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過去の死  作者: 北川瑞山
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第一章

 義久は祖父の死んだ日に、祭壇の上に掲げられた祖父の遺影を目にし、紛れもなくあれこそが祖父の姿そのものであるとの確証を深めた。また薄紫色の光沢のある布地に覆われた棺に収まった祖父の死相を上蓋の小窓から覗くと、祖父との別れを惜しむにはこれで十分であると思った。あるいは祖父との対面をしている間は既に起こった死を悲しむというよりは、これからこの世を去ってしまうであろう祖父との惜別という感覚が強かった。

 義久は今年の一月で二十七になった、一介のサラリーマンである。三年ほど東京の有楽町で営業職として働いていたが、社命により宇都宮に転勤となり、社員寮に住みながら近くにある営業所に勤務する毎日を送っていた。

 義久の祖父は元々新潟の生まれだったが、丁度十年前あたりから娘である義久の母親のいる仙台に身を寄せていた。それから何年かは当時高校生であった義久とも一緒に暮らしていたのである。しかし最近になって、義久が転勤で東京から宇都宮に移住した頃、アルツハイマーや不眠症など諸々の理由で病院にかかっているうちに肺癌が見つかり、実家近くの病院に入院し、闘病生活を送っていた。そこで一年近くの闘病を続け、母親が毎日の病院通いに心身ともに疲れを催してきた頃、祖父は肺炎に罹ってとうとう帰らぬ人となった。

 義久は祖父の訃報を受けたとき、会社で昼飯を済ませ、午後からの会議の準備をしているところだった。資料をそろえて会議室の席に座って会議の開始をのんびりと待っていたところ、携帯電話に母親からのメールが来た。

「爺ちゃんが亡くなりました。急がなくていいので、忌引きを取って帰ってきてください」

尤もこの報せに、義久はさほど驚かなかった。前日の夜から祖父が危篤状態であることを知らされていたためである。しかしある程度こうなる事は覚悟していたものの、いざ起こってみると只ならぬ不穏な緊張が心中を走った。とまれ義久は予定された会議を欠席し、上司に事情を話した後忌引き休暇を取得して退社し、すぐに仙台に向かう新幹線に乗り込んだ。

 一時間半程度で仙台駅に着いた。震災の爪痕は以前より大分薄くなっていた。仙台駅から地下鉄に乗って二十分ほどすると、実家の最寄り駅に着いた。最寄り駅から、良久はタクシーに乗った。タクシーの中で義久は一度母親に電話をかけた。電話口の母親の声はいつになく明朗だった。

「こっちは落ち着いてるから、心配しないで」

母親を気遣う言葉を前もって考えていた義久としては肩透かしを食らったようであったが、しかしそのことに安堵もした。辛い介護や世話、度重なる病院からの呼び出し、そういう煩瑣な義務から解放された喜びが母親を勇気づけた事は間違いなかった。それを思うと、十分に老いてからの死というものは実の娘をすら感傷に駆り立てるに足りないものであるという事に気付かされ、義久は軽く絶望した。それなら自分は若いうちに死んでしまおうか、などと考えたりもした。しかしそういう絶望は何となく子供じみた実現可能性の薄い考えに思えて、すぐに断ち切った。自分勝手な考えに嵌っては自分勝手に悲嘆に暮れる、死などという単なる自然現象に筋違いな感傷を寄せる哲学者とか文学者とか、そんな手合いに義久は常日頃からただ軽蔑の一念を抱いていたのである。

 第一、義久は哲学的思索などというものを悉く信用していなかった。哲学など言うものは義久にとって屁理屈以外の何ものでもなかったのである。例えばデカルトの「我思う故に我あり」などという言はからっきしの嘘であると思われた。思考の有無などというものは人間存在に対して寸分も影響を与えまい。なぜなら思考は環境によって日々刻々と変化していくが、俺はただ俺である。寝ている間はどうか?夢も見ずに深い眠りに落ちているとき、人間は何の思考も持ち得ないが、それでいて彼は明らかに存在しているではないか。これは思考が存在足り得ない証拠である。と、このように屁理屈には屁理屈を以てすれば如何様にも反証できるのである。義久はこんな人間の匙加減でどんな方向にも曲がってしまう様な理屈を不潔だと感じていた。であるから、そんな思考に嵌ってしまわない様に、義久は日頃から自分を陶冶していた。

