邪魔
ホテルの55インチ4Kテレビは、朝のワイドショーが流れていた。亜由美は備え付けのカプセル式コーヒーメーカーでコーヒーを入れる。テレビには年末の紅白歌合戦の出場歌手のプロモーションビデオが流れていた。
「大した曲でもないのに、売れるんだからなあ。こんな曲が」
バスタオルを腰に巻いた山名和彦がテレビに向かって吐き捨てた。山名は地元九州のご当地アイドルの楽曲では、押しも押されぬサウンドクリエーターだが、東京のメジャーアイドルのコンペでは何度応募しても通ったことがない。
「今度のわたしたちの曲、すごくいいもんね」
亜由美はテーブルにコーヒーを置いて言った。
亜由美の所属するアイドルグループSUN SUN SAMBAの二曲目のオリジナル曲も、山名の作曲だった。プロデューサーの園田の歌詞がまだ出来上がっていないため、他のメンバーは聴かせてもらっていないが、特別に亜由美だけ聴かせてもらっていた。山名が「大した曲でもない」と吐き捨てた紅白出場歌手の楽曲よりも、凡庸でありきたりでショボい曲だと聴いた亜由美は思っていたが、立場上、初めて聴いた時から「すごく大好きこの曲!」と亜由美は山名に、はしゃいで見せていた。
「十時には出ような」
山名は服を着ながら話す。ジャケットの内ポケットから長財布を出した。一万円札を取り出して亜由美に渡す。
「ありがとう」
いわゆるパパ活。亜由美はアルバイトはしていたが、アイドル活動があるので土日にバイトができず、レッスンなどの時間もあり安定した収入が確保できないため、山名とのパパ活でそれを補っていた。山名のパパ活で潤っているアイドルは、意外と多い。
「今日レッスンだっけ?」
シャツのボタンを留めた山名が、コーヒーカップを手に持って言う。
「うん」
「今日、顔を出そうかな。園田ちゃんに早く詩をつけろと言いたいし」
「わかった。待ってる」
山名が腕を組んで考えるように言った。
「ねえ、亜由美ちゃん的には今度のセンターは理沙?」
「と思うよ。JKブランドだし」
「わかった。園田ちゃんにアドバイスしとこう」
実際、山名は作曲家であり、そこそこご当地アイドルのコミュニティでは名が知れていたので、SUN SUN SAMBAの運営にも影響力があった。
亜由美は、知らなかったらかわいそうだから、メンバーには今日のレッスンに山名が来ることを伝えようと思う。
山名が姿を見せると、園田が舞い上がり、ダンスの先生も厳しくなり、レッスンがハードになるのだ。メンバーは亜由美が山名とたまに会っているのは知っている。運営の園田や高尾は知らないが。
県道14号鳥栖朝倉線は、福岡県でも佐賀県でも県道14号線である。その佐賀県道14号線を起点の曽根崎交差点から福岡県方面に下ると、並行する国道500号線との間に、倉庫の立ち並んだ物流団地が広がる。宏太はその物流団地に、お弁当と書かれた軽ワゴン車を走らせる。助手席には加那が乗っている。ふたりはこの物流団地に弁当を運ぶアルバイトで出会ったのだ。
「今日の生姜焼き、うまそうだったな。余るといいなあ」
あらかじめ工場で作られた弁当を車に積んでいる。メニューは毎日一種類だけだ。物流団地の従業員やトラックの運転手にその弁当を売る。積んでる弁当の数は80個。12時から販売を始めて売り切れれば終了だ。売り切れなければトラックの運転手など、昼休みの時間が関係ない人もいるので14時まで売らなければならないが、売れ残った場合、その弁当はバイトが食べてもいいことになっていた。
「げげっ」
助手席の加那は携帯を見て声を上げる。
「どうしたの?」
ハンドルを握ったまま、宏太が訊いた。
「いや、なんでもないよ」
亜由美から今日のレッスンに山名和彦が来るとLINEには書いてあったのだ。
「なんだよ? どうしたんだよ?」
宏太が隠し事をされたくないのか、しつこく加那に訊く。
