7.デバフ勇者は潜入する
「よし、今なら行ける」
深夜、オスカーはギルドマスター邸に辿り着く。
警備兵がいるのは当然だったが、巡回を見極めて侵入できる隙を見出す。
正面から突破する気はない。
裏の壁を乗り越え、裏庭の罠は石化で全て封殺する。
不法侵入は当然始めてだが、背に腹は代えられない。
侵入の前に、彼は後ろに控えるエイダに確認する。
「本当に良いんだな?」
「鼻はよく利くわ。きっとあなたの力になれる」
オスカーがギルマス邸に乗り込むと決めた際、エイダも同行を進言した。
彼女の嗅覚は、確かに人並み以上だ。
決定的な証拠を掴む手段にもなり得る。
それに例の魔族はエイダを狙っている。
一人だけ置いて行くのは、少々危険だった。
「分かった。でも、この先何が起きるか分からない。十分注意してくれ」
「ん」
エイダは小さく頷き、オスカーもよし、と一言呟く。
そうして二人は、ギルマス邸に乗り込んだ。
高い外壁は、持ち前の身体能力でよじ登る。
エイダについては亜人故か、オスカー以上に容易く飛び越えてくれた。
庭の罠は石化剣で発動を止め、鍵の掛かった扉は対象を朽ちさせる腐朽剣で解錠させる。
罪悪感しかなかったが、どうにか堪えて屋敷内に侵入した。
いつもなら、昼間にしか訪れない豪華な大広間。
しかし、この時だけは妙な空気が流れていた。
「警備が少ないと思ったけど、何だこの違和感……」
オスカーは警戒心を尖らせる。
人の気配が一切ない、というのもそうだが何かがおかしい。
ドロドロとした黒い雰囲気のようなものが、屋敷一帯を覆っている。
魔族と戦う時のそれとは違う、悪意のような意志を感じる。
直後エイダが、周りの匂いを嗅いだ。
「こっちから、変な匂いがするわ」
「変な?」
「エイダが捕まっていた時も、同じような匂いがしたの」
彼女が感じる匂いに従って、屋敷の通路を進む。
辿り着いたのは一階にある、ギルドマスターの執務室だった。
パーティーを追放された時、この部屋で直談判した記憶が、オスカーの脳裏をよぎる。
ゆっくりと扉を開けるも、やはり無人で待ち伏せしている様子はない。
だが変わりに一つだけ。
部屋の中央に、巨大な床扉が大きな口を開けていた。
用心して覗き込むと、扉の下は地下に続く階段が伸びていた。
「これは、地下への階段……。こんなモノがあったなんて……」
どう見ても、オスカー達を誘い込んでいる。
罠である可能性は非常に高い。
だが危険を冒す覚悟は、既についている。
オスカーはエイダに合図を送り、階段を下りていった。
コツコツ、と小さな足音だけが響く。
地下にあったのは、ぼんやりとした蝋燭の火が灯る、石造りの監獄だった。
真っ直ぐに伸びる通路の左右に、鉄柵で閉じ込めた牢獄が幾つも連なっている。
見渡す限り中は無人だが、どのような意図があって造られたものなのか分からない。
厳格さのあるギルドマスターからは考えられない、異質さがあった。
「この雰囲気、覚えがあるわ」
「まさかそれって……」
「エイダを捕まえていた場所と、よく似ているかも」
エイダの表情は、少し険しい。
やはり彼女を捕えていた場所は、ここで間違いがないのか。
一本道の監獄を、躊躇うことなく進んでいく。
暫くして、突き当りに牢獄とは違う開けた空間が見えた。
と同時に、妙な臭いが舞い込んでくる。
「変な匂いが近いわ」
「あぁ、俺でも分かる。この匂いは……死臭だ……」
歩調を落し、オスカーはその場所へと歩み寄る。
そこは幾つもの巨大な柱が立ち並ぶ、地下の大空間だった。
ギルドマスター邸の何倍もあるのではないか。
これだけの広さを、誰にも知られることなく造っていたようだ。
地下空間の驚きもあるが、オスカー達は例の匂いの元を辿る。
最早、匂いと言うには厳しい激臭を乗り越えると、奥の柱に倒れている人が見えた。
湧き上がっていた疑念は、そこに近づく度に大きくなっていく。
現れたのは、一つの干からびた死体だった。
「う……!」
「鼻が、曲がりそう」
「あまり、近づかない方が良い」
オスカーはそう言って、死体の身元を調べる。
半分がミイラ化しており、性別の判別すらできない。
衣服も殆ど劣化していたが、胸元にあるバッチには見覚えがあった。
ギルドを束ねる者の証を示す勲章。
それを付けている者は、一人しか存在しない。
「ギルドマスター……! クソッ……!」
この死体は、紛れもなく彼のもの。
しかも死亡してから、数か月単位の時間が経っている。
となれば、それまでに出会った彼は一体何者だったのか。
「こちらから出向いてやろうと思ったのに。殊勝な心掛けだ、オスカー・ヒルベルト」
考えるよりも先に、後方から声を掛けられる。
エイダは反射的にオスカーの方へと飛び退き、警戒を露わにする。
聞き覚えのある声、見覚えのある姿。
ギルドマスターの姿をした何かが、そこにいた。
「お前……あの人の振りはもう止めろ!」
「この姿も、板に付いてきたからな。どうにも止められない。恩人を模るのは、癪に障るか?」
「……いつから入れ替わっていたんだ?」
「その死体を見れば分かるだろう? それなりの実力者と聞いて、少しは楽しめるかと思ったが期待外れだった」
