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過去の死  作者: 北川瑞山
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第三章

 猫の点滴が終わると、義郎が動物病院の院長に事情を説明し、入院が可能かどうかを確認した。初老の院長は額にじっとりと汗をかき、しかし真面目な表情を崩さずに答えた。

「預かる事は構わないですが、動物にとってそれは相当のストレスになります。一番嫌いな場所に一日中閉じ込められている訳ですからね。ですから、入院をご決断いただく際には相応の覚悟を持っていただけねばなりません」

「ええ、それは勿論承知しているのですが、何しろ葬儀というものはご存じの通り片時たりとも抜け出す時間がございませんで、増して家に戻って猫を連れてきて、点滴を受けさせる時間など到底取れません。しかしだからと言って一日中点滴も受けさせない状態の弱った猫を家で留守番させておくのはよろしくないと思うのです。先生がおっしゃったリスクは承知の上ですから、何とかお願いできないかと思いまして…」

義久は特に口を開かなかった。義郎の言う事に特段の瑕疵はないと感じたのである。院長は首肯した。

「ええ、そういうことならお預かりしましょう。すると土曜日の点滴が終わったらそのままうちでお預かりして、日曜は午前中で病院が終わりですから、月曜の点滴が終わった時にお迎えにこられる形でよろしいですね?今同意書を書いていただきますので、お待ちください」

義久は飼い主を代表して同意書に署名した。これで特に難しい事もなく彼らの先ほどまでの心配は解決した。勿論、入院中の猫に万が一の事がないとは言い切れないので、完全に心配事が払拭されたとは言い難い。だが彼らは十分に手を尽くしていたから、それでも何事かが起こってしまったら、それはそれで諦めがつくであろう。

帰りの駐車場、車に乗り込む時に義久は言った。手には来る時と同様、タオルにくるまれた猫を抱きながら。

「まあ、先生はああは言ったけど、万が一の場合に飼い主に訴えられない様に保険をかけているにすぎないよ。多分大丈夫だろう」

「ああ、大丈夫だろうな」

二人は心に残る一抹の不安を拭い去ろうと、こんな会話で相手の共感を確かめあった。二人が義郎の黒い軽ワゴンに乗ると、車内は蒸し風呂の様に暑く、義久は顔をしかめた。猫は相変わらず義久の腕に力なくしなだれかかり、薄眼を開けてぼんやりとしていた。

 二人が家に帰ると、風鈴の冷たく澄んだ音色の下で、父と母が祖父の生前の写真を整理していた。この中から映りのいい写真を二十枚ほど選んで葬儀屋に預け、スライドショーにしてもらったものを葬式中に流すつもりらしい。最近の葬儀においてはこんな結婚式の様な演出が流行しているのだそうだ。義久は畳に散乱している白黒写真の一枚を手にとって眺めた。それは祖父の若い頃の写真だった。作業着を着て横向きにしゃがみこみ、視線だけをこちらに向けている。それは睨んでいる、という方が適切なくらい目つきが悪かった。晩年の祖父しか知らない義久には、その祖父とされている写真の人物がまるで祖父ではない全く別の人物であるかに思われた。面影からして祖父に相違はない。だがこの黒々とした髪と若さの発露とでも言うべき攻撃性を孕んだ睥睨は義久の知っている祖父の顔ではなかった。義久の知っている祖父は痩せぎすで頬がこけ、目が落ちくぼんでいる骸骨の様な表情なのである。それに比べて若かりし頃の祖父は涼しげな目元と引き締まった口元を持っていて、凛々しかった。義久はふとこんな事を思い付いた。

(俺の知っている爺ちゃんと、この写真の爺ちゃん。これらは同一人物とされているが、一体その根拠はどこにあるのだろうか?これらはきっと別人であろう。なぜなら爺ちゃんの顔は余す所無く変わってしまっているのだから)

