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覚醒

 水曜日、松岡加那は、またはじまったと唇を曲げる。ただただ、この時間が早く過ぎることを願っていた。

 ベッドしかない宏太のワンルームマンション。逃げ場がない。

 宏太は携帯のディスプレイを加那に見せつける。

「いつも言ってるじゃん。このバーグってヲタク、勘違いしてるのわかってるんだろ? そんなヲタクに好きと言われて、わたしもバーグくん大好き、ってリプさ。どういう神経だったら打てるの?」

 Twitterでの話だ。加那のアイコンは所属するアイドルグループの衣装を着ている加那の写真だったが、加那のファンであるバーグのアイコンも加那の写真だった。

「だってバーグくん、先週も二回の物販で10枚もチェキ撮ってくれたし」

 加那が所属するのは佐賀県鳥栖市を中心に活動する、SUN SUN SAMBAという三人組ご当地アイドルユニットである。主に佐賀県内でのお祭りや、福岡市内のライブハウスで活動している。三年前の加那が高校二年生のときにデビューした。三年間メンバーはひとりも変わっていない。他にメンバーは加那よりひとつ年上で最年長二十歳の亜由美と、唯一の高校生メンバー、加那よりひとつ年下の理沙がいる。

 ファンの数はどのくらいいるのかわからない。それなりに地元のお祭りに出てるので知名度はあり、加那のTwitterのフォロワー数も2000人はいる。ただ、去年発売したデビューCD「SUN SUN サンメッセ」は1000枚プレスして、バーグのような熱心なファンはひとりで50枚以上も買ってくれたが、まだまだ200枚以上の在庫が余っている状況だ。

「おまえのさ、チェキを撮ってくれてうれしい気持ちはわかるけど、それはおまえにとってビジネスだろ。それで好きとかいうのはないんじゃないの? おれがさ、バイト先のコンビニでクリスマスケーキを予約してくれた女に、好きとか言ったらどう思うよ? おまえはそれと同じことをやってるんだぞ!」

 そうは言われてもチェキは大事だ。

 たとえば加那が運営から受け取るイベントの出演料は、1ステージ1000円だった。それなのにチェキは一枚販売したら200円支払ってもらえていた。

 そんな何百円のお金が欲しいわけではない。それだけ運営が、チェキを重要視していることが大きいのだ。

 三人組なので、アーティスト写真や歌うポジションは、真ん中とその両隣では見た目がぜんぜん違う。そして新しいカバー曲やアーティスト写真を撮るとき、運営がポジションを決める一番の基準が、チェキの売上であることはメンバーみんな気づいていた。

 幸い、去年発売した「SUN SUN サンメッセ」は加那がセンターポジションをもらえたが、JKブランドがなくなり、先月披露したカバー曲では理沙にセンターを奪われた。

 そして最近、移動やレッスン中、プロデューサーの園田が作詞をしており、近々二曲目になるオリジナル曲ができそうなのだ。

 オリジナル曲でのセンターポジションを失いたくない加那は、いまはチェキを売らなければいけないのだ。そして何回も並んでチェキを買ってくれるバーグのようなファンは、つかまえておかなければいけない。

 ただ、そんな説明をしても宏太はわかってくれない。以前「そんなにヲタクに媚を売らなきゃいけないのならアイドルなんかやめちまえ」と言われたこともあった。

 だから加那は素直な気持ちで反論する。

「応援したり褒めてくれる人は好きになるよ。それを言ったらいけないの?」

 宏太だって何度かSUN SUN SAMBAのステージを見に行ったことがあり、そこで「かなちゃーん」と奇声を発しているバーグの姿を見たことはあった。

 だから説明をしなくても、加那にバーグへ恋愛感情がないことは伝わっている。

 ただ、男として彼女が他の男に「好き」と言っているのが気にいらないのだ。

 頭ではわかっているが、たまにはその気持ちを口に出しておかないと不安だったのだ。

「まあ、おまえのやりたいことをやるために、バーグみたいな人が必要なのはわかるけどな。でも言い方は考えなよ。わたしも大好きは、ありえなくない?」

「じゃあなんて言えばいいの?」

 理沙はいつも、ハートマークを付けての大好き大好きで、ファンにリプライを送っている。加那のファンだと理沙もわかっているバーグの「理沙ちゃん、ステージお疲れさま」のツイートにも「キャー! バーグさんだ! 大好き!」と送っていた。そんな状況で好きと言えなければ、ファンを奪われる可能性だってある。だから、大好きとリプライしているのだ。

