わんちゃんといっしょ ~チョコレートは愛の味~
ある日のお留守番。
今日はマスターがお出かけだ。二人は黙ってテレビを見ていたが、次第に飽きてしまい、テレビを付けたまま寝床へ戻った。そんな暇な時間を持て余していた時だった。
シロは緊張の面持ちで手の中の箱を握っていた。白いバスマットの上に正座したまま、じーっとその箱を眺める。誰も見ていないテレビの小さい音だけがリビングに虚しく響いていた。
「なんだよ、それ」
いつもの寝床からクロが声をかけた。しかしシロはそれを無視して箱を見つめている。その箱には可愛らしいキャラクターがカラフルに描かれていた。
「……」
無視されたクロが、しびれを切らして近付いてきた。シロは警戒した様子で、手の中の箱を握って隠す。
「何を隠してる」
クロは、シロの背後から威圧的に言う。シロは黙って首を横に振った。
「あなたには関係ありません」
「ふん……別にどうでもいいぜ。でもお前、一時間くらいそのまんまじゃねぇか」
「……」
「なんかあるなら言えよ。別に取ったりしねーから」
「本当ですか?」
「ひでぇな。一応、相棒だぜ? 今のところは」
シロは少し迷ったようだが、意を決して手の中のものを見せた。
「これです!」
「……なんだこれ」
「チョコちゃんです!」
「チョコちゃん?」
「はい!」
シロはなぜか得意げになって言う。
「マスターが幼少の頃、大好きだったというお菓子なのです!」
「へー……で?」
クロは冷めた目をした。しかしシロは真顔でチョコちゃんを見つめる。
「これを……食べるか、どうしようか、迷っていたのです」
「はぁ……?」
あっさりクロは言う。
「食えよ」
背中を押してもらったにも関わらず、シロの表情は晴れない。
「そうなのですが……ちょっと勇気が出ないのです」
「勇気? なんでそんなもんが要るんだよ。せっかくマスターが買ってくれたんだろ?」
「あなたも、これを見ればわかると思います」
するとシロは、小さな箱を傾けて、中身を一つ取り出した。人差し指と親指でつまむ。
「これです」
「……なんだその、クソみてーな色は」
「ひどい!!」
シロは涙目になって抗議した。
「これは食べ物なのですよ!? しかもマスターが大好きだとおっしゃっていたものです!! なんて事を言うのですか!!」
「でも、その色のせいで勇気が出ねーんだろ?」
「う……」
「しかも金玉みてーな形だしな」
「こ、これは! 私が手に持っていたから、ちょっと溶けて……くっ付いてしまっただけです! 本当は球体なのです。ほら、このように……」
シロの手によって、二つに分かれた丸いチョコだが、溶けたチョコが指についてしまった。
「ひぃ! 何か汚いのが付きましたぁ!」
「今、汚いって言ったな?」
クロは皮肉に笑った。
「でも、そういうやつテレビで見たじゃねーか。チョコレートなんだろ? みんな美味そうに食ってた」
しかしシロは、汚れた指を気にしながら言う。
「に、匂いは、良いのです。甘い匂いがします。ほら……」
クロはくんくんとパッケージの匂いを嗅いだ。
「ああ、いい匂いじゃねーか。食えよ、美味そうだし」
「……」
シロはじーっとクロを見つめた。
「なんだよ」
「あなたが先に食べてください」
「はぁ? なんでだよ」
シロは無理やり声を低くして「ウマそうだし」クロの真似をした。
「と言いました。そう言ったからには、おいしそうだと思ったのでしょう? では食べてみてください」
「ふざけんな。てめーで食え」
「うー……」
シロは汚れた指を気にしている。
「珍しく大人しいと思ったら、そんな事かよバカバカしい」
「……本当は、怖いのではありませんか?」
「は?」
シロは冷めたようにクロを見つめて言った。
「こんな色をしたお菓子を平気で食べる人間が」
クロはじろりと睨み付ける。
「なんだと?」
「あなたには恐れがあります」
ふいっとシロは顔を背けた。
「常に恐れていますね。マスターの事も、私の事も」
「……おい、取り消せ。誰が誰にビビってるって?」
「あなたです。何がそんなに恐ろしいのでしょう。私やマスターが、あなたをいじめるように見えますか」
「……俺を怒らせんな」
シロは横を向いて嘲笑した。
「あなたは、そうやって身を守ってきたのですね。お可哀そうに」
「てめぇ……!」
クロが怒りの声をあげた瞬間、シロがポイッと口の中にチョコレートを放り込んだ。
「!?」
クロは思わず口を閉じたが、すでに遅かった。奥まで入り込んでしまい、慌てて口から出そうとする。
「うえっ……! なにすん……てめ……!」
