8.デバフ勇者は戦い抜く
魔将・アリアスは周囲に複数の魔法陣を展開する。
豪語した通り、その全てが黒魔導、それも最上位に値する術式だった。
軽い風圧すら発生する中、エイダが数歩、前に進み出る。
『邪魔をするか!? 竜の娘よ!』
「エイダを操ろうとしたこと、後悔させるわ!」
『チッ、奴を裏切らせないための保険だったが……こうなれば仕方がない!』
魔将相手に臆すことなく、エイダはそのまま息を吹きかけた。
直後、小さな息が属性の色を帯び、発火する。
オスカーは、それが上位種の魔族が放つブレスであることを理解した。
まるで竜が口から火を放ったかのように、辺りが熱で埋め尽くされる。
「業火吹!」
波のように押し寄せた火炎が、アリアスを呑み込む。
火の魔導に部類するブレスは、それなりに効果があるようだった。
身に纏う黒装束が徐々に焼け焦げていく。
だが奴を倒すには、まだ足りない。
力任せにブレスを打ち消し、アリアスは展開していた魔法陣を発動する。
『小賢しいッ! 暗澹の光よ!』
呪いの性質を持つ、漆黒の光線が何十も解き放たれる。
強力な呪いを付与する、床や柱を抉り取りながら飛来するそれらを、二人は左右に回避する。
並の兵士では回避すら出来ず、まともに受ければ一溜まりもないだろう。
オスカーは無数に迫る光線の回避に専念する。
しかしエイダは彼以上の跳躍力で避け、前進する。
包囲網に近い光線の網を潜り抜け、アリアスに迫った。
当然、アリアスも彼女の力量は理解していた。
突進するエイダの頭上へ転移し、纏っていた複数の魔法陣を重ね合わせる。
そして光線を二、三に束ねた巨大な波動が叩き落される。
流石のエイダもハッとして頭上を見上げるも、寸前の所でオスカーが剣を振るった。
「零魔剣!」
光線そのものの魔力をゼロにし、空中で飛散させる。
アリアスが舌打ちする中、オスカーはエイダの元へと駆け寄った。
「エイダ、無事か!?」
「大丈夫」
特に大事なく、彼は内心ホッとする。
代わりに、やはり後衛の勇者を優先的に始末するべきだと感じたようだ。
アリアスの標的は、オスカーへと変わった。
『黒影陣』
アリアスが闇に溶けたように見えたと同時に、四方八方から同じ姿の影が現れた。
質量を持った分身、所謂影分身だ。
しかし、オスカーには一つの疑問が浮かぶ。
始めの一撃で、アリアスの魔力は殆ど奪い取った。
だというのに平然と黒魔導を行使してくる。
「ヤツの魔力は尽きている筈……何か、カラクリがあるな……」
「……どうするの?」
「先ずは動きを止めよう!」
剣を握りしめたと同時に、影達が動き出す。
オスカーは石化剣によって、襲い掛かる影達を石化。
物理性質を帯びたそれを、エイダが拳で粉砕していく。
だが影達は次から次へと湧き出てくる。
何処かに潜んでいる本体を叩かない限り、埒が明きそうにない。
本体を見極めるため、オスカーは剣を振りつつ、思考を巡らせた。
そんな時だった。
戦いの音に紛れて、この地下空間に何者かが近づいて来る。
真っ先に気付いたエイダが、声を上げた。
「オスカー! 誰か、ここに来るわ!」
「何!?」
新手の助勢か。
警戒するオスカーだったが、現れたのは意外過ぎる人物だった。
あの格闘着を見間違えるはずもない。
現勇者パーティーの一人、ディアックだ。
潜入するオスカー達を追って来たのだろう。
ただ彼も今の状況を理解できず、混乱しているようだった。
「何だこれは!? 一体、何が起きている!?」
「ディアック!?」
「その声、オスカーか!? さっきの強大な黒魔導は何だ!? どうにか凌ぎ切れたが……いや、それよりもどうして、ギルドマスターの屋敷にこんな場所があるんだ!?」
事情を説明するよりも先に、今まで蠢いていた影達の動きが変わる。
乱入者であるディアックを一斉に注視し、彼の周りを取り囲んだ。
『わざわざ殺されに来るとは……馬鹿な男だ……』
「ッ!? 魔族だとッ!?」
ようやく彼もアリアスの影に気付く。
加えて只ならぬ気配を感じ、魔力を漲らせ、全力の拳を振りかざした。
これは地に拳を叩き込み、隆起した地の棘で範囲攻撃を行う、地烈拳という技だった。
しかしオスカーは彼の行動を止めようと、声を張り上げる。
「駄目だ、ディアック! ソイツに物理攻撃は効かないッ! 離れろッ!」
アリアスは亡霊の類。