「ありがとうでよくね?」

「ありがとうだけだったら、距離が遠いって言われたもん」

 宏太が心配そうに加那を見る。平日の昼間だ。宅配業者が廊下を走っている音が聞こえた。

「じゃあ、おまえはバーグが好きなのか?」

 加那はもう、この不毛な議論を終わらせたかった。

「ファンとしては大好き。男としては宏太のほうが、ずっと好き」

 加那はそう言うと宏太に身体を寄せて、唇を重ねた。満足そうに宏太の唇が吸いついてくる。

 加那はふと、本当にわたしはこの男が好きなのだろうかとキスをしながら考えた。



 鳥栖駅には改札口がひとつしかない。そのため、駅の東側に向かうならば、改札を出てから歩行者専用の線路を跨っている橋を渡る必要がある。虹の橋と呼ばれるその歩道橋は、普段は閑散としているが、Jリーグが開催される日は、駅の東側にあるベストアメニティスタジアムに向かうために人がごった返すため、普通の歩道橋よりも幅が広く立派なものになっていた。そのベストアメニティスタジアムの北側にSUN SUN SAMBAが「SUN SUN サンメッセ」で歌ったサンメッセ鳥栖がある。

 もともとこのあたりは国鉄時代は貨物列車の基地だった。国鉄民営化後、市がその土地を買い取り、約十年後にサンメッセ鳥栖とサッカースタジアムを完成させた。

 そのサンメッセ鳥栖とベストアメニティスタジアムの間に芝生が敷かれた広場がある。

 その芝生広場で開催されている「鳥栖市メジロ祭」が、日曜日のSUN SUN SAMBAのステージだった。

 Jリーグ開催日はたくさんの屋台が並び、大きなフードコートとなる広場なのだが、「鳥栖市メジロ祭」はお祭りといっても、Jリーグほどの人は集まっていなかった。祭り全体の来場者が二百人もいるだろうかといった感じだ。

 日曜日ののんびりした午後の空気がゆるやかに流れている。

 SUN SUN SAMBAが出演する予定のステージ前も人がまばらだった。いまは地元のフラダンス教室の人たちが躍っている。

 それでも熱心なSUN SUN SAMBAのファンたちは、SUN SUN SAMBAのステージは午後三時からというのに、午前十時には祭り会場に来場して彼女たちの登場を待っていた。

 最前列に三脚を立てたカメラを置いているポップは、午後になり太陽に雲がかかるや、舌打ちをする。ファインダーでフラダンスが躍られているステージを覗く。

「ポップさんの露出調整が始まった」

 ポップと仲のいい四十代のガンジが茶化すように言った。

「うるせいぞ、ガンジ」

 そう言ってポップは、プロのカメラマンのように真剣に機材の調整に当たる。

「だめっすよ、ガンジさん。ポップさんには加那ちゃんの最高の笑顔をツイートしてもらわなきゃいけないんだから」

 バーグが言った。彼はまだ二十代のひょろんとした男だ。

「そこはバーグ、亜由美だろうよ」

 シュンが言う。

 バーグは加那推し、シュンは亜由美推しだった。なお、ポップやガンジは、まるで片思いのように誰かひとりを思うというような感情をアイドルに対して抱いているバーグやシュンなどの若いファンと違い、グループの三人を全員応援している。彼らのようなファンは表向きは「箱推し」と呼ばれているが、裏で若いファンたちからは「DDおじさん」と呼ばれていた。

 この四人はSUN SUN SAMBAがステージに出演するときは、いつも会場にいた。彼らは、SUN SUN SAMBAのファンだけではなく、メンバーからも「おまいつ」と言われるコアなファンである。ちなみに「おまいつ」とは「おまえいつもいるな」の略らしい。

 彼らはファンの中ではいちばんSUN SUN SAMBAのステージを見ているはずなのに、いつのステージでもどのファンよりもいちばん激しくリアクションをし、ステージに興奮していた。

