八つ辻2
八つ辻の脇に座ってぼんやりと雲海を眺める。
もくもくと沸き上がり、風に流されてちぎれ、分裂し、合流し、新たな形に再生する。
雲の形を眺めるのは思っていたより楽しい。
周り一面雲なんて景色見たことなかったもんな。
これはあれだ。風景描写の練習になるぞ。
小説に風景描写は要らないと言う話もあるけど、美しく景色を表すのは良いアクセントとなると思うんだよ。
幸い、お腹の方はまだまだ持つみたいだ。吸血衝動に駆られることもない。
今のうちに眼に映るものを言葉で写生してやろう。
全てが、俺の教材だ。
⋯⋯ 純粋に、書くものが欲しいな。紙とか。
書物を手に入れてからにしようかな。
いやいやいや。ここで何かと理由をつけてやらないのは良くない。
書けるだろ俺なら。
例えばこの雲の道の上に雲のことを書いていくとか。
おしゃれな気がしてきたぞ。
書きつけていこう。
思い立ったら即実行。
俺は八つ辻のそれぞれの道に、その先の風景を描写していくことにした。
雲の調子は刻々と変わっていくけれど、その時間変化も含めて捉えることができるのが、文章の良さだ。
時間変化を一つの描写で捉えてもいいし、変わりゆくものとして、一歩ずつ描写しても良い。柔軟性に富んでいて、奥が深い。それが風景描写だ。一つ一つテーマを決めてやってみようか。
まずここは、サクッとした描写。
道の先には白い雲がぷかぷかと浮かんでいる。
次のこちらは状態変化を入れ込んだ描写。
流れる雲は次第に厚く、黒くなり、雨の気配を漂わせ始めた。
そして、心理描写を追加する。
俺は雨で濡れるんじゃないかと心配になってきた。いつの間にやら空の半分以上が暗くて灰色の雨雲だ。
さらに現象によって立ち位置が変化する様。
降りかかる雨を我慢して雨が止むのを待つ。すると、いきなり空が光って、俺の頭に雷が落ちた。
体が痺れて、動けなくなる。
アクシデントがあったようだが、すぐに回復したので描写は続けていこう。
続いては何がいいかな⋯⋯ 。そろそろネタ切れだ。
いや、そろそろ時間も遅くなる。つまり、夕焼けがある。
これは別の描写になるな。
それに次は夜もあるし⋯⋯ 。夜目が効くから、暗闇の描写だってお手の物のはず。
まだまだ描写できるんだ。
やってやるぞ。
ちょいちょいと肩を突かれた。
集中して道に膝をつきながら描写文を書いていたから、かなり驚いた。
「もしもし。いいですか?」
猿田彦の声だ
「あっ。もう一日経ちましたか。」
振り返りつつすくっと立つ。
「うっ、あいた。」
「いてて。」
誰かの頭と俺の頭がぶつかった。
どうやら猿田彦の他に俺の文を覗き込んでいた人物がいるらしい。
向き直って、相対する。
「こんにちは。私は。知識と知恵の神だよ。オモイカネと読んでくれ。」
優男風の彼は優雅に一礼して挨拶した。
「私は夜です。目標は最高の小説を作ること。」
「へえ。大きく出たね。実力はまだまだのようだけど。」
俺が道に書いていた文章から判断したらしい。
くそう。自分ではかなり上手くできたと思ったんだけどな。
「とはいえ、面白いね。口だけではないようだし、小説という概念は私にとっても興味深い。いくつか条件を飲んでくれれば高天原に滞在させてやってもいいよ。」
「条件はなんですか?」
「簡単だ。滞在後にで、我らの歴史を書き記して欲しい。必死に覚えてもよいが、覚えなくても別に良い。どのみち全ての知識は強制的に与えてやるから。」
⋯⋯ なんか、不穏な単語が聞こえた気がするな。
強制的に、か。
なんだろう。変なチューブを脳に繋がれて知らないことを理解させられそう。
オモイカネは微笑んでいるけど、どう見ても裏があることを隠している微笑みだ。
ちゃんと覚えよう。どのみち、知識はあって困ることはないんだ。
高天原に入れるのならその程度の条件、飲むべきだろう。
「わかりました。条件を飲みます。」
「話は纏まったようですな。それではこの猿田彦が道祖神として道案内をしましょう。」
さっきまで空気だった猿田彦がいきなり張り切りだした。
道祖神は確か、道の脇に立って、旅人を見守る神様だったか。道案内が好きなんだろうな。
大人しく二人の後をついていこう。
●
猿田彦は、高天原の中には入れないようで、門のあたりで別れた。
高天原は、ヤガミ姫のところで見た高床式の建物がたっぷりと点在していた。
とはいえ、文明レベルは、下界とあまり変わらないようだ。
服装も、少々グレードアップしているくらいで、ほとんど白が基調となっているというのは変わりない。
まだ染料が発達していないと見える。
一箇所、目立って高い空中にあつらえられた神社のような神殿のような建物があったが、あれが最高権力者の家だろうか。
高天原の最高権力者は、天照だったか⋯⋯ ?
