狂気に溺れる
軍靴の音がする。
鬱蒼と茂った森は悪魔の掌の上も同然だ。戦場では誰が敵か味方かもわからず、殺意と恐怖に突き動かされて武器を構える。その鉄の筒から吐き出された弾丸が誰の命を奪うかなどここにいる兵士たちの誰も知らない。否、誰も知ろうとしない。
誰もが尊ぶはずの命が最も価値が低いという矛盾を孕みながらも戦争は続く。命の大安売りの中で誰もがそれを求め、誰もがそれを失っていく。
息をするように、そして息を吐き出すように、人殺しの凶器の引き金を引く。
それは、愛しい誰かを守るための行為ではない。
それは、憎い誰かを殺すための行為ではない。
ここは生への渇望と死への恐怖が手を取って笑いながら踊る悪夢の劇場だ。何人たりとも逃れることはできず、混沌の坩堝の中で狂気に溺れながら息を引き取っていく。
先ほどまでヒトだったモノを踏みつけて進む。その先にある目指すべき目的の正体を誰も知らない。誰も覚えていない。
ここにあふれているのは、怒号と慟哭だけだ。
か細い蜘蛛の糸は全てを救うことはできない。そこにあるように見えるだけで、本当は誰も掴み取ることができない。
野戦病院の中には多くの傷ついた兵士が横たわっていた。だが、どの兵士も二度と戦うことはできないだろう。
二度と誰かを抱きしめることはできない。そのための腕はちぎれたから。
二度と立ち上がることはできない。そのための足は吹き飛んだから。
二度と引き金を引くことはできない。そのための指は腐ったから。
二度と愛を告げることはできない。そのための口は引き裂かれたから。
二度と愛の言葉を聞くことはできない。そのための耳は失ったから。
二度と親の顔を見ることはできない。そのための目は撃ち抜かれたから。
絶望の中でもがく兵士たちは娯楽を求める。
痛み止めのためのモルヒネ。
消毒用のアルコール。
木片から作った麻雀牌。
まるで現実から逃げるように兵士たちはギャンブルに興じる。そして、その賭けの戦利品であるモルヒネを服用したり、アルコールから作られた酔うためだけの粗悪な酒をちびちびと舐めるように飲んだりする。賭けに負けて戦利品を使い果たした兵士は鬱憤を晴らすように女子トイレに入って女を慰み者にする。
ここにいる生きた屍たちは人間らしさの全てを捨てた。銃の引き金を引くだけの機械となり、この膨大な混沌の部品となって狂気に溺れる。
狂気と欲望を浴びた兵士たちが最後に残った理性を生存本能に売り渡していく中、一人の若い兵士がそこから逃げ出す。
ある意味で彼は幸福だ。人間らしさをごみのように捨てることなく戦争の道具ではない一人の人間として生き抜くことができるだろうから。
ある意味で彼は不幸だ。そのまま狂気に飲み込まれていれば戦場で正気を保ち続ける苦しみを味わうことなく楽に死ぬことができただろうから。
彼はモルヒネにもアルコールにも手を出さず、手榴弾を使って手っ取り早く自殺することもしなかった。ギャンブルで稼いだ戦利品を全て食料と水に交換してずっと脱走する機会を狙っていた。
だが、現実は残酷だった。
どれほど走っても森の中から抜け出せない。銃声だけが聞こえる密林の中、実のところ自分は同じところをぐるぐると回っているだけなのではないかという不安が兵士の心を押し潰そうとしてくる。やがて持ち出した食料と水は底を尽き、逃げ惑っている間に流れ弾によって歩くこともできなくなった。
一歩も動けなくなった兵士は木に寄りかかり、夜空を眺める。夜空に浮かぶ星は地上の地獄など素知らぬ顔で美しく光り輝いていた。それは地上のどこから見ても変わらず美しい。たとえ地獄のような戦場であろうと、恋焦がれる故郷であろうと、星は変わらない。
兵士は最後に星を見ながらもう二度と帰ることのできない故郷を偲び、まだ動く両手を使って銃で自分の頭を撃ち抜いた。
だが、それは尊い一つの命が失われたという悲劇ではない。膨大な統計データの中に無数に存在するうちの数字が一つ減ったというだけのことだ。
軍靴の音が鳴り響く。
どうも、キタイハズレです。またまた誕生日プレゼントの作品ですみません。ちなみに、お題はランダムに選ばれた絵文字でした。それぞれ、植物、靴、病院、女子トイレ、ジョギング、星。なんとかその全てを盛り込んで一つの作品にしあげましたが、ほぼ牽強付会のようなものでかなり苦しいです。
さて、この話は戦争の狂気を叙事詩のように描いたものです。
植物=戦場の密林
靴=軍靴の音
病院=野戦病院
女子トイレ=兵士の欲望の掃きだめ
ジョギング=逃亡
星=流れ星
このようにお題と対応させています。
小説というよりも詩に近いのですが、いかがでしたでしょうか?