しかしすぐにクロの動きは止まり、モグモグと口を動かした。
「どうですか? どうですか?」
その間シロはウロウロしながら、せわしなく観察する。
「……まずい」
「え?」
クロは嘲笑した。
「はっ、こんなマズイもんを喜んで食ってる人間が知れねぇな」
シロはじーっとクロを見て黙り込んだ。
「やめといた方がいいぜ。見た目通りクソみてーな味だ」
「……」
「食わねぇなら捨てろよ」
「……」
「なんだよ。俺が捨てといてやろうか?」
「……」
「ほら、よこせよ」
手を出したクロに、シロは慌てて箱を後ろに隠した。
「う、嘘です。あなたは嘘をついています!」
「なんでわかるんだよ」
「わかります! あなたは喜んでいます!」
「はぁ? 何言ってんだ。親切に捨ててやるって言ってんのに」
クロがずいっと迫ってきて、シロは後ずさりした。
「結構です。こっちに来ないでください」
「遠慮すんな」
「いや、やめてください!」
「いいから、よこせ!」
「いやぁ!」
クロはシロを追いかけ回した。
リビングで走り回っていると、玄関から誠の声がする。
「ただいまー」
「あぁっ、マスターです! お出迎えを!」
そう言った瞬間、クロがお菓子の箱を奪った。
「やめて、やめてください!!」
シロの叫びも虚しく、クロは一気にざらざらとチョコを口の中に全部入れてしまった。
「あ~~~っ!」
愕然としたシロをよそに、ボリボリと音を立てて噛み砕いている。
たった一口で、一箱を平らげたクロ。
その光景に衝撃を受けたシロは、一気に涙目になった。
「私のチョコちゃんが~~~~っ!!」
シロはリビングで崩れ落ちた。クロは意地悪く笑った。
「……量が足りねぇなぁ」
「マスタぁぁ……っ!!」
うわぁーと泣いていると、慌てて誠が入って来た。
「ど、どうしたの?」
「ひどいのです、クロが、クロがあぁ~~~!!」
指を差したシロに、クロはそっぽを向いた。
「べつに何もしてないぜ?」
誠はじーっとクロを睨んだ。
「くーろー……何したの?」
「親切に処分してやっただけだ。食えなくて困ってたみてぇだからな」
「私のチョコちゃんが、私のチョコちゃんが~~~!!」
はー……と、誠は大きなため息をついた。
「まったくもう……子供じゃないんだから」
泣き崩れるシロの頭を、よしよしと撫でて言う。
「まだ食べてなかったんだね。結構前にあげたから、もうとっくにないと思っていたよ」
「うぅ……ごめんなさい……勇気が出なくて……でも、その前にクロが全部……」
「勇気……必要だったんだね。知らなかったよ」
しかし誠はすぐに、手にしていたカバンの中から、新しいチョコちゃんを取り出した。
「はい。今度はクロに取られる前に食べてね」
「ま、マスター……!」
シロは目を輝かせて、両手でそれを受け取った。
「気に入ってくれたなら、またあげようと思って。いらなかったら僕が食べるし」
「あ、ありがとうございます~~~!」
シロは泣きながら誠に抱き付いた。
「ぐすっ、やっぱりマスターはお優しいです。クロは意地悪なのです」
「お前っ……無理やり俺に食わせたくせに!」
「あなたが全部食べたのです! 嫌がる私から無理やり奪って……! ひどい!」
「ふざけんな、俺を実験台にしやがって! だったら最初から自分で食えば良かっただろ!?」
「やめてよ、二人とも」
誠は呆れたように言った。
「クロ、もうシロをいじめないで」
「はぁ? 俺が悪いのかよ。こいつだって俺に無理やり……」
「お願いだから、やめて」
「……っ」
クロは怒りに顔をしかめた。
「やっぱり俺が悪いのか。全部俺のせいか」
「そんな事言ってないよ」
「そうだろうが!」
「クロ……」
クロは痛みを堪えるような顔をして横を向いた。
「結局そうだよな。先に泣いて、先に甘えた奴が勝ちなんだ。被害者面しやがって」
誠はまた大きなため息をついて、シロの頭を撫でた。
「シロ。ちゃんとクロに謝って」
「え……」
涙に濡れた瞳でシロは誠を見上げた。
「君はクロに悪い事をしたんだ。そうでしょう?」
二人は黙って誠を見つめた。
「クロだけが悪いわけじゃない。ケンカをするからには、両方悪い事をしたんだよ」
茫然とシロは言う。
「マスター……」
クロは何も言わなかったが、腕組みをして横を向いた。
「クロも。シロに謝って」
「は?」
「君がシロのものを食べちゃったんでしょう?」
クロは冷たい目をしてシロを指差した。
「こいつが俺に無理やり食わせたんだ!」
「でも全部食べるなんて、ひどいです!」
「二人とも、いい加減にして」
クロは腕組みをしたまま、ぷいっと横を向いた。
「俺は謝らないからな」
