3.デバフ勇者は救い出す
「やっと、追い払えたか」
ウィルズ達が、王都外の魔族を掃討している頃。
オスカーは息を吐いて、ゆっくりと剣を鞘に納める。
今彼がいるのは同じ王都外、ウィルズ達とは真反対の方角だった。
実は、現勇者パーティーが応戦したのは魔族の別動隊であり、後から攻める本隊が一緒に挟み撃ちする算段だったのだ。
いち早くその気配に気付いたオスカーは先程、兵士達にその旨を伝えた。
「皆、聞いてくれ! この向こうから魔族が……!」
「あー、はいはい。大丈夫ですよ」
「いや、大丈夫じゃないんだ! そんな呑気にしてたら……!」
「貴方が言っているのは、勇者様達が戦ってる魔族の事でしょう? だったら、方向が逆ですって」
「クスクス……」
だが、勇者の地位を剥奪された彼に加担する者はいなかった。
誰も偽勇者の言葉を信用しようとはしなかったのだ。
「どうして笑うんだ……?」
「いや、別に笑ってませんよ。ねぇ?」
「そうですねぇ。勘違いじゃないですかぁ?」
「……」
自分の発言力のなさを嘆きつつ、仕方なくオスカーは、単独王都外へと向かい、奇襲を窺っていた魔族本隊と交戦する。
五十近くの獣型魔族相手に、先制デバフを掛け、大幅に戦力を削ぎ落した。
本来ならそれだけの数相手に戦えば、相応の激戦となる。
しかし殆どがデバフによって動きを止められた状態だったので、戦っていることすら王都の兵士達は気付かなかった。
そうして彼が本隊の五割を倒した所で、魔族たちは恐れ戦き退却する。
何のこともない、今までの戦いでもよくあった光景である。
しかし単独で戦う事の負担には、オスカー自身も気付いていた。
「やっぱり、デバフを掛けて一人で殴っていくのは、効率が悪すぎる。誰か、前衛で戦ってくれる仲間がいれば……」
オスカーの専門は後方支援だ。
剣を持っているが、剣術自体は得意でなく、ウィルズよりも遥かに劣る。
デバフだけで前衛を張るには、少々荷が重かった。
ふと、今まで共に戦ってきたウィルズ達が脳裏をよぎる。
「いや、アイツらと関わるのは止めよう。ギルドも当てにならない。……ったく、あの兵士達、俺の話を全く聞かないし。ここの魔族を持って行けば、少しは言うことを聞いてくれるかな……?」
倒した魔族を証拠に、自分の行動は正しかったと兵士達に言ってやろう。
言われっぱなしも癪だと思っていると、闇に紛れて何者かの気配を感じる。
まだ逃げていない魔族がいたのか、と思い身構えるが、直ぐにその考えは改められる。
現れたのは、傷だらけの幼い少女だった。
オスカーは剣の鍔から手を離し、彼女に駆け寄る。
「君! まさか、今の魔族にやられたのか!?」
「ぅ……あぁ……」
瞬間、フラフラと歩いていた少女は彼に向かって倒れ込んだ。
抱き留めると、思った以上の軽さと、血の匂いがやって来る。
彼はそれ以上に少女の重体さを危惧した。
至る所に斬られたような傷があり、刺し傷も見られる。
身に付けているものも、ボロボロの衣一枚とあまりに軽装。
その衣すら殆ど血で汚れており、今まで彷徨ってきた跡として点々と地面に残っている。
そして何よりも奇妙なのは、少女がやって来たのは、魔族が消えた方向ではなく、王都の方角からだったのだ。
「これは、直ぐに治療しないと手遅れになる……!」
何にせよ、オスカー自身に治癒能力はない。
王都に戻り、相応の場所で治療して貰わなければ命に係わる。
オスカーは衣服が血に濡れるのも構わず、少女を抱きかかえようとした。
すると直後、二人の前に漆黒の影が現れる。
影は宙を浮いたかと思うと姿を変え、黒装束を纏った巨大な骸骨となり、彼らを見下ろした。
『まさか、単身でヤツらを退けるとはな』
威圧的な言葉を前に、オスカーは片手で少女を支えながら、もう片方の手で剣を抜く。
勇者として様々な魔族と相対してきた彼だが、目の前のソレは今まで見たことがない。
「コイツ……今までの魔族とは雰囲気が……」
ただ先程の獣型魔族と、格が違うことは理解できた。
