神楽 「ジャヴァウォック」
夢 ――The Heroine’s Side――
十二、
相変わらず不思議に陽気な森。
少女は毎日毎日続く夢に、当然のように適応する。
普通に考えればどうあってもおかしい、夢が続くという状況。少女はそのもう一つの世界に降り立った。傍らには当然のように影のような猫を侍らせて。
「さあ、シロウサギを追いかけましょう」
少女は意気揚々と森を進む。
「……」
しかし、少女の提案に猫は答えない。
ただただ、その場にとどまり、にんまりと笑っているだけだ。
「――どうしたの?」
少女が問うと、
「どうやら、壊しすぎたみたいだね」
猫は今まで以上に三日月状の口を裂いた。
少女が目を見開くと、異変はすぐに起きた。
「――え?」
陽気だった森が一瞬にして炎に包まれる。
綺麗な青空は一瞬で朱に染まる。
世界は一瞬のうちに業火に包まれる。
「どういうこと!?」
「世界を壊しすぎたんだよ」
慌てふためく少女に猫はいたって冷静に答える。
少女はわけもわからず道を駆ける。
不思議と少女の進む道だけは炎に包まれていない。
「どういうことなの? 突然森が燃えるなんて!?」
「アリスの中の抑止力が働いているんだよ」
――グォオオオオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲッ!!
森を駆ける少女の後方で、聴いたこともないような咆哮が上がる。
「何、今の!?」
「アリスの中の抑止力さ。ジャヴァウォックって言うんだ」
「ジャヴァウォックって、あのドラゴン?」
「どのドラゴンだか知らないけど、龍だね」
――「ジャヴァウォック」。「鏡の国のアリス」に登場する正体不明の龍だ。
「それで、ど、どうして、そのジャヴァウォックが追いかけてくるのよ!?」
「君が世界を壊しすぎたからだよ」
息も絶え絶えに駆ける少女の隣をすぅーと移動する猫は説明を続ける。
「全ての世界は意思を持っているんだよ。その世界の大きさはどうあれ、ね。それで、世界は意思を持っているんだけど、一体なにを最も願うと思う?」
「何って……。分からないわ」
「まあ、アリスたちの最奥の願いと同じだよ。それは、生きること」
「生きること?」
「そう。どんな世界だって死にたくないんだよ。それで、世界は自分が死んだり、形を変えなければならなくなることをすごく嫌うんだね」
「形を変える?」
「難しい話だけど、世界が一つの形を保っていること自体が、本当は幸福なことなんだ。だって、原子や分子は絶えず運動してるんだからね。一応言っておくけど、今の世界の形を決定しているのは人間だよ。まあ、難しい話だから分からなくても仕方ないけど。まあ、そういった事態に陥りそうになると、世界はそれを抑止しようとするんだ」
「さっぱり分からないわ。それで、その話と私が怪獣に追われる話とどう関係があるの?」
「そうだね。この世界は『一条神楽』という一つの世界なんだよ。つまり、この世界は君が創っているんだね。正確には、君のもっと深いところだけど。とにかく、この世界は『一条神楽』が全てなんだ」
「……それで?」
「でもね。最近『一条神楽』は自分の世界を壊して回ったんだ。それがどういうことだか分かるかな。つまり、『一条神楽』は自分を壊して回ったということなんだよ」
「自分を、壊して……」
「すると、『一条神楽』自身も不安定になる。いずれはこの世界もろとも『一条神楽』は消滅するだろうね」
「消滅って……」
「だから、この『一条神楽の世界』は抑止を働かせることにした。それが、あのジャヴァウォックだよ」
「……待って。ちょっといい? 私を殺したら、この世界も死んじゃうんじゃないの?」
「確かに『一条神楽』がいなければ、この世界は消滅する」
「だったら」
「でも、その『一条神楽』は君である必要はないよ」
少女ははっと息を呑む。
「つまり、ジャヴァウォックは、――『一条神楽の世界』は――君を殺して、新しい『一条神楽』を代替に置いて安定を保とうとしているということだよ」
「そんな……」
「とりあえず逃げればいいよ」
「言われなくても!」
駆ける少女の後方でまた咆哮が上がる。地面を揺らしながら、咆哮し、世界を燃やしながら自分を追いかける怪物に少女は心から恐怖する。
どこか逃げ場を。
あの恐ろしい咆哮から逃れたい。
そう思っていたころ、目の前で森が開けた。
目の前には大きな城があり、少女のすぐ手前には城門がある。
「ハートの女王の城だよ」
城門の前には大きな芋虫らしきものが、葉巻をふかしているが、城門自体は開いていた。
後ろでは怪物の咆哮が上がる。
考えている暇はない。とにかく、あの怪物から逃れなければ。
少女は芋虫を無視して城門を突破する。芋虫は何も言わない。
少女が城門をくぐると、タイミングを計ったかのように、門が大きな音を立てて閉まった。
大きく重そうな鉄の門が閉まり、怪物の咆哮も聞こえなくなる。
城門の先は、ホールのような空間になっており、少し先にはまた扉がある。
ホールの中では、「不思議の国のアリス」のトランプの兵士たちがせわしなく走り回っている。一人として、歩いていたり止っているものはいない。
――ハートの女王は人使いが荒いのかしら?
