ほとんど竜殺し
継ぎ足した薪がすっかり燃え尽きた頃になっても、いまだ空の明ける気配はない。
ウルムは残り火に手近な枯れ木を放り込みながら、弦を外した長弓を静かに磨く。
長い夜だ。〈流沙の大海〉を吹き渡ってきた乾風が木々を揺らし、平和に子守唄を歌っている。
かれは一瞬だけ手を止め、耳をすまして敵の気配を探した。ほとんど無意識の警戒動作だ。
だが何もいない。耳をすましても、聞こえるのはいびきの音だけだ。
「うるせえ」
ウルムは傍らで眠りこける大男をつつく。
大男はびくんと大げさに暴れ起き、樫の杖を握りしめて周囲を見渡した。
「なんだ!? 虫か!? おい、私の結界を触っちゃいないだろうな!」
かれは地面に刻んだ魔除けの陣を目でなぞり、溝に吹き溜まった焚き火の灰を指で除く。
「灰ぐらい放っておけばいいだろ、カーン」
「だめだ! 埃が被ってるだけでも数厘ほど効率が変わるんだぞ、灰なんか被ろうものなら……」
わずかな燐光を放っていた陣が、ちょうど沈黙した。
「ほらみろ! 陽が登るまでは持つはずが、夜中に消えた!」
「魔除けなんざ要らねえだろ? なくて何が困る」
「虫が寄ってくる! いいか、あの焚き木の組み方はな、灰が飛ばないよう緻密な計算の末に組まれた結晶だぞ! 私の作るものはなんでもそうだ、下手にいじるんじゃない!」
カーンは杖をこすりつけて魔除けを刻み直しはじめる。
ウルムは肩をすくめて、装備の点検に戻った。
……このカーンという大男。大木のように分厚い身体や彫りの深い顔、あちこち毛皮でふさふさした季節外れの暑苦しい板金鎧、と外見だけを見るなら威風堂々たる丈夫なのだが。
口を開くと途端に威厳がなくなるのだ。戦闘となればすぐに後ろへ引っ込んでいき、構えた大盾の影で震えるのが常。まるきり小心者である。
「まだ寝る気か? おれはすっかり眠気がないぞ」
「いいかウルム、人間は夜に育つんだ。私はともかく、お前はまだまだ成長が必要だ」
「もう伸びねえよ」
「お前が寝ない子だからか?」
ウルムは魔除けの陣を靴底でかき消した。
「おい!」
「悪いな? 子供のやることだ、大目に見ろよ」
とうに成人を迎えている小柄なウルムはそう言って、荷物袋を背負い込む。
それから弓を背に回し、いくつか短剣を吊り、最後に派手な鞘の長剣を佩いた。
「先に行くぞ」
「あ……ちょ、ちょっと待て!」
大股で歩き始めた彼の背を、大慌てでカーンが追ってくる。
せいぜい部分を革で補強してある程度の軽装なウルムと違い、思い切り着込んでいるものだから騒々しい物音があたりに響く。
「悪かった! 私が悪かったから一人で行くな!」
「ちょっと歩いて街道に出るだけだろうが。大げさだな」
「そうは言うがな、夜だぞ、ウルム。闇の奥になにが潜んでいるやら知れたものじゃない」
「お前は昼間っから同じような事を言ってるだろ」
満月の月明かりを頼りに、街道へ向かって二人は歩く。
歩調は違えど、どちらもやや背を丸めた、疲労の目に見える調子だ。
それもそのはず、この二人が〈流沙の大海〉の地下遺跡で大冒険を繰り広げてから、まだ週のひとつも巡っていない。
おまけに手土産は古代の銀貨が一枚だけと来れば、疲れも増そうというものだ。
――ゆえに、かれらを絡みとる夜の闇へと注意が向けられることはなかった。
「そうだ。用心というのは昼夜を問わずにするものだ。私がこうして注意深さを――」
「取り乱すのは注意深さのうちに入るのかよ?」
「――崩さずにいるから! おまえはまだ路端に転がらずに済んでいるんだろう、口を挟むな!」
二人は一方向に歩み続けて、やがて前方に何かを見つけた。
まっさきに目に入るのは、かつて門だったらしき朽ちた支柱。
周囲のなかば埋まった空堀に沿って木杭が転々と打ち捨てられ、その内には廃墟と化した建築物が並んでいる。
誰かが出入りしている様子はなかった。ありふれた廃村だろう。村人は多くて五十人といったところか。
「燃えた跡も、戦闘の痕跡もない。なにかの事情で村人が逃げたんだろうな」
「……奇妙な気配がする」
カーンの呟きに反応して、ウルムは瞬時に戦闘態勢へ入った。
