英才教育
「あんた誰?」
5、6歳くらいの子供が、夜をぎろりと睨んだ。
「こら。夜さんに失礼だろう。すみません。こちらは私の娘なのですがなにぶん口が悪くて。」
「いえいえ。気にしていませんよ。私は夜。お嬢様、これからよろしくお願いします。」
「ふうん。まあ、せいぜい役に立ってちょうだいね。」
なかなか偉そうな子供である。
「あなたは非常に賢いと伺いました。どうでしょう。ここはひとつ物語を書いてみませんか?」
提案する夜。
彼女は同好の士の育成に余念がなかった。
「物語?」
「ええ。ご存知ないですか?とっても面白いんですよ。」
そう言ってどこからともかく本を取り出して読んで聞かせる。
そんな姿を見た為時は、これならうまくやってくれそうだと考えるのだった。
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藤原為時女は頭がとても良かった。
6歳にして4歳年上の兄達と同じことを学び、あまつさえ、実力では上回りもした。書物に関してもぐんぐんと吸収していき、しまいには自分で書いて夜に見せるようになっていった。
夜は大変喜んだ。それは同好の士が増えたという意味だけではない。
彼女の描く物語がとても面白かったからである。
貴族達の色恋沙汰を豊かな筆致で書き出すのみならず、自然と描かれる和歌の数々が場面場面にマッチしている。
各人の歌の優劣までも、典雅な貴公子には上手な歌を、おどけた道化にもそれ相応の歌を詠ませていて、物語にぴったりであった。夜が貫之のところで学んで、描こうとしていた世界がそこにはあった。
自分も負けないと心に決めて、夜も盛んに創作を行った。ただ、どう見ても彼女の劣化にしかならない。彼女の描く物語が素晴らしすぎて、勝てる気がしない。
これだけ研鑽を積んでもなお、及ばない領域があるのかとしばらく絶望していた夜だったが、彼女が湯水のごとく物語を書いては見せてくるので貪るように読むことで気を紛らわせることに成功していた。
彼女にとっては、時間はたっぷりある。素晴らしい物語を書く才能がある相手から、学ぶという経験をするという方向性に舵を切ったのは、当然のことだっただろう。
夜は、彼女に言い聞かせるようになった。
曰く、主人公の一代記を書けと。
一代記を描く難易度は、既存の物語とは比べ物にならない。
ひたすら長くなるし、物語的な浮き沈みも人生という面から見れば、なかなか描きずらいものである。
だが、描き切ったときの感動は何者にも代えがたいものになる。夜はそう確信していた。
ただ、何より、長いのがネックだ。
経験を積んでから描こうとしてもなかなか完結まで書き切ることが難しい。
それが一代記の難しいところである。
だが、まだ歳若い彼女ならば、そんな不都合はなく、自由自在に書き切ることができるに違いない。夜はそう考えていた。
そして、一代記を描くように言い聞かせ続けた。
ずっとお世話してくれている綺麗なお姉さんで、自分の小説の熱心な読者でもあり、趣味の共有者でもある人がことあるごとに言ってくるのだ。
藤原為時女も、次第にそのつもりになってきた。
夜の目論見通りである。




