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納得

 物販終了時刻に近くなっても、加那の列だけが途切れなかった。

 亜由美は「また来てくれてありがとう!」と言いながら、シュンに生写真を渡してサインをしている。シュン以外のファンは、もう亜由美の物販に来る雰囲気はなかった。

 理沙は暇を持て余すように、会場に流れているBGMに合わせて踊っている。加那の列に並んでいるファンがそれを見て「かわいい」とはやし立てるが、彼らは加那の列から離れようとしなかった。

「山名さんにあんな態度取って大丈夫なの? また会えるんだよね」

 加那をループしているバーグが、並んでいる間に運営や他のヲタクと話していて不安になっているらしかった。

「もちろん!」

 加那はそう言うが、どうなるかはわかっていない。

 でも、もう一回会いたいと言ってくれるだけでうれしかった。

 運営には動揺が走っていた。

 チェキ券などの販売をしているマネージャーの高尾は、フロアをキョロキョロ見回してる。

 園田は販売も撮影も高尾に任せ、むっすりした顔で椅子に座って携帯を扱っていた。髪の毛を掻きむしったり、ガムを噛んだかと思ったらすぐに捨ててまた噛みなおしたりと落ち着きがない。

「時間だよ。加那の列、あと一人で締めて物販終わろうか」

 園田が高尾に言う。

「ひとりで切るんですか? あと四人並んでいますよ」

「時間だからしかたないだろ」

 タイムテーブル上の物販終了時刻というものはあるが、あくまでそれは目安の時間だった。

 16時に物販終了とタイムテーブルに時間が決まられていても、まだ並んでいる人がいれば、その5分前ぐらいまでに列に並んでもらうのを控えてもらうアナウンスをして、たとえ16時を過ぎたとしても、並んでいる人までは物販を行うのがSUN SUN SAMBAのスタイルだった。もちろんSUN SUN SAMBAだけではなく、他のグループも多くはそのスタイルを取っていた。ファンにとってもせっかく並んだのに交流できないのは残念なことであるからだ。

 それを今日は四人並んでいても一人のところで締めきって、並んでいる三人は追い返すように園田から指示が出た。山名と加那の一件が、この園田の指示に影響があるのは間違いないだろう。

「すみません。松岡加那の物販、あと一名で締めさせていただきます。申し訳ございません。来週もイベントはございますのでそちらでお願いいたします」

 高尾はそう言って、加那の物販列を分解させる。

 高尾に切られた二人目に並んでいたファンはバーグだった。バーグは素直に列から離れて、園田に話しかけた。

「もうそんな時間なんですね。今日は加那ちゃん、人気だったから6回しか回れなかった」

「ありがとうございます」

 椅子に座って不機嫌そうに携帯をいじっていた園田が、そのときになって作り笑いだが、やっと笑顔を見せた。

 加那が最後の人の生写真にサインを書き終えると、机の前に三人が整列する。

 亜由美がファンに向けてあいさつした。

「SUN SUN SAMBA、物販交流会終了させていただきます。本日はたいへんありがとうございました」

 続けて加那と理沙が「ありがとうございました」と言って、三人で深くお辞儀をする。15人ほどのファンが拍手を送っていた。

 会場を見渡すと他の四組のアイドルはまだ物販をやっていた。

「ばいばい!」とファンに手を振りながら、加那たちは楽屋に戻った。

 会場から立ち去る時、「大丈夫?」と加那にバーグが心配そうに声をかけてくれた。



「ちょっと、みんな座って」

 楽屋に戻るや、園田が衣装のままのメンバーに声をかけた。

「ごめん、山名さんだとわたしも力になれないかも」

 亜由美が加那に小声で言う。

 園田のただならぬ空気になんの話が始まるのかはわかっていた。

 庵主に出会うまでの加那ならば、怒られる不安にカタカタ膝を震わせていただろう。

 だけど、熱心に応援してくれるファンの人生に価値を与えられた手ごたえのある加那は、こわいのはこわかったが余裕はあった。バーグは何度も「大丈夫?」と心配してくれた。こわいけど、そうやって心配してくれる人がいるだけで、嵐に立ち向かえるなとも思った。