前世でそういう記述を読んだような気がする。しかし前世の記憶のほとんどが思い出せていないので、確信が持てない。
神話じみた世界に迷い込んでいることだけは確かだった。
「あそこの人に挨拶をする必要とかあります?」
「⋯⋯ 今回は非公式なので必要ない、と言いたいところだけど、あの方に許可を取らないで住まわせると、燃やされても文句は言えないので、行こうか。」
オモイカネは少しだけためらった後、自らを納得させるように言った。
「そんなに怖い人なんですか?」
「いや、おおらかな方ではある。ただ、機嫌を損ねると、世の中全てに関わってしまうので、慎重に対応して欲しい。」
さすがは最高権力者。
確か太陽を司っていたはずだし、怒らせると怖いのは確かだ。
まあ、おおらかっていうのなら大丈夫だろ。
予想通り、高床式の仕組みを使って作られた空中の巨大な神社がその居場所らしい。
厳粛な雰囲気に身が凍る。
よく考えたら、俺ってどう贔屓目に見ても妖怪だし、出会い頭に討滅される可能性もあるのでは?
怖くなってきた。
落ち着こう。素数を数えてみよう。1、2、3、4。一番最初の素数じゃないところを踏んだんだけど動揺しすぎだろ俺。
平服して御簾の前に進む。大時代だな。
「頭をあげよ。」
思っていたより、可愛らしい声が飛んできた。
言われた通りに頭をあげる。眩しい。
声の飛んできた方が光り輝いているようだった。
目を細めると、そこに、黒髪の少女があぐらをかいて座っているのが見えた。
頭の上に鏡らしき装身具を纏っている。
「わしが天照じゃ。オモイカネが連れてきたそちはなんと言う?」
「夜と申します。機会があったので、高天原に登りたいと考えてやってきました。」
「ほーー。わしとは正反対の名前じゃの。それに、来ようと思ってこれるような場所ではないんじゃが。」
「来れましたよ?」
「はは。確かにそうじゃの。それで、ここにて何を為す?」
「知識の吸収と、実体験の深化、そして、小説の執筆を。」
「なるほど。悪心はないようじゃ。だが、肝に命じておくのじゃ。お主がここの秩序を乱した場合はただでは済まさぬとな。」
天照の放つプレッシャー、並びにその身から発せられた輝きが強くなる。
「はい!」
逆らうことは考えられなかった。
大丈夫だ。吸血衝動とは向き合えるはずだ。
一日でも長くここに滞在して、自分の糧としよう。
こうして俺は高天原に住むことを許された。
そういえば、目覚めてから初めて一箇所に止まるな。
生活ってどうやるんだったっけ⋯⋯?
ちょっと先行きに不安を覚えながらも、俺の高天原生活はスタートするのだった。
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