鳥になった
私は原付バイク。
名前はスズキ、バーディー。
ホンダさんのところのスーパーカブのスズキ版と言えばわかる人もいるだろう。
今、トラックの荷台で揺られている。
ちょうどいい、少し昔話をしよう。
私の住まいは、とある小さな町で新聞屋を営んでいた木崎家。
店を立ち上げたおじいさん。
庭先で野菜を育てるのが好きなおばあさん。
いつも豪快に笑うお父さん。
近所の奥様方と井戸端会議に花を咲かせるお母さん。
そして一人娘のまおちゃん。
この五人家族。
あとは何人かの従業員。
住み込みの若者が多かったな。
おっと、犬のコロもいた。
こいつは酷い。
いつも私をかじってくる。
特に柔らかい場所は歯型まみれだ。
毎朝、毎晩決まった時間に配達の仕事をした。
雨の日も雪の日も。
私はそれほど寒さを感じないからいいが、従業員の皆さんには頭が下がる思いだ。
何台かの仲間がいたが、私だけは配達以外のお手伝いをさせてもらっていた。
はじめのうちはおじいさんがタバコを買いに行ったり、お父さんが競馬に行ったりちょっとした用足しだった。
それが変わったのは、娘のまおちゃんが原付の免許を取ってからだ。
動機は実に不純。
友人の紹介で知り合った、隣町の学校へ通う男子に会うためだ。
お父さんには免許を取るにあたり、家の仕事を手伝うためと言ったそうだが。
何はともあれ、これを機に私は初めて違う町へとでることとなった。
どこの馬の骨ともわからぬ男子と大切な家族であるまおちゃんが会っている間は気が気じゃなかったが、私に出来ることはちゃんと家に帰れるよう、規則正しくエンジンを動かしていくことだけだ。
そんなある日、いつもの逢瀬に使う道の途中でまおちゃんは止まった。
目線の先には例の男子。
傍らにはしなだれ掛かる女子。なんとふしだらな。
そのままエンジンを止め、私を押しながらとぼとぼと歩き出す。
家まで結構時間がかかった。
それからの数日、まおちゃんが私に乗ることはなかった。
それもそうだ。目的の男子にはもう会う気にならないだろう。
仕事とは違った走る楽しみを知ってしまった私としては少し残念だったがしょうがない。
自分を納得させた。
雨の続く時期を終え、そろそろセミの声が聞こえだそうという頃、久しぶりにまおちゃんが私に近づいて来た。
手には大きな箱を抱えている。そしておもむろにくくりつけた。
家族へ出がけの挨拶をしている。
それに対し家族はやけに念入りに気遣っている。
走り出したまおちゃんは止まらなかった。
おじいさんの行くタバコ屋も、お父さんの行く競馬場も、あの男子の住む町さへも。
何日も野宿をしながら沢山走った。
あの日あんなにも落ち込んで無気力に見えたのに。
失恋とは不思議なものだ。
一つの喪失が、こんな大きなエネルギーを生むなんて。
辛かっただろうけど、まおちゃん、今君は素敵だよ。
そう伝えたかった。
長い旅を終えて日常が戻り、いくつもの季節が流れた。
はじめにコロが死んだ。
生きてるうちは毎日かじられ迷惑していたが、私によってできる日陰にねころぶ姿を見るのはそれほど嫌でなかったと思い返される。
それからおじいさんが亡くなった。
大きな病気をすることもなく最後を迎えられたので、沢山の人が集まりお祝いのようなお葬式だった。
嬉しいこともあった。
まおちゃんが結婚したのだ。
今度は誠実そうな男のようで、私も安心した。
今では双子のお母さんだ。
本当に安心した。
それから覚悟を決めた。
お父さんが皆を集めた。
店をたたむと、そう伝えた。
誰もが納得済みだったようで、口々にお疲れ様と言い合っていた。
そして今、揺られている。
私もだいぶ老いた。
他の大きなバイクのように磨き上げられて店頭に並ぶということは、もうないだろう。
何か違うものへと生まれ変わるか、使える箇所だけ順々に外されていくのか、今後の事はわからない。
ただ一つ言えることは、私としての生はここでおしまいということだ。
悲しむことはない。私は充分すぎるほど幸せだった。
だからこれでいいのだ。
さて、それじゃあ私は眠らせてもらうよ。
少し話疲れてしまったようだ。