ホールの中はトランプの兵士たちが慌しく走り回っているが、それ以外に異常はない。おそらく、この城はジャヴァウォックの影響を受けていないのだろう。
「ハートの女王はこの世界で、アリスについで重要、強力な存在だからね。この世界では誰もハートの女王に介入できないんだよ」
「つまり、此処は安全ということ?」
「そうなるね」
「……ふぅ」
少女は安心し、ついにその足を止めた。
「でも、これからどうしましょう」
「とりあえず」
猫が今後の方針を提案しようとしたとき、少女を白い煙が包み込む。甘い、砂糖を思わせるそれは、葉巻の煙だ。
「え、なに?」
白い煙は少女を包み、少女をふわりと浮かせる。そして、そのまま少女を城門へと引き戻す。
「まって、どういうこと!?」
少女はもがくが、空中ではたいした抵抗にならない。何より、相手は煙だ。その先で城門が大きな音を立てて開く。
そして、ついに少女は城門の外に連れ出された。
城門の外には先ほどの芋虫がいて、さらに正面には恐ろしい怪物がいた。
怪物を意にも介さず、芋虫が不機嫌に言う。
「お嬢さん。ルールは守ってもらわないと困るのだよ。でないと、何のためのルールか分からん」
しわがれた老人の声で芋虫は文句を言う。
しかし、少女はそれどころではない。
目の前には、恐ろしい怪物がいる。
コウモリのような翼を持ち、鋭く伸びた鍵爪、どんなものでも噛み砕いてしまいそうな鋸のような歯を持つその龍は、紅い瞳を怒りに燃やしている。五メートルはあるその巨体を前に、少女は動けない。
そして、芋虫を意にも介さず、龍が顎を開く。
「――で?」
龍が言葉を話すことに少女は少なからず驚く。
「どういうつもりだ?」
その声は低く唸るようで、いくつもの声が混ざっているようだ。時折、ジ、ジとノイズのようなものが入る。
「どういうつもりで自分を壊す!!」
龍が咆えると、世界が震撼する。
「分かっているのか!? 貴様が何をしているのか!? 貴様に存在を依存している我々は、貴様が壊れれば消え去るのだぞ!! 何より、理由が真っ当なものではない!! 自分で自分を壊すなど、狂っているのか!?」
自分に向けられた叱責に、少女は言い返せない。
「ジャヴァウォック。君が……、抑止が働いているということは、もう代わりが創られているのかい?」
答えない少女の代わりに、猫が問う。
龍は猫を睨み付けながら口を開く。
「そうだ。すでに代わりはいる。『夢の虚部』から離脱し、その小娘が壊した世界に生まれた新しい人格がな。当面はこちら側から接触することはできないが。何しろ、新しい要領を切り取ったところにいるのだからな。領域が違う。兎に角、その小娘が死ねば、いずれ、その新しい人格が主たる者となる」
「『夢の虚部』から離脱した?」
「貴様には関係のないことだ。誰もよく分かっていない。だが、そこの小娘の壊した世界の残骸、フラグメントからできている私にはその情報が混じっていた」
「フラグメント?」
やっと少女は口を開く。
「ジャヴァウォックは、その名の意味するとおり、『意味のないもの』として、アリスの『欠片』からできているんだよ」
「私の真名を口にするな!」
龍は真紅の口腔を開き、世界を燃やす業火を放つ。
空間をゆがめるほどのその炎は少女と猫に一直線に向かう。あたればひとたまりもない。そして、避けることもかなわない。
恐怖に目を見開く少女と、相変わらずにんまりと笑う猫。
しかし、炎は彼らを燃やすことはなかった。
空間をゆがめるほどの業火は芋虫の白い煙に包まれ、城門の中にその機動を変えられた。業火は城門をくぐり、その先で走り回るトランプの兵士たちの中に直撃する。恐ろしい叫び声と、鼓膜を震わす轟音が響く。
しばらく城門の中は喧騒に包まれていたが、直に炎は消え、騒ぎも収まった。
炎の直撃を受けたトランプの兵士が、その場に倒れると、少女のときと同様に白い煙がそれを包み込み、城門の外へと放り出す。
事態が収束してから、高級そうな葉巻をふかせながら芋虫が口を開く。
「まったく。誰も彼も、どうしてルールを守らないのだ? ん? アリス、ジャヴァウォック、スペードの四よ、どうしてルールを守れんのだ? これでは、何のためにルールがあるのか分からんぞ」
「マックスウェルの悪魔か……。そういえば此処は女王の城だったな。――忌々しい」
「これ。失礼だぞ」
龍は芋虫と城を本当に忌々しげに睨み付ける。
それに対し、芋虫は余裕の表情で葉巻をふかしている。
「おのれ……。そもそも、貴様らがこの小娘を殺せばいいのだ。それこそが、役割に合っている」
「まあ……、ハートの女王陛下がこのお嬢さんをお捕らえになれば、すぐにでも首をお刎ねあそばされるだろうがなあ。しかし、ご自身自らが外出あそばされることはまずないのだから仕方がない。は、は、は」
「貴様……!!」
――グォオオオオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲッ!!
