9.失う恐怖
この一ヶ月の間、エイダは城外の監視を行っていたらしい。
他の魔族が接近していないか、敵となる脅威が現れないか。
持ち前の索敵力で、オスカーを守り続けていた。
今もそれは変わらない。
部屋を出て以降、彼女は身を潜めつつ、淡々と城外に気を張り巡らせていた。
後方で見ていたオスカーには、何もさせたくないようだった。
余計な負担を掛けてほしくないのか。
自らの血を分け、命を繋ぎ止めてきた事実を壊したくないのか。
彼も、その意志を拒絶することは出来なかった。
「それで……本当にこれを飲むのか?」
「うん」
そうして暫くして、索敵に区切りを付けた彼女に別室へと連れられる。
人が使うには大きすぎる、様々な食器が掲げられた部屋だった。
目の前で暖炉の火が燃える中、オスカーにある物が手渡される。
血が注がれた銀色の盃。
エイダの、竜人としての血液である。
常に血を採っているのではなく、ある程度ストックを保管しているのだろうか。
彼が複雑な表情で盃を手にすると、微かに独特な香りが漂ってきた。
「気を失っていたから知らないと思うけど、今までその血を摂取してきたのよ。効き目が薄くなっていても、オスカーにとってはこれが生命線。諦めて」
「……」
「血を飲むのは初めて?」
「まぁ、流石に初めてだよ」
残念ながら吸血鬼ではない。
もしかするとそういった類の者からは、喉から手が出るほど欲しい代物なのかもしれない。
しかし、彼は普通の人間だ。
血を吐いたことはあるが、血を飲んだことなどない。
ましてや仲間の血ならば尚更だ。
と、そこまで考えて不意に疑問が浮かんでくる。
「なぁ。今まで俺は、どうやって血を飲んでいたんだ?」
「知りたい? ちょっと説明し辛いんだけど、わたしとギンコで……」
「よし、止めとこう」
普通の返答が来そうになかったので、聞かなかったことにする。
兎にも角にも、血を飲む必要があるのは彼自身も理解している。
血の妙薬、良薬口に苦しとも言う。
子供のように喚くつもりもなく、ザカンの薬と思ってしまえば良い。
とは言え、エイダに見られながらエイダの血を飲むのは、多少の抵抗感がある。
それでも彼女は彼女で、飲む分に異変が起きないかを最後まで見届けるつもりのようだ。
やり辛いが悪気はないのだ。
仕方なく、彼はゆっくりと口に運んだ。
熱くも冷たくもない感触と共に、血の味が口の中に広がっていく。
「っ……」
「大丈夫?」
「血の味が、する」
「もしかして、お水いる?」
「……いるかも」
「はい。もしかして、と思って用意しておいたの」
そう言って、優しげな表情をしながら、硝子のコップを渡してくる。
中には口直し用の冷水が注がれていた。
薬を飲むときは水と一緒に流し込むのが普通ではあるが、やけに気が利く。
オスカーは素直に受け取り、喉を潤した。
するとエイダは彼の口元を見つめ、別の物を取り出す。
軽く水に濡れたタオル地、布巾のようだった。
「血が垂れているわ。拭いてあげるから」
「いや、これ位は自分で……」
「いいの。わたしにやらせて」
有無を言わせないように、オスカーの口元を拭ってくる。
血の付いた口周りを、優しく丁寧に触れてくる。
されるがままである。
嫌という訳ではないのだが、以前の彼女とは様子が違う。
妙に距離が近く感じる。
オスカーが一線を引く、恋人のような接し方ではない。
まるで母親かのように世話をしようとしてくるのだ。
これも彼女が今まで抱いてきた罪悪感の延長なのだろうか。
どう反応をすれば良いのか分からない。
「何だか、過保護になっているような?」
「過保護? よく分からないけど、大丈夫? お水、まだあるわよ?」
「大丈夫。そんなに気を遣う必要もないって」
「ううん。そんな訳にはいかないわ。だって貴方は、わたしにとってとても大切だから」
「気持ちは有難いけど……それに、そんな事を言ったらエイダこそ、毎日血を流したら身体の調子が崩れるんじゃないのか? 俺のためにこんな……」
「この程度、何の問題もないわ。オスカーは、何も気にしないで」
血を流す自体も相当に負荷が掛かっている筈なのだが、彼女は気にも止めない。
それが当然であると言わんばかりだ。
竜族の亜人は、確かに治癒能力に優れている。
血を生成する能力も人とは比べ物にならない位に高いのだろう。
だが痛みを伴わない筈もない。
何度かに分けて血の盃を飲み終えると、彼女は残った器とコップなどを引き取り、宙に浮かべた。
何をするのかと思えば、指先から水が生成され、球状に食器を包み込んだ。
洗浄しているようだ。
既に何度もしている事なのか、かなり手慣れている。
瞬く間にそれらは綺麗に洗い流され、水滴一つ残さずに水球の中から取り出される。
洗い終えた水は近場の流し場に流され、食器らも元の場所に戻していく。
「ギンコから、地下のベヒーモスとの戦いを聞いたわ。力試しでも、目覚めたばかりのオスカーを戦わせるなんて……後でギンコは、注意しておくから」
「……仲が良くなったんだな」
「わたし達を助けてくれたんだもの。この一ヶ月、ギンコがいなかったら、わたしもどうなっていたか分からない。本当に感謝してるの」
言葉の端々に厳しさは感じられない。
彼女もオスカーと同じく、ギンコに助けられた身だ。
商業都市で戦った過去はあるが、今では互いに助け合う関係になっている。
魔族との対話。
