進展
藍に引っ張られるようにヒノキブタイのメンバーは、恐ろしいスピードでスキルアップしていった。
前田が用意したオリジナル曲「Tack」は譜面があったが、そのオリジナル曲と一緒にお披露目のステージで披露する予定のフリッパーズギターの「恋とマシンガン」、「カメラ!カメラ!カメラ!」は、これも藍が耳でコピーした譜面をメンバーに配ってくれた。
「クリシェと比べて日本語だから音は取りやすかった」と言う藍から、加那は「いつもありがとうございます」と言って譜面を受け取った。藍は「ヒノブタとしてみんなで成長するんだから、ちゃんと譜面を渡したら勉強してくれるみんながいてくれてうれしいです」と笑った。
なるほど、チームとして成長するとはこういうことだなと加那は思っていたが、じゃあ加那ははどうかというとまだまだそこまではいっていなかった。
レッスンで他のメンバーが歌っている姿や踊っている姿を見ては、いつも自分と比べていた。
当初のミーティングで前田が宣言した通り、歌割は公平に行われていた。歌う姿が特に目立つ落ちサビは四人で歌う徹底ぶりだった。
ただ、「年齢順」と前田はごまかしていたが、どの曲も歌いだしが藍から始めるのを見れば、密かに加那は「藍さんがいちばんうまいからな」とどこかで納得していた。そして、前のグループでセンターをしていた立場からすれば、いつかは「藍さんのようにグループを引っ張りたい」と思うのも自然だった。
4月に入り、4月13日のミーティングで4月28日の佐賀市内でのアイドルイベントでデビューすることを聞かされた。
そしてついに言われたのだ。
「アイドルをやっていくうえでファンの人との交流のツールとしてツイッターが一番メジャーなツールです。みなさんのアカウントは作りましたんで、パスワードを入力して各自で使えるようにしてください。みなさん、アプリは携帯に入っていますか?」
ヒノキブタイはアカウント自体は運営が取得し、運営とメンバーの双方がパスワードを知っていて管理する仕組みになっていた。
ツイッターは人気がフォロワーという形で数字で表される。
加那は藍や萌乃、茉優の顔を見る。
ルックス、パフォーマンス、加那はこの三人に勝てているかと考えたら全く自信がなかった。
自分なりには努力して、ボイトレの成果もありSUN SUN SAMBAの頃よりはずっと歌がうまくなっている自信も、ダンスもうまくなっている自信もあった。クラウドベリージャムの「クリシェ」だっていまでは楽々歌うことができるし、もともとアイドルをやっていたので歌いながら踊ることはまったく問題ない。
でも他の三人と比べたら。
藍さんはレッスンでもキラキラ輝いていた。東京でアイドルをやっていた人はさすがだと言うしかない。しかもメンバーに譜面を配ったり、いつもにこにこしてみんなを支えようとしている。いくら年齢順と言っても、どの曲も藍さんの歌いだしでスタートするのは誰も異論がないほど他のメンバーは一目置いていた。
萌乃さんは声が素晴らしかった。劇団出身のキャリアは伊達ではない。特に「クリシェ」のような英語の曲のときは感じなかったが、日本語の曲になるやその片鱗はすごかった。
茉優さんはダンスだ。身体能力の高さは半端なく、動きの機敏さとメリハリは見事なものだった。
それぞれが自らの個性を発揮している。
そのなかで加那が、自分はこれが他のメンバーには負けていないというものを持っていなかった。
おそらく、ツイッターを始めたら人気が明確になる。ヒノブタの場合、ツイッターをやるけれど、ファンに対してリフォロー、リプはもちろん、ライクも禁止である。
一方向だけで発信して人気がない科学的根拠を出されてしまうのか。
ミーティングの帰りの電車で茉優と一緒に最初のツイートした。
「はじめまして! 4月28日お披露目のヒノキブタイの松岡加那です!」