 だが、園田は意外な切り出し方をした。

「ヲタクのバーグ氏を出禁にしようと思うのだが、みんなはどう思う?」

 出禁、つまりは出入り禁止だ。

 ファンはファンで自由に見に行ったり、見に行かなかったりする自由があるものの、運営にも自分のライブを見に来てほしくない観客には、出入りを禁止にする自由がある。基本的にこのような処分は、他のファンやアイドル本人に迷惑行為を働いたファンに対して課されることが多いが、バーグはむしろSUN SUN SAMBAの中では模範的なファンだった。

 メンバーも高尾も加那を見ていた。

 加那は毅然として園田を見た。

「どうしてですか? 納得できません」

「なんで加那が納得できないんだよ。君が被害を被った張本人じゃないか。加那はせっかくステージを見に来てくださった山名先生に物販対応を見てもらいたかった。だけど先生は忙しいから、どうしても並んでまで加那の物販に付き合う時間はなかった。そもそも、ぼくらとしても並んでまで先生に物販を見てもらおうとは思っていない。ご指導いただく立場なんだから、失礼に当たるだろ。当然のことだ。だけど、バーグはそれを妨害した。たまたま並んでいたからという理由だけで、どうせ物販の最後までいる時間もあるのに、先生に列を譲らず、せっかくの加那の先生に物販を見ていただけるチャンスをふいにしたんだ。これはサンバの芸能活動に関して大きな妨害だとぼくは思うが、みんなはどう思う?」

 園田のまくしたてる姿を見て、加那はすっかり毒気に当てられる。ただただ、頭の中で「大人の汚さ」という言葉が浮かんだ。

「わたしも今日、山名先生に物販見ていただいて、先生がお忙しかったのでいつものようにはアドバイスをいただけなかったけど、それでも先生の相手をするといつも以上に緊張するけど、いろいろ勉強になるから、そのチャンスをおまいつでも奪ったファンは罪が重いと思います」

 亜由美が言った。

 園田が閉じた口元を緩めて頷く。

「理沙はどう思う?」

「わたしはバーグさんと加那ちゃんになにがあったのかはよく見てないんですけど、山名先生の物販は勉強になるし、ありがたいことだから、その経験ができなかった加那ちゃんはかわいそうと思います」

 加那は理沙の口を見る。

 山名とパパ活をしている亜由美は真意はよくわからないが、理沙は加那と同じように、山名を苦手に思っていた。このあいだだって、レッスン後にメンバーに説教してきてうざかったと加那と理沙は笑い合った。それなのに、大人の前で少女は意見を変えた。それを責められないのは加那にもわかっている。自分を守るためなのだ。

 だが、加那は自分のためではなく、熱心なファンのためにアイドルをやろうと、庵主に話して決めていた。その熱心なファンの代表格のバーグが、いま追いやられている。戦うしかない。

「園田さん、違いますよ。バーグさんは山名先生に前を譲っていました。でも、わたしが割り込んでこられた山名先生を注意したんです」

 ぶるん、ぶるんと音が立ちそうなほど園田が首を振った。

「加那、おまえの気持ちはよくわかるよ。バーグは加那のTOだもんな。でもね、太いヲタクなんてのはこれから売れればいくらでもつくんだよ。むしろ、バーグみたいなガチ恋のTOは、いまの売れてない加那だから好きなだけで、おまえが売れて、物販とかしなくなったら、俺の役目は終わったなどと言って、手が届きそうな別の子に他界するもんなんだよ。むしろバーグがずっと物販にいるから、新しい人が加那と話しにくくなってることだってあるかもしれないよ。おまえの気持ちはわかるけど、これからのことを考えても、そこまでおまえがバーグをかばうことはないと思うんだけどなあ」