 フラダンスが終了した。祭りイベントの司会者が「地元鳥栖のご当地アイドルSUN SUN SAMBAの登場です」と紹介して、ステージ衣装に身を包んだ三人がステージに並ぶ。センターポジションは加那だった。

「このフォーメーションは!」

 シュンがステージに並んでいるメンバーにさっそくリアクションした。

 オリジナル曲「SUN SUN サンメッセ」のイントロが流れる。

「しゃーいくぞー!」

 バーグが掛け声をかける。

 タイガー、ファイヤー、サイバー、ファイバー、ダイバー……。

 おまいつを中心に、いわゆるヲタクと言われるファンが、MIXと呼ばれる女性アイドルグループライブでよく聞かれるコールを始めた。

 レッスンで鍛えたダンスと歌を、SUN SUN SAMBAは披露する。



「申し訳ありません。交流はチェキ券、もしくは交流券をお持ちのお客様のみとなっております。交流券はこちらでお買い求めください」

 気まずいなと加那は思った。

「ごめんなさい」と頭を下げる。

 30分間のステージ終了後は、祭り会場の本部テントの一部に長机を置いて、SUN SUN SAMBAは物販交流会をしていた。

 物販といってもタオルやCDも置いているが、ファンのお目当てはその場でメンバーと写真が撮れるチェキ券(1000円)か、メンバーが生写真にサインを書いている間にメンバーと話ができる交流券(500円)だった。

 ファンたちは運営からチェキ券や交流券を買って、お目当てのメンバーの前に並ぶ。メンバーにチェキ券を渡せば、メンバーが運営を呼んでチェキを撮り、そのチェキにサインやラクガキをする二分間がメンバーとファンの交流時間になっていた。交流券の場合は、交流券をメンバーに渡すと、メンバーが持っている生写真を取り出して、その生写真にサインやラクガキを一分間書き込んでくれ、そのあいだにファンはメンバーと交流できる。メンバーたちは、主婦が煮物をするときに使うようなキッチンタイマーを持っていて、その時間を測っていた。

 名前こそ「物販」だが、ファンたちはどちらかというとモノではなく、アイドルと交流できるというコトを買っていた。

 運営もそのことをよく承知しており、そのため、チェキ券や交流券を持たずにメンバーに話しかけるのは、ご法度になっている。

 だが、普通にお祭りを来ているだけの一般客はそのことを知らない人も多い。

 先ほど、加那に話しかけた初老の女性もそうだった。

 バーグとのチェキを撮り終え、加那の前に誰もいなくなった時、その女性はその隙を待っていたように加那に話しかけたのだった。

「加那ちゃんよね。大きくなって」

 運営がすぐに静止し、加那は「ごめんなさい」と言ったが、その女性の顔には見覚えがあった。

 ただ、誰というのはまったく思い出せない。

 だが、物販中の加那は、その女性に話しかけるわけにはいかない。

「知らなかったの。そうなのね。失礼したわね」

 女性は運営にそう言って、加那のもとを遠ざかっていた。

「もう一枚、撮ってもらっていい?」

 バーグがチェキ券を持ってきた。今週はこの「鳥栖市メジロ祭」しかステージがなかったので、もう七枚目である。

「また来てくれたんだ。ありがとう。どんなポーズで撮ろうか?」

 加那はバーグに笑顔を向ける。バーグが恥ずかしそうに赤面する。



 加那の家の最寄り駅は鳥栖駅からJRでふた駅だ。その駅まで母親が迎えに来てくれるから、電車賃を運営からもらい、サンメッセ鳥栖で加那は解散した。亜由美は自転車で来ていたので、そのまま帰るらしい。理沙は運営が車で送るそうだ。

 衣装を持ち運ぶため、加那は旅行者のようなキャリーバッグを持っていた。虹の橋は、階段を上らずにエレベーターを使う。

 駅前を歩く。ファンたちはもう帰ったのかなと思う。もっともファンの数が少ないからこそ、ファンのほとんどが顔見知りであるため、出待ちをしたり、ひとりになっているところを話しかけるような危険なファンはいなかった。ファン同士で、アイドルに変なことをするファンがいないか、目を光らせているからだ。そのため、加那はプライベートでもファンを見かけると挨拶をしたが、ファンのほうが「じゃあね」と逃げるように立ち去るのが常だった。ただし、そういうことがあるので宏太とのデートは車に限られていた。

