差別宇宙サーカス24
人が狂うという事は実際自分が狂ってみて、その意味が初めて分かると言うのは断言出来る理なわけで(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/諸兄よどう思う(^0^)/お笑い草か(^0^)/
ここで一つ言っておくと(^0^)/
今現在進行しているこの小説の形態は、本題にそくし、あくまでも私の私小説(笑)妙ちきりん的な著しでありるという事だ(^0^)/
世間全体が狂っていて、私一人が正気(笑)だとは(それを証明する証左が無い(笑))以上鑑定(笑)不能な(笑)わけだ。
ただ私は精神障害の記号?レッテル?を貼られたろくでなし翁であり、そのろくでなし翁にも狂気の断片と言うか内側に妙に覚めた部分(笑)があり、その部分で周囲を見渡し、己の身体を防御し、命の危機回避(笑)をしているに過ぎないわけだ(^0^)/
人が狂うという事は実際自分が狂ってみて、その意味が初めて分かると言うのは断言出来る理なわけで(^0^)/
そしてもう一つ私のこのろくでなし文章のろくでなしの証明なのだが(^0^)/
私は家族の中で精神障害者である己を守る為に(笑)その障害者的覚めた?(笑)見地から家族の日常生活の中にちりばめられている差別構造的狂気や(笑)おっとりとした慈愛の切り口を調整しつつ、時として防御としての沈黙や怒りを堪える辛抱、あるいは悪意無い演出としての子供に対する父親としての調整叱責(笑)をして、癒し系慈しみに触れて、自己満足微笑んでいる次第であり、これはあくまでも私流個人家族単位の処世訓の鋭意披露であり、けして狂気の何たるかを悟り、それによって身内ではない他人の精神障害を治す意味合いを示唆しているわけでは無いと言う事だ(^0^)/
だが結果として(笑)この文章を書く事に依って一般?健常者?(笑)世間に蔓延している障害者に対する差別偏見蔑視構造意識に風穴が空けば、それはそれで僥倖と言えるのだが(^0^)/
だからと言って、一歩積極的に進み出て、障害者達の病を己の病体験にそくして実践治癒させようというボランティア精神的姿勢等は、このろくでなしあほ馬鹿翁には無いと言い切れる(笑)わけだ(^0^)/
まあもっとはっきりと明言すれば、私のようなあほ馬鹿ろくでなしピエロむさいジジイには自分の頭の蝿を追い払うのが精一杯であり、自ら進んで他の障害者を救ってやろうと考える博愛主義一辺倒のボランティア精神は無いと言えるわけだ。(^0^)/
世の中には本当に自分を無私にして博愛精神に燃え盛る木徳な人が随意いる事は私も知ってはいるのだが、私のような嫌な性格(笑)のろくでなしピエロジジイに出来る事は、こんな雑文を描く程度の倣いなわけだ(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/
諸兄よどう思う(^0^)/
お笑い草か(^0^)/




