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正義

 加那がライブ終了後に送信したツイートには、ライブの入場者を超える43人のファンからリプライがついていた。ベッドの上で寝転がってリプを送る。こんなにリプがついたことがなかった。「ありがとう」「楽しかったよ」「来れなくても応援してくれてうれしいよ」という言葉を返信するだけでも、一時間ほどかかった。リプを打っている途中で他のファンからもリプが飛んでくるということもあり、最終的には53人に返信した。

 やっと返信を終え、タイムラインを見たとき、加那は尊敬する東京の地下アイドルのメンバーが、今日卒業ライブをやるといってあたことを思い出した。

 そのアイドルは「卒業するときにびっくりさせるお知らせをしてごめんなさい。みんな祝福してくれてうれしかった」とつぶやいていた。なんだろうとそのアイドルのプロフィールをクリックする。

「おっと!」

 加那は思わず声に出して驚いた。

 加那が尊敬するそのアイドルは、卒業と同時に結婚することを発表していたのだ。

 その人らしいなと思ったのは、その人のツイートのリプ欄でファンの人が素直に祝福していたことだ。

 アイドルって恋愛はご法度と言われる。SUN SUN SAMBAは明文化はされていないが、暗黙の了解としてやはり恋愛はNGという空気があった。だから、宏太のことも加那は誰にも話せていない。

 でも、それって、アイドルを応援したいというよりも、アイドルと恋をしたいとか結婚したいという欲がある人が寄ってくるから、そうなんだと感じた。

 そして、結婚発表したこのアイドルのファンの人は、自分の欲のためにアイドルを応援していたんじゃないんだなあと感じる。

 そして自分もそんな関係を、ファンと築きたいと思った。



 月曜日、バイト先で会った宏太は不機嫌だった。

「おやすみぐらいLINEしてくれてもいいんじゃない?」

「ごめんなさい。ツイッターのリプが多くて対応してたから」

 そうは言ったものの、車に弁当を乗せ移動を始めると、加那は助手席でずっとツイッターをいじっていた。朝のおはように付いたリプ26件に返信をし、そのあとは、新しくフォロワーになったファンのプロフィールや過去のツイートを見ていた。

「今日はコンビニのバイトを入れてないから、終わったら会わないか?」と宏太に言われても上の空で、宏太に「聞いているのか?」と念を押されて、やっと「ごめん。今夜はレッスン」と断るありさまだった。

「レッスンって何時から?」

 宏太がそれでも聞いてきた。

「19時からだけど」

 宏太はハンドルを握ってアクセルを踏む。

「これ14時半には終わるから、じゃあそのあとに会おうよ」

 なんだかんだ言って加那は昨日のライブやリプ返に疲れを感じていた。今夜にはレッスンがある。

「ごめん。今日はゆっくりしたい」

 ちっと舌打ちをして、物流団地に車を走らせる。

「わかったよ。じゃあ、明日は?」

 明日はレッスンが入っていない。気乗りはしないが、一日ぐらい付き合ってやらないとと、加那は思う。そう考えて加那は、恋人であるはずの宏太が負担になっていることに気づいた。

「明日ならいいよ」

 まずはいつも買ってくれる倉庫にお弁当の御用聞きをすることからバイトが始まる。

 宏太は行きつけの倉庫の事務所前に車を止めた。



 いつもは亜由美が教えてくれるのに、連絡はなかった。

 レッスン開始前のスタジオで園田から聞かされた。

「今日も山名先生がレッスンをご覧になるそうです」

 高尾とダンスの渚先生の表情に緊張が走る。亜由美と理沙は知っていたのか、「はい」と落ち着いて返事をする。

「それでさ、先生が見えられたらさ、加那はひとこと、先生に謝ってくれないかな?」

「わたしが、ですが」

 加那は自分を指さして首を傾げる。

「そう。昨日のことがあったからね」

「できません」

 加那はきっぱり言う。

 ささやかな抵抗だ。

「じゃあ、バーグ氏は」

 正義が貫けないことはわかっている。

「わかりました。謝ればいいんでしょ、昨日はすみませんでしたって」

「ちゃんと気持ちを込めて言うんだぞ」

「大丈夫です」

 憮然として加那は答える。

 園田は冷や汗を拭いた。

 レッスンが開始しされて十分ほどしたときに、山名がスタジオに姿を見せた。

 音響が止まり、SUN SUN SAMBAのメンバー三人が一列に並ぶ。亜由美が「おはようございます」と言い、続いて「おはようございます」とあいさつをした。

 山名はじっと加那を見ていた。

 挨拶をして頭を上げたあと、加那は足を一歩踏み出した。

「先生、昨日はすみませんでした」

 また深く頭を加那は下げた。

 ほっとしたように園田が息を吐く。

「もういいよ」

 そう言われて、加那は頭を上げる。

「ありがとうございます」

 山名は園田を見た。

「園田ちゃん、一言だけ言わせてもらっていいかな?」

「どうぞ」

 園田が言う。スタジオの空気はピリピリしていた。

「加那ちゃんの、ファンを大事にしたい気持ちは立派だと思うよ。だけどね、理想だけじゃステージには立てないよ。誰があなたをアイドルとしてステージに立たせてくれているのか。そこはわかっていてね」