物理的攻撃は一切通用せず、格闘家であるディアックでは相性が悪すぎる。
裏付けるように、彼の地烈拳は呆気なく影の群れをすり抜けた。
技の反動で動けない、一瞬の隙。
そこを背後から影が迫り、魔法陣を展開した。
『必殺』
血塗られた陣、殺意の塊のような魔力。
オスカーは剣を振るおうとしたが間に合わない。
魔法陣から放たれた赤黒い閃光が、ディアックに直撃した。
「は?????」
彼は自分に何が起きたのか、分からないような声を上げるだけだった。
全身の筋肉が弛緩し、その場に崩れ落ちる。
一瞬遅れて、オスカーの放った石化剣が周りの影達を石化させる。
続いて接近したエイダがそれらを破壊し、倒れ込んだディアックの元へと近づいた。
「おい! ディアックッ! しっかりしろッ!」
「駄目! この人、息をしてない……!」
続いてオスカーが駆け寄ったが、最早手遅れだった。
エイダの言う通り、呼吸どころか脈拍も止まっている。
両腕はだらんと垂れ下がり、糸の切れた人形のように動かない。
その惨状、その有様に、息を呑むことすら忘れてしまう。
ディアックは死んだ。
これ程までに呆気なく。
今の魔法陣は、触れた者を強制的に殺す封印級の黒魔導。
技の反動で動けなかった彼には、避けようがなかった。
オスカー達を逆撫でするように、新たに生まれた影達が笑う。
『何れ、死ぬ命だ。寧ろ、これから滅亡する人族の世を見ずに済んだ。幸運と言っても良いだろう』
「お前……なんてことをッ……!」
『まさか、この男を殺されたことが腹立たしいのか? 分からんな。そこの勇者は貴様を蔑ろにしていた。同情する余地などない筈だ』
「!?」
『私はギルドマスターとして、勇者パーティーの言動・行動を監視していた。貴様を擁護する気などなかったが、あえて言わせてもらおう。この男達は屑だ』
アリアスは、さも当然のように言った。
『王都の連中も同じこと。私はただ、切っ掛けを与えたに過ぎない。だというのに、嘘と偽りで塗り固められたものを信じ込み、無責任な立場で相手を貶める。溺れた獣を棒で叩くことと同じだ。不幸な者を嘲笑う、下劣な流れが生まれていた。貴様の実力を認めていれば、そのようなことにはならなかっただろう。結局の所、誰も貴様を信じていなかったという訳だ』
「……」
『オスカー・ヒルベルト、何故戦う? それだけの力があるなら、王都を見捨てて逃げることも出来た筈だ。不当に貶められても尚、ここにいる人族は、守るだけの価値があるというのか?』
「……」
『もしここで剣を収めて引くというなら、今までの貴様が与えられてきた不当さに免じて見逃してやっても良いぞ』
そう言われ、パーティーを追放された時の記憶が甦る。
勇者の面々は、オスカーだけでなく、父のザカンすら馬鹿にした。
王都の兵士達も、魔族の強襲を忠告しても耳を傾けなかった。
あるのは嘲笑と侮蔑。
守る意義、助ける意味を問われれば、確かに首を傾げざるを得ない。
心配そうな視線を向けるエイダだったが、彼はゆっくりと立ち上がった。
「まさかアンタに同情されているとは思わなかった。でも、自分がやったことを棚に上げるなよ」
ディアックから目を離し、アリアスを見据える。
「腹が立たなかった訳じゃない。でもな……だからってこんな風に、こんな形で殺された方が良かったなんて、思う訳がないだろう!?」
それでもオスカーは剣を握る。
かつて自分を卑下した相手であろうと、無残に死ぬことを願っていた訳ではない。
まして目の前で殺されてしまえば、尚更だ。
決して、良かったなどと笑える筈もない。
アリアスは特に何を思うでもなく、宙を舞った。
『頭の固い男だ。ならば、貴様も同じ道を辿らせてやろう。安心しろ。貴様を殺した後、王都の連中も後を追わせてやる』
先程と同じ、必殺の魔法陣が生成される。
今度こそ、脅威となるデバフ勇者の息の根を止めるために。
それを封じようと、前衛のエイダが業火を吐き出し牽制。
炎の渦が魔法陣の発動を阻害した。
「させない!」
『亜人如きが! 人にもなれず、竜にもなれぬ半端者が、この私を止められると思うのかッ!?』
全身を焼き焦がしながらも、アリアスは激怒する。
一度は捕えた、自身より格下である筈の亜人の攻撃は、目障りでしかない。
片腕を振るい、息吹を弾き飛ばす。
「封復剣」
だがオスカーが一言告げ、剣を振り下ろした。
その瞬間、アリアスの黒魔導が完全に停止した。