 駅前のパン屋の自動ドアが開く。

「加那ちゃん、だよね」

 パン屋から顔を覗かせたのは、物販の時、話すことのできなかった初老の女性だった。

 加那は女性の顔を見て、やはり見覚えがあると思った。だけど誰かがわからない。

「覚えてないかしら。十年以上も前の話だもんね。麓堂って覚えてない?」

「ふもとどう?」

「そこの庵主をしてたの。覚えてないわよね。あなたの夜泣きがひどくて、わたしが虫封じをしたのよ」

「さすがにそんな昔のことは」

 加那は自分が夜泣きがひどかったということもよく知らなかった。

 しかしそんな小さい頃に見たこの庵主の顔を、いまだに覚えていたのかと思うと不思議な気がする。

「今日はね、そんな小さいときから知ってる加那ちゃんが、あんなに立派になってる姿を見て、驚いて感動したわ。どう? せっかくだからおばさんとお茶でも飲まない?」

 庵主はパン屋のイートインスペースで、コーヒーを飲んでいたようだった。荷物がそのままテーブルに置いてある。

 ホットミルクをおごってもらって、庵主の前に座った。庵主の服から微かに線香の香りがする。

「素晴らしかった。加那ちゃんのお母さんは小さい時、加那ちゃんの夜泣きがうるさくて困ってらしたけど、わたしはこの子は、夜泣きでお母さんを眠らせないほど元気がいいから、将来何か大きなことをやり遂げるかもしれないと思っていたの。だから、今日ステージで歌う加那ちゃんを見たら、泣きそうになるほど感動したわ」

「ありがとうございます」

 褒められて素直にうれしかった。

 でも、テレビで歌うようなアイドルと同じものと思われてたら困るなとも思った。

 加那は自分が芸能人だという自覚もない。

「だけど三年もやっているのに、全然まだまだなんですよね。ファンの人だって、お祭りのお客さんが見てくれていたけれど、本当にわたしたちを見に来てくれた人なんて十人いるかいないかでしたし、CDも1000枚作りましたけどまだ完売していませんし……」

 パン、と庵主は突然テーブルを叩いた。キラリと目を光らせる。

「そこよ」

「え?」

 加那が身体をびくんと震わせる。庵主の気配は豹変している。さっきまで褒めてくれる優しいおばさんだったのに、直感的に恐ろしく感じる空気が漂っていた。

「今日ね、あなたのグループの運営さんに加那ちゃんとお話しするならばお金を払ってと言われて、わたしはお金を払わなかったでしょ。それはなんでかわかる?」

 加那は厳しい質問だなと考えて答える。

「わたしとお話しすることに、お金を払う価値を感じなかったからですか?」

「違うわ。それならば飲み物をおごってでも、あなたとお話ししようとは思わないもの」

 庵主は首を振る。

「アイドルヲタクのいる雰囲気に入りづらかったとかですか」

 庵主は首を振ると、カップのコーヒーに口をつけてから加那を見据える。ゆっくりと口を開いた。

「加那ちゃんは、どうしてステージで歌ったり踊ったりしているの?」

「アイドルにあこがれていたからです」

 加那は自分から親に承諾書を書いてもらって、SUN SUN SAMBAのオーディションに応募した。アイドルになりたかった。あこがれていた。

「それはつまりね、あなたの人生に価値を与えてくれるアイドルがいたからよね」

「はい。好きなアイドルさんを見て、あんなふうになりたいと思っていました。そのアイドルさんがいなければ、アイドルになっていないと思います」

「それでアイドルになれたのよね。素晴らしいわ。それでいまの目標は?」

 次々と庵主は質問を投げかける。

 なんだかんだで加那も現役アイドルだ。てきぱきと答える。

「グループとしては、マリンメッセ福岡で単独ライブをすることです」

「あなたの目標は?」

「マリンメッセに行けるように、ファンを増やしたいです」

「そのためになにかしてる?」

「歌やダンスを週三回レッスンしてます」

「歌やダンス、ね。それはみんなやってるでしょ。それ以外に目標のためにやりたいと思っていることは?」

「三人の中で埋もれないように個性を出していこうと思ってます。あとはツイッターをこまめに更新して、ファンの人に情報を常に発信して飽きられないようにしたいのと、それとダイエットですかね」