「……お前が、この子をこんな目に遭わせたんだな?」
『答える義理はない。さぁ、その女を寄越せ。余計な真似をしなければ、命だけは助けてやる』
「そんなことを言われて、頷くと思うのか?」
『……そうか。ならば、ここで消えろ』
持ち上がった骨の指先が、オスカーへと向けられる。
同時に指先から、漆黒の波動が生み出される。
それは徐々に大きさを増し、人一人を容易に呑み込む程へと変わり、目にも止まらぬ速さで放たれた。
呪いの渦、高レベルの黒魔導。
それまでの空気や地面を呑み込みながら、圧倒的な力の波動が、彼らを包み込んだ。
かに見えた。
だがそれを無言で受けきったオスカーは、少女を守りながら剣を持ち上げる。
そして一閃。
骸骨に届く筈のない距離で、闇を斬り裂くように剣を振り下ろす。
「石化剣!」
『何ッ!?』
瞬間、漆黒の波動は飛散し、骸骨の指先が石化していく。
文字通り石のように変貌し、全く動かせなくなる状態異常の一つ。
それは指を伝い、右腕全体を侵食した。
骸骨は自分が石化するとは思っても見なかったようで、驚きを隠せずにいた。
『実体のない私を、強制的に石化させるだと!? 貴様のスキル、やはり他とは格が違うという訳か……!』
「……俺のデバフを知っているのか?」
『チッ! やはりまだ、分が悪い……!』
今のままでは、少女を奪い切れないと悟ったようだ。
骸骨は石化した右腕を抱えながら再び影となり、闇の中へと消えていく。
逃げたようだが結局の所、奴は何者だったのか。
何が目的だったのか。
気掛かりなことは山ほどある。
「いや、それよりも」
だが今は、少女の救出を優先しなければならない。
オスカーは再度、容体を確認する。
既に少女は意識を失いかけており、顔色も青白くなっていた。
血も止まることなく、未だ流れ続けている。
これでは王都に辿り着く前に、失血死する可能性すらある。
「駄目だ、出血が多すぎる……! こうなったら……!」
奥の手を使うしかない。
即座に判断したオスカーは、少女を地に降ろし、持っていた剣を構える。
その切っ先は、紛うことなく彼女へと向けられていた。
「ごめん、少しの間だけ辛抱してくれ! 石化剣!」
躊躇いなく、剣を虚空で振り下ろす。
すると少女の全身が、瞬く間に石化していった。
石化には、体内の時間を止める副作用がある。
それを利用して出血を一時的に止め、容体の悪化を防ぐ。
本来、人を石化することなど御法度だが、治療を受けるまでのその場凌ぎとして使うことに、オスカーは抵抗を持たなかった。
そうして彼は、石化した少女を抱えて王都へ駆け込む。
待機していた兵士達に魔族が現れた事、十分な厳戒態勢を取ることを告げて、呼び止める声を待たずに王都内の屋根を伝った。
石化させているといっても、時間が経てば効力は薄くなる。
偽勇者として評判が広まっている今、即座に治療してくれる場が必要だ。
そしてオスカーにとって、心当たりのある所は一つしかない。
「父さんッ!」
「おわっ!? どうした、オスカー!? そんなに急いで……」
「魔族に襲われた子を助けたんだ! かなり傷が深い! 診てくれないか!?」
そう言って、抱えていた少女を診せる。
彼女の姿を見て驚くザカンだったが、事態を察して傷の状況を調べる。
小さな診療所ではあるものの、彼の手腕は確かなものだ。
石化した患者の容体を正確に調べ上げる。
「全身を石化させて出血を止めるなんて……荒業過ぎるだろ……」
「こうでもしないと助からないと思ったんだ。それで、どう?」
「何とかなる。備蓄してある超高級ポーションを使う羽目にはなりそうだが……」
「金なら出すから」
「息子からせびるつもりはねぇよ。こういう急患のために、用意していたヤツだからな」
ポーションや白魔導といった回復手段だけで、どうにかなる傷ではない。
それなりの施術が必要になるのは明らかだ。
急患など滅多にないこともあって、ザカンの表情は、いつになく真剣なものへと変わる。