「かばってなんかないです!」

 立ち上がって園田に言った瞬間、加那の目から涙がこぼれだしてきた。ごめん、バーグくん、大丈夫じゃなかったと思う。

 わたしに会いに来るためにバイトを増やしたと笑っていたバーグくん。

 佐賀県内はもちろん、福岡、長崎、熊本と、どこでステージをやるときでもいつも最前列で見守ってくれた。

 どこへ行っても、いつでも絶対にわたしを応援してくれる人がいる。

 そのバーグくんのいる安心感が勇気をくれていた。

 体調が悪くてもステージに立てた。

 自信がなくても頑張れた。

 そのバーグくんが何も悪くないのに出禁だなんて。

 涙が止まらなかった。

 一分ほど、楽屋では加那の泣き声だけが響いていた。

「わかった。わかったよ、加那。おまえがそこまで言うなら、今回は大目に見よう。バーグを出禁にはしない」

「ほんとですか?」

 加那は泣き声で返事をすると顔を上げた。

「ほんとだよ。おまえの気持ちはよくわかった」

「ありがとうございます」

 加那は頭を下げる。

 園田は腕を組んで頷いた。

「ただな、今後のために加那も覚えておいてくれ。君たちみたいな素人の子がアイドル活動をやるためには、たくさんのプロフェッショナルな人たちの支えが必要なんだよ。今日のライブだって照明さんやPAさんなどプロの人たちにたくさん支えられた。そういう人たちへの感謝は絶対忘れちゃいけない。それとな、前にも言ったと思うけど、ぼくらの今後の仕事だってスタッフさんや他の運営さんなどプロの人が持ってきてくれるんだよ。だからそういう人に礼儀を欠いちゃだめだ。たしかにヲタクはお金は払ってくれる。でもさ、プロの人が舞台を用意しなければそもそもヲタクは君たちと会えないんだ。どっちが大事な人かわかるよな? そのことを忘れず、プロの人にはリスペクトも抱いて接してほしい。それだけだ。じゃあ着替えておいで」

「はい」と亜由美が返事をして、加那の背中を撫でる。

 納得はできなかった。

 でも、加那の正義が通る空気ではないのはわかった。



 イベント終了後、車で鳥栖駅まで戻って虹の橋の下で解散する段取りだったが、せっかくだから買い物をしたいと言って、亜由美だけ福岡に残った。

 天神から急行電車に乗って大橋に向かう。今年改修されたばかりのピカピカの西鉄名店街に山名が待っていた。こういう明るいところにはあまりヲタクはいないものだ。スターバックスにふたりで入る。

「園田ちゃん、どんな話をしてた?」と聞かれたので、亜由美は楽屋での出来事を話した。

「うまくやったね」

 園田は満足そうにドリップコーヒーを口に運ぶ。

 亜由美はホワイトチョコレートスノーフラペチーノをストローでつつきながら言った。

「でも、今日、なんであんなに加那に並んでたんだろ?」

「理沙ちゃんをあんまりごり押ししたらいけないのかもとは思ったなあ」

 ステージで演った曲は4曲だったが、加那がセンターだったのは最後にやったオリジナル曲だけだった。1曲目と3曲目のセンターは理沙がして、2曲目は亜由美がセンターだった。園田が組んでいたのは、理沙に注目を集めるセットリストだったのだ。

「そうなの?」

 亜由美が首をかしげる。

「運営が推すと地下のヲタクって引くんだよ。メジャーでみんなで盛り上がるよりも、俺は他のヲタクとは違うっていう自意識をこじらせて流れてくるひねくれものが多いからさ。あんまり真ん中で歌うとアンチは増えてもファンは増えないのかもと思った」

 亜由美が目を丸くして頷く。

「なるほど。さすが山名さん、よく見てるね」

「ふたりの時は和彦って呼べよ」

「えー、じゃあ、呼び捨てはできないから和彦くん」

 亜由美が言うと、山名は照れたように笑った。



 鳥栖駅前のフレスポのスターバックスで加那は、ホワイトチョコレートスノーフラペチーノを飲んでいた。

「苦しいときは電話をしていいわよ」と言ってくれていた庵主に電話をしたら、来てくれたのだ。

「わたし、どうしていいかわからなくて。ずっと考えていたんです。運営さんが言うようにプロの人が仕事を持ってきてくれるっていうのもわかります。でも、ファンの人あってのわたしたちと思うんです。ファンは興味を失ったらすぐにいなくなるけど、支えてくれるプロのスタッフは縁を大事にすればまた助けてくれるとも言われるとそうかなと思います。曲だって作ってくださる方がいないとオリジナル曲も持てないわけですし、そういう人の力は尊敬はできますけど、ファンよりも大事にしなさいと言われると、どう考えていいかわからなくて……」

