香子VS清少納言
安倍晴明の屋敷。
賑やかに立働く式神たちを物珍しげに眺めながら、清少納言は、香子の元にたどり着いた。
式神から来客があると聞かされていたのだろう。
香子の表情は硬い。
「おはよう香子。こっちが俺の親友の清少納言だ。」
「⋯⋯よろしくお願いします。」
「ああ。よろしく。って、夜あんたなんだいその喋り方は。そっちが素かい。笑っていいかい。だめだこらえきれない笑わせておくれ。」
清少納言はひとしきり爆笑していた。
清少納言の前では猫かぶりモードしか見せていない夜だ。
美しく丁寧で本が大好きな女官というイメージは脆く崩れ去る。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか⋯⋯。」
「こっちには丁寧語かい。いやだめだわらう。面白すぎる。そうだ、夜、これからは私にもその口調で喋ってくれ。」
「いいのか?」
「ああ。それがあんたの個性だろ。私はそっちの喋り方の方が好きだ。」
「わかった。」
夜の猫かぶりはかなりの筋金入りである。
もともと人がいるところでは大体女言葉を使いこなし、たとえ白とアメノウズメが相手でもその丁寧語は崩れない。唯一の例外は戦闘を行う時のみだ。
それを聞かれた香子と、香子と喋るのを聞かれてしまった清少納言。
この二人は、類稀な幸運を有しているといえよう。
それが良いのか悪いのかはまた別の話だが。
「むうう。」
仲の良さを存分に見せつけながら清少納言と夜が喋っているのを見た香子はとても不満そうだ。
先ほど地獄から救われた時、香子は、夜のことを無条件で信頼して良い、頼りになる大好きな人と定義した。
幼い頃からの信頼と、それを上書きする昨晩の出来事。
二つの理由で、もはや依存していると言ってもいいほどに、彼女は夜を頼りにしている。
その関係を横からかっさらっていきそうな清少納言のことが面白くないのは当然のことだった。
「あなたの文章を見せてください。」
「いいよ。私も夜が才能の塊だというあんたの文章を見てみたい。」
「私の文章は、ここには⋯⋯。」
「えっ?もちろん持ってるよ。当然じゃん。」
愛読者第一号でありファンの鑑である夜は当然のように彼女の物語を持ち歩いていた。
「ちょっとさすがに引くよそれは。」
「さすがね!夜!」
両者からの評価は正反対だったが、何はともあれ二人とも相手の文章を読む用意は整った。
どちらも大好きな夜はニコニコしながら二人の読書を見守る。
本好きにとって、自分が好きな本を他人が読んでいるのを見るのは、幸せの一つの形である。
夜は、とても嬉しかった。これで互いに認め会ってくれたら最高だ。
高望みだろうか。
枕草子を読む香子は、とても苦しそうな表情である。
一番最初の、読み始める前のスタンスがなんとか難癖をつけてやろうだったのがよくない。文章力で殴られてしまって、難癖をつけようにもつけられないのだ。彼女は当然、文章の良し悪しは読めばわかる。
その感覚が、この文章はとても良いものだと叫ぶのだ。その声を押さえつけて、難癖をつけられる場所を探すのはとても苦しい作業に他ならない。
一方、清少納言の方は、時々頷いてはパラリとめくる。とても楽しそうだ。その証拠に徐々に捲るスピードが早くなっていく。物語に没入している証拠である。
香子の物語は長編でありながら、もっともっとと先を求めずにいられない、麻薬のような性質を有している稀有な作品である。
自分の目から見て才能があると思える夜の過剰な持ち上げも、これを読んだら納得できる。自分が小説を書いたとして、これに勝るものを果たして書けるのか。自分の才能に絶対の自負がある清少納言でも、冷や汗を流さずにはいられない空恐ろしい話運びだ。
どちらも集中して、本をめくる。静かな時間が流れる空間。
夜は、いつしか前世の図書館という場所を思い出していた。
あそこは、前世の自分がもっとも好きな場所だった。
叶えられるのならこの世界でも、作ってみたい。
そんなことを考えていた。
それはいつしかとりとめもない妄想に変わっていった。とても幸せな妄想だった。
夜はこの時間が永遠に続けば良いのにとまで思うのだった。
読み終わったのは、果たして、両方同じだった。
「どうして未完なんだいこれは?早く続きを書いてくれよ。子供をさらってしまった貴公子は一体どうなるんだい?」
清少納言はすっかり香子の物語にはまってしまった様子だ。
わかる。夜は深く頷いた。
「なんですかこれは。いい気になって漢字なんて書き散らしちゃって。全然ダメです。」
一方香子は、とても苦しそうな表情でそう言った。批判するという行為に抵抗を感じているようだ。
「まあまあ、お嬢さんがどう感じようとそれは自由さ。」
清少納言は大人である。きちんと香子の言外の意味を読み取って、さらっと流した。
自分の好きな文章を批判されて少しムッとしていた夜も、そう言われるとなんでもないような気がしてきた。年の功というものは偉大である。この中で圧倒的に一番歳を食っているのは夜のはずなのだが⋯⋯。夜の名誉のために、気づかなかったことにしよう。
「それより続きはないのかい?なんなら布教して良いかい?」
「ダメだ。これから香子がちゃんと続きを書けるようになるのかなんてわからないんだぞ。香子の体が一番だ。」
香子は赤面した。それほど大切に思ってもらえているとは考えていなかった。
夜が本より優先度を上にするのは相当である。
よくなって体調を整えてもらってから十全の続きを読みたいからという説も濃厚かもしれないが。
「夜は過保護だねえ。でも、それなら仕方がない。」
清少納言はカラカラと笑った。
「あんたの物語が完成するのを楽しみにしているよ。もちろん、夜。あんたのもね?」
「言われなくたって完成させます。」
「香子には負けない。」
夜の目の中に、強い意思の輝きが宿っているのを確認した清少納言は満足そうに頷いた。
「そうかい。なら良いさ。きっと、私が死ぬ前に完成させなよ?下手したらあと二十年はかかりそうだ。」
「そんなには行かないだろ⋯⋯。」
「文章を舐めるんじゃないよ? 気づいたら十年は持っていかれるよ?」
それは、文章に魂を込めた先駆者の不思議と実感のこもった脅しだった。