「そう」
すると誠は優しく言う。
「しょうがないねぇ。じゃあいいよ、謝らなくても」
「!」
クロは驚いたように誠を見た。
「シロも謝らなくていいからね」
「い、いいのですか?」
「別にいいよ」
なんてことない、といった風に誠は笑った。
「ただし二人とも約束してね。同じ事はもうしないように」
「……?」
二人は不思議そうに首を傾げた。
「シロは、もう無理やり食べさせちゃダメ。クロは、シロのものを取っちゃダメ。いいね」
二人は困ったような顔をしたが、すぐに頷いた。
「……わかりました」
「……わかった」
誠は満足そうに笑った。
「ん。じゃあ、これでこの話は終わりね。もうこの事でケンカしないように。夕食どうしようかなぁ」
カバンを持ち直した誠は、自室へ入った。残された二人は、自然に顔を見合わせたが……ふん! と同時に顔を背けた。
その夜。
シロは嬉しくて、新しいチョコちゃんを見つめていた。
「おい」
クロが寝床から声を掛ける。シロは慌ててマットの下にそれを隠した。
「隠すな。もう取らねーよ」
「あなたはもう信じられません」
「それより溶ける前に食えよ」
「それが……」
「なんだよ」
シロは嬉しそうにチョコちゃんを取り出した。
「今度は、もったいなくて」
「……」
クロは呆れたような表情をする。
「マスターが私のために買ってきてくれたのです。嬉しくて」
「ふん……本当は怖いんだろ」
「え?」
「クソみてーな色してるからな」
「やめてください!」
クロはふっと笑った。
「食ってみろよ。わりと美味かったぜ」
「……本当ですか?」
「なくなっちまっても、またマスターが買ってくれるじゃねぇか」
クロは穏やかに言った。
「お前って愛されてるよな」
シロは冷たい目をした。
「まるで自分が愛されていないかのような言い方ですね」
「俺には買ってくれなかったぜ?」
「あなたは子供扱いされるのを嫌うからです。これは子供のお菓子ですから」
「……」
クロはなんとも言えなくて視線をそらした。
「マスターは不思議なお方です。なぜわかるのでしょう。私がこのような絵を好む事、あなたが子ども扱いを嫌う事を」
「なぁ……なんかあいつ、変じゃねぇか?」
するとシロは、キッとクロを睨んだ。
「マスターの悪口は許しませんよ!?」
「違う、なんか特別だって言ってんだ。普通は命令使って、ケンカした俺たちに謝らせるはずだ。その方が自分が納得できるからな。でもあいつは違う……俺たちを……」
クロは悔しそうに頭を抱えた。
「くそっ、なんて言っていいのか分からねぇ」
しかしシロには通じたようだ。シロは考えながらも頷いた。
「……そうなのです。無理やり謝らせるよりも、もう二度と同じケンカを繰り返さない方が良いと、ご存じなのです」
「……」
クロはしばらく沈黙した。
「……その……悪かったな」
「え……?」
クロはため息交じりに力なく言った。
「……羨ましかったんだ。簡単にマスターに甘えられるお前が……」
「……」
シロはチョコちゃんを握り締めて俯いた。
「……私も、すみませんでした。嫌がるあなたに、無理やり――」
「もういいから食えよ」
クロは照れたように横を向いて、強引に言葉を割り込ませた。
シロは手元に視線を落とし、はい……と微笑んだ。
いよいよ、この時が来た。
シロは恐る恐る、一粒取って……息を止めると、「えいっ」と目を瞑って口に入れた。
「あ……甘いです~!」
頬を押さえて、ぱぁぁ……と喜びオーラを全開にした。クロは苦笑する。
「だろ?」
「まさかこんなに美味しいとは!」
「そこまでじゃねぇけどな」
シロは四足のまま、クロに寄りつつ抗議した。
「そんな事はありません! これはきっと愛の味です」
「は?」
シロは輝いた瞳で、じっとクロを見つめた。
「愛おしい匂いがします。きっと子供が喜ぶようにと、わざと甘くしてあるのです。愛する子供に食べさせるために開発されたのでしょう!」
「言ってて恥ずかしくねぇか?」
シロはクロを無視して笑った。
「一緒にいただきましょう」
「……いいのかよ」
「マスターからの愛は平等にいただいているのですから。これも同じなのです」
クロはバカにしたように鼻で笑った。
「は、平等?」
「ええ。どんなにあなたが疑っても、事実は変わりません」
シロは一粒取り出して、クロの口元に持って行った。
「マスターはあなたを愛しています。私と同じくらい」
「……」
クロは少し戸惑ったようだが、舌でチョコレートを受け取った。
「愛の味……なぁ……?」
シロは満面の笑顔で言った。
「美味しいでしょう?」
「……ふん」