 黙って聞いた庵主は、優しい笑みを加那に向けた。

「わたしはね、いまの加那ちゃんの話を聞いてうれしくなったわ。いままでの加那ちゃんなら、運営さんにそう言われたら、プロの人のことしか見えなくならなかった? それがこうやって悩むだけでも、熱心に応援してくれる人のことを考えてるということじゃない。うれしいし、悩む時点で加那ちゃんの結論は出てるわよね」

「はい。熱心に応援してくれる人の人生に価値を与えたいです。その気持ちでステージをやったら、ファンの人にも少しは伝わったみたいでしあわせでした」

 庵主は瞠目して大きく頷いた。

「まあ、素敵。その気持ちが、一回目でファンの人に伝えられたのね!」

 加那はカップの水滴を撫でる。

「でも、運営さんの言う通り、ファンの人は仕事をくれるわけじゃないし、すぐに離れちゃうし、それでいいのかなと思って」

 庵主はすっと人差し指で、加那を指さした。

「いいに決まってるじゃない。ファンの人を幸せにするのがお仕事でしょ。詳しくはわからないけど、どんなにプロの人の知り合いが多くても、ファンが来なければステージに立てないんじゃないの? わたしはファンの人のために踊ってほしいなあ」

 加那は急に鋭い眼光を庵主に向けられ、激しく瞬きした。

 庵主の言うことは加那にも理解ができた。

 でも、業界を知らないだろうと内心思う。

 加那だって、市井の一般人なら、アイドルにはファンを大事にしてほしいと思う。だけど、大人の世界ではそうではないプロフェッショナルな人たちとのコネとか気に入られることによって、推されたりすることも大切じゃないかなと思ったのだ。亜由美だって、お金のためということもあるだろうけど、山名といい関係を築きたくてパパ活している面もあると思う。今日楽屋で理沙が、バーグよりも山名の肩を持ったものの言いかたをしたのだって、下手にここで園田や山名を敵に回したら、アイドル活動が危うくなるかもしれない防衛本能からのはずだ。他のふたりがそうなのに、自分だけファンを大事にしていいのかと思う。

 そんな加那の姿を見透かしたように庵主が言う。

「加那ちゃん、自分の利益しか考えない人になったら、周りがそういう人たちばっかりになるわよ。人間ね、欲で動けば、そこに集まってくる人たちも欲で集まってくるの。あなたが自分の欲を満たすために人付き合いをしようとすれば、相手も自分の欲を満たそうとする人しか来ないものなのよ。そういう人たちは、あなたが欲を満たしてくれないとわかったら付き合ってくれなくなるわ。そういう人たちとばかりあなたはお付き合いしたいの?」

 加那は今日、庵主に会って本当に良かったと思った。

「その作曲家の先生だって、お金という欲だけじゃなくて、ミュージシャンとして成功できなかった欲をあなたたちの曲を作曲することで満たしているわけでしょ。運営さんだって、今日のお話を聞いた限り、アイドルグループのためかもしれないけど、そのためなら人を泣かせることをいとわない人みたいじゃない。無欲で熱心に応援してくれる人の尊さがわからない人たちと、あなたは一緒になってはいけないと思うわ」

「はい」

 加那は納得できた。

 そして、推されるためにプロの人と付き合おうと考えることがすでに、自分の欲のために他の人と付き合うことの典型なんだと気づいた。それじゃいけないと思う。

「バーグさんを出禁にすると言われて、泣いたなんて、本当に加那ちゃんの心は素敵と思うわ。またバーグさんに見に来てもらいたいと思ったから泣いたんでしょ。その気持ちを大切にしてほしい」

 庵主の一言一言が心に染みた。

 楽屋でなぜ泣いたか。

 たしかに落ち着いて考えれば、バーグの出禁をチラつかせて、加那を追い込む作戦だったのかもしれない。

 でも、それにまんまと乗ってしまうほどまだ自分の心が汚れていないんだと、加那はなんだか安心した。

 日曜日の夜は静かに更けていく。


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