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何も思い出せはしない

 頬を冷たいものがつたう。

 上を見上げると、暗い空が覆っていた。


 なら、これは雨だろうか。


 しの突く雨が、どんどん威力を増して降ってくる。髪も体もびしょびしょに濡れて体温を奪う。

 どこかで雨宿りをしなくては。


 あたりを見渡して、首をひねった。


 あまりに見覚えがない。


 田んぼらしき、里山の柔らかな稜線。田舎にしても出来過ぎだ。


 果たしてここはどこなのか。

 ようやくそのことに思い至った。


 頭がぼんやりしている。


 ここに立ちつくす前のことが思い出せない。


 どこから来て、どこへ行くのか。自分は何者か。


 体の雨の感触に打たれながら、“俺”は、まだぼんやりと、そんなことを考えていた。


 今俺は“俺”と言った。

 この一人称から考えると、とりあえず男ではあるはずだ。


 ようやく体に目線を落とす。


 緩やかに膨らんだ胸元、あまりにも滑らかに曲線を描く股間。

 意識を向けると、物事はあまりに単純だった。


 体は、女だった。しかもなかなか魅力的な体型をしているようだ。


 顔は、どうだろうか。目の前の雨粒に反射した姿を見る。


 文句なしに綺麗である。怜悧な美人と言う言葉が一番似合うだろう。ぬばたまの黒髪は雨に濡れても美しく、腰のあたりまで伸びている。服装は、貫頭衣かんとういと言うのだろうか、昔風すぎる服装だった。それでも似合ってるあたり末恐ろしいものがある。


 乏しい記憶を辿ってみたが、自分がこんな美人だったと言う記憶はどこをひっくり返しても出てこなかった。

 ただ、それよりも大事なことがある。未だ思い出せていないものが、とんでもなく大事だと、妙な切迫感が心を震わせている。


 だが、思い出せない。


 思い出せないものをなんとか思い出そうと、俺はただ雨に打たれていた。


 ● 



 どれほどそこでぼうっとしていただろうか。雨はとっくに通り過ぎ、夕刻と言っても良い時間帯になっている。カラスの寝床へ帰る鳴き声が、帰宅を誘っているように思えた。しかし、どこへ。

 自分がどこの誰とも思い出せないのに。どこへ帰ればいいと言うのか。


 未だに俺は動けなかった。

 物思いに沈む俺は、少しだけお腹が空くのを感じた。一旦それを感じればあとは早いもので、あっという間に腹が減ってたまらなくなる。まるで一千年ものあいだ飲まず食わずでいたような猛烈な飢餓感が、俺を襲った。


 食事を手に入れなければならない。


 しかし俺は誰なんだ。


 未だしている俺の前に影が立った。


「お嬢ちゃん。迷子かな? 俺たちが面倒見てやろうな。」


 影は三つ。

 顔を上げると、極めて原始的な衣服を身にまとった男たちが、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。


「おおう。これは上玉だぞ。」

「おいらが手に入れるからな。」

「身ぐるみをはいで、犯してしまおうぜ?」


 ごろつきの類だ。

 下種な考えを隠そうともせず、彼らはバラバラに走りこんでくる。

 手には、黒曜石らしき刃物が握り締められていた。原始的だが、刃物は刃物だ。

 恐ろしい。


 ⋯⋯ 本当に?


 よく見てみた。男たちの近づいてくるスピードは冗談かと思うほどに遅い。これじゃあ戦闘描写の練習にもなりやしない。

 それより、彼らを見てから、空腹感が強まっている。それはご馳走を前にした気持ちにも似ていて。


 なんだかとてもオイシソウ。


 最初の男を足払いで転がして、次の男の腕と足を抑える。

 とても柔らかくて、力を込めるとあっさりポキリと折れてしまった。


 人ってこんなに脆かったっけ。


 へっぴり腰になった最後の男の首筋に牙を突き立てて、飢えを満たす。

 空になっていたエネルギーが、充填されて行くのを感じる。


「ひっ。化け物⋯⋯ !」


 最初に転ばせた男がそう言って逃げ出していく。


 あーあ。餌が逃げていく。


 残念な気分になってしまった。


 まあ、いいや。食事にしよう。



 ●


 二人の男を吸い尽くして、正気に戻った。目の前には、盗賊たちの服だけが残されている。


 俺は何をやってるんだ。


 襲ってきた盗賊を返り討ちにして血を吸って飢えを満たした。


 これは、客観的にみて吸血鬼と言うのが正確なのでは?

 女だから吸血姫と言っておこうか。


 化け物じゃん⋯⋯。

 いいのか⋯⋯?


 何も思い出せないけど、少なくとも体のスペックが高いのは悪いことじゃない。


 二人を吸って腹いっぱいになったし、燃費はいいはず。ポジティブにそう考えよう。



 それに、血を吸ったおかげで頭が随分スッキリしている。


 自分が何者だったのか、その目的を思い出せた。


自分が何者だったのか、思い出せた。


 最後に握っていたメモの感触が蘇る。


 俺は小説家だった。


 必ず最高の小説を作ると決めていた。


 だが、とても理不尽なもののせいで前の俺は夢を諦めるしかなかった。


 その理不尽の詳細は思い出せない。


 ただ、思い出そうとするとあり得ないほどの怒りが自分の中に宿っているのを感じる。


 思い出そうとして、諦めた。


 だが、俺の前世の目的である、最高の小説を作ると言うこと。


 それは、吸血姫になっているこの体でも、達成可能なことだ。



 もしかしたら寿命も長くなってるかもしれない。吸血姫だしな。

 何年も書き続けることができるのならば、元の自分よりも良い物語を書くことくらい簡単だろう。


 体に関してはとやかく言わない。

 俺は、いつか最高の物語を書いてみせる。



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