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この人と私

作者: 彩




時は昭和。

私の横で、規則正しい寝息をたてて眠るこの人は

明日、遠いところへ旅立ってしまう。




三月前には父さんが、一月前には兄さん二人が旅立った。

この人にもまた旅立ちの命が下ったとき

ついに来たのねと思った。

あの赤い紙が、敵が、国が憎かった。




この人とは親が決めた結婚だった。

それでも誠実に私に接してくれるこの人を

私は夫として心から慕っている。

明日からは見ることの出来ない寝顔を覗き涙が溢れた。




翌朝、いつも通り朝食をとりあまり着なれない軍服に身を包み

「では、行ってくる」といつも通り微笑んだ。



こんなときでもこの人はいつも通りなのね。

「お国のために、ご立派に…」

私はそれ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。



この人ともう二度と会うことは出来ない。

覚悟を決めてその背が見えなくなるまで旗を振り続けた。




六月後、私は義母に手を握られながら長女を産んだ。

「子供が生まれたら読んでくれ」

旅立つ前にそういって渡された手紙を戸棚からだし開く。

そこには子供の名前と、自分の子供を生んでくれたことへの感謝の言葉と、自分が帰らなくても私と子供は必ず幸せになるようにと綴られていた。



あの旅立から三年、終戦を告げるラジオの声に涙がこぼれた。

何通か送った戦地への手紙に返事が来ることはなかった。

もうすぐ二歳半になる娘は、近所の皆から父親似だと言われた。

生きていくのだ。この子と二人で。



終戦から半年ちょっとの時が過ぎた頃、娘と手を繋ぎ出先から戻ったある日、家の前に小さな箱をもって夕日に照らされながら佇む男がいた。



この人は…

「お父ちゃん!」

娘は私の手からするり抜け出し、写真でしか見たことのない、会ったこともない父の面影を認め、男のもとへ駆け寄った。

男もまた初めて見る幼子に、自分の面影を認め膝を付きしっかりと抱き寄せた。



「ただいま帰ったよ」

そう言いながら差し出された小さな箱には下の兄さんの骨が入っていた。

もうとても言葉では言い表せない。

涙が溢れ息が乱れ、困惑する娘をよこに、私はこの人にしがみついて泣いた。

帰ってきてくださった、下の兄さんが死んだ、父さんや上の兄さんは?、娘が生まれたんですよ、お義母さんもお元気ですよ、怪我はありませんか?…次から次に胸に浮かぶ言葉は涙に変わり嗚咽に変わった。

「よくお帰りになってくださいました」

やっとの思いで口にできたのはその一言だけだった。



それから五十五年、私は布団で眠るこの人を見つめ語りかけた。

「あなたはまた私を置いて旅立ってしまうのね。結婚した日から色んなことがありましたけど、あの日夕日に照らされたあなたを見たときほど感情が爆発した日はありませんでしたよ。お陰で様で私、肝が座った女だったでしょう?あなたと生きた人生は決して楽ではなかったけれど、私は本当に幸せだったわ。あなたはどうかしら?またあっちで会えたら聞かせて下さいね。ありがとうございました。」






結婚60年の記念日に祖父は静かに旅立ちました。

そしてその15年後、祖母もまた。


祖母は沢山の人生の物語を私に語ってくれました。



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