信号で止まったときに加那は、亜由美とのLINEのトークを見せた。
「作曲家が今日のレッスンに来るんだって。めんどくさいから、ついね」
「なんだ、そんなことか」
安心したのか宏太は笑みを見せた。
笑い事じゃないよ、めんどくさいんだよと思いながらも、どうせ宏太に言ってもわからないだろうからと、加那はなにも言わずに外の景色を見る。
フォークリフトが倉庫の荷物を積み込みしている。
理沙センターの新しいカバー曲の振りを通しで合わせている時だった。レッスンスタジオには、メンバーのほかに、ダンスの渚先生とプロデューサーの園田、マネージャーの高尾がいた。
スタジオの扉がノックもなしに開く。
「おはよう」と山名が顔を見せると、「おはようございます、先生」と高尾が頭を下げる。その姿を見た園田は素早く楽曲の音声を止める。
「えっ?」と一瞬メンバーは顔を見合わせたが、入口に山名が立っているのを見るや、一列に並ぶ。「おはようございます」と三人で声を合わせてあいさつする。
高尾がひときわ立派なひじ掛け付きのオフィスチェアを運んでくる。「おはよう」と言って、山名は足を組んで座った。
「いいよ、そのままレッスンを続けて」
山名が言う。
園田が楽曲を流す。渚先生がカウントしながら手を叩き、メンバーのダンスが始まる。
楽曲中、山名が手招きをして園田を呼んだ。椅子の横にしゃがんだ園田に、山名が耳打ちする。
「理沙が伸びてきたよね」
「ありがとうございます」
「次の曲、理沙のセンターで行きたいと思うけどどう思う? 園田ちゃんがなかなか詩を付けてくれてないけどさ」
皮肉な目を山名は光らせた。
「面目ないです。今週中には詩を付けます」
園田が額を汗を拭くようにこすった。
「いや、それはいいよ。早く仕上げようとして中途半端な歌詞を書いてもらうぐらいなら、おれの曲がかわいそうだからね。時間をかけても、いい詩を付けてくれたらいいよ。ただ、そのお披露目は理沙をセンターで行きたいなと」
「わたしも先生と同じことを考えておりました。歌詞も理沙をイメージして書いています」
「そっかそっか。理沙は物販はどうなの?」
園田は腕を組む。
「人気はまだ加那のほうがありますね」
「人気なんてセンターに置けば変わるだろう。対応だよ」
「良すぎるんですよね。すぐ好きってヲタクに媚びるから、ちょっと飽きられそうな不安はあります。悪くはないと思いますが」
「なるほど。日曜日、ちょっと物販に邪魔をさせてもらおうかな」
「ぜひぜひ。理沙だけでなく他のメンバーの対応も見ていただいてアドバイスを頂けましたら」
「そうだね。日曜日顔を出すわ」
「できるだけ、それまでに詩は完成させますので」
「焦んなくていいよ」
山名はそう言ったが、園田は焦っていた。
すでにメロディーをもらってから三回は山名に歌詞を提出しているのだが、山名がOKを出してくれないのだ。メロディーだけは渚先生にも聞かせている。ただ、歌詞が決まらないと振りが作れない。そのため新曲のレッスンに移行できない。レッスンが開始が遅れれば、それだけ新曲のお披露目も遅くなる。日曜日こそ、作詞のOKをもらいたいものだと園田は思う。
山名が作曲した「SUN SUN サンメッセ」のイントロが流れる。
「この曲の見せ方は一年ですごくうまくなったよね。最初はおれの曲なのに、この程度のパフォなのと正直思ってたんだぞ」
山名はそう言うと顎を突き出した。
「ありがとうございます」
園田は立ち上がって頭を下げると、ハンカチで額を拭いた。
センターで踊る加那は笑顔を浮かべて、山名を見つめていた。
山名が「客席のファンと目も合わせずに歌うなんてアイドル失格」と以前、SUN SUN SAMBAを叱ったことがあるからだ。
