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破壊

 価格破壊。

 なにせ昨日は500円だったヒノキブタイの写真交流が100円でできるとあって、ヒノキブタイの物販はにぎわっていた。価格は五分の一だが、交流時間は四分の一の三十秒。それでもメンバーの列が途切れることがなかった。

 昨日も列を作っていた藍は長蛇の列ができていた。昨日は茉優のほうが人気があったように見えたが、ステージで椅子に座っている中年男性に集中的に売り込んだ効果か、茉優よりも萌乃のほうが長い列ができていた。それを見て庵主は面白いなと思う。加那も交流時間が空かないので、笑顔が戻っていた。昨日一回払った金額で時間は短いが5回も話せるとあって、バーグも何度も何度も並んでいたし、それ以外にもはじめて加那と話すようなファンも並んでいた。暗黙のルールがあるらしく加那の前では誰も言わないが、さすがに佐賀のアイドルファン。「あの子、前にサンバにいた松岡だよね」とファンたちが口々に噂している声も庵主に届いた。

 庵主は前田の目論見がよくわかった。知ってもらわなければ話にならない。触れてもらわなければいけない。そのためには安い価格でまずは人を集める。昨日、さえない顔をして自信をなくしていた前田が考えた策なのだろう。そして見る限り、効果はあるように見えた。ステージまではSUN SUN SAMBAの頃と違い、自信を失っているように見えた加那が、かつてのようなキラキラした笑顔を見せている。価格が安いこともあるが、バーグ以外のファンでもリピーターになって話し終わったらまた並ぶということを繰り返している人が三人ほどいるのを見ても、前田の策はうまくいっているように感じた。

 いや、うまくいきすぎていた。

 異変が起きたのは物販開始40分が経過した頃だった。この日のイベントは物販時間が終演後、二時間設定してあり、まだ物販時間を一時間二十分残したところでだった。

「すみません、すみません」と前田が並んでいるファンに頭を下げている。

 藍が交流していたファンを見送ると「ごめんなさい」と言って並んでいるファンから百円玉を受け取らなかった。見ると茉優も列がまだ並んでいるのに「ごめんなさい」と言って断っている。加那もファンを見送り、次に並んでいたバーグに「ごめんね」と言って、腕で×印を作っている。萌乃がファンを見送ったところで、四人は物販机の椅子から立ち上がった。

「大変申し訳ございませんが、混乱を避けるため、ヒノキブタイの物販交流会はここで終了させていただきます。今日は本当にありがとうございました」

 藍が言うと、ほかのメンバーも続けて「ありがとうございました」と言った。

 混乱と言われても、なにが起こっていたのか庵主にはまったくわからなかった。おそらく並んでいたファンにもよくわかっていないだろう。

 だが、アイドルファンは、アイドルに対しては無批判で優しいのが常だ。

 文句を言うことなく、ヒノキブタイにファンたちは拍手を送っている。庵主は立ち上がり、ヒノキブタイの物販机の前で拍手をしている30人ほどのファンの群れに混じった。

「それじゃあ、失礼します。本日はありがとうございました」と前田が片づけをしながら言うと、藍を先頭に笑顔を浮かべた四人のメンバーは656広場会場そばの楽屋の建物に入っていく。二階建ての急な階段をメンバーが昇っている足を庵主は見送った。

 バーグも同じようにヒノキブタイを目で追っていた。

 前田は机の上を片付けると、このイベントの主催グループの運営に形式的に頭を下げていた。

「ありがとうございました」

 固い表情のままそう言うと、踵を返し、ヒノキブタイのメンバーが入っていった楽屋に向かっていく。途中でヒノキブタイの物販に並んでいたファンから「なにがあったんですか?」「大丈夫なんですか?」と声がかかるが、「ありがとうございました」と言うだけで立ち止まらなかった。

 楽屋の建物に入ろうかと前田がしたところで、バーグが叫んだ。

「前田さん、今日は楽しい時間をありがとう。ぼくはヒノブタを応援します!」

 言ってバーグが拍手をすると、ほかのファンたちも前田の背中に向かって拍手を始めた。

 前田は振り向きもせず、建物に入っていった。

 庵主はバーグを見る。バーグは最後に叫んだのがこの場のオピニオンリーダーのようになったのか、ほかのアイドルファンから握手を求めら、握手をしていた。

 庵主がそのファンたちの中心にいるバーグに向かって歩いた。バーグと目を合わせて訊く。

「すみません。何が起こったのですか?」

 これまで庵主はバーグと話したことがなかったが、SUN SUN SAMBAの頃から、バーグは庵主の存在には気づいていた。二十人ほどしか客のいなかったSUN SUN SAMBAだ。二、三回見に行けば、バーグのようなコアなファンは、客の顔を覚えていた。