死体を見下ろし、男は言う。
ギルドマスターも勇者ではないにしろ、冒険者を束ねる程の実力があると言われていた。
そんな彼を、誰にも気付かれることなく始末した。
目の前の男には、それだけの力があるという事だ。
そして、男の右腕の一部は未だに石化状態にある。
自ずと、オスカーは剣を鞘から抜いた。
「だが、この右腕は違う。物理無効の性質を持つ私を、強制的に石化させるその手腕。やはり、孤立させて正解だった」
「孤立? まさか、お前が……!」
「貴様をパーティーから外すよう根回しをしたのは、この私だ」
男はニヤリと笑った。
「ウィルズという男は、貴様に嫉妬していたからな。後は腰巾着の格闘家と、発言力のない白魔導士だ。元々、王宮内部でも平民であるお前の存在を疎む者が多かった。王族という立場を利用すれば、周囲を丸め込むのは容易かった」
「内側から、俺達を良いように操っていたってことか!」
「これも全て、貴様たち勇者を殺し、人族を滅ぼすためだ。潔く受け入れてほしい」
「……往生際は悪い方なんだ。そう簡単に、受け入れるつもりはない」
王族である、その立場を利用したのだろう。
パーティーの追放も、不可解すぎる不名誉も、全ては仕組まれていたことだった。
オスカーは、剣を握る手に力を込める。
「お前は、ここで倒す!」
「それは私のセリフだ。貴様はここで倒す。主より与えられた、この力でな!」
瞬間、男の周囲に赤黒い魔法陣が形成される。
只ならぬ力の脈動が伝播する。
エイダはこの陣を知っているのか、オスカーに警告した。
「この力、捕まった時と同じ!」
「エイダ、俺の傍に!」
彼はエイダを庇いながら、剣を振りかざした。
同時に、男の形成した魔法陣が、地下空間全体を呑み込む。
「逢魔が刻!」
「零魔剣!」
カチン、と時計の針が止まるような音が響く。
直後、オスカーの放った武技が、周囲の魔を斬り裂いた。
零魔剣、対象の魔を絶つ魔導士殺しのデバフ。
それにより、オスカー達は迫りくる魔法陣をレジストした。
だがレジストし切れなかった周り光景は、夕焼けのように真っ赤に染め上げられていた。
無論、ただ色が変わるだけの力ではない。
染め上がった場所は、完全に静止していた。
動かないのではない、時そのものが止まっているのだ。
「時止めの黒魔導!? まさか、魔族側にこれだけの力を持つ奴がいるなんて……!」
時止めを喰らったのは、流石のオスカーも始めてである。
加えてこの魔法陣、効果範囲は王都全域に広がっていた。
地上にいる民衆は皆、時が止まった状態で静止している。
いかに準備を整えて発動した黒魔導とはいえ、これだけの力を誇る魔族は聞いたことがない。
「今までの魔族とは格が違う! この力、魔王と同格のッ……!」
「フッ……フハハハハハ!」
対峙する男が、唐突に笑い出す。
理由は、時止めをレジストされただけではない。
先程放たれた零魔剣。
その一撃だけで、大量にあった男の魔力が、一瞬で根こそぎ奪われたのだ。
残されているのは、時止めを持続するための僅かな量のみ。
様々な対策と術式を編んでいた男にとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。
「時止めをレジストし、私の魔力をも枯渇させるか! 素晴らしい! どうやら私は、まだ貴様を過小評価していたらしい!」
擬態する魔力もないのだろう。
男の姿が変貌し、本体である黒装束の骸骨が姿を現す。
『勇者、オスカー・ヒルベルト! 貴様を、我ら魔将を打倒出来る、唯一の人族として認識する! 最早、出し惜しみはせん!』
しかし、勝負を諦めてはいない。
寧ろ逆。
強大な力を持つ勇者が現れたことに、武者震いを抑えられないのか。
赤黒く染まった地下空間で、魔族の声が響き渡る。
『我が名は、魔将・アリアス! 黒魔導最強の覇者也! 我々の目的は二つ! 星を侵略する人族に制裁を! そして、神々への報復を!』
魔力を枯渇させても、未だに衰えを見せない。
ここから先は激戦になることをオスカーは予期した。
「エイダ、俺の後ろに!」
「いえ。エイダも戦うわ」
「っ!? で、でも……!」
「あなたの力になる。そのために一緒に来たの。足手纏いにはならないわ」
エイダは透き通った眼で見つめた。
彼女はオスカー以上の五感、そして身体能力がある。
決して魔将との力量が測れていない訳ではない。
今の時止めを理解して尚、一人戦おうとするオスカーの力になろうとしているのだ。
迷っている時間はない。
彼は今の自分に足りないもの、それを告げる。
「……今、俺に必要なのは力だ。俺は所詮、デバッファー。相手の力を抑えることしか出来ない。俺一人じゃ、アイツを倒し切れない」
「エイダが直接倒す。そういうことね?」
「頼む! ここで負ければ俺達だけじゃない、王都の皆も全員殺される! それだけは勇者として、絶対に許せない……!」
「ん、任せて」
敗北は王都全域の死を意味する。
そんな絶体絶命の中、エイダがオスカーと共に並び立つ。
時が止まった王都の地下で、魔将との戦いが始まった。