日曜日は福岡でアイドルイベントに出演した。100人も入れば満員になるようなライブハウスで、SUN SUN SAMBAを入れて五組のアイドルが出演するアイドルイベント。お客さんは30人ぐらいだった。出演アイドルにチケット代をキャッシュバックするシステムとして、事前に各アイドルグループは予約を取っていた。SUN SUN SAMBAの予約は、ガンジ、シュン、バーグの三人だけだった。おまいつで言えばポップがいてもいいのだが、この日はこのイベントを主催する福岡のアイドルの要望で、イベント自体が撮影禁止であり、ポップは写真が撮れる別のアイドルを見に行ったようだった。
アイドルは五組で総勢21人の出演。それに対し、有料入場者は32人だった。特別このイベントが過疎っているわけではなく、最近のローカル地下アイドルの動員数はそんなものである。
楽屋で衣装を着た加那は、鏡の前に立って目をつぶった。
今日のSUN SUN SAMBAの持ち時間は二十分である。チケット代は2000円に、それとは別にライブハウスのワンドリンク代500円が追加され、計2500円。他に四組のアイドルが出演するとはいえ、たった20分のためにSUN SUN SAMBAを見に来てくれる三人を改めて尊く感じていた。
「熱心なファンの人の人生に価値を与えてほしいの」
庵主の言葉を思い出す。
あの人たちの人生に価値を与えたい。
加那はそのことだけを考えてステージに向かった。
SUN SUN SAMBAの出番になると、ガンジ、シュン、バーグの三人は最前列の真ん中に陣取っていた。
後方から「ちょっと、ごめん。前で見せて」とひとりの男が最前列を目指して歩いてくる。
その顔を見るとステージの前に集まっていたファンたちが道を開ける。ガンジがすぐに気付いた。
「今日は山名和彦が来てる」
「ほんとだ」
「サンバを見に来てくれたんだ、お礼言わなきゃ」
山名は最前中央からは距離を取った上手のほうに立っていた。関係者なのでチケット代は払っていない。
ステージに登場した加那は、すぐに山名がいることには気づいた。
だが、山名は熱心なファンではない。
初めに気づいた時は一瞥を投げたが、加那はそれ以外は山名をほとんど見なかった。
むしろ見る余裕がなかったと言ったほうが正しい。
加那は庵主の言葉を思い出し、この場に2500円を払ってきた人、それぞれをひとりずつ熱心に見つめてステージを行った。
ファンの間ではステージのアイドルと目が合うことを「レス」と呼ぶが、わたしと目が合って喜んでくれるならどんどん目を合わせようと思った。
おまいつの三人だけじゃなく、それ以外の、他のグループのグッズやTシャツを着ている人を含めて、できればこの場にいるアイドルファン全員の人生に価値を与えられたらなと思っていた。
そうやってパフォーマンスをしていて加那は、これまではステージ中はいつもプロデューサーの園田の顔色ばかり気にしてたんだなと気づいた。応援してくれるバーグをはじめ、他のおまいつやファンは、なにをやっても褒めてくれる。振りを間違えても「そこがかわいかった」と褒めてくれるほどだった。だから、園田の顔色ばかり気にしていた。でもそれは間違っていたと思う。
たしかにグループ内でのポジションを最終的に決めるのは園田でありファンではない。
でも、大事なのはファンに決まっている。
ようやく加那はそのことに気づけた。
せっかくお金を払って見に来てくれる人がいるんだから、その人たちの人生に価値を与えるべきなんだ。
そうやってパフォーマンスをすると、ファンのほうにも気持ちは伝わったようで、ファンの表情が晴れやかになるのを感じられた。そしてそれが肌で感じられたとき、加那は本当に幸せだった。
照明を向けられたステージから見るフロアは薄暗くしか見えないはずだが、加那はファンの笑顔を浴びながら二十分のステージを過ごすことができた。