血塗られた魔法陣だけでなく、周りの影達も一斉に沈黙する。
『な……に……!?』
「……そういう事か」
『ッ!?』
「枯渇した魔力の供給源……お前の生命力そのものなんだろう? 無尽蔵の生命力を魔力に置換させて、今までの黒魔導を可能にしてきた」
オスカーが放ったデバフは回復不能、治癒能力を封じるもの。
冷静さを失わず、注意深く警戒していた彼には、一つだけ分かったことがあった。
常にアリアスの本体は、消耗と自然治癒を繰り返していた。
オスカー達の攻撃以外に、体力を消費する場面はない。
しかし、体力を魔力に変換する黒魔導を使用していたのなら、話は変わってくる。
更に、魔将・アリアスの種族はアンデット。
アンデットは無尽蔵の生命力を持つことで知られる存在だ。
切ろうが焼こうが、正規の方法で倒さなければ何度でも蘇る。
尽きることのない生命力を魔力に変換することこそ、今まで黒魔導を行使できた理由。
オスカーのスキルで、黒魔導が停止したことがその証拠だ。
そして回復を封じられた今、その術はもう通用しない。
「アンデットの特性を利用した魔力生成。でも、種は割れた。後はそれに対応すれば良いだけの話……!」
『チィッ!』
アリアスの声に焦りの色が浮かぶ。
ここまで簡単に見切られ、対応されるとは思わなかったようだ。
それでも尚、負けを認めることはない。
止まっていた影の一つが、這うように動き出す。
回復を封じられても尚、残存する魔力を行使したのだ。
影は片腕を鋭い槍状に変え、デバフを操るオスカー目掛けて一直線に伸びていく。
「オスカー、後ろっ!」
エイダの声を聞き、オスカーは反射的に飛び退くも、影の槍がその左肩を突き刺した。
僅かな量の血が、花弁のように舞い散る。
『貴様の戦い方は理解している! 所詮はデバフ特化型、武術はそこらの一般兵レベルだ! 懐に潜り込んでしまえば、こちらのものッ!』
「ッ……!」
『貴様を殺せば、もう我々に敵う者はいない! ここで、死ぬが良いッ!』
最早このタイミング以外に、彼を仕留める隙はないと考えたのだろう。
槍で突き刺した左肩を離さず、もう片方の腕で必殺の魔法陣を発動しようとする。
これだけ間近であれば、被弾は先ず避けられない。
だが直後、オスカーの全身から魔力が溢れ出た。
その量はあまりに莫大で、巨大な風圧すら発生する。
『馬鹿な!? この強大な魔力は……!?』
人族が持つにしては強すぎる魔力。
アリアスはそれに覚えがあるのか、驚きを隠せない。
疑問に答えるように、オスカーが彼を睨みつける。
「零魔剣で奪ったお前の魔力は、何処に行ったと思う?」
『まさか……貴様ッ……!』
「お前自身の力だ。じっくり味わえ……!」
直後、オスカーは吸収していた魔力を全て解き放った。
闇をかき消す光が、地下空間全体に行き渡る。
魔力の渦が、アリアスの本体だけでなく周囲の影諸共呑み込んでいく。
『グオオオオオオッッッ!?』
元々、溜め込んでいた程の大量の魔力だ。
影の分身は全て消え、本体であるアリアスも全身が霞んでいく。
そんな魔族に向け、オスカーは呟く。
「……さっきお前は、何故戦うのかって聞いたな?」
『……!?』
「簡単な話だよ。俺にはコレしかないんだ。最弱と言われているこの力しか……だから、この力で築き上げてきた今までの道を、捨てることなんて出来ない……!」
彼の強固な意志は、エイダの耳にも届いたようだ。
アリアスを巻き込む魔力の前に、魔力の込められた息を吹きかける。
「迅雷吹!」
無属性だった魔力が、息吹に触発されて巨大な稲妻へと変貌する。
音を鳴り響かせるそれは、巻き込まれれば簡単に消滅する程の強大さ。
既に呑み込んでいたアリアスの全身を容易に貫き、そして爆ぜた。
響いたのは、轟音。
地震を思わせる地響きと共に、王都全体を覆っていた時止めの術式が消失した。
ガラガラと、地下空間の柱が幾つか崩れ落ちる。
天井は大量の亀裂が生まれ、割れ目から砂が零れ落ちている。
絶大な雷の後に訪れたのは、静寂だった。
土煙が蔓延する中、オスカーがエイダを庇いながら剣でそれらを打ち払う。
先に現れたのは、消滅寸前のアリアスだった。
あれだけの威力を受けて消し飛んでいないのは、流石と言った所か。
『ク……ハハハハハ……』
だがその笑いは乾いており、既に戦うだけの力も残されていない。
