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第一篇 誇り高き司令塔 10 大島英人

2017/12に大幅改稿しました。

 二一世紀――世界は驚愕した。

 白い巨人に敢然と立ち向かう、黒き勇者たちと王の姿に。

 上都シュトルツ。

 後に奇跡のチームと称される上都シュトルツは二〇世紀の終わり、正確には一九九八年。

 市民クラブとして細々と発足した。


 誰も予想していなかった。


 ──二十年も経たずに世界の強豪と渡り合う舞台に立つことを。


 ──小学校のグラウンドで薄暗い照明を浴びながら、仕事終わりに練習する光景が一変することを。


 ──極東、そのまた田舎のクラブに、サッカーの神に愛された選手たちが集いプレーするなんて。


 誰も、かんがえていなかったのだ。

 オーナーを除いては。


 今、この時になってこのクラブの歴史を紐解いていこうと、私は筆を執る。


 語り飽かされたサッカーの神々に愛された選手たちではなく、道なき道を切り開いた者達を称えるために。




第一篇――誇り高き司令塔 10 MF 大島 英人




 シュトルツを語るにおいて、その先陣を担うのはこの男しか私には考えられない。

 古くからシュトルツを知るサポーターの多くも、クラブの歩みを語るなら彼をおいて他にないと考えるのではなかろうか。


 男の名は、大島英人。


 関東2部リーグ時代からシュトルツに加入した大島は21歳から17年間、シュトルツの司令塔としてその役割を果たした。

 県リーグ、関東リーグ、地域リーグ決勝大会、JFL、J2、J1……道程の途中からは一年でのステップアップを繰り返し、加速し続けていた当時のシュトルツにあって、この在籍年数は異端である。

 実際、関東リーグ時代からJ1昇格時に残っていたメンバーは大島と、アギール=ルイス(後に述べる外国人ドリブラー)だけなのである。

 この一事からも彼が如何にシュトルツというフットボールクラブに必要な人材であったかがくみ取れる。

 しかしそんな彼のプレースタイルは、現代サッカーとは一線を画すスタイルであった。

 一人の人間が極端に重要なタスクを割り振られる事が無くなった代わりに、攻守両面に献身を求められる現代サッカー。

 そんな現代サッカーにおいて、動かない、守備に奔走しない、孤高のトップ下。

 大島がシュトルツに加入した当時でさえ排斥され始めていたプレースタイル――【王様】が大島のスタイルであった。

 トップ下に位置し攻撃のタクトを振り、アイディアを一手に引き受ける、現代サッカーの異端児。

 彼のスタイルは正にそれであり関東リーグから世界まで、一貫してそのスタイルを頑ななまでに貫き通した。


 ――余談ではあるが、創世記の上都シュトルツにはいわゆる「ユーティリティプレイヤー」が非常に少ない。

 良く言えばスペシャリスト、悪く言えば不器用な選手達ばかりが集っていたのが創成期のシュトルツというクラブなのである。


 閑話休題。

 シュトルツでの大島は、思う存分にタクトを振るった。

 中央に待ち構える彼にボールを渡せばこのチームは強かった。

 世界レベルで見れば平凡なテクニック、相手ディフェンダーを置き去りにする圧倒的なフィジカルもない。

 それでも彼はシュトルツの王様でありつづけ、ピッチの上を付き従う十人の兵士達を率いて勝利してきた。

 後のキャプテン中杉竜矢が、ルーキー時代に答えたインタビューの一節を紹介しよう。


「えーさん(大島英人のクラブ内での愛称)がね、10番なんですよ、シュトルツは」


 入団間もない後輩に崇拝の念すら抱かせるほどに、大島はあくまでシュトルツな――誇り高い――男だった。



 さて。在籍年数が異端、スタイルが異端と続けて来た。しかし彼にはまだ異端が存在する。

 それは入団への経緯である。


 大島英人のサッカー史はイコール、チームメートや監督とのぶつかり合いの歴史でもある。

 中学、高校と(彼の学生時代にはユースというシステムは殆ど態を為していなかった)妥協を許さない性格の上に【王様】のサッカースタイル、彼の出すディフェンス陣を嘲笑うようなギリギリのスルーパスを理解し感じ取れるチームメイトはおらず、大島はピッチの上で手足ををもがれた王として足掻き続けていた。