「ふーん、がんばってるわね。がんばり屋さんね」

 庵主はそう言って一度笑顔を見せた。

 だが、すぐに厳しい顔つきに変わる。

 加那はてきぱきと質問に答えていたが、目の前の庵主になにか見透かされているような気がしていた。ステージのMCやファンと物販での交流では、拍手をもらえるほどのことを答えているつもりなのに、その答えに庵主が満足していないのが伝わっていた。

 そして庵主はばっさり切り捨てた。

「だけどそれじゃ駄目だわ」

「すみません」

 庵主の勢いに押されて、思わず加那はあやまってしまう。

 庵主は「こちらこそごめんなさいね。あやまってもらうようなことじゃないのよ」と優しい顔で言ってから続ける。表情がまた厳しくなる。

「初心忘れべからずって言葉は知ってるよね。なんでアイドルにあこがれていたのか、よく思い出してみなさい。加那ちゃんがあこがれていたアイドルがいたということは、そのアイドルは加那ちゃんの人生に価値を加えていたのよね。じゃあ、どうしてそれと同じことをしないの?」

「どういうことです?」

「十人いるかいないかって加那ちゃんは言っていたけど、あなたたちは立派にその十人ぐらいの熱心なファンの人生には、価値を与えているわけなのよ。だからわたしは加那ちゃんたちを素晴らしいと思って感動したわ。だけど、あなたたちはそのことに、つまり他者の人生に価値を加えることに、力を注いでいなかったの。マリンメッセ福岡にしてもCDの売上にしても、加那ちゃん自身の人生に価値を加えることじゃない。どうして他の人の人生に価値を加えようと思ってないの? できるのになんでやらないの? それが残念だったの」

 加那の頭にバーグをはじめとした、おまいつたちの表情が浮かぶ。

 SUN SUN SAMBAに会うために仕事をしている。

 SUN SUN SAMBAがいるからつらい平日も乗り越えられる。

 SUN SUN SAMBAに会うのを楽しみに生きている。

 庵主が言う通り、彼らの人生にわたしたちは価値を加えられている。

 だけど、わたしはそのことをまったく自覚していなかった。

 言われてみればそうだと、加那は目を丸くして庵主を見返す。

「与えることの喜びは大事なのよ。仏教では、なにかをもらおうとする前に先に自分から与えることをすすめているの。そして、わたしは加那ちゃんには、あこがれていたアイドルが加那ちゃんの人生に価値を与えてくれたように、加那ちゃんがあの熱心なファンの人の人生に価値を与えてほしいの。その気持ちが見られなかったから、今日はお金を払えなかったの。でも、加那ちゃん、あなたならできるでしょ!」

 庵主の言うことが加那の心に響いた。

 本当にそうだと思う。

 自分たちがファンに愛されること、大きなステージに立つこと、そしてそのステージのセンターにグループの中で自分が立っていること。

 加那はそんなことを目標にしていた。そのために、ファンに自分の人生に価値を与えてもらうように期待していた。CDを買ってもらったり、チェキをたくさん撮ってもらったりしていた。

 でも本当は、加那自身が、ファンやそれ以外の人たちの人生に価値を与えられるかが、アイドルとしての加那の本当の価値なのだ。

 すごいことに気づかせてもらったと思った。

「わかりました! でも、具体的にどうすればいいのですか?」

 そう、価値とか自分とか他者とか概念はわかる。でも具体的にどうやったらいいか。それを加那は知りたかった。

「いちばんは、意識することよ。あなたはせっかくアイドルになれたのだから、他者の人生に価値を与えられるのよ。その価値を高めることを、意識するだけでも変わってくるはずよ。与えるものの価値は、もらった人の価値観でどうにでも変わるから、なにがいいとはわたしにもわからない。でも意識していたら、それが見えてくると思うわ」

 加那は考えた。

 バーグさんの人生にどれだけの価値をわたしはいま与えてるのだろう。

 そしてこれから、わたしはどれだけ与えることができるのだろう。

 それを考えるだけで、明日から自分がやるべきことが見えてくるような気がしていた。

 鳥栖駅前は静かに日が陰っていた。サガン鳥栖カラーでラッピングされたバスがバス停に到着している。



 

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