長弓を手に、鋭い視線を四方へ走らせる。
今のところは、何もいない。まだ。
「避けて通るべきか?」
「ああ。危険だ」
カーンの判断に従い、二人は踵を返す。
このカーンという男は、ウルムと違い、冒険者ではない。
もとは帝都の中央街、名門ランツァーク大学に在籍していた研究者だ。
……研究に行き詰まって出処の怪しい金に手を出し、大学を追われた人間ではあるが。
一流であることは確かだ。他のことはともかく魔術に関して、ウルムはこの神経質な大男を信頼しきっていた。
二人は廃村を大きく迂回して、森の中を進んでいく。
そして。迂回している最中に、また廃村へ突き当たった。
同じ角度だ。門の残骸が正面にある。
「……こりゃ、さっきの廃村か? 真っ直ぐ歩いてたはずなんだがな」
ウルムは空を見上げて、星の並びを確かめる。
違和感はない。あるべき場所に星があり、あるべきでない場所には何もない。
月の満ち欠けにも異常はない。とても大きな満月だ。
だが、背後に広がっていた森林が、いつのまにか枯れ木の立ち並ぶ死んだ土地へと変貌している。
それだけではない……廃村の崩れ方が、さらにひどくなっている。もはや門の残骸すら残っていない。
「可能性が高いのは……幻術か?」
「手がかり一つない」
カーンが言った。こういう場合に備えて決めておいた、肯定を意味する符牒だ。ウルムは頷く。
――幻術というものは、幻の内側からでしか維持できない。
言い換えるならば、必ず幻の中に術者が存在している、ということだ。
その術者を殺しさえすれば、それで全ては解決できる。
もっとも幻である以上、それは必ずしも人の形を取っているとは限らない。岩や木に化けていることもあるだろう。
何らかの形で二人を観察しているのは確かだ。そして、幻の主に与えられた権限を活用して、術者の目的を――おそらく殺害を――果たそうとしている。
符牒の使い時だ。幻術だと確信している、と思わせるべきではない。
「気配が大きくなった。なにか……なにか来るぞウルム、私を守れよ!」
「俺がいなくたって十分に守られてんだろうがよ」
さっそく大盾を構えて腰の引けているカーンを尻目に、ウルムは弓を構える。
廃村の中に、闇が差した。夜よりも暗い影が虚空から染み出して、おぼろげに人型を取る。
弦が鳴き、矢が風を切る。胴の中央にまっすぐ命中したその矢は、いっさい影と干渉せずに地面へと突き立った。
ぬらり。廃墟の影から、音もなく無数の影たちが躰を覗かせる。
「ウルム、そいつらは幽霊の一種、カゲだ! 生きながらにしてその生命力を簒奪された魂の、地における――」
カーンが喋り終えるのを待たず、ウルムは走りながらに長剣を抜き放った。
「ごたくはいい、どうすりゃ殺せる!」
「――それを伝えるための話だったんだ! 口を挟むなと……ええい! 剣だ、〈絶壊剣セイリス〉! その魔剣なら――」
セイリス。由来の知れぬ、宝石の刀身を持つ美しい長剣。
その透き通った刀身は月光を受けて青く輝き、魔力の軌跡をその場に残した。
この魔剣は、その〈絶壊剣〉という二つ名の通り――。
何を斬っても、絶対に壊れる。
剣の方が。
「うらあっ!」
肉体を求めて集るカゲのひとつを、交錯と同時に叩き切る。カゲがセイリスの青い軌跡と混ざり合い、崩れて消えた。
……そして、セイリスの方もまた、剣を止めた時の衝撃で中程からぽっきり折れた。
折れた刀身が青い粒子となって分解され、一瞬のうちに新たな刀身となって再構築される。
〈絶壊剣セイリス〉。何を斬っても絶対に壊れるほど脆い。
だが、それは魔力が供給される限り必ず元通りに直る。
そして宝石の刀身は魔力を蓄えるがゆえに、自らの魔力で常に直り続けるのだ。
絶対に壊れるが、絶対に壊しきることのかなわぬ、魔剣である。
「いいかウルム、この世に肉体というかすがいを持たないカゲは、その魂を少しでも乱された瞬間に不安定になり、消滅する! セイリスの魔力と干渉――」
耳も傾けず、手近なカゲを切り捨てる。もうひとつ切り捨てようと剣を返し、その衝撃で刀身が折れる。
その瞬間、脇の死角からカゲが這い寄り、ウルムへと両手をまっすぐ伸ばした。