 幾ら絶好のパスを通そうと、上手くもない守備に奮戦しようと、県大会すら突破できなかった中高六年間で、彼はサッカーを楽しむ事を忘れてしまった。


 ――何の為にサッカーをやっているのか。


 そんな自問に答えを出せず、大島は高校卒業と同時にサッカーを辞め、実家の花屋の後を継ぐことにした。

 ここに大島英人の第一の選手生命は、終わりを迎えたのである。


 花屋の仕事は忙しかった。覚える事は幾らでもあったし、やらなければならない事もそれこそ山ほどある。

 そんな忙しさの中に身を置きながらも大島の脳の片隅にはいつも白と黒のボールがあった。

 脳裏に浮かんだそんな残像を忘れようとすればするほど彼は花屋の仕事に精を出す。

 その働きぶりは両親がやる事がなくなるほどだったという。

 そんな悶々とした日々を過ごしていた彼に訪れた転機は、意外な人物がもたらした。


「大島先輩。世界一になりましょう」


 ある日、いつものように花屋のエプロンを着け、店先に立っていた大島に一人の男が訪ねてきた。

 右足を引き摺り歩く、大島の高校時代のサッカー部の先輩であった。

 唯一と言ってもいい、大島の考えに賛同してくれる男であったが、怪我でサッカーへの道を断念した男。

 彼は花屋で働く大島を驚きの目で見た後、そんな一言を朗らかに告げた。


「バカか、俺はもうサッカーは止めたんだ」


 そう吐き捨てて仕事に戻ろうとする大島の後ろ姿に、先輩は声を張り上げる。


「アホか。お前が今更サッカーを止めれる訳がないだろ。サッカーに惚れて惚れて惚れぬいてるお前が」


 自信満々に告げた先輩はその後毎日毎日花屋を訪れ、大島を説得した。それが半月を超える辺りで、遂にさすがの大島も降参した。

 もとより、発足したばかりのシュトルツの名ばかりオーナーとなった先輩の言う通り、大島にサッカーを止めるという事は出来なかったのだ。

 サッカーを愛してしまったバカであるがゆえに。

 こうして三年のブランクを経て、大島の第二のサッカー人生が始まる。



 先輩であり、オーナーである彼は大島に忠実な兵士を用意した。

 中高とチームメートに恵まれなかった大島には存在しなかった、頼れる仲間達。

 無論、県リーグの底辺からスタートする零細クラブが拾える選手達である。

 ある者はフットボーラーとしては老齢に差し掛かっていたり、メンタルに破滅的に問題を抱えていたりと、未来のシュトルツに在籍する完全無欠の選手達とは比べるべくもないレベルの選手達である。

 しかし長年シュトルツで【王様】としてプレーし、県や関東リーグで並び立つ物のない才能を見せつけていた大島は、当時をこう語っている。


「あの時のチームは、ド下手ばかりだったが。勝利への執念だけなら、世界に通用した」


 そう大島が語る通り、長丁場のリーグ戦を戦う上での層の薄さ、酷暑、日によって異なる練習場、スポーツ少年団として活動するサッカー少年達の横で練習する事もあった環境などなどの逆風をものともせず、シュトルツは県リーグを、更には関東リーグも駆け上っていく。


 その原動力である大島に、注目が集まらないわけがない。

 古臭いプレースタイルこそ眉を顰めるものの、天皇杯でJクラブを相手にも輝いた彼を見て、公式非公式ないまぜに幾つものオファーが舞い込んだ。

 だが、大島はその全てを一顧だにせず蹴った。

 特に騒がれたのはJFLでHANDA、仁川の二大アマチュアクラブを打ち破り、優勝を飾った年のオフシーズン。J2昇格の立役者として破格の年俸と待遇を約束した古豪エルフシュリット五反田からのオファーすら大島は蹴った。

