1話
初オリジナル作品のリメイク作品です。
細かな設定をちょいちょい変えていますが、大筋はほとんど変えないつもりです。
つたない文章ですが、よろしくお願いします
うららかな春の、というには少し暖かく。けれど梅雨と呼ぶほどジメジメとしている訳でも、夏と呼ぶほど暑いわけでもない。比較的穏やかな気候の、特にこれといって変わった事の無い、極々普通の日の出来事だった――
◇
時刻は夕方の5時を少し過ぎた頃。右手には大きなビニール袋を、左腕にはこれまた大きな茶色の紙袋を抱え込んだ大柄の少年が、パン屋から出てきた。
「毎回おまけしてもらってすみません」
「いいって、いいって! こっちこそ贔屓にしてもらってるし。それに、お礼もしっかり貰ったことだしね」
お互い様だよ。そういって店主である恰幅のいい中年男性は、快活に笑いながら右手に握られた三十センチほどの茶色い紙袋を揺らした。袋からは微かに香ばしい香りが漂っている。
そんな店主の様子に、少年は困ったような笑顔を浮かべる。世話になっているのは寧ろ自分のほうだと思っている少年にしてみれば、今後の付き合いも考えれば個人的な礼など細やかなものでしかないと考えている。
けれどそれを態々口に出すのは、昔から世話になりっぱなしの男性の行為を無碍にしてしまう。そうして結局、この日もまた何時もと同じように少年は困ったような笑顔を浮かべて彼の言葉を受け入れるのだった。
それから暫く、他愛のない会話を交わした少年は、店を後にした。
◇
彼――陣原燦は、実家が経営している喫茶店の不足した食材やその他諸々を補充する為に街に出ていた。
しかし何時もであればもう少し落ち着きのあるこの街も、ここ数日はその限りではなかった。
というのも、今日は5月2日の金曜日。今年は3日連続の休日となるゴールデンウィーク直前であった。これから連休を迎えるとなると、多くの学生達はその時間を可能な限り有意義に使おうと奔走する――つまりは遊び倒すか部活に精を出すかなど、思い思いに青春を謳歌するわけだ。
そこに加え滅多に取れない休暇を家族サービスしようと頑張る世の中の親父達は、愛する家族を連れて出かけたりする訳で。そのような理由から、明日以降から忙しくも賑やかな日が始まると予想される。
同時にそれは、喫茶店を経営している彼の一家にとって、稼ぎ時と言える。
そんな事を考えつつ、必要な物を調達し終えた燦はブラブラと街中を歩く。因みにこうしていられるもの、彼の喫茶店が個人経営であること。翌日からの中々にハードな時間が続くこと、そして元々金曜日は定休日であった為だ。
そんな事情から、普段の忙しい日々を忘れ、束の間の安らぎを得ていた。
そうして暫く歩き続けると、住宅地を抜け街の高地へと向かう。星斑市は山を背にその街を広げている。最近はあまり時間が取れなかった為にこちら側に来ていなかった燦は、久方ぶりにそちらへ向かう。山に沿うように伸びる坂道をゆっくりと上ると、やがて少し開けた場所に出た。
少し小高い場所にあるそこは見晴らしの良い公園で、街を見下ろせる場所を除き、外周部をグルリと囲うように緑の葉を風に揺らす木が幾つも植えられている。
少し季節を過ぎてしまったが、春先になれば鮮やかな薄紅色の桜の花を咲かせるこの公園は、幼い頃に燦が良く遊びに来ていた場所だ。
久しぶりに訪れたその場所は、殆ど彼の記憶の中のものと変わっていない。
少し変わったところがあるとすれば、公園の規模が少しだけ大きくなり、公園の遊具の幾つかが綺麗になっていたこと、それと中央に噴水が設けられたことくらいだろうか。少しだけ変わった場所は、しかし変わらず安らぎを与えてくれる。そんな些細なことが、燦の心を温める。
(ここらで少し休むのもいいかもしれない)
そう思いベンチへ向かおうとして――ふと、視界の端にこの場にそぐわない色を捉える。何となく気になり視線をそちらに向けて、燦は思わず顔を顰めそうになる。
彼の視線の先には、腰まで届くほどの長く鮮やかな金髪を持ち、白のブラウスに膝下より少し長いくらいの青いスカートを履いた少女が、一際大きな木に向かってピョンピョンと跳ねているのだ。
今は人目があまり無いから良いが、場違いな行動をしている上に彼女の容姿も相まって(勿論顔がどの程度のものかは、こちら側からでは判断出来ないが)随分と目立つ。だが彼女は、そんな事を気にする素振りすら見せず、一生懸命に頑張っている。
はて、何が彼女をそうまでさせるのだろうと、視線を彼女の上。木の上辺りに向けてみて――なるほど、と納得がいった。
どうやら彼女は、木の枝に引っかかっている赤いリボンを取りたいらしい。余程大切なものなのか、彼女は諦める気配を見せようとはしない。
しかしどうにも背が足りない為に何度やってもその手がリボンを掴む事は無い。というか、リボンは普通にやっても届かない位高い場所に引っかかっているから当然と言えば当然だが。
それでも彼女はどうにか取ろうと必死になり、やがて木に足をかけ登ろうとして――出来なかった。一番低い位置にある枝すら掴めないのだ、足の力を使っても手をかけるのには無理がある。
チラリと公園に備え付けられている時計を確認してみれば、時刻は5時半に差し掛かろうとしている。家に帰るまで、もう少し余裕がある。流石に見ていられなくなった燦は、包みを抱えて彼女の元へ。