瞬間的な脚さばきで二匹の間をくぐり抜け、踏ん張り反転しながらまとめて斬りつける。途中で刀身が折れたが、ウルムはそのまま振り切った。
折れて短くなった刀身からも、しかし青い魔力の軌跡が伸びている。カゲを殺すには、これがあれば十分なのだ。
ウルムは飛び退り、再構築された剣を携えて状況を確認する。
カゲたちの姿は夜闇に紛れて数えにくいが、おそらく二十と少し。
ウルムはわずかに眉をひそめた。
廃墟から想定される村人の数は、もっと多い。
仮にこのカゲたちが、かつてこの村に住んでいた人々だとするならば……。
「カーン! 後ろだ!」
大盾の背後に隠れたカーンの更に背後から、無数のカゲが迫る。
それらの手が大男に伸び……そして、なにかに触れて崩れた。
「……おい?」
「結界。カゲに対する対処法だ」
カーンは大盾を脇にどけ、地に刻んだ魔法陣へいくつか線を付け足した。
水の膜にも似た魔力の壁が広がりはじめ、カゲを次々と崩壊させていく。
「そんなこと出来るなら先に言えよ!?」
「伝える前に一人で飛び出していったお前が悪い」
「お前なあ! 伝え方が頭でっかちなんだよ!」
「……まだだウルム、気を緩めるな! 術者が残っている!」
崩れ落ちるカゲたちの中にひとつ、異質な影が。
全身は黒くとも、輪郭がおぼろげではない。実体があり、はっきりとしている。カゲたちに紛れていたのだ。
頭の上には耳があり、足の間には尻尾がのぞき、四肢の先端には鋭く長い爪が生えている。
獣人族のように見えた。
一合で決まる、とウルムは直感した。
立ち姿の、その鉄芯が通ったような様子を見るだけで、これは強者だと分かった。
巨大な満月の下で、向かい合った二つの影が同時に動き出す。
ウルムは瞬時に矢を放った。その速射に至るまでの目を見張るほどなめらかな持ち替え動作は、彼が熟練の冒険者である証拠だ。
しかし、その獣人族はまさしく獣じみた反応で姿勢を低くし、一瞬のうちに距離を詰める。
二の矢を放つと同時に、ウルムは弓そのものを投げ放った。回避動作を引き出し、接近経路を絞るためだ。
しかし、読まれている。勢いをかすかに緩め、意図的に躓いて斜めに回転、角度がわずかにずれる。予想もしなかった経路。
とっさの対応が浮かんだ時には、間合いに数歩の距離。右手一本で〈絶壊剣セイリス〉を抜き、そのままに払う。
斬撃の青い軌跡と、狙い通りの位置を猛進する獣人の黒い爪がぶつかりあう。
当然、セイリスは真っ二つに折れた。
勢いすら削がれることなく、まっすぐウルムの胴へ爪が迫る。避ければ次の手で殺される、最適な間合い。
……だが、右手一本での抜き打ちだ。斬撃の軌跡に隠す形で、左手には短剣を握っている。
爪の軌道上に置かれた短剣が、そのつばで勢いを逸らす。反動で姿勢が崩れる。
致命の一撃は防いだ。が、ウルムに次の一手がない。
次の一手がないのは獣人も同じはずだったが、しかし。
骨を折りそうなほど強引に体がひねられ、超常の角度から対処不能の一撃を放たんとしている。
顔の見えない影にも関わらず、その獣人の瞳が執念に輝いたような気がした。
ウルムはタイミングを見計らい、セイリスの向きを調整する。
異様な音がした。肉をまな板に叩きつけたような重苦しい音。
再構築されたセイリスの刀身が、まっすぐ心臓の位置に突き立っている。
「悪いな。こいつはそういう魔剣なのさ」
ウルムが剣をわずかにひねり、折る。折れた先の刀身が、一泊おいて青い粒子に変わり、心臓の位置に空いた穴が空気に晒された。
糸の切れてしまった獣の死骸がぱたんと地に伏せ、カゲと同じように崩れて消える。
強者であった。
尋常の剣で打ち合ったならば、敗者は逆であったろう。
だが、この〈絶壊剣セイリス〉は無情の魔剣だ。対処法を知らぬ相手を、ただ一度の機会で殺すことに特化している。
彼はセイリスを鞘に収め、空いた右手を胸元に当て、握りしめる。
「相手の存在を心に刻んだ」ことを意味する仕草だ。
「強かった。……おれは戦士の片隅にも置けない男だが、少しの敬意ぐらいは表させてくれ、名も知らぬ獣人、執念に燃えた闘士よ。安らかに眠れ」
