暴発
品種改良は遅々として進まなかった。
基本的に早く伸びるものに目をつけて、その実を撒いていく方針で行っているのだが、なかなか成長期間が減らない。
一握りの正解を見つけに行っているんだから当然だとはいえ、心が折れそうになる。また今回も2年で2mだ。これがデフォルトになってきてしまった。
どうにか名案が浮かばないものか。
そんなある日、俺は怪我をした。
置いてあった鎌を気づかず踏むという大惨事で、血が種籾が保管されている倉庫一面に飛び散ってしまった。
ざっくりと切れて痛すぎて、久々に人から血を吸った。
すまない旅人の人。
「めんこい姉ちゃんだな、ぐへへへへ」と言って寄ってこなければ吸わなくても良かったんだけど、気持ち悪すぎて無理だった。
血を吸えば怪我は元どおりになったが、トラウマになって、その倉庫を使うのはやめにしておいた。
しかし、種籾はその倉庫にしか保管していない。
いつもの植える時期になってそのことに気づいた俺は、意を決して倉庫の中に足を踏み入れた。
俺の血の跡が壁一面に飛び散っていてまるで殺人現場だ。
これがドジってしまっただけとは誰が信じられようか。
血は見ないようにして、タネをひっつかむ。
ここにも血がべっとりだ。
まあ、血で種の性質が変化するわけでもないし、別にいいだろう。
タネを蒔くぞ。
いつものようにタネをまいて、肥料をやって、そして世話していく。
大麻には虫害が少ないのが救いか。じっくり育つ大麻は、虫の苦手な成分を放出しているようで、大麻の近くにいれば虫は寄ってこなかった。
そして、タネをまいてから4ヶ月が経った夏、俺は目を見張っていた。
あの、どれだけ品種改良してもダメだった大麻が、3mを超えるめちゃくちゃ大きな植物に変貌を遂げていたのだ。
変化が大きすぎて、ひょっとして別の植物なんじゃないかと疑ってしまう。
だが、どう見ても、自分の畑で育った大麻だ。この茎の形、葉の付き具合。どれを取っても見覚えがある。
「やったーー!!!!」
嬉しくて、一人で飛び上がって喜んだ。
ここ数十年の努力が一気に報われた感覚だ。
この成長の早さなら、紙を一気に普及させることだって不可能じゃない。
早速紙職人の所に持って行こう。
きっと喜ばれるに違いない。
●
俺が作り出した大麻は、どんどん多くの地域で栽培されるようになった。
なんでも海を渡ってお隣の国にも運ばれたとか。
紙が増えるのはいいことなので、俺はニコニコしながら種籾を分けた。
ただ、早く成長するようになった代わりに、虫に弱くなってしまったので、そこは注意を徹底した。コガネムシがよく食べに来る。あいつ樹液を吸うんじゃないのか?いや、これはカナブンとの区別がついてないだけだな。
供給の急増により、ようやく紙の増産が始まった。職人たちの数がネックだと思っていたが、紙製作所に出入りする謎の美女の噂が流れていたらしく、弟子志願者が急増したみたいだ。あんたのおかげだと頑固職人が照れ臭そうに言っていた。美女である利点が発揮されたな。
ようやくここまで来た。ここまで長かった。
これでやっと、俺は本を作れる。小説を書ける。
誰かの小説が読める。
この後に起こることを想像もせずに俺はただ未来にワクワクしていた。
●
空が真っ赤な焚き火に照らされていた。
俺の目の前で、俺の大麻畑が赤く赤く燃え上がる。
「誰が、こんなばかなことを。」
怒りで、声が震えている。
大麻の繊維をたっぷり含んだ煙が俺の肺へと吸い込まれていく。
ちくしょう。
とびっきりの愛着があったんだぞ。
せっかく俺が一から育て上げた大麻をこんなふうにめちゃくちゃにしてくれるなんて。絶対に許せない。
頭が沸騰しそうなほどに感情が暴発する。
ちらりと、何かが記憶の底を刺激する。
心が爆発する。体は跳ねるように動いた。
こんなことをした相手を始末するために。
絶対に許しはしない。
大麻畑の周りに、人が何人も倒れていた。
松明の燃えかすを持っているところから見るにこいつらが俺の農園を襲ったのだろう。倒れているのはよくわからないが、そんなことはどうでもいい。
俺のこの、どうしようもない感情の捌け口が欲しい。
長く伸びた爪を振るう。
鮮血が飛び散り、腹を満たした。
まだまだ、この程度では収まらない。
こいつらが本当の犯人かどうかも気にならない。
今の俺にあるのは、研ぎ澄まされ先鋭化した吸血衝動だけだ。
全てを殺して回りたい。
人間を裂くごとに、幸せな感情が心を満たしていく。
何かがおかしいと自分の中で警鐘を鳴らす音が聞こえたが、圧倒的な衝動が俺の行動を決定づけた。
爪を振るう。人を食らう。
それを繰り返して、近くで倒れていた人間は全員殺した。
まだまだ燃える大麻の煙が肺の中に充満する。
暗い衝動はいまだに治らない。
俺の足は、街の方へと向いていた。
●
「やめてください!」
そう必死に叫ぶ見覚えのある製紙工場の若い男を、爪で思いっきり引き裂いたところで、唐突に意識が戻ってきた。
「俺は、何を⋯⋯。」
記憶が飛んでいる。
「よかった⋯⋯。元に戻ったんですね。」
致命傷を受けたはずなのに、彼は気にすることなくただ俺の心配をしていた。
「お前、大丈夫か?!」
それに応える声は聞こえない。
さっきの言葉が最後の言葉となったようで、彼は、事切れていた。
辺りを見渡すと、都大路が火に包まれていた。
そして、何かから逃げ切れなかったらしき人々が、恐怖の形相で息絶えている。
いや、現実は直視するべきだ。
死体の山は、俺の農場の方に続いている。
つまり、この地獄のような風景を作り出したのは、俺だ。
自制心をなくし、吸血衝動のまま貪り尽くした。
今の俺を一言で表すなら。
「あの化け物を討伐しろ!!! 女だと侮るな!!!」
バケモノ。その言葉が、正解だ。
ひゅーん
ひゅーんひゅーん
ひゅーんひゅーんひゅーん
朝廷の弓兵部隊が、山なりに矢を射かけてきた。
こんな大災害を起こした俺が、バケモノを言われるのは当然だ。
そして、俺は、開き直ることなどできなかった。
罪のない人々を、そして、付き合いのあった人を、ためらいもせずに殺戮できる。
そんな自分の体と精神に自ら恐怖していた。
体に弓が刺さっていく。
痛い。ただひたすら心が痛い。
「奴を殺せ!」
剣を持った近接部隊が近づいて来るのを見て、俺は、そちらに背を向けた。
どこか遠くへ。人が誰もいない遠くへ。逃げて逃げて、隠れてしまおう。
本のことを思い浮かべる気には、ならなかった。
こうして俺は、都から逃亡した。