 バーグとまた会うためだ、我慢我慢と、加那は歯を食いしばりながら、聞いた。

「はい。同じことを園田さんからも言われました」

 加那は言った。山名が満足そうに笑みを浮かべて園田を見る。

「そうなんだ。さすが園田ちゃんだね」

「いえいえ、先生と同じ気持ちなだけですよ」

 園田が頭を下げながら言う。

「お邪魔したね。レッスンを続けてください」

 山名はそういうと、高尾が用意した椅子に座る。

 渚先生が手を叩いてカウントを始めた。メンバーはフォーメーションに並ぶ。



 メンバーは踊っている。

「園田ちゃん、呼んで」

 山名が高尾を手招きして言った。ベリンガーのPAミキサーを扱っている園田に高尾が話しかける。高尾がミキサーの前に座り、園田は山名の横に立った。

 背中を曲げ、山名の口に耳を近づける。

「園田ちゃん、次の曲はまだ理沙をセンターで考えてるの?」

 たしかに日曜日の物販は、極端に加那の列だけが長く、売上も多かった。今週末のライブも、まだ月曜日なのに予約はすでに6人と先週の倍である。加那のツイッターのフォロワー数も増えている。

 そこを踏まえて、日曜日の一件を水に流して、次の曲のセンターは加那と山名は思っているだろうかと、園田は考えた。

「そのつもりでしたが、加那のほうがいいですかね?」

「なんでそう思う?」

 山名が鋭い眼光を向ける。

「日曜日から急に加那の人気が上がってきてるんですよ。ツイッターのフォロワーも50人以上増えています」

 山名の気持ちを量って、物販の話はしなかった。

 山名はレッスンで踊っている理沙を一瞥する。園田は唾を飲み込んだ。

「うーん。そうかなあ。俺は理沙のために加那をセンターにしたいんだけどな」

「と申されますと」

 園田の額には汗が浮いていた。

「わかんないかなあ。昨日からの加那の人気は一時的なものだよ。運営が理沙を推してる空気をヲタクに読まれたんだよ。だから、ひねくれもののヲタは加那に群れた。センター陥落とかヲタクは好きだもんね。でもね、だからこそ、これ以上理沙を推すとアンチが増える気がするんだよね。ならばセンターは加那のままでいいかなって」

「なるほど」

 園田は新曲を理沙のイメージで書いていた。歌詞に、教室や校舎の裏など高校生らしいワードも出てくる。

 また書き直しか、と園田は思った。



 レッスンが終わって帰宅しても、加那はツイッターにリプを打っていた。

 レッスン前に「レッスン行ってきます」とツイートしただけなのに、写真を付けたのがよかったのが、50件のリプが来たのだ。一言だが、いつもなら半身浴で一時間ほど使う入浴時間をシャワーだけに削って、リプを返す。

