11.魔将の怒り
今も変わらず暗闇に落ちた魔王城。
相も変わらず薄暗い円卓の間にザイヴナートはいた。
現状の情報を精査し、その上で沈黙を続けている。
オスカー・ヒルベルトによって、カイツェルが倒された。
その事実は既に彼女の耳に届いていた。
悲しむ間はない。
そんな猶予は許されない。
しかし志を共にする者でありながら、彼の陽気な幼さは、使命に殉じる魔将達に柔らかな雰囲気を与えていた。
決して失われて良かった存在などではない。
「許さん……!」
そしてこの場で、怒りに打ち震える者がいた。
彼女はそちらの方へと目を向ける。
魔将・エスゼリク。
立体映像の目玉だけという部分でも、彼の感情は嫌という程に伝わってきた。
「エスゼリク」
「止めるな、ザイヴナート。このような蛮行、見過ごす訳にはいかん」
流れる映像の向こうから振動音が微かに聞こえてくる。
怒るエスゼリクの身体から魔力が漏れ出ているのだろう。
無論、彼自身はカイツェルの死に動揺するような者ではない。
大灯台に潜伏していた時点で、討伐される可能性も考えて然るべきだった。
「確かに我々は、命を賭す覚悟は出来ていた。大義のためならば、仲間の死を振り返ってはらない。そんな事は分かっていた。だがッ……!」
それでもエスゼリクは続ける。
カイツェルに与えられた死は、ただの死ではなかったからだ。
彼の付近で硝子が砕ける様な音が響いた。
「何故、磔になど! 死者を愚弄するような仕打ちを受けねばならんのだッ! あんなモノに道理があってたまるか! 許さん! 断じて許す訳にはいかん!」
ザイヴナートもカイツェルの身に起きた出来事を思い出す。
彼はオスカーとの戦いに敗れて命を落とした。
そして人族に埋め込まれていた刻印を解除し、己の役目を果たした。
間違いなく、十分に使命を全うしてくれた。
しかしその先に待っていたのは、人族によって磔にされるという仕打ちだった。
オスカーらの仕業ではない。
後からやって来た下賤な勇者が、己が利益のためにカイツェルの身体を弄んだのだ。
彼女としても、到底看過できるものではなかった。
「行くのですね」
「無論だ! どの道、調整を促さなければ神話は顕現しないだろう! 己れが、人族に向けて宣戦布告を行う!」
エスゼリクは明言する。
弔い合戦ではなく、これも魔将としての計画の一つ。
その計画の中に、同志の遺体を鞭打った人族への怒りを乗せるだけの話。
状況が一変した今、彼の力は必要不可欠だ。
ただ、ザイヴナートには一つの懸念があった。
「しかし、良いのですか? 人族の側には、勇者の傍には彼女がいる」
「彼女、だと……?」
「竜人、エイダです」
オスカーの傍で戦い続けている竜の亜人。
その存在は彼女の知る所となっている。
人と瓜二つの姿でありながら、竜の組織を持つ特異な人物。
本来の竜の姿ではないという点を除けば、その力はまさしく竜族そのもの。
そして力量だけでなく、彼女の存在はエスゼリクにも大きな影響を与えるだろう。
彼は一瞬虚を突かれたように沈黙したが、大きな動揺はしなかった。
「……そうか」
「驚かないのですね」
「お前達の考えなど分かる。大方、アリアスが己れの素性を探り、あの女の存在を知ったのだろう。己れを、牽制するために」
気付いていたのはアリアスだけではない。
商業都市や大灯台での戦いに挑み、生き残った亜人となれば自然と分かるものだ。
竜人の少女は、これから先も自分達の障害として現れる。
ザイヴナートは、彼が手心を加える事を危惧していた。
幾ら目的のために命を費やす覚悟が出来ていたとしても、最後の瞬間にはどう転ぶか分からない。
心を持つ生物である以上、有り得ない話ではない。
そんな不確定要素は、可能な限り取り除かなければならない。
「私達の役目は同じ。どちらが先に仕掛けても問題はありません」
「いや、己れが行く」
「それはつまり、彼女と対峙することになるのですよ? もし貴方が、未だに情を持っているなら……」
「勘違いするな、ザイヴナート」
遠回しに退くべきだと言われるも、彼はハッキリと口に出す。
あるのは同志を慰み者にされた怒りのみ。
そこに躊躇いの感情は一切なかった。
「情など、とうに捨てた。そうでなければ、己れは邪神より力を得てはいない」
「……」
「始めから間違っていたのだ。あの女が、人族が存在していたことは」
最早そこに後悔など抱かない、と言いたげだった。
ザイヴナートもエスゼリクの素性は調べている。
彼は魔将の中で、誰よりも人族を憎んでいる。
それはかつて、生半可に人族と触れ合ってしまったが故だろう。
奴らと関係を得た所で何一つ意味はないのだと、見分ではなく実際に彼自身が味わったからこそ至った思想だ。
だからこそ彼も邪神によって認められ、力を分け与えられた。
「故に己れが正す。この星を、あるべき世界へと還すのだ」
ならば信じるのも同志としてあるべき姿だろう。
仲間を疑う必要は元よりないのである。
ようやくザイヴナートは、自身も冷静さを欠いている事に気付き、彼の言い分を認めた。
円卓の間で揺らめいていた蝋燭の灯が、真っ直ぐに伸びる火の形を取り戻す。
「そこまで言うのなら、口出しはしません。思う存分暴れなさい」
「感謝する。次いでカイツェルが託した魔王様だが、己れの下で預からせてもらう。共に人族の領域へ侵攻し、矛先を我々に向けさせる」
「良いでしょう。天の怒りが下るのならば、時期は早い方が良いですからね」
道は開かれた。
今更、後戻りをする余裕など何処にもない。
命を散らしていった者達のため、自分達に与えられた役目を果たすのみ。
ザイヴナートもエスゼリクも、互いが何をすべきか分かり切っていた。
だからこそ、これ以上の話し合いも必要はなかった。
「さらばだ、同志よ。最早、こうして対話をする事もないだろう」
「えぇ。次に会う時はアリアスやカイツェルの待つ世界。真の意味での、天上の国で」
戦場へと旅立つ者へ、別れの言葉を交わす。
無事ではなく健闘を祈るだけの簡素なもの。
それを最後に、エスゼリクは通信を遮断した。
ザイヴナートは静まり返った円卓の間で、小さく息を吐いた。
残される者とは、何処まで行っても寂しいものだ。
そうしてエスゼリクが口にしていた言葉を反芻する。
「情ならば私も捨てていますよ、エスゼリク」
情とは他者を思いやる心。
ザイヴナートにそのようなモノは、始めから存在していなかった。
彼女に待ち受けていたのは、エスゼリクが竜人・エイダに向ける感情と同じ。
存在してはならない、消さなくてはならないという強固な刃だけだった。
心など持ち合わせられる訳もない。
ただ四魔将として力を引き継ぎ、こうして一堂に会していた時だけは、少しだけ気持ちが軽く感じていた。
例え過去や生まれが違っていても、共に戦うことは出来るのだと。
しかし、それも終わる。
彼女は吐いていた息を力強く吸い込む。
「始めましょう。本当の、神話との戦いを」
全ては神々への鉄槌のため、人族の根絶のため。
もう、この魔王城に戻る事もない。
ザイヴナートは名残惜しむ様子もなく、円卓の間から姿を消した。




