取捨
アンコールを含めて一時間のライブは、出演していたメンバーにとっては、あっという間だった。
前田はもちろん、ボーカルの西村先生、ダンスの井出先生にとってもそれは、あっという間だった。
本編最後の曲は「クリシェ」だった。
藍が「いよいよ最後の曲です」ともったいつけたように言う。フロアから拍手が起こる。
軽快なポップサウンドがスピーカーから聴こえている。
バーグは、付き添いで来てくれたポップに耳元で言った。
「ごめんな、これでやっと最後だってよ。純情博多に行けばよかったな」
「沸けなかったな。まあ、最初だからか」
ポップは苦笑いする。お互いに会場入口に立てているフラワースタンドやアンコールの時のサイリウムを観客全員に配るために、ライブのチケット代よりも高い13000円払っている。しかし、ふたりにとってそれは単なる痛い出費で終わりそうだった。
「クリシェ」を歌い終えたヒノキブタイは「ありがとう」と口々に言いながら、舞台袖に身を隠す。会場の照明は落ちたままで明るくなる気配はない。
13000円を集めていた実行委員長と名乗るファンの一人が声を上げた。
「本日は大成功のワンマンライブだったと思います。もう一度みなさんでヒノブタをステージに呼びましょう。アンコール行くぞ!!」
ファンたちは配られたサイリウムを追って光らせる。アンコールが始まる。スウェーデンの国旗から前田が色を決めた、ヒノキブタイのグループカラー、青と黄色のサイリウムがフロアで波のように揺れる。
バーグは「アンコール」と熱く声を振り上げていたが、暗闇にぼんやりとサイリウムの色を反射させているステージを見ながら、頭はひどく冷めていた。
おれはこれからヒノキブタイを見続けて、また今まで通り加那を応援したくなるのだろうか。
今日のワンマンライブ、これまで見たことのないほどのたくさんのファンの前で踊る加那は、たしかに輝いていた。ポップなヒノキブタイのサウンドも、これまで九州アイドルで神のように扱われている山名和彦の楽曲がチープに見えるほど、洗練されていた。
加那にとっては夢のようなステージだっただろうとは思う。
しかし、バーグは前のほうがよかったなという気持ちが隠せなかった。
SUN SUN SAMBAで応援していたころからバーグは素直に、加那には夢を叶えてほしいし、有名になってほしいと思っていた。たくさんの人に愛されるアイドルになってほしいと本気で応援していた。
だけど、ライブハウスを満員にする今日の一時間半のワンマンライブよりも、祭り会場で15分程度のSUN SUN SAMBAのステージを見ていた頃のほうがずっと楽しかったのは否定できない。
アイドルの夢を応援するのがヲタクの役目なんだから、売れてない頃のほうが好きとか言わないほうがいい。
そんなことは理屈ではわかっている。
しかし、消費者として楽しむという視点では、いまのヒノキブタイの加那よりも、SUN SUN SAMBAの頃の加那を応援していたときのほうが楽しいことは否定できなかった。
アンコールで登場したヒノキブタイは、さらに二曲歌い、一番最後の曲はギターを持ったトナリヒロキが演奏するというサプライズもあり、熱い熱気でライブを終えた。
ライブのあとは、アイドルイベントらしく物販交流会の時間が用意されていた。
ロビーに机が置かれ、前田が呼び掛けて受付が始まっている。
物販は、全国発売するCDの予約だった。2枚予約すると、ヒノキブタイのメンバーの一人とチェキが撮れるということだった。メンバーはまだ現れていないが、前田の前にはすでに二十人ほどの列ができていた。
その列を見てポップが「どうする?」と訊いたが、バーグは力なく「やめとくよ」と言った。