「とは言っても、酷い傷だ。何をされたら、こんなことになるんだか……。オスカー、お前にも手伝ってもらうぞ……!」
「分かった!」
少女を抱え、相応の場所に移す。
石化の解除を皮切りに、手術は始まった。
オスカーも専門知識はない中で父の指示に従い、施術のサポートに徹する。
いつもは無駄話の絶えない二人だが、今は互いに沈黙している。
必要以上の言葉は交わさず、少女を救う事だけに専念した。
そうして一時間が経った。
オスカーからは、詳細な施術の経過は分からない。
引っ切り無しに手を動かす父の姿を見届ける以外にない。
だが、ある程度の山場を越えたことだけは気付いていた。
緊迫していた空気が解かれ、ザカンがふうっと息を吐く。
「ふぅ、何とかなったか」
「終わったの?」
「あぁ。容体も安定した。一先ずは大丈夫だろ」
「……ありがとう」
「なぁに、俺だけの成果じゃないさ。オスカーが石化で止めてくれたからこそ、準備万端で取り掛かれたんだからな。ほら、見てみろよ。いい顔してるぜ」
ザカンに促されて少女を改めて見ると、彼女は青い長髪で神秘的な容姿をしていた。
血色も良好で、危篤状態だった頃を思わせない。
つまりは一命を取り留めた。
勇者としての名誉がなくても、誰かを救うことが出来たのだ。
オスカーが胸を撫で下ろすと、ザカンが続けて口を開く。
「それにこの子、かなりの強者だぜ」
「どういうこと?」
「ある程度施術が進むと、俺が手を加えるよりも先に、見る見るうちに傷が塞がっていったんだ。自然治癒がずば抜けてる。どう見ても、人のそれじゃない」
「まさか、それって……」
「あぁ。人と魔族の混血、亜人の可能性が高い」
亜人。
人の姿でありながら、魔族の生態を持つ希少な種族。
殆ど見ない、見たとしても迫害の対象になるケースが多いと聞く。
確かに、あれだけ重篤だった状況から、僅か一時間程度で安定するなど通常はあり得ない。
ザカンの手術だけでなく、彼女の魔族としての血が、そうさせているのだろう。
「亜人……実際に見るのは初めてだ……」
「俺もそうさ。人と魔族は常に争っているからな。混血なんて、そう簡単に生まれるもんじゃない」
亜人であると知っていて、ザカンは手術を行った。
オスカーも、彼女に魔族の血が流れていると知っても、どうこうすることはない。
彼らと戦うのは、あくまで人々を脅かす個体だけだ。
差別や殺戮は好まない。
「まぁ、この調子なら明日の朝には、目が覚めてるかもな。オスカー、出来るならその子を病床に寝かせて、様子を見ておいてくれないか?」
「構わないけど、さっきの魔族も気になる。見回りの合間で良いならやっておくよ」
「すまん。頼んだぜ」
流石に集中力を使い過ぎて、疲れたに違いない。
ザカンは欠伸をしながら、奥の部屋に姿を消していく。
残されたオスカーは、父の指示通りに彼女を病床に移して、経過を見守った。
静かな寝息を立てる幼い少女と、先程の骸骨がまた現れないかの警戒を続ける。
時折王都に出て見回りを行ったが、あれ以降、騒ぎが起きている様子はなかった。
何事もなく、静かに、夜が深まっていく。
一度、街路から帰ってくると、不意に眠っていた少女が声を上げる。
「う……うぅ……」
「ん、寝言?」
「お……とうさん……お……かあ……」
微かに、そう言っただけだった。
夢を見ているのかもしれない。
少女が目を覚ましたら、あくまで紳士的に対応すべきだろう。
そう思いつつ、オスカーも部屋の床に腰を下ろし、剣を抱いて目を瞑った。
なのだが。
●
「ふしゅーっ! ふしゅーっ!」
「えっと……」
翌朝。
目覚めた幼い少女が、病床の隅に隠れて唸っていた。
威嚇のつもりなのだろう。
暫くして、困惑するオスカーに小さい声で問う。
「……イジメるの?」
「いや、イジメないよ」
「じゃあエイダを焼いて、食べる気ね?」
「そんな趣味ないよ……全然違うから、落ち着こう」
「ぐぅ」
「え?」
「お腹空いたわ」
「……」
これは振り回されるヤツだ。
割と元気な、エイダと名乗る亜人の少女を前に、オスカーは冷や汗をかいた。