 40人ぐらいリプを返している途中で、LINE電話が着信した。宏太だった。

 リプ返に集中してるんだから面倒くさいなあと思いながらも、電話に出る。

「おつかれ。なにやってるの?」

「ツイッター」

 途端に宏太の声が不機嫌になる。

「今日もずっとツイッターやってたよね。SNS依存症になるよ」

「だってファンの人がリプをくれるから」

「大変だね、アイドルも」

「でも楽しいよ」

 全員に返さなきゃいけないと義務的になっているところもあったが、素直に応援している人から声をかけてもらうのは楽しいのも事実だった。

「明日バイトのあとは、どこへ行こうか?」

 宏太の声が弾む。

 今度は加那の声が沈んだ。そうだ、明日会わなきゃいけなかった。

「疲れてるから休みたいかも」

「今日のバイトのあと、休んだんじゃないの?」

 たしかに今日、バイトからレッスンまでの四時間は時間が空いていた。だけどその間もツイッターをやっていて、眠ったりはできなかったのだ。

 宏太の言った通り、SNS依存症と言われればそうだろうと思う。

 だけど、アイドルとして、ファンの人の人生に価値を与えられるのなら、ちょっとぐらい無理をしても喜んでもらいたいと加那は思っていた。

 そして今週に入り、リプも増えたので、むしろそれ以外にはあまり時間を使いたくないのも本音だった。

「でも昨日からリプの数が増えたし、フォロワーさんも増えたからあまり時間がないし」

「ツイッターかよ。そんなもん、ありがとうとコピーして返せばいいじゃん。なんだよ、俺と会うより、ツイッターでヲタクと話してたほうが楽しいのか?」

 その通りだと思うけど、宏太の不機嫌が増しそうでそうは言えない。

「だってアイドルやるの楽しいから」

 それでも宏太は不機嫌になっていた。

「わかったよ。もう! おやすみ」

 捨て台詞を宏太は言うと電話が切れる。

 加那はアプリをツイッターに切り替えて、リプ返を続ける。



 翌日の午後、腰にタオルを巻いただけの宏太は携帯を取り上げようと手を伸ばした。

「ここまで来てもツイッターかよ!」

 加那は、本当にこの人は自分の欲のためだけに、わたしに会っているんだと感じた。

 股のあいだがひりひり痛む。

 もう終わりにしようと思う。

 高校二年生でアイドルになったので、高校を卒業しても加那は恋愛を経験していなかった。

 学校の同級生は彼氏を作ったり、彼氏がいなくても男の子の話ばかりしていた。

 アイドル活動をしているからあきらめていたけど、うらやましくないと言えばうそだった。

 そんな気持ちを抱いたまま高校を卒業し、バイト先で声をかけてきたのが宏太だった。

 もちろんはじめは断った。

 だけど、加那も興味があった。

 アイドル活動の邪魔はしない、秘密は守る。誰にも言わない。

 その条件で、宏太は加那の生まれてはじめての彼氏になった。

 付き合いはじめは、電話をするだけで楽しかった。

 付き合って二か月で身体を許した。

 最近ではふたりで会うたびに身体だけを求められるようになっていた。

 会っても楽しくなくなっていた。

 だけど、ずるずる断れずに会ってしまい、身体を許していた。

 宏太の腕を避けて、加那はまだ携帯を握っている。

「ねえ、宏太くん」

「なんだよ」

 宏太は明らかに不機嫌だ。

 恐怖で加那は口が渇くのを感じた。

 それでも口を開く。

「別れよう。今日で終わりにしましょう」

「はあ?」

 両手を広げ、宏太は大きな声を出す。

 加那はホテルの部屋で話を切り出したことを後悔した。

 この部屋ならば何をされるかわからない。ホテルの電話の位置を確認する。こわかった。

「アイドル活動の邪魔はしないって約束だったでしょ」

 恐怖に声を震わせ、やっとの思いで言った。

「だってツイッターじゃん。ライブとかレッスンの邪魔はしてないじゃん。ええ?」

 とっさに思い付いた約束を破ったという理屈に正義があったのか、宏太の声が弱弱しくなる。

 本当の理由は宏太の欲にこりごりしていただけだが、加那はそんな宏太にほっとする。

「活動するうえでファンの人との交流は大事なんだもん」

「わかったよ。もう邪魔はしない。約束する。だから、別れたいとかもう言うなよ」

 宏太はキスをしようと、肩に腕を回してきた。逃げるように加那はベッドの上で立ち上がる。

「ごめんなさい。もう無理」

 そう言って、ブラジャーも付けていないのに胸を隠すように慌ててTシャツを着た。

 宏太は自分の携帯を手に持った。

「加那、俺と別れるってどういうことかわかってる?」

「え?」

 宏太は笑みを浮かべ、携帯のディスプレイを見せた。

 そこには裸の加那が写っていた。

 何度か頼まれて撮らせたことがあったのだ。

「ツイッターに投稿してもいいの? SUN SUN SAMBAの元カレですって投稿したら、もうアイドル活動できなくなるよね」

 加那は表情を凍りつかせた。

 肩に腕を回し宏太は唇を付けてくる。加那に避けることはできなかった。

 宏太と出会うまで加那は、恋愛とは、もっと綺麗なものだと思っていた。



 バーグは、加那が好きと言っていた東京の地下アイドルのツイッターアカウントをブロックした。卒業ライブで結婚を発表したらしいのだ。ありえないと思う。卒業ライブで結婚発表をしたということは、アイドル活動中に付き合っていたはずだ。彼氏もいるのに物販でヲタクの相手をしていて、このアイドルは罪悪感がなかったのかと思う。信じられなかった。加那にも、このアイドルを嫌いになってほしいと思った。

 携帯が震え、ツイッターの通知が届いた。加那からだった。東京のアイドルのいやなニュースで病んでいた心が晴れる。

 今日の「レッスン行ってきます」の加那のツイートに「レッスンふぁいと!」と返信したバーグに、加那から「バーグくん明日も頑張ってね」と返信が来たのだ。顔が、にやけてしまう。明日もがんばろうと思う。

 加那のアカウントに飛んだら、加那はこれからまだまだリプ返をやっているようだった。

 大変だなあと思うけど、こうやって空いてる時間はずっとリプ返を全員にしてくれるのは、プロ意識が高いなあと尊敬していた。

 それに常にこうやってツイートしているところを見ると、それ以外にもイベントやレッスンもあるし、彼氏を作る暇などないんだろうなと安心する。

 バーグは「リプ返お疲れ。おやすみ。いい夢を」と加那にリプを送って、布団に入った。

 携帯の待ち受け画面の加那の顔を目に焼き付けて、目をつぶる。

 何年後かはわからないけど、アイドルを辞めた加那とふたりで「懐かしいね」と言いながら、ベアスタ付近を歩く姿をバーグは想像しながら眠りにつく。

 いつかこの夢想が現実になることを願っていた。


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