 要するに、義久は実際家であり、思考とか認識とかによって現実世界の模造品を内面に作り出しては何らかの方法によって外界に吐露する営為を忌避していた。と言って、義久がそういう人間の精神を解さないという訳ではなかった。むしろ人並み以上にそういった精神の在り処を知悉していたのである。だが一旦そのメカニズムが分かってしまうと、何やら種を明かされた手品のように、急にそれが取るに足らないもののように思えて、それ以来敢えてその泥沼に耽溺しないように細心の注意を払ってきた。

 義久が実家に到着すると、既に両親や弟、それに遠方に住んでいる叔母や従弟達がいて、和室にある祖父の亡骸を取り囲んでいた。祖父の亡骸は既に純白の寝具に包まれて横たわっており、そこにいる誰もが慈しむ様な眼差しでそれを見つめているのだった。彼らは既に前の日から祖父の看病を続け、祖父の最期を看取ったのであろう。義久はここしばらく会っていなかった親戚たちと久闊を叙した。彼らは気丈に振る舞ってはいたが、目の下に暗い疲れが淀んでいた。夜通し看病した末の何かを成し遂げた感じのする疲労は充足感が垣間見え、少しだけ安逸な表情に見えた。

 義久が実家に到着したのは夕方の四時頃だったので、それからすぐに夜になった。夜空は靄がかかっていて、朧月が悲しげに柔らかな光を放っていた。ぼんやりとベランダで夜空を見上げて、義久は煙草の煙を吐き出していた。

(俺という人間が存在するのは、一体どのような根拠に基づくものだろうか?)

放恣な気分でいると、義久は主義に反してついそんな思索にふける。ただその答えは自ずと義久の脳裡に鮮明な姿を現した。それはすなわち、顔である。顔こそが人間存在の証明なのである。人間が個人を識別する時、最初に意識するのは顔に他ならない。彼が彼である証明は顔によってなされるはずである。可視化できない思考や、体のどの部分よりも、顔は彼自身の証明であるはずである。だからこそ祖父の遺影は顔が中心に据えられた写真を用いるのである。義久は自分の頬を撫でると、自分自身の核心に触れた気がした。不意に彼は自嘲気味な微笑みを漏らした。顔こそが存在であるという意識は、考えてみれば世間一般の凡俗な意識なのである。どんなに理屈の込み入った哲学的な思索を迂回しようとも、結局はこの当たり前の意識に辿り着くのである。そう思うと、虚しいような微笑ましいような、世の無情と言うべき摂理に思い至るのである。存在など、所詮形以上の意味を持たない。実存主義などと大袈裟な名前を付けなくとも、そんなことは当たり前の、至極通俗的な観念である。それを思えば思考、認識などというものがおおよそ無意味である事が理解され、それが却って生活にいかなる情熱をも持ち得ない義久にある種の自信を与えるのであった。

 枕経、納棺から通夜まで日にちがあったので、葬儀屋との打ち合わせや家族の手伝い以外の時間、義久は自分の部屋で本を読んだり、昼寝をしたりして気ままに暮らしていた。普段から家族との交渉の少ない義久にとって、それが一番気の休まる過ごし方であった。それにその頃は丁度お盆の季節で、外は焼けつくような猛暑であり、どこかへ出かける気にもならなかったのである。たまに煙草を吸いにベランダに出ると、そのじりじりと刺すような暑さで全身の皮膚という皮膚が忽ちのうちに不快な汗を吹き出すことになる。義久はベランダの椅子に座ったまま自分の頭に手を伸ばし、髪の毛を割って指で地肌に触れてみた。そこは密林地帯の様な高温多湿で、湿気を帯びた熱が籠っていた。指を引き抜いて見てみると、指先に付いた汗が日光に輝き、根元に向かって流れ落ちた。