「あの……」
「っ!?」
何と声をかけていいのか分からなかったので、とりあえず当たり障りの無い言葉をかけた。
が、彼女は燦が思っていた以上に驚く素振りを見せた。恐る恐るといった様子で振り返った彼女は、その綺麗な顔を悲しみに歪め、大きなアメジスト色をした瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。色鮮やかな金髪からもしかしたらとは思っていたが、やはり外国人のようだ。年の頃は恐らく15~16歳。燦と同い年くらいだろうか。今は泣き顔のせいで随分と幼く見える。
そんな、どこか警戒する小動物を思わせる少女の素振りに若干傷付きながら、とりあえず彼女と話をする事に。
「日本語、分かるか?」
「………」
出来るだけ刺激しないように優しい声色で声をかけると、彼女は未だ警戒しながらも小さく頷いた。とりあえずある程度の意思疎通は出来るようなので、ホッと一安心。
「あれ、君の?」
「……うん」
「そうか。じゃあ、悪いんだけどさ。これ、ちょっと持っててくれないか? 代わりに取ってくるから」
そういって抱えていた紙包みを彼女に差し出すと、彼女は躊躇いがちに口を開いた。
「……どうして、助けてくれるの?」
「どうしてって……。誰かが困ってるなら、出来る範囲で手を貸すのは普通だろう? それに……あれ。大事な物なんだろう?」
涙を流すほどだ、余程大切なものなのだろう。でなければ、こんな表情をする筈が無い。そんな俺の考えはどうやら当たりだったようで、再び彼女は小さく頷いた。
それを了承の返事と勝手に解釈した燦は、もう片方の手に握られていたビニール袋をそっと地面に置くと木に登り始める。
長い事木登りなんてしていなかったから中々難しかったが、何とかリボンを掴み取る。少し色褪せたそれはしかし、やはり大切なものなのか年季を感じるが殆ど痛んだところはない。随分と大事に扱っているようだ。
燦はリボンを落とさないようにしっかりと手に握り締め、枝から飛び降りる。着地の際に足がジンと痛んだが、とりあえず無様にこける事はなかった。
「ほら」
そういってリボンを差し出し包みを受け取る。リボンを手にした彼女は、それをとても大切そうに胸に抱きしめ
「ありがとう……!」
そう言って涙を流しながら、それでも笑顔をみせたくれた。茜色に染まる夕日を背にした彼女の笑顔に、一瞬心臓が大きく跳ね上がる。それは何も、彼女に一目惚れしたという事では無い。
ただ――似ていたのだ。今よりずっと幼い頃に出会った、一人の少女の笑顔に。
「……どういたしまして。今度はなくすなよ?」
「え? あ、はいっ」
そんな感情を読み取られたくなくて。俺は苦笑を一つ浮かべた後、彼女に別れを告げ足早に公園を後にした。
◇
あの後、足早に自宅へと戻った燦は、明日から続く連休に備えて料理の仕込をしたり、喫茶店の備品などの最終チェックをした。
そうして全てが終わり、自室へと戻ったのが先ほどの事。時刻は既に深夜の12時を回っている。
ベッドに寝転がった燦は、しかしなかなか寝付けずにいた。思い出すのは、久しく訪れていなかった公園で出会った、異国の少女。
「……」
ふと体を起こした燦は、机の引き出しを開くとその中の一つを手に取る。
それは、どこにでも売っている様なシンプルな茶色の小さな写真立てだった。中に収められた写真に写るのは、緑豊かなのどかな自然を背景に笑顔を浮かべる二組の家族。一組は燦の家族。そしてもう一組は、金髪の西洋人。
燦の視線が捉えているのは、幼き日の自分の横ではにかむ同い年位の少女。
この写真は、数年前に燦達を連れてフランスに住む友人を訪ねた時に撮ったものだ。燦の隣に写る少女は、その友人の一人娘だった。
あれから色々とあり、一家との連絡が取れなくなって久しい。燦が幼かった事と正確な地名などを忘れてしまったこと等様々な要因が重なり、今、彼女達がどうしているのか。それを知る術は燦に無い。
こうして写真を引き出しから出すこと自体、本当に久しぶりの事だった。
彼女と過ごした日々は、幼かったが故にどこか朧気にしか覚えていない。彼女の名も、愛称でしか覚えていなかった。
ならば親に聞けばいいのでは。となるのが普通だが、以前それとなく聞き出そうとした時に両親が浮かべた表情が、どこか悲しそうなものに見えて、以来彼はその話題を出すことはなかった。
それから月日を重ね、次第に写真を眺めることすらなくなっていたのだが……。
「幾ら何でも女々しすぎるし、どっちにも失礼だろ……」
自嘲気味に呟いた燦は、写真をそっと引き出しにしまうと、電気を消してベッドに寝転がる。
自分がしたのは、公園で出会った少女を、嘗てほんの少しの間遊んだ少女に重ねるという、何とも不誠実な思いからくるものだった。
そもそも、何故自分はあの時の少女をこうまで気にかけているのか。それすら分かっていないのだ。
「考えても仕方がない、か……」
幾ら考えても、思考は同じところを行ったり来たりするばかり。いい加減無意味だと諦めた燦は、いつまでも終わることのない思考に区切りをつけ、瞼を閉じた。
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※2013.1/7 誤字修正