始まり
「代永さん、資料、机の上置いておきました」
「代永本部長、次の会議が20分後から第二会議室でおこなわれます」
「代永さん、今日の夜飲み会どうっすか!?」
「代永、明日の出張だが、急な話で悪いが君にもきてもらう」
「本部長、少しお話ししたいことが・・・。今日の夜お時間いただけませんか?」
「代永さん」「代永本部長」「代永」
「・・・」
「・・・!代永さん!」
「・・・?」
・・・どこかと思えば、ここは病院か。
ええと、確か、会議に向かって・・・
「代永さん、あなた会議中に倒れたんすよ!無茶しすぎです!」
あぁ、すまない・・・
「ーーー」
「え?」
「ーくーちーー・・・てぃーーぉー・・・?」
「なに言ってんすか!明日の出張なんて行かせられないっすよ!取締役には僕から言っておきましたから!」
「・・・ぁまり大きな声ぉださないぇくれ・・・」
「あ、すいません・・・」
代永 琴巳、本年34歳。
某有名国立大学、大学院出身。国内有数の大手企業TOXILに23歳で就職後、さまざまな功績を次々と立て、34歳にして本部長へと登りつめた、いわばエリートである。
また、眉目秀麗で高身長、性格はいたって真面目な完璧エリートであった。
そんな何につけても非の打ち所がない彼、代永 琴巳本部長は今日ーーー
白目を剥いて大勢の社員の前でぶっ倒れた。
「恥ずかしい・・・」
「まぁまぁ、大事に至らなくてよかったっすよ」
「いつ退院できるんだ?」
「3日は安静にしとくべきだそうっすよ」
「そうか・・・」
「あ、いま、それなら明日退院しても大丈夫だなとか思いましたね?ダメですよ、安静にしててください」
「・・・なぜそう構う、俺なら大丈夫だ」
「大丈夫じゃないからこんなことになってんでしょー?困っちゃいますねー、琴巳ぼっちゃんは」
「やめろ長門・・・」
そんな代永に軽い調子で話すこの男ーーー長門 大幸は、代永と同い年の同僚 兼 部下だ。部下といっても部署は違うのだが。
「じゃあ俺、仕事戻りますね。ちゃんと休んでてくださいねー?」
そう言った長門が病室を出てから1時間が経とうとしていた。
代永は病院の中庭を一周散歩したあと、特にすることもなくなって病室に戻ってきたところだった。
(なんだ、割と大丈夫だな。資料も読める、歩くこともできる。違和感だってない。長門は放っておいて大丈夫だな、あいつは少し心配しすぎる所があるから・・・)
そうして、長門の忠告をスルーして会社に戻って仕事を始めた代永が、またあの白く、薬品の匂いが染み付いた部屋に戻るのはそう時間が経ってからではなかった。
「・・・すまない」
「馬鹿ですか?」
「いけると思ったんだ」
「いけるわけないでしょう!?お前ほんと馬鹿!?・・・ごほん、失敬。代永さん、貴方はもう少し休むべきです」
「大丈夫だ、2日、2日だけ休めば復帰できる」
「代永さん・・・そのエリートと呼ばれ天才とも言われる脳内には何が詰まってんですか?え?馬鹿ですか?何度も言わせないでください、ここで休んでろ」
「だが」
「そうです、休んでいてください」
「そう言われてもーーーえ?」
長門の説教を嫌々聞いていた代永の耳に、聞き慣れない、凛と澄ました声が届いた。
病室の入り口には、スーツを着て黒髪を後ろで束ねた美しい女性。
混乱する代永を置いて、長門は嬉々とした様子でその人に近寄っていった。
「おっ、きたきた。俺が呼んだんすよ」
「初めまして、わたくし・・・」
「わたくし、ニートアドバイザーのマキと申します。本日より、こちらの長門様から依頼を受け、代永様のニート生活を1からサポートさせていただきます」
「え・・・?ニート?って、」
「そう!代永さん、貴方は仕事しすぎです。なので少し休んでてください!」
「あぁ、この3日間の話か・・・。そういうことなら、すまないね、よろしく頼むよ」
「いえ、担当依頼を受けた期間は6ヶ月です」
「・・・は?」
長門を見てもニコニコしているだけ。
マキを見ても無表情で見ているだけ。
「無理だ!そんなに休んでしまったら仕事が「それそれ、それ病気だよ。お前ほんと休め。仕事なんてめんどいって思うくらい休め」
「そんな無責任に!長門、さすがにこれは怒るぞ!」
「1万人」
代永が険しい顔を長門に向けた時、マキはそう言い放った。
「過労で死に至った人の数です」
「え・・・?」
「失礼ですが代永様、今の貴方は仕事を完璧にこなす人ではありませんーーーただの仕事に取り憑かれた人です」
「なっ!そんな言い方っ・・・!」
「まぁまぁ、俺は正しいと思いますよ?兎にも角にも、お前はもうニート路線を突っ走れ!」
「そんな・・・」
「代永様、現在の貴方に拒否権はございません。貴方様の会社の代表取締役には許可をいただきました」
その言葉を聞いて、代永は世界が暗転するのを感じた。
(そんな、俺は、今まで、なんのためにーーーーー)
数分黙った代永は顔を上げ、マキを見つめた。
「わかった。今の俺にそれが必要だというのなら、そうしよう」
「うわ代永さん、堅っ!」
相変わらず調子の軽い長門を睨むと、代永はマキに向き直った。
「よろしくお願いします」
「はい」
「私が貴方のニート生活を完璧にサポートして差し上げます」
こうして、代永のニート生活はスタートした。