 交渉のテーブルにすら着かない大島の姿勢に、番記者たちは頻りに(昇格当時はJ2でも弱小と目されていた)シュトルツに在籍する意味を聞いた。


「借りを返していないからな」


 大島は一言だけ告げると、にぃ、と笑ったという。



 そして、J2昇格初年度。

 シュトルツは旋風を巻き起こす。

 前年J1か降格していたガンビーノ難波を開幕戦で撃破すると、あれよあれよと連勝を重ねて行ったのだ。

 そんなミラクルチームに於いて大島は、思う存分に羽ばたいた。

 中央の彼にボールを渡せばこのチームは強かった。世界レベルで比べれば平凡な才能でも、それでも彼は【王様】なのだ。

 ズレたパスは快足だけが自慢のウインガーが無理矢理追い付く。

 寡黙な大島の敵味方双方へのキラーパスを受けようと何度も走り続けるフォワード。

 守備が不得手な大島をサポートする中盤。

 堅実というには危なっかしく、けれど懸命に身を投げ出して守り続けるディフェンス陣。

 そんなチームメートの信頼に、【王様】大島英人は応え続けた。


「えーさん(大島英人のクラブ内での愛称)がね、10番なんですよ、シュトルツは」


 当時17、8だったルーキーに崇拝の念すら抱かせるほどに、大島はあくまでlシュトルツな(誇り高い)男だった。

 FWにスルーパスを供給し続けた。

 好きでもない守備を懸命に居残りで特訓した。

 世代交代が進み、ベンチを暖める機会が増えても黙々と練習を続けた。


 時は過ぎる。

 年齢が、積み重なっていく。


 大島がキャプテンで【王様】となり、絶対王政を敷いていた弱小チームはいつしか「奇跡のチーム」と言われるようになり、J2を一年で昇格、J1も何と昇格一年目で制すると言う偉業を成し遂げ、常勝チームへと変貌していた。

 それは歓喜の連続であったけれど、逆に焦燥の連続でもあった。

 世界水準になったシュトルツに入ってくる新人達はサッカーの神に愛された男達ばかり。

 ただ一方的にサッカーに恋慕している自分よりも、全ての次元で上を行く彼らを育てていきながら、大島は何度影で彼らを羨んだだろう。

 パスの視野は広く、蹴れば鋭く、ブレない正確さ。吸い付くようなドリブル、キーパーの手を弾き飛ばす強烈なシュート。どれも大島にはない武器だ。

 フィジカルトレーニングは若手時代よりも追い込んでいるのに、数値が下降線を辿り始める。

 スキルも、フィジカルも、このチームの【王様】に相応しからぬのではないかと思い悩んでいたと、後に大島は語っている。


 そしてとある年度、リーグの趨勢が決まった、とある試合後。

 この日、久し振りにスタメン出場した大島は【王様】として君臨する時代が終わったと感じた。往年のキレが残っていない自分がトップチームに居座る事で新人達の芽を摘まない内に。

 大島は決意を持ってクラブハウスを訪れる。


「なあ、オーナー。そろそろ、プロを辞めようと思う」


 大島の決意は固かった。

 翻意が無理と悟ったオーナーは、これを選手達に報告。

 若く、サッカーの神に愛された選手たちは、奮起する。

 【王様】に相応しい舞台を。

 「えーさんに相応しい舞台を!」を合い言葉に、チームは一丸となった。

 リーグ三連覇をリーグ新記録の速さで決め、国内カップ戦を制し。

 中東の笛を蹴散らし、つかみとった舞台。

 彼らは【王様】大島英人の晴れ舞台を用意した。


 クラブワールドカップ、決勝。


 僅か二十年弱で世界的クラブにまでのしあがったシュトルツにして、未だ制していないビッグタイトル。その大一番でチームのタクトは伸び盛りの中杉でも脂の乗った大塚でもなく。

 三七歳のベテランに、託された。

 押し寄せたマスコミにはあるいは奇異に映った采配だろう。実際、シュトルツに関係する誰もが大島のスタメンを公言していたにも関わらず、アルハナビラの敵将メンディは大島のスタメンをブラフだと思っていたと試合後に認めている。

 ただサポーターを含めたチームにとってはそれが当然であり、最善であったのだ。


 スタジアムDJが熱狂して伝えるスタメン発表。

 トップ下に座す王の名に、彼を称えるチャントが響き渡り。

 10番を背負う彼がピッチに立てば、スタジアムが怒涛に揺れた。

 万感の思いを胸に、

 【王】は再度、そして最後の、指揮を執る!




 

 およそ二時間の後。



 シュトルツの【王】は、伝説となった。



「オーナー、借りはよ。返したぜ」


 にぃ、と。大島は笑った。

モデル:さかつく小嶋英男、Jリーガー数人ミックス

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