 部屋に戻ると、義久は何気なく本棚にしまってあった高校の卒業アルバムを繰り始めた。そこに犇めく顔という顔。その中に、義久の顔があった。色白で目が垂れていて、如何にも大人しそうな彼の顔は全体から見れば全く目立たない存在だった。だが胡散臭い卑屈な写真用の笑顔の堆積の中にあって、彼だけは口をへの字に曲げ、一人どこかに自分を置いてきたような空虚な薄笑いを浮かべている。それは彼らしい特徴だった。今、彼は自分の顔を見て懐かしく思う。なぜなら今の義久の顔はあのころとは別人のように変わってしまったからである。

 すると背後から突然母の声がした。

「ねえ、ビビちゃんの様子がどうも変みたい。体調が悪いのかもしれないから、病院に連れて行ってくれる?」

「いいよ」

義久は二つ返事で了解した。義久には何もすることがなかったし、それ以上に、彼はこの家の飼い猫であるビビを家族の中で最も愛していたからである。結局弟が車を運転し、義久が助手席で猫を抱く形で病院に連れて行った。

 タオルにくるまれたビビを抱いて、義久は移動の間中猫の頭に口づけをしていた。猫の頭からは頗る可愛らしい匂いがした。普段義久が抱くと瞬時に抵抗し、暴れ、腕をすり抜けるビビが、今日は何の抵抗もせずに義久の腕にぐったりと身を任せている。確かにビビは弱っていた。

「ビビも歳だからな、今までこんな事はなかったんだけどな」

弟が車を運転しながら言う。弟は義郎と言って、義久よりも三つ下である。東京の大学を卒業して以来実家に帰り、仙台の銀行に勤めているので、義久よりもこの辺の地理に明るい。二人と一匹を乗せた車は義久の知らない道を乱暴な運転で走り抜けた。

「安全運転で頼むよ」

「はいはい」

義久はとても不安だった。義郎は頭の回転も速く、とても知恵の回る人間ではあるのだが、日頃何かと思索に耽りがちな義久から見れば若干軽率の気があり、重要な場面で取り返しのつかない間違いを犯す危険を孕んだ人物だった。一刻も早く猫を病院に送り届けねばならない中で事故など起こされてはたまったものではない。しかも祖父の葬儀を間近に控えたこの時分に。

 義久の心配は杞憂に終わった。家を出てから二十分ほど経つと、車は動物病院の屋外駐車場に入って行った。大分混雑しているようで、義郎は空きを見つけるのに苦労した。義久はその駐車場を目にし、もう何年も前の出来事を思い出していた。それは義久が大学生の頃、実家に帰省した折に、ビビに予防接種を受けさせるため、親の車を運転し、この病院に来た時の事である。助手席にはビビを抱いた母親が乗っていた。義久は免許こそ持っているものの車を持っておらず、所謂ペーパードライバーであったが、それほど長い距離ではないし、田舎の広い道路を走るだけなら問題ないだろうと考え、そこまで運転したのであった。実際この駐車場に来るまでは何の問題もなかった。だが駐車が問題であった。この駐車場にはその時も沢山の車が停まっており、空きスペースが一つしかなかった。そこにバックして車を入れる際、義久は目測を誤って車の尻を隣の車のわき腹にぶつけてしまったのである。驚いた母親は瞬時に激怒し、

「ぶつけたのか?もういい、代われ!」

というと抱いていた猫をほっぽり出し、義久を車から降ろすと、自分で車を駐車場に停めた。義久は後悔の念に駆られ、母親の運転する車を外からぼんやりと見ているしかなかった。放り出された猫が後部座席の窓に張り付き、何やらわめいているのが見えた。義久は母親や猫に対して、申し訳ないような、情けないような気がしていた。義久が決して車を持とうとも運転しようともしないのには、こういう背景があった。尤もそんな苦い思い出すらも、今では微笑ましく感じる。なぜなら今膝の上にいる猫には、あの頃の様な元気がまるで見られなかったからである。

 診察の結果、ビビは腎不全である事が判明した。それも医者の説明によれば、腎機能の低下が既にかなりの程度まで進んでおり、もはや末期的な状態だということだった。餌が食べられず栄養が摂れないので、その日から一週間毎日欠かさずに点滴を打つ必要があるとも言っていた。