 女性とはいえ、親子以上に歳が離れているため、バーグは気負いをせずに答える。

「どっかの運営がクレームつけたみたいなんですよ。物販が安すぎるのにですね」

「安いのはダメなんですか?」

「ダメと決まっているわけではないんですけど、こういう無銭イベントはどのグループもギャラはないでしょうから、物販で稼がないと何も残らないんですよ。それが格安の100円物販なんかやられたら、営業妨害になるんでしょう」

 ロジックとしては成り立っていないが、庵主は会場を見渡した。

 主催のグループは固定ファンがいるのか、列ができていたが、6人もメンバーがいるのに3人のファンしかいないグループもあり、たしかに昨日に比べるとヒノキブタイ以外のグループの物販は活気がないのは事実だった。

「あ、メンバー出てきましたよ」

 前田が楽屋の建物から姿を見せるとバーグたちに向かって「ありがとうございました」とまた頭を下げた。

 続いて私服に着替えてキャリーバッグを引いている藍が「ありがとう」とファンに手を振る。茉優も萌乃も笑顔だった。加那がバーグを見て「またね!」と声をかける。「うん、また」とバーグは気持ち悪いほどの笑顔を浮かべて手を振っていた。

 私服姿のメンバーがThe saganの方向に歩いていくのを見送りながら、庵主は昨日はエスプラッツにいても聞こえた主催者へのお礼のあいさつを、ヒノキブタイのメンバーが今日はしないんだと考えていた。



「ガラパコスですよ。東京進出したいとか言ってるのに、九州だけで慣れあってて、その輪を乱したら恐ろしく排他的でした」

 夕方、麓堂に戻っていた庵主を前田が訪ねてきた。ファンの前では気丈に「ありがとうございました」と頭を下げていたが、結構堪えてる様子が見て取れた。

「出る杭は打たれるね。いいじゃないの。その慣れあっている中に埋もれるよりも、一歩飛び出せたんだから」

 庵主はそう言ったが、前田は頭をかいて、ため息をつく。

「帰り、メンバーみんな泣いてたんですよね。加那さんなんか、わたしのせいで山名和彦の関係しているグループとは共演NGなのに、また共演できないグループが増えてって自分を責めていて、忍びなかったです」

「それは終わったことでしょ」

 庵主の顔も曇る。

「そうですし、ぼく自身もそんなこと気にしなくてもいいと加那さんには話しました。ぼくらは作曲家や他のアイドル運営のためにヒノキブタイをやっているんじゃない。今日並んでくれたファンの人や、これから応援してくれる人のために、その人たちの人生に価値を与えるためにやっているんだと言いました。でも、伝わっているかと聞かれると不安です。それにぼくも」

 ガラパコスと前田は言った。庵主は打ちひしがれている前田を見て、山名和彦や他のアイドル運営に嫌われることが、庵主が思っている以上に大変なことなんだと伝わる。

 庵主は少し考えて言葉を選びながら口を開いた。

「そのガラパコス諸島がどれだけ狭くて排他的なところかはわたしは実感できてないから言えるかもしれないけど、わたし半年ぐらいSUN SUN SAMBAみたいな小さなアイドルを見て、なんでこんなに惹かれるだろうと考えたことがあったのね。もちろん魅力的な若い女の子が演じているというのが男の人には多いかもしれない。だけど、お世辞にもうまいと言えない歌やダンスをするこの子たちを見るのがなんでこんなに楽しいんだろうとね。それで、わたしなりに気づいたのは、そういうアイドルの子たちは、いなければいないで誰も困らないのよね。いま九州だけで何百とアイドルがいるらしいけど、お金にもならないのがほとんどらしいの。お客さんの数を見ても世の中から必要とされているとはとても言えない。でも、そこに価値を見いたしているファンというのが少なくても確実にいるわけね。大きい声を出して応援して、数分間話すために千円札を出してる人たちが。その熱気がものすごくわたしは好きなの。そして、もともとはやらなくても誰も困らないことのはずだったのに、加那ちゃんが卒業してバーグくんがショックを受けたみたいに、いつの間にか人に価値を与える存在になってるの。その姿が好きなのよ。だから、前田くんが今日メンバーに、応援してくれる人の人生に価値を与えるためにやっているんだと話してくれたことはすごくうれしいし、きっとあなたにならそれができると思う。ガラパコスに排他されたならそれはそれでいいじゃない。わたしは、ファンよりも作曲家を大事にしたSUN SUN SAMBAよりも、きっとヒノキブタイのほうが、たくさんの人の人生に価値を与えられると信じてるわ」

 時折、うんうんと頷きながら前田は聞いていた。考えるように外を眺める。

 初夏の佐賀は午後七時ぐらいまで明るい。麓堂の竹林が夕焼けに染まっていく。

「でも、なかなか出演できるイベントがないんですよね、こうなると」

 前田はそう言うと苦笑した。だが、その笑顔は先ほどまでの打ちひしがれている様子に比べると、いくらか明るく庵主には感じられた。

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