 人間とは不思議なもので、同一人物とされている、言わば継続した一個の生命体であるとされている個体でも、それは少しずつ少しずつ古い細胞が新しい細胞と入れ替わり、およそ六年も経つと全ての細胞がまるっきり入れ替わっているのである。つまり同じ人間とされていても、彼は全く違う物質で構成されており、もはや以前の彼とは異なる存在なのである。しかしそれにも関わらず、彼はただ彼であるとされるのは何故なのか?それは偏に、彼の存在が身体の存在ではなく、思考の存在であると考えられている為であろう。彼の核心たる思考の周りに身体がまとわりつき、それがいくら新陳代謝を繰り返そうとも彼の思考は継続して保たれている。つまり彼はいつまでも彼のままなのである。要するに、この考え方によれば、身体とは外部に他ならなかった。

 ところが義久はこんな考えに賛同できなかった。前述の通り、義久にとっては顔こそが正しく人間そのものだったからである。だからこそセピア色の若かりし祖父が、今棺に入っている祖父とは別人だと断言できたのである。この考えはすなわち何を意味するか?それは義久が「死は少しも悲しい事ではない」と考える為の根拠となったのであった。なぜなら人間は一瞬一瞬において死んでいるからである。今回死んだとされている祖父は死の直前の祖父であって、昔の祖父ではない。なぜなら昔の祖父はとうの昔に死んでいるのだから。それは祖父だけではなく、我々にも当てはまる。我々は一瞬の時を生き、その瞬間にもう死んでいるのである。人間は寸刻前の自分にはもう戻る事が出来ない。この不可逆性こそがすなわち義久にとっての「死」なのであった。自分は祖父の死を悲しむ事が出来ない。それは自分が祖父を愛していないからではなく、死を悲しむ対象ではないと考えている為だ。と、義久は後付けの理屈で納得した。

 と、義久は後ろを振り返った。するとビビがタタミゼの上がり框に顎を乗せて、ぐったりと寝そべっていた。そしてそのまま板の間に糞尿を垂れ流していた。ここ最近全く固形の餌を口にしていない、水っぽい糞が床板とビビの白い毛を汚していた。義久は慌てて大声を出し、その事を家族に知らせると、母親が大急ぎで給水パッドを持ってきて、猫の尻に敷いた。猫の排泄は止まらなかった。

 猫は暫くするとそこから移動した。ビビは前まで自分で開けていたドアをもう開けられなくなっていたので、義久が開けてやった。するとビビはヨロヨロと歩いて、和室の、祖父の祭壇の前の金襴の座布団に寝そべった。そしてそこでも糞尿を垂らし、更には嘔吐した。母親が急いでそれを拭き取ると、今度は押し入れに入ろうとした。猫が入れない様に押し入れのふすまを閉めると、とうとう二階に上がろうとした。明らかに、ビビは死に場所を探していた。猫は人知れずひっそりと死ぬと言う。家族はビビの死を恐れ、何とかビビを人目のつかない所に行かせまいと、細心の注意を払って見守った。皆が次第に暗澹たる気分になり、遂には一言も発しなくなった。ビビは何とか生きていた。しかしそこにいる全員に死を予感させたのである。それも正にこの祖父の喪に服している環境で、死を予感しない者は誰一人いなかった。

 義久は日がな一日ビビを見守る事にした。心配でたまらなかった。何せビビは今から十二年前、義久が高校生の頃からこの家にいるのである。その間、家族の辛苦の時も、冬の時代も、日照りの夏も、一緒に暮らしてきた仲間なのである。ビビはこれまで一言の言葉も発する事が無かったが、それは却って家族の心を勇気づけた。軽佻浮薄な言葉などよりも、ただそこにいる事が何よりの慰藉になった。そうして家族を見守り続けた挙げ句、誰に知られる事も無いまま役目を終えてこの世を去っていこうとする小さな命を見ていると、義久は自然の摂理というものの無情さにやるせない思いがするのだった。

(そう言えばビビと爺ちゃんは、丁度同じ頃にこの家に来たのだったな)

義久が目を閉じて眠るビビの傍らでそんな事に気が付くと、同時に心中における矛盾にはっとした。「死は悲しい事ではない」のではなかったか?生きとし生けるものは死を繰り返して生きているのではなかったか?だが今身じろぎもせずに静かに眠るビビを見ていると、明らかにそんな考えは自己欺瞞に過ぎない事に気が付くのだった。やはり自分は死が怖いのだ。死をこれっぽっちも理解しちゃいないのだ。義久は丸くなって眠るビビの背中にそっと掌を乗せた。痩せた背中を撫でると、毛皮に浮き出た背骨がゴツゴツと手の肉に触った。微かな鼓動が速いテンポで命を刻むのを感じた。それはその小さな命が死に急いでいる様に感じられ、義久は急に淋しくなった気がして、そっと涙を流した。