 毎日点滴を受けさせろと言われて、義久は弱った。義久だけでなく、義郎も同様である。なぜなら今週の日曜には祖父の葬儀が控えていて、その日はどう考えても猫を病院に連れて行く時間など無いからである(葬儀は自宅から離れた葬儀場で行われる予定だった)。しかも葬式は丸一日かかるスケジュールで、その間点滴も受けさせていない状態の猫を自宅に一日中置き去りにしなければならない。彼ら兄弟は、葬儀を終えて帰宅した夜に、自宅でひっそりと息を引き取っている猫の姿を思い浮かべていた。ビビはもう十二歳で、いつそういう事が起こっても不思議ではない。

「どうにかならんかね?」

義久は病院の点滴室で弟に相談した。小さな金網の籠に入れられた猫が毛を剃られた前足に点滴の針を刺されたまま、一点を見つめてじっとしている。

「ああ、葬式の前日から葬式の日にかけて、ビビを預かってもらえないか、病院に相談してみよう」

「なるほど、そうすれば葬式の日にも点滴が受けさせられるし、ビビを家で留守番させる必要も無くなる訳だ」

義久は何度も頷き、合点した。義郎は知恵の回る人物で、こういう時には義久よりもよほど気の利いた妙案が思い付く。義久は弟の知恵を借りなければならなかった羞恥と、とりあえずの解決策が見つかった安堵で溜め息をつき、そのまま読書にふけった。

点滴はおよそ三時間かかる。その間飲食も喫煙も出来ない点滴室で終わりを待たなければならない。そんな長時間の退屈を紛らわす事の出来るものは、義久には読書しか無かった。と言っても、義久の読む本は普通の小説とか、漫画本とかいう類のものではない。それは所謂禅語と呼ばれるもので、仏典や祖録に基づく漢詩であった。別段義久は漢詩に通じていた訳でもないし、中国語に堪能な訳でもない。しかしその字面だけを目で追い、そこから自分なりのイマジネーションを膨らませる事が義久の数少ない楽しみの一つであった。


 一手指天一手指地


 これは『碧巌録』に含まれる一句で、読んで時の如く一つの手は天を指し、もう一方の手は地を指すという意味である。この句の意訳は様々で、これと言った正解は無い。義久はその時の現況を鑑み、その句について思いを巡らした。

(これは愛についての句に違いない。残酷の極地たる愛を表現したものだ。俺は祖父が死んで、少しも悲しまなかった。悲しもうと努力してみても駄目だ。感傷に浸る事は出来る。だがそれは悲しみとは違う、祖父を喪った自分を哀れむ為の感情だ。一方猫が具合を悪くした今、俺は打ちひしがれている。それは多分、俺が猫を愛しているからだろう。すると俺は祖父を愛してはいなかったのか?俺だけではない。実の娘である母親だってそうだ。あいつの表情には悲しみの欠片も見当たらない。何と残酷な話だろう。生きている間に豊かな愛を享受する猫の傍らで、祖父は死んでも愛される事が無かった。愛されないという人間にとって最も深刻な問題は、死んでも解決される事が無いのだ。愛は天を指す、同時に地を指すのだ。天があってこその地なのだ)

こんな抽象的な概念を弄ぶ事を、義久は特段不徳義とは思わなかった。こういう思索を自分の中に留めておく分には、人間社会にとってさしたる害悪は無いと、義久は考えていた。問題はそれを自己のアイデンティティーとして表現したり、あるいは生きる指針としたりして自己同一化する事であった。認識や思索にそのような価値があるとは義久には到底思えなかったのである。抽象性、精神性、その他不可視なものの追求に命を燃やす事は、この上ない人生の濫費であり、不幸への一本道であると義久が考えていた事は前に述べた事からも何となく察せられるであろう。

 それはそうと、義久が自覚する通り、義久は祖父の死をビビの腎不全程には悲しんではいなかった。それは恐らく、義久以外の家族も同様であった。なぜならビビが家族のアイドルだったのに対して、義久の祖父は若い頃から今に至るまで、家族の悩みの種だったからである。


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