ウルムは顔をあげて、周囲を見た。
いまだに枯れ木が立ち並んでいる。幻術の中。
「……どういうことだよ、カーン! こいつが術者じゃねえのか!?」
「ふむ……興味深い」
「んなこと言ってる場合か!」
カーンは顎に手を当てて、なにかを考え込んでいる。
「そもそも、この幻術の目的はなんなのだろうな」
「ああ?」
「私達を殺して金品を奪うとか、禁術の素材にするとかいう目的ならば、理の通らないところがあるだろう」
「……そういうことか。幻術を使って誰かを殺そうとするやつが、わざわざ森を枯れさせたり、現実との相違点を作るわけがねえな」
「術者が未熟ならば、意図しない変化が出てしまうのが普通なのだが。村ひとつを範囲に含む大規模な幻術となると、相当な準備がなされているはずだ」
カーンは歩き回り、周囲の魔力濃度を調べはじめた。
幻術は一般に、術者の付近で魔力が濃くなることが多い。濃度に差があれば、三角測量からおおよその位置を絞り込める。
「カゲというものは、生命力をすべて失い、それでも生きている人間だ。死んでも形を失わないほど強靭な魂を持った人間が、命もなしに魂のみで生き延びていると思えば間違いない」
「……あの村に住んでいた全員が強靭な魂を持ってた? そんなわけがねえな」
「そうだ、ウルム。あれらが村人ではない、という可能性も低いだろう。何らかの人工的なプロセスが関わっている」
彼は立ち止まりながら枯れ木の森をまっすぐ進んでいく。
どういうわけか、離れる方向に向かっていたにも関わらず村の正門前に出た。
幻術の効果だ。知っていた彼はまったく動揺せずに、そのまま村の中へと歩いていく。
「カゲそのものが幻術によって作り出された幻、という可能性は少ない。私が結界そのものを広げて一気にカゲを殺したのは、その過程を見るためだ。わかるか、ウルム」
「さっきまで私を守れだなんだと言ってたヘタレが、急に偉そうになりやがって……」
「専門だからな。こちらの領域では、私がお前を守ってやっているのだ。余計な事をするなよ」
「しねえよ」
「してたろう。つまり、いくら有能な術士が操っている幻術だとしても、多数のカゲの動作を操りきれずに破綻が出るはずだ。まったく同じ消え方をするような」
カーンは廃村のあちこちで立ち止まり様子をみるが、そのたびに顔が渋くなる。
魔力の濃度に差がないのだ。
「不自然な動作はなかった。あのカゲは幻ではない。あれらもまた、この幻術に囚われていた被害者なのだろう」
というより、この幻に幻らしいところが一つもない、と彼はひとりごちた。
もっとも、幻術というのはうまい使い手ほど幻を使わないものだが。
「ん?」
ふと、ウルムが崩れた家屋に歩み寄り、廃材をひっくり返して観察する。
「この廃村の廃れ方……不自然なとこがねえな。まるで現実の状態から、更に年月が経ったみてえだ」
「年月」
カーンが頷く。
「そう思える。だが、本当に年月が経っていたとするなら、あの枯れ木の森は奇妙だ。あの一様な枯れ方は、時間経過ではない」
「いや、これだろ! なにか……時間の流れ方に異常が起きて……そういうわけで、元村人がカゲになったのはつまり、なんか異常が……」
「幻術ではなく空間の異常というわけか。私達も一生ここから出られない事になるぞ」
「……却下だな」
カーンはまだ朽ちきっていない柱に身を寄せて、夜空を見上げた。
「だが、悪くない仮説だ。カゲが発生し、村が廃れ、森が枯れ、これが全て同一の原因によるものだとしたら……」
「現実でも村は廃れてたろうが」
「その通り」
彼は腕を組み、目を閉じる。恵体の彼がそうしていると、それだけで妙に堂に入って見える。
「ならば。現実で村が廃れるほどの時間、彼らは囚われていた、という可能性がある。私達がカゲ……と、あの獣のようなやつを全滅させたのは、彼らにとっても救いだったのかもしれないな」
「そりゃあ……悲劇だな。しかし結局、あの獣人はなんだったんだ。俺がまともにやって勝てねえ相手なんざ、そう転がってねえぞ」
「わからない。が、ひとつ分かった事がある」
彼は瞳を開いた。
「私達は怪物の胃袋の中にいる」
「……なんだと?」