消滅を待つだけの僅かな残滓。
それでも、自身を討ち果たしたオスカー達に問う。
『圧倒的な強さとは、孤独なものだ。虐げられても尚、人々のために戦い続けるのか?』
「それが、俺に出来る事なら」
『ククク……良いだろう。負けを認めよう。先に進むと良い。だが何れ理解する……人族がどれだけ罪深い種族であるか……』
「!?」
『楽しみだ……悲痛に歪みながら息絶える姿……。先に、待って……いるぞ……』
意味深な言葉だけを言い残し、アリアスは嗤いながら消滅した。
これにより、闇の戦いは終わりを告げる。
静止した時が動き出す。
霧のように消える魔将を見届け、オスカーは息を吐く。
痛みを思い出し、血の滲む左肩を抑えた。
「オスカーっ!」
「大丈夫……傷は浅い……」
この程度の傷、以前のエイダに比べれば蚊に刺されたようなもの。
傷を危惧する彼女に向け、大事ないことを告げる。
だが、守り切れなかった者もいる。
オスカー達は暫しの沈黙の後、その者の近くに歩み寄る。
「ディアック……」
剣を収め、彼はディアックの見開いた瞼を閉じた。
ウィルズの発言に同意するだけの男。
追放の件もあって、ハッキリ言って良い印象は殆どない。
だが魔将との戦いに巻き込んでしまったことは事実だ。
罪悪感がない訳ではない。
と、そこへ慌ただしい足音が幾つもやって来る。
思わず振り返ると、やり過ごしていた屋敷の警備兵達がこの場に駆け付けていた。
「そこを動くな! オスカー・ヒルベルトッ!」
皆がオスカー達を警戒し、剣を抜いている。
彼らにあるのは疑心、敵意、そして恐れだった。
「おい! 何だこの空間は!?」
「何という事だ! あれは、ディアック様じゃないか!?」
「まさか……死んで……!」
「そ、そんな! 勇者様が、殺された!?」
嫌な予感がする。
オスカーは彼らの目に、先日向けられた侮蔑の視線を重ねた。
あらぬ疑いを掛けられる前に、弁明しようと皆に近づく。
「待ってくれ! 俺達は……!」
「動くなと言っている! 貴様……よもや、勇者様を手に掛けるとはッ!」
「お、おい! これを見ろッ! この干からびた死体……胸元のバッチ……! まさか、ギルドマスターなんじゃ!?」
「勇者様だけじゃない! あのギルドマスターまで!?」
話がどんどん悪い方向へと転がっていく。
彼らはディアック、そしてギルドマスターを殺した犯人が、オスカーであると自己完結しようとしていた。
「聞いてくれ! ギルドマスターは魔族だった! 魔族に殺されて、取って代わられていたんだ!」
「馬鹿なことを! 誰がそんな世迷言を信じるかッ!」
「彼の遺体を見て分からないのか!? 死後、数か月は経っている! ディアックはギルマスに偽装していた魔族に殺された! 間に合わなかったんだ……!」
「ふざけた事を! 貴様はデバフを扱えたな!? デバフには人体を劣化させる力があったはずだ! それを利用して、死体の偽装工作をしていても、何もおかしくはない!」
「な……!」
オスカーは絶句する。
確かにデバフには、対象の状態を操作する力がある。
だが彼らからすれば、オスカーは無能故にパーティーから追放されている。
だと言うのに、そんな男がデバフを利用して都合の良いように死体偽装を行った。
言っていることが、あべこべになっている。
それすらも、彼らには判断が出来ていないようだった。
「ウィルズ様達を呼べ! 王都全域に鐘を鳴らすんだッ!」
弁明する余地も、意味すらも与えてくれない。
遂に警備兵達が剣を振りかぶって駆け出してきた。
今まで黙っていたエイダが、彼の袖を引っ張る。
「オスカーっ!」
「クソッ……やっぱり、駄目なのか……! 誰も信じてくれないのか……!」
エイダを巻き込む訳にはいかない。
彼は彼女の手を引き、警備兵達を通り抜けて地下空間を脱出する。
騒ぎはより一層大きくなるも、決して立ち止まらなかった。
圧倒的な強さは、孤独なものだとアリアスは言った。
分かっていたことだった。
既にオスカーはアリアスの策略によって、地位と信用を奪われていた。
誰にも信用されないからこそ、ギルマス邸に忍び込んだのだ。
こうなることは、ある意味覚悟していた。
怒りはない。
失望することもない。
ただ悲しみだけが、彼の感情を包み込んだ。
「逃げたぞッ! 追えッ! 決して逃がすなッ!!」
エイダを握る手に、少しだけ力が込められた。