加那の名前はSUN SUN SAMBAの時と同じ、本名の松岡加那だった。
五分ほどしてすぐにライクとフォローがやってきた。SUN SUN SAMBAのおまいつヲタク、ガンジだった。すぐにバーグからもフォローされた。「加那ちゃん、待ってたよ!」とリプライも飛んできた。
「加那さん、反響すごい。さすが」
電車の中で加那は、茉優から尊敬するように見られている気がしてうれしかった。
茉優はこういう人が同じグループにいてくれてうれしいと思っていただけだった。
電車は神崎駅に到着する。
バーグのツイッターを久しぶりに確認した。
バーグは純情可憐博多娘が主現場のようだったが、SUN SUN SAMBAにもたまには顔を出しているみたいだった。
最近のSUN SUN SAMBAの動画はポップがyoutubeに上げていた。電車の中でヘッドフォンをしてその動画を見た。サンメッセ鳥栖前の芝生広場の動画だった。
加那が辞めたあとは、亜由美と理沙で活動していたが、4月に高校一年生の新メンバーが入っていた。
新曲は理沙がセンターを務めていた。「SUN SUN サンメッセ」は亜由美がセンターだった。その亜由美が落ちサビを歌っているところで、ケチャと呼ばれるヲタ芸をしながらステージにファンが集まってくる。
加那にとっては懐かしい顔ぶれだった。
バーグがいた。シュンがいた。ガンジがいた。そして撮影しているはずのポップもいた。
懐かしいなと思う。
しかし、うれしそうなファンの姿を見ると、複雑な気持ちにもなった。
SUN SUN SAMBAにいた当時は、自分もファンを楽しませていると加那は思っていた。
でも、自分がいなくてもおまいつと呼ばれたファンたちは、あのころと変わらないように楽しんでいる。
絶対、加那を見に来ていたと自信があったバーグでさえも。
そう考えると自分って何だったのかなあと思うのだ。
園田がアイドルを見られる場所を提供し、山名が曲を提供すれば、アイドルなんてしょせん人形で誰でもいいんじゃないか。
わたしである必要はなかったんじゃないか。
「あっ」
重い気持ちでSUN SUN SAMBAの動画を見ていた加那は思わず声を上げた。
二両編成の普通列車の乗客はまばらだが、それでも向かいに座っていたサラリーマンが加那の声に怪訝な目を向けた。
加那はその視線に赤面しながら、携帯の画面をタッチして動画を2秒戻して止める。
間違いない。
動画はステージから降りてファンの中で歌う亜由美を映していた。
二十人ほどのファンが亜由美を見ている。
そしてその中に庵主がいたのだ。
庵主はSUN SUN SAMBAを、わたしが辞めたあとも見に行っていたのか。
考えてみればレッスンで覚えることが多く、1か月ほど庵主と会っていなかった。
電話でもほとんど話していない。
だからそういう話を聞いていないだけなのかもしれないが、加那にSUN SUN SAMBAを辞めることをすすめ、前田を紹介した庵主がSUN SUN SAMBAを見に行っているのは釈然としなかった。
電車のスピードが落ちて、肥前麓駅に到着する。午後10時過ぎ、すっかり季節は春で、電車から降りてももう息は白くならなかった。
佐賀だしあの加那ちゃんだ
どうしよう
ここは推し増しするしか
みことちゃん、ごめん
純情可憐博多娘に推しメンのいるバーグはツイッターでそうつぶやいた。
バーグのツイートのほとんどにライクを押す純情可憐博多娘のみことこと姫川美琴は、バーグのそのツイートにだけライクを押さなかった。
バーグはそのことに数分後に気づいて、またツイートした。
いや、やっぱりみことだよなあ
バーグのそのツイートには姫川美琴からのライクがあった。だが、「あの加那ちゃんだ」のツイートには依然ライクが推されない。一時間後、バーグはそのツイートを消した。