ライブのあと、これまでに感じたことのない暖かさが胸の奥から沸き上がった。こんな感覚は初めてだった。
SUN SUN SAMBAのプロデューサー園田は複雑な表情で山名に言った。
「今日は加那が良すぎたんですかね」
物販交流会、長机に右から亜由美、加那、理沙の順番で座っていたが、真ん中の加那の列だけが常時4,5人並んでいた。亜由美はシュンがループをしている。理沙も並んでいても2人で、亜由美や理沙は誰も並んでいない時間もあった。
「たしかに園田ちゃんが言うように、好きってすぐ言っちゃうから、理沙は飽きられるきらいはあるのかもな」
山名の手には物販で理沙と撮ったツーショットチェキがあった。ファンが撮るならば1000円を払わなければいけないが、園田は山名に無料でチェキ券を渡していた。
「山名さーん、来てくださいよ」
列が途切れた亜由美が山名に声をかける。
山名は亜由美のパパ活でしょっちゅう話しているが「わかったよ」と言って、亜由美にチェキ券を渡す。
「山名さん、わたしたちにも曲をまた書いてくださいよ」と亜由美が白々しく言うと、「曲はできてるよ。あの人の詩がまだなんだよ」と山名が園田を指さして、笑った。
「しっ。まだメンバーには話していないんですから」と慌てて園田が唇の前に人差し指を立てる。
「ばれちゃったなあ」と園田は、物販の受付をしている高尾に話しかけた。
「山名さんが言うならしかたないんじゃないですか」
「まあ、そうだけど」
園田は苦笑いをする。
加那の列は一向に途切れる気配がなかった。
亜由美からチェキを受け取った後、山名は隣の加那の列を見た。
サインを入れたチェキをファンに渡している。見ると、次に並んでいるのは顔見知りのおまいつのバーグだった。人が多いにしても、いの一番にバーグは加那のチェキに並ぶから、少なくても二周目以上は回っているだろう。山名はバーグに話しかけた。
「ごめん、おれさ、時間がないんで先に入れてもらっていい?」
「山名さんじゃないですか。今日はサンサンバを見てくださって、ありがとうございます。どうぞどうぞ」
バーグは一歩後ずさりして、山名を誘い込む。ちょうど加那は別のファンと握手を終えたところだった。加那が目の前にバーグが来るだろうと予測して顔を見たら、そこには山名がいた。
加那の顔から笑顔が消える。
「すみません。ファンのみんなはちゃんと並んでくれているんで、割り込みはやめてもらえませんか?」
凍りついたような空気が、加那と山名の間に走った。
山名が舌打ちをして、声を上げて笑う。
「ははは、ファンの人を大切に思うんだね。えらいね。立派。でもごめん、おれ時間がないんだよ。ごめんね」
そう言ってチェキ券を出す。加那は受け取らない。
園田が慌てて加那の元に走ってきた。
「加那、落ち着け。そりゃあ、今日は人が並んでるからファンに順番を守ってもらいたい気持ちはわかるけど、山名さんなんだよ。いままでも、いつも混んでいる時は割って入ってもらってたじゃない。山名さんは他の人と違って忙しいんだからさ、わかるよね?」
加那は首を振った。
「わかりません」
「もういいよ。忙しいから帰るわ」
山名は大げさに時計を見ると、加那に背中を向けて歩き出した。
園田が山名の横を頭を下げながら歩く。
加那は「ありがとうございます」と言って、目の前のバーグからチェキ券を受け取った。
「高尾さんお願いします」と言うと、高尾が硬い表情でチェキを持ってきて、加那とバーグのツーショットを撮影する。
「よかったの?」
チェキを撮ったあと、バーグが加那に聞いた。
「ちゃんと並んでくれているバーグくんと早く会いたかったから」
加那がそう言うと、一度は山名に列を譲ったものの、バーグは「ありがとう」と心の底からうれしそうな顔を加那に向けた。
その顔を見て、加那は自分は間違ってなかったと改めて感じる。