「合理的な推論だ。人間の術者が、これほど長時間にわたって幻術を維持するのは不可能だ。魔力の濃度差が存在していない事からも、明確に術者は人外だ。あるいは自然現象」
ウルムの反応を見ながら、彼は続ける。
「森が枯れ、村の建物は朽ち、そして村人はカゲに成り果てた。共通するのは一点、生命力だ」
「命を怪物かなにかに吸われたってか?」
「そうだ。展開された幻の中で命だけを吸われるという特異な状況が、おそらく全員のカゲ化という現象を生んだのだろう。そして森は枯れ、木材もまた高速で朽ちた」
「俺たちも今、そいつに吸われてるってのか!?」
カーンは首を振った。否定ではなく、諦めのために。
「魔力の濃度から術者の位置を特定できないのなら、永遠に捕まえることは出来ない。私達を観察して、行く手から遠ざかれば、それで済む話なのだからな」
「待て。魔力の濃度に差がありゃ分かるのか」
「そうだが。どこにも差はないぞ」
「試してない場所があるだろうがよ。やっぱりお前は帝都の人間だな。型にはまってやがる」
ウルムはセイリスを担いだ。
「こいつの再構築は魔力が元だ。魔力が多けりゃ速度が変わる! なら、こうすれば……」
助走して、セイリスを投げる。夜空へ向けて、まっすぐに。
天高く打ち上げられたセイリスが、完全に速度を失うその瞬間に、飛来した矢が刀身を打ち砕く。
矢の尾が刀身を通り過ぎるよりも速く、刀身が再構築された。早い。
「上にいやがるな!」
術者が今もずっと上空にいたならば、地上の魔力濃度の差は微弱になる。
そして、夜空において化けられるようなものといったら……。
ウルムは弓を限界まで引き絞る。
そして、満月を撃ち落とした。
- - -
地響き。
それで二人は目を覚ました。
そこは廃村の正門前だ。
「おい、ありゃあ……」
「ウルム! よくやったウルム! 仮に私ひとりだったなら、その可能性に気づけたか……いや、上空への正確な攻撃手段が……」
「それどころじゃねえ! あれを見ろ!」
ウルムが指さした先には、地に身を横たえる傷だらけの竜がいた。
瞳にはウルムの矢が突き立っている。
空から落ちてきたばかりのようだ。周囲には粉塵が舞う。
「ドラゴンだとッ!?」
「命を吸われて、生命力だけあいつの胃袋に収まるところだったってわけだ……あ、おい待てカーンお前独り占めは卑怯だろッ!」
「素材……素材だ! 素材が私の研究費だ! おお、さらば、さらば、冒険の日々よ!!」
「宝は等分だろうがっ、半分この契約だろうがっ!」
二人は竜の死骸に駆け寄り、そこで硬直した。
あまりに醜い傷が多い。喉は切り裂かれ、翼は捻じくれて、胴体の鱗はほとんどが剥がされ、内蔵にまで達する傷が無数に刻まれている。
よほど執念に燃えた誰かが死闘を演じたに違いない。
「この傷跡……三本線が多い。武器は爪だろ。こりゃ、この竜を追い詰めたのは……」
「ああッ、ちくしょうッ!」
死体を検分するやいなや、カーンが叫んだ。
「使い物にならん! 魔力がない……鱗も死んでる、何もかもだめだ! 無傷の器官が浮袋しかない!」
「そりゃそうだろ? この竜は村が朽ちるほどの時間、ただ上空に漂って、幻術を展開して命を吸収し続けてたんだ。健康な竜がそんな事するか?」
「それは……それは、そうだが!」
「んな事したって、どうせ死ぬ運命だったろうに……まあ、なにか、理由があったんだろうさ」
大半の能力を失い、それでも辛うじて生き延びながえた、傷だらけの竜と。
死闘を演じ、幻術に閉じ込められ生命力を吸収されてもなお、戦闘への執念を燃やし続けた、ほとんど〈竜殺し〉の名もなき獣人。
彼らの物語を知るものは、この世界のどこにもいない。
「骨折り損のくたびれ儲けってな。しょうがねえだろ。冒険ってのはそういうもんだ」
「冒険がしたいわけではない……! 必要なのは研究費だ……!」
「なら俺と契約しなけりゃよかったのさ」
爪痕が刻まれた鱗の一枚を、ウルムは拾い上げた。すでに魔力は枯れ果てて、それは大きなトカゲの鱗にすぎない。
だが、どこかの酒場で物語の断片を語るためならば、十分に役目を果たすだろう。
〈了〉