神楽 「絶望」
現 ――The Heroine’s Side――
四、
「――そ、んな」
ばたん、と少女が崩れ落ちる。看護師たちが集まってきて、彼女の名を呼ぶが、崩れ落ちた少女の目は焦点を結んでいない。
ただ、無表情に虚空を見つめている。
冬森市県立総合病院、四階、四百六十八号室。
入り口のネームプレートには「葛木 命刻」。
ネームプレートが一つということは、そこは個室だった。
崩れ落ちた少女の前には、一つのベッドとそこに眠る少年がある。少年は特別高価な生命維持装置などはつけておらず、心拍数を計測する機械だけが装備されている。
「意識不明」。
少年は昨日より此処で眠り続けている。どうしてそうなったのか。それについては、そこで崩れ落ちている少女が最もよく知っている。
少女の記憶にかかっていた霧が一瞬にして晴れる。視界が開けるように、彼女の思考が加速する。昨日の出来事が、一瞬にして脳裏をかける。早すぎる思考は、少女の精神にはきつすぎた。
――昨日。学校帰りに花屋に寄った。花を買って、店を出て。そうしたら、トラックが目の前に迫っていて、そこに少年が駆け寄ってきて、自分を突き飛ばすようにトラックの軌道から外し、そして少年自身もトラックを回避して、自分は地面に頭を強く打ち付けるだけですんだが、少年は、――――!!
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、――!!」
動悸が激しくなる。そうだ、自分は助かったが、少年は、少年は、少年は、――――!!
看護師たちが少女をゆする。大丈夫ですか、大丈夫ですか、と呼びかけながら、残りの看護師たちが病室を駆け出す。
――少年は、昏睡したままだ。そして、おそらくもう起きない。
それは、この閉鎖された限定空間の異質さからよく伝わってきた。この、異質な「冬森市県立総合病院、四階、四百六十八号室」が存在する限り、少年は起きない。つまり、この部屋の存在を消滅させるまで、少年は起きない。そして、この部屋の消滅は、少年の消滅を意味している。
――つまり、少年は二度と起きない。
「あ、はは、あはははは、あっはははははははははははははははははは――!!」
少女は笑い出す。それは絶望からの乾いた笑い声のように聞こえたが、途中から、本当に、心底楽しそうに笑い始めた。
看護師たちは、その少女にどこか気味の悪いところを感じ、少女から飛びのく。救命器具を持ってきた医師や看護師たちも病室の前で固まっている。
明らかに、異質なのだ。どうしてこの少女は突然笑い出すのか。誰にも説明できず、ただ、その場に固まっていた。
少女はそんな看護師たちが目に入らないのか、笑い続ける。
「あははははははははははははははははは!! 可笑しいわ、可笑しいわ!! あははははは!! じゃあ、どっちにしたって命刻は救われないのね!? あはははははははははは――!!」
――少年を救うためには、この病室を消滅させなければならない。しかし、それは少年の消滅を意味する。なんだ? この袋小路は。不愉快だ。不愉快だ。しかし、――不愉快も、絶望を伴うとだんだん愉快になってくる。滑稽だ。実に滑稽だわ。あははははははははははははははははははははは――
ひとしきり笑うと、少女は幽鬼のように音も無駄な仕草もなく立ち上がる。ベッドで眠り続ける少年に一瞥くれると、今度はくるりと、本当に影のように看護師たちに振り返り、微笑むと病室を出て行った。
その微笑みは、何か大切なものが欠けた、見るものを戦慄させる、恐ろしく、しかし悲しい笑みだった。