それは慟哭と漂白
シャンデリアのキラキラと輝くホテルのフロアだった。
出版不況と言われながらも、年に一度の忘年パーティは開催された。
名実ともに、出版社の最後の意地の見せ所だ。
ようやく小説家としてデビューした俺は、憧れの空間に目を輝かせていた。
他の作家先生への挨拶とか、作家の間で交わされる小粋こいきなやりとりとか。
そう言う憧れていた小説家の世界が俺の目の前にはあった。
血反吐を吐く思いで小説賞に投稿し続けていた甲斐があった。本当に良かった。
そして、俺には挨拶をしたい人がいる。
百式百田先生。
俺が、小説を書きたいと思った原点である小説「螺旋の塔」を書いた作家であり、自他とも認める大御所先生だ。
できれば一言、言葉を交わしたい。あわよくばお近づきになりたい。
そんな思いを編集に伝えたところ、今日、紹介してもらえる手筈になった。
緊張する。何を言おう。なんて言われるんだろうか。
もしかして俺の書いた小説を読んでくれていたりしないだろうか。
彼と会うまでは、舞い上がって天に昇っている気持ちだった。
会う。までは⋯⋯ 。
●
百式百田先生は、でっぷりしたお腹を突き出して、猜疑心たっぷりの目つきをしていた。
正直に言って怖いが、格好と性格は別物だ。
先生本人も、書かれた本と同じくらい素晴らしい方に違いない。
編集の紹介に続いて頭を下げる。
「ああ、君ね。読んだよ、君の小説。」
いきなりの言葉に、俺は驚いてしまう。
まさか読んでもらえているなんて。
「“螺旋の塔”に似ているよね。」
「はい!その小説、とても好きです。」
「なるほどねえ。でも、これ、ほとんどパクリじゃない?」
いきなり、百式百田先生の口調が変わった。攻撃的な調子だ。
「えっ?」
「仮にも本になる作品だよね? 中身も軽薄でスカスカだ。歴史に対する理解も感じられない。こんなにひどい内容の作品、よく出版できたねぇ?」
畳み掛けるように批判される。
尊敬する先生からの、自分の作品への批判。
それは、もはや自分がいじめられるよりも辛いものだった。
「そんな⋯⋯ 。」
「つまるところ、君の小説は、まったくもって面白くないんだよ。」
言いたいことだけ言って、百式百田先生はワインのグラスをあおった。
「ほら、目障りだから帰った帰った。」
犬を追い払うように手を振られる。
ショックで頭が鈍く痛んだ。
俺はふらふらとその場を離れることしかできなかった。
「あっ、じゃあ僕は用事があるので、失礼しますねー。」
編集は、俺に触れたくないようで、逃げるように俺のそばを離れていった。
ひょっとして百式百田先生の言い分を真に受けているのか?
俺の作品を一緒に作ってきただろ。
なんで言われっぱなしにしておくんだ。
不満がふつふつと湧いてくる。
作家を信じきれない編集なんて、意味ないだろ⋯⋯。
俺は裏切られたような気分になっていた。
多分これは逆恨みだ。
百式百田先生さえいなければ、彼は良い編集だった。
あの挨拶で、全てが狂ってしまった。
キラキラ輝くシャンデリアが、今はなんとも空虚に見えた。
●
以前は頻繁にやり取りをしていた編集が、メールを寄越さなくなった。
こちらがプロットを送っても、一ヶ月も帰ってこない。
嫌な予感に苛まれながら待ってみるが、流石におかしい。
ようやく取り付けた打ち合わせの約束も直前にドタキャンされた。
俺は完全に理解した。
パーティで、百式百田先生に、面白くないと突きつけられた時。俺の作家生命は終わっていたのだと。
今の文壇であの人は絶対的な影響力を持っている。
こんなペーペーの作家は切り捨てて、ご機嫌伺いをした方がいい。
編集はそう判断したのだろう。
ちくしょう。
小説を書きあげるためにしてきた努力。これから小説家として生きていくと言う俺の夢。
二つとも、あっさりと絶たれた。
さらに、俺は発見してしまった。
週刊誌に「盗作疑惑? ”螺旋の塔”に酷似した作品現る」と言う記事が載っていたのだ。
インタビューされた螺旋の塔の作者、百式百田の無駄に冴え渡るこき下ろしまで掲載されていた。
それはネットで拡散されて、俺のことも俺の小説も散々に叩かれていた。
「作者の品性を疑う」
「こんなつまらない小説、よく書く気になったな」
誰一人として百式百田の言葉を疑うものはいなくて、ただ俺が悪者だと言う論調が広がっている。
俺に一番影響を与えた小説の作者だからって、あそこまで全てを否定する必要はない。
俺を槍玉に挙げて、自分がえらいんだと言う事を証明するだけのために、こんな事を⋯⋯ 。
俺より早くに生まれて、俺より早くデビューして、俺より名声があると言うだけなのに。
クソ野郎。
俺が、もっと早くに生まれていれば。
俺が、文句のつけようもないほどすごい小説を書いていれば。
絶対に、こんなことにはならなかった。
でも、もう遅い。
出版した本の印税も尽き、本だけ書いてきた身で就職なんてできるはずもない。俺の実生活向きの能力は全て壊滅的だ。
コミュ障、ものぐさ、サボリ魔、運動音痴。
ありとあらゆる罵倒が俺に当てはまるだろう。
小説以外の全てに興味が持てずに、ただひたすら小説を書いていた人生だった。
頼るべき両親は数年前に交通事故で死んだ。
だから、俺には小説しかなかった。
このペン一本で世界を切り開いていけると確信していた。
その道が絶たれたのなら、肉体労働で食いつなぐしかない。
だが、小説一本のために捧げられた俺の体は虚弱そのもので、入った現場では怒られてばかり。しまいには事故に遭って、働くことさえできなくなった。
俺に待っているのは緩慢な死だけだ。
もう何日も飯を食っていない。
あっ面白い伏線を考えついた。メモしておこう。
震える手でメモ帳を取り出した。
そのタイトルは”最高の小説を作る”だ。
人生が終わりに近づいていても、俺はあくまで小説家だった。
それはそれとして百式百田は許さない。生まれ変わっても復讐してやる。
美しい女の影が、枕元に立ったような気配がしたが、俺にはもうよくわからなかった。
意識が薄れていく。
最後まで、手に持ったメモの感触だけが、残っていた。