶっ壊したくなることもある。よくある。


 LANくんのことを考えている時は、そんな自分を忘れることが出来る。だから、あたしは彼のことが好きというよりも、そんな風に彼のことを利用しているのだ。


 ヒナちゃんみたいになれたらな、と思う。


 ヒナちゃんはあたしの理想だ。1人で部屋に遊びに来れるほどの友達になれたのが奇跡みたいだ。


 彼女はあたしより頭がよくて、容姿もよくて、声もかわいくて。


 何より性格がいい。誰にでも優しくて、誰からも愛されて。口数は多くはないけど明るくて。誰とでもすぐ打ち解ける。


 笑顔がかわいすぎる。まるで芸能人だ。


 ヒナちゃんがLANくんと結婚しないかな、と本気で思う。あたしはほっとかれてもいい。


 ヒナちゃんならLANと結婚してもおかしくない。結婚できる。あたしはできない。それでもいい。


 ヒナちゃんが幸せだったら、あたしも心が優しさで満ち足りると思うから。彼女の毎日を頭の中で空想して、あたしも幸せになれる。


「ちょっとトイレに行ってくるね」と言ってヒナちゃんが起きあがった。


 トイレに行くだけなのに、花のような笑顔で。





 あたしは起き上がり、バタークッキーを齧った。

 その拍子に床に置いてあったキーボードに手が触れた。


 あっ、とあたしが手を退けると、テーブルの上に寝かせてあるタブレットの画面が点いた。

 画面ロックをしていないようで、そこにヒナちゃんが閲覧していたネット画面が映し出された。


 あたしもよく知ってる掲示板だった。


 7ファクのファンが集う、非公式の掲示板だ。あたしもいつも利用している。


 あたしが来るまでヒナちゃんは書き込みをしていたようで、ヒナちゃんの書いたらしいレスに赤い線がつき、彼女の書いたレスがどれなのかすぐにわかった。


「読んじゃいかん、読んじゃいかんだろ」と言いながら、あたしは読んだ。


 『バカじゃね?w』という文字が目に飛び込んで来た。





 『お前がLANくんの何をわかってんだ?ww

  言っとくけどLANくんのこと世界一理解してんのあたしだからwwwww』


 『7ファクの他のメンバーなんて、チャーシューにカマキリ、ホトケ様にナル男に、あと将来DV夫間違いなしのマル暴に、残るはオッパイ星人じゃんwwwww』

  

 『あたしLANくんに会ったことあるよ。もちろんプライベートで。彼、激しかったぁ(はぁと)』


 『ああああLANくんの生チ○ポ欲しいいいいいいッ!!!』





 トイレを流す音が聞こえた。

 あたしは慌ててタブレットの電源ボタンを探すと、スリープ状態にして、位置も元通りにした。


「お待たせー」

 ヒナちゃんが髪をかきあげながら笑顔で戻って来た。

「トイレ大丈夫? したくなったら言ってね?」


「あー……。まだ大丈夫」

 あたしは心の動揺が顔に出ないよう、気をつけながら笑った。


 へんな沈黙が漂った。

 ちらりと横を見ると、ヒナちゃんはいつもの優しい顔でスマホを見はじめていた。


 知ってる文体だった。匿名だけどよく見る荒らしだった。


 面白い荒らしなら好きだけど、ただ目障りなだけの荒らしなのでいつもスルーしていた。

 でも今日の書き込みはなかなか冴えているように思えた。書いてる人の顔を知ったからだろうか。


 何よりわかったことがあった。

 ヒナちゃんが本当にLANくんのことを、異常なまでに愛してくれてること。


「ねえ、今度7ファクのライブ、2人で一緒に行こうよ」


 あたしが言うと、ヒナちゃんは嬉しそうに身を乗り出した。


 やっぱり、かわいい。


 あたしはヒナちゃんのことがますます好きになった。





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