底辺に浮く魚
私は、二十五になりました。職も金も無く、生きる意味の分からない身です。両親と共に暮らしています。食うことには困りません。ペットの様な生き様です。生きる為に必死と言うより、人生の終わりに向けて時間稼ぎをしている毎日です。
私の大学時代は、随分と悲惨なものでした。とは言え、普通の大学生達と何ら変わりはありません。単に友人から真剣な顔で、「死んでください」と頼まれただけのことです。大学四年生の冬、卒業まで数週間となった頃でした。
私は留年が決定しており、皆と卒業することができなくなってしまいました。それだけで、「ゴミ」と揶揄され、「死ね」と蔑んだ目で言われました。周りの人間も私を見下せるほど、優れた人間ではなかったと思います。彼らは私を、人として扱わなくなった。四年間通った大学で、私は卒業の資格すら取れずに道を外れてしまいました。
学生時代にアルバイトをしていた居酒屋は、本当に小規模なものでした。テーブル席が四つ、カウンターに数人が座れる程度です。店内は、煙草の煙と匂いが充満していました。
私は接客の仕事をしていたのですが、客間、つまりホールと呼ばれる空間に従業員は私一人でした。客の要求は容赦なく私の耳へ届きます。作った笑いが乱れるほどに、私は働きましたが、ミスが多い。店長は私を酷く叱りました。それでも、二年以上働き続けました。逃げ出せない性格のお陰だと思います。逃げ出すことからも逃げ出す性格です。お店には知り合いも多く来ていました。逃げ出せば、自分の立場が悪くなると分かっていたのです。本当に逃げ出せない性格であれば、大学を辞めてはいなかったでしょう。アルバイトの経験は、私に働く恐怖と、ミスを誤魔化す方法を学ばせました。
高卒、無職、職歴なし。彼女と呼べる女性はいたものの、肉体関係と呼べるものは数えるほど。そのようなお店にも行った事がなく(行けるようなお金がない)自慰行為で満たす他ありません。
私は浮いた話を、友人にも家族にもしない人間です。聞かれれば話すのですが、自ら口を開き語ることに抵抗があります。
経験は少ないながら、色々な体験をしてきました。遠距離恋愛をしたり、浮気をされたり、男性と一夜を共にしたこともあります。彼女との電話に夢中になって、通話料金が大変な額に達し、親から不審がられたこともありました。その時も、彼女がいるということを両親に伝えませんでした。自ら口を開くことは、ありません。
女性との関わりを話したところで、普通の男と大差はないでしょう。男性と共に過ごした夜の話をします。最初に断っておきたいのは、私が同性愛者でも両性愛者でもないということです。いや、それは嘘かもしれません。両性愛ではない確証がありません。同性であっても性的に興奮する要素があれば、関係なく愛することは出来るでしょう。実際、性的に交わりましたから。
相手の外見は、女性と大差ありませんでした。内面は完全に女性。声は若干無理があったと思いますが、女性のそれに近いものがありました。私は相手を、「彼女」と表現します。肉体的にも女性になりたい。その為に努力している女性でした。
彼女は高校生でした。年齢は十九です。一度高校を中退し、改めて入学したようでした。当時、私は二十三でした。二十三で十九歳女子高生の男子と性的な繋がりをもったことになります。彼女としたことは本当にシンプルでした。公園でキスをしたり、大きな鏡のあるホテルで何度も交わりました。初めて他の男性の性器に触れましたし、いわゆるアナルというモノを体験したのも初めてでした。その結果、病院に行くことになりました。「相手が男性でもコンドームは必要だ」という忠告が出来るのは、この時の経験があるからです。
ここまで書いて、性的な内容が最も多くなっています。自分にとって重要なエピソードなのでしょう。性欲に生きる人間の姿は、あまり好感が持てません。自分も、そういう人間だということです。
私の話をするのは、難しいです。その時々で、大きく考えが違いますし、自分でも思わぬ行動をとっていることがあります。私の四半世紀に、「一貫性」と言うものがありません。十代の頃は比較的真面目な、「いい子」だったと思います。二十代から人生は底に向いました。落ちていくことを、楽しんでもいました。スカイダイビングのようです。バンジージャンプの経験はあります。落ち始めれば、戻ることはできません。
私は現実から逃げています。皆さんの目にどう映るのか、わかりません。私は、それを楽しんでいます。「変人」と言われることを、「キチガイ」と言われることを望んでいます。小説を書く人間にロクな者はいません。「そんなことはない!」と言い張れる人は、小説を書く才能が無いと思います。他のことをした方が良い。必ず成功しますから。
成功の、「功」を、攻撃の、「攻」と間違える癖があります。成功するためには、戦わなければいけない。攻めなければいけない。自分自身が教えようとしているのかもしれなせん。
私の書く小説は、二十代以降の経験が糧になっています。頭の片隅に置いていただけると幸いです。
松原 三保