境海の戦いから色々な事があったが、この点だけは素直に喜べるかもしれない。
勇者として、叶えなくてはならない理由の一つでもあったからだ。
そして自分達が魔王城に留まり続けているのにも、きっと理由がある。
片付け終えたエイダは、もう一度オスカーに向き直った。
「本当ならこの城から出て、パラミナに帰るべきなんだと思う。でもわたしには、出来なかった。オスカーが眠っていたのもあるけど、もう女神様が、信用できなくなったから」
「……それは、俺も同じ気持ちだ。やっぱり、エイダも聞いたのか。四神が人族と魔族に対して、調整を行っていた事を」
「えぇ。神様がわたしを殺そうとしたことも、伝えられたわ」
「そうか……でも、俺達はまだ生きている。本当に邪魔なら、あの時と同じ光が襲ってきてもおかしくないんだが……」
「ギンコが言っていたの。あの裁きは、簡単に出せるものじゃないって。きっと神様にとっても溜めに溜めた、必殺の一撃なんだと思うわ」
「そう、だったのか」
「だから、あの裁きを防ぎ切った貴方は相当おかしい。そうも、言っていたわね」
神の攻撃を防ぎ切った力を、改めてエイダは自覚させる。
彼女達を守るためにオスカーが行使した零攻魔剣は、今の彼が持つ最大のデバフ技だ。
正直な所、一生使うことはないだろうと思っていた大技ではあった。
そんな力に拮抗する天上の攻撃を目の前にすれば、女神が顕現するパラミナに帰ろうと思う筈もない。
先ず警戒し、自身を追い込んだ神々を敵視せざるを得ない。
オスカーも、それは全く同じだった。
このままパラミナに帰還して、無事にいられる保証は何処にもない。
自分達は生きている。
いや、生かされている。
一ヶ月が経った今、いつ再び神の裁きが舞い降りても不思議ではない。
故に隠れ潜む以外の選択肢がなかったのだ。
エイダは過去の光景を思い出したのか、嫌悪するような表情で呟く。
「わたしはもう、信じない。神様も、あの人も、信じたくない」
「……」
「だから今、出来る事は一つ。ザカンを連れ去った、あの人を倒す。そして全部元通りにするの。わたしがするのは、それだけ」
「エイダ、でもそれは……」
「ダメよ。ダメなの。それだけはもう、したくない。考えたくない」
彼女は首を振る。
ザカンがエスゼリクに捕らえられている以上、再び相対するのは必然である。
このままではオスカーの身体が弱っていくばかりだからだ。
神々に挑むにしても、話し合うにしても、途中で倒れては元も子もない。
加えて、あの時と同じ思いでエスゼリクに挑むことは出来ない。
対話をしようとして、その隙を突かれて神々の裁きを受けたのだ。
もう容赦などできないと、エイダは断言する。
「わたしは、オスカーみたいに強くない。強くなれない。守れるものなんて、ほんの少ししかない。だから今、この時を守り切りたいの。もし、わたしにもまだ、守れるだけの力があるなら……今、貴方がいるこの時だけを……」
邪念を考えて、大切な者を失いたくはない。
失う恐怖というものが、言葉の抑揚から感じ取れる。
自分を思っての事なので、オスカーもそれ以上の反論は出来ない。
大切にしていたものが、心の拠り所にしていた人がいなくなる事が、どれだけ恐ろしく寂しいものなのか、彼自身が理解していたからだ。
するとその直後、エイダは何かを感じ取ったように、室内にある窓の外を見つめた。
同時にオスカーも、妙な魔力の気配を感じ取る。
「だからもう、絶対に邪魔はさせない」
「この感じ……何かが、城に向かってきている?」
「魔族の気配よ。悪い魔力を持つ、あの人と同じ気配が、近づいて来る」
そう言って、エイダは彼の手を引いて部屋を出る。
あくまでこちらの動向を気に掛けながら、ゆっくりと進んでいく。
辿り着いたのは、先程まで監視していたバルコニーだった。
日が傾き始め、城から差していた影の形も変わっている。
そしてそこで待ち構えていたギンコが、銀色の毛並みを靡かせながら、森の向こうを眺めているのが見えた。
エイダはそのまま彼女の元に並び立つ。
「来たのね?」
「あぁ。やはりお前が言っていた通り、此処を嗅ぎつかれたようじゃ。元々、無人の城だったのだ。隠れ場所としては絶好、気付かれぬ方が難しかったか」
意味深な会話をしているが、オスカーにもある程度理解できた。
今、魔族の領土はエスゼリクの配下である四宝が、占領を始めている。
指揮者を失ったとしても、魔王城であるこの場所も例外ではない。
既にオスカー達が潜伏している事がバレているのか。
時を待たずして、新たな魔族が城に攻め込んでくる。
既にエイダはいつでも戦えるような臨戦態勢になっていた。
先程までの優しげな表情から、冷徹なそれに切り替わる。
その様子に複雑な心境を抱いていると、不意にギンコが語りかける。
「オスカー、お主は疑問を持っているかもしれんな。何故、妾が敵対する筈の自分達を助けるだけでなく、力を貸そうとしているのか。神に抗ったとて、それだけでは理由が薄いのではないか、と」
「!」
「その通りじゃ。それだけが理由ではない。もう一つの訳は今、まさに此処で起きようとしている、この惨状のためなのだ」
視線を鋭くして、再び森の先を睨む。
一見ただの森にしか見えない。
それでも魔王として、彼女自身の思いとして、どうしても看過できないものが、この先にあるようだった。