あわよくばバーグから余ったCDを一枚もらおうとたくらんでいたポップは「買わないの? どうして?」と聞いたが、バーグは「ライブで聴いたけれど、あまり好きな曲じゃなかった」と答えた。
「そうか」とポップは答えたが、内心では曲の問題じゃないだろうとも思っていた。
バーグがヒノキブタイに見切りをつけたんだ。おれと同じようにとポップは思う。
アイドルファンがCDを楽曲で選んで買うなど極めてレアなことである。
アイドルの笑顔が好きなのだから、楽曲など関係ない。好きな子が歌っているCDだから買う。それがアイドルファンなのである。
今回のヒノキブタイはCD発売する楽曲をすでに動画配信や今日のライブでファンに聴かせていたが、アイドルによっては新曲をまだ公開していない時点から、予約イベントを始めることだってある。それでも、好きなアイドルの子のCDというパッケージと、予約をすればチェキが撮れるなどの特典が受けられるということで、その未発表曲のCDの予約でも売れるものなのだ。
もう、バーグに誘われてヒノキブタイを見ることはないだろうなあとポップは思った。
ヒノキブタイのワンマンライブからひと月ほど過ぎた。
庵主のもとに前田は現れなかった。SNSを見る限り、リリースイベントで忙しいのだろうと思う。先週の土日などトナリヒロキも乱入して東京でイベントをやっていた。またその上京の際に、東京のネット番組やCSのテレビの撮影も行ったらしく、多忙なんだろうと庵主は感じていた。
季節はすっかり梅雨だ。
夕方に降った雨はやみ、蒸し暑い夜だった。23時頃に読経を終えた庵主は床に就いた。
庵主は夢を見た。夢に加那が出てきた。
暗闇の中を加那が走っていた。その暗闇はトンネルだった。加那が走って進むと、白く輝く出口が見えてきた。加那は、光に吸い寄せられるように、出口を目指して走った。そしてトンネルを抜け出し、明かりに足を踏み入れた途端、すっぽりと加那の姿が消えた。夢の中の庵主はトンネルの出口まで走った。トンネルの出口は崖だった、加那はそのまま真っ逆さまに崖に落ちてしまったようで、トンネルの中からその崖の下を見る庵主に加那の姿は確認できなかった。
「加那ちゃーん」と叫んで目を覚ます。
蒸し暑い部屋に庵主は額に汗をかいて目を覚ました。外の雨音がカーテン越しに聞こえる。
庵主は「夢でよかった」と思ったと同時に、不吉な予感がしたのを隠せなかった。
なにもなければいいなと起き上がり、部屋の仏像に向かって手を合わせる。
二十歳の若い男は褐色のアジア系の外国人を後部座席に二人載せて、アルファードを運転していた。ワイパーに雨粒が弾くのが、ヘッドライトの反射でわかる。また雨が降ってきたなと思う。時計を見ると午前三時だった。
車内は煤から立ち上る焦げくさい臭いが充満していた。後部座席の外国人の洋服と、車の後ろに乗せている灰から漂っているのだ。業務用焼却炉で3時間800度以上で焼いてもこのざまだ。しぶとい灰にはダイオキシンがたっぷり含まれていたんだろうなあと思う。
福岡県と佐賀県の県境の草横山を車で走らせる。標高847mの山だが、鳥栖市から那珂川町に抜けるのに便利なため、道路は整備されている。午前三時に交通量はほとんどない。
山を半分ほど上ったところで、若い男は車を止めた。雨足は強くなっている。男はルームミラーで後部座席の外国人を見た。「YES」と言って彼らはレインコートを着て車を降りる。雨の音に混じって、遠くから沢の流れる音が聞こえた。
外国人二人はバックドアを開け、土のう袋につめた灰を車から降ろす。ふたりで片手ずつで土のう袋を抱え、もう片方の手にそれぞれスコップをもって、道沿いの雑木林に消えていく。
男はさすがに寝ているだろうなと思いながら、依頼主の前田に「もうすぐ終わります」とLINEをした。
外国人は、神崎宏太だった灰を雨の中、山中に捨てている。