 やはり死は悲しかった。義久は喫煙者で、普段は一時間おきにベランダに出て煙草を吸うのだが、この時はそれを控えた。猫が煙草の臭いを嫌う事を知っていたからだ。義久は廊下ですやすや眠るビビの側に腰を下ろし、壁を背にしてもたれかかり、例の漢詩を読みつつ度々ビビの寝息が絶えていない事を確認し、その度に胸を撫で下ろした。こうして腰を下ろして見ると、階段の脇や角の部分など、家中至る所の壁紙が猫の爪研ぎによってぼろぼろにされている事を発見した。この家が建てられてもう十五年近くになる。壁紙の剥落などもはや気にならないくらい、この家も古びていた。


年々歳々花相似

 歳々年々人不同


 花が年月を過ぎても似たり寄ったりなのに対して、人はずっと同じでは生きられない。年々歳々歳を取り、容貌は衰え、頭は鈍くなっていく。それは確かにそうだった。義久の父も母も、極めて緩慢にではあるが、確実に歳を取っていた。いずれも既に頭髪は白くなり、あれほど厳しかった父はもうすっかり丸くなり、逆に母は更年期障害で四六時中苛立っていた。このまま後二十年やそこらもすれば、彼らももう老い先の短い老人になっている事は想像に難くなく、またその老人の死はあまりに自然な、悲しみの少ない死として受け入れられるであろう事までもが義久の脳裡において容易に想像された。人はいつまでも同じではない。日々刻々と老いてゆくのだ。そして死の準備を着実にこなし、遂に死に至る頃にはそれを完遂し、完全にとはいかないまでも、かなりの程度まで悲しみを和らげる事が出来る。若い者の死が老人の死に比べて一層悲愴であるのはこの為であろう。してみると猫の場合はどうであろうか?飼い始めた頃よりは体躯は大きくなっているものの、それ以外は特段変化も無い。声も毛の色つやも変わっていないし、元より言葉を持たないから頭が鈍くなったかどうかも分からない。つまり、猫は人というよりは花に性質の近いものに思われた。そこで、猫はあまり変化しないが故にその死が悲愴である、という結論にとりあえずは落ち着いた。

 それで義久の先ほどの疑問は一応解決された。老人の死はそれほど悲しくないが、猫の死は悲しい。赤子の死と同様に悲しい。そうだとすると、人間は死を繰り返して生きている、という先ほどの理屈もまた蘇る事になる。一刻一刻の変化が死であり、またそれを最も如実に表現するものは、やはり顔だった。

 ビビを見守って何時間も経ち、日も半ば沈みかけた頃、安静に眠るビビの元をそっと離れ、義久は祭壇のある和室に向かった。遺体を安置できるよう、和室には絶えず強い冷房が効いていて、肌寒いくらいだった。義久は薄紫色の光沢のある布地に覆われた祖父の棺の前で端座し、蠟燭に火を点すと、線香を一本取り、火にかざした。線香の先端が真っ赤に燃えてうっすらと一筋の煙を立ち上らせると、義久はそれを丸く小さな香炉にさし、そっと手を合わせた。暫くの黙祷の後、義久は目を開くと、頭上に掲げられた祖父の遺影を見上げた。それは晩年の祖父の写真で、祖父が仙台に来てから間もなく、母と一緒に街中へ出かけた時の写真であった。定禅寺通りの欅並木を背に穏やかに微笑む祖父の表情は、棺の中の祖父よりも大分若々しく見えた。遺影の祖父は眼鏡をかけていて、端正な、慎ましい笑みを浮かべていたし、この写真を取っている母親もきっと良い表情をしていたに違いなかった。義久は緩やかに立ち上る線香の煙の向こうで微笑む祖父と見つめあい、狭い和室で一人記憶の果てを彷徨っていた。それは義久のごく最近の出来事で、今にして思えば背筋の凍る程おぞましい事件だった。


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