龍は真紅の口腔を開き、世界を燃やす業火を放つ。
空間すらも歪ませる強力な炎だがしかし。
「エネルギーは向こうだと言っておろうが」
またもや芋虫の吐き出す白い煙に包まれ、城門の中へと誘導される。
大きな音が響き、同時に悲鳴が上がる。いくらかのトランプの兵士が直撃を受けたのであろう。倒れた兵士たちは白い煙によって、城門の外へ投げ出される。
「クローバーの七、ダイヤの三、四。お前たちもか。どうして誰も彼もルールを破るのだ? ルールは守るためにあるのだ」
淡々と不平を言う芋虫の隣で、少女が猫に問う。
「ねえ、何なの、あの芋虫?」
「彼はマックスウェルの悪魔だよ。城門の守護係」
「マックスウェルの悪魔? また、物理ネタなの?」
「そうだよ」
――グォオオオオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲッ!!
龍は怒りに身を震わせ、咆哮しながら芋虫に詰め寄る。
「状況が分かっているのか!? 私だけではない!! 貴様も、貴様が敬愛するハートの女王も消えるのだぞ!! だから、世界が抑止している!! だから、私が抑止している!! この小娘を放っておいたら、この世界が終わるのだぞ!! 不可抗力で、ではない、実にくだらん理由で、だ!!」
「ルールはルールだ。それに、それならそれでもかまうまい。何しろ、私たちは彼女なのだからな。主を殺して生き延びるなどとは、実に傲慢だとは思わんのかね?」
「傲慢? 結構!! 世界は傲慢に、貪欲に生を望む権利があり、その権利の行使は義務だ!! 世界として誕生した以上、傲慢に生存を望まなければならん!!」
「まったく。『いらないもの』が考えそうなことだな。所詮『欠片』には分からんか」
――グォオオオオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲッ!!
「私をその名で呼ぶな!! そもそも、男が一人死んだくらいでおかしくなりおって、この小娘は!!」
――男が一人死んだくらいで?
とたん、少女の内に黒い感情がこみ上げてくる。
「まっとうではないというのだ!! たかだか男が一人死んだだけだ!! その程度で世界に絶望するなどと、心が弱いにも程がある!! 死んだ男など放っておけ!!」
――放っておけ?
言わんとしていることは理解できる。要するに、済んだことは仕方ないということだろう。
「ジャヴァウォック。その位にしておけ。大人気ない」
芋虫がたしなめるが、龍の激昂は止まらない。
「そもそも!! 何だというのだ? ん? あの男はお前を助けて死んだのだ!! 本望だろうが!!」
――言いたいことは、十分分かる。でも。
「ふん。そもそも、できない奴が分不相応なことをするからこうなるのだ!! 貴様も知っているだろう? 奴は壁に頭を打って死んだのだ!!」
――それ以上言わないで。でないと。
少女の瞳が冷酷なものへと変わっていくのが、激昂に瞳を怒らせる龍には気づけない。
「アリス」
「黙っていて」
猫がたしなめるが、少女はそれを制す。
「そうだ!! 奴は壁に頭を打ち付けて死んだのだ!! 貴様を助けたことによるものであることは否定しないが……奴の死は貴様の死を肩代わりしたものではない!! 奴自身が呼び寄せた死だ!! そもそも、その死に方というのが」
――それ以上言わないで。でないと。
少女は龍が禁断の言葉を吐くことを、心の片隅でないようにと願いながら、その言葉に対する制裁の準備を進める。
ドロドロ、ドロドロと少女の黒があふれ出す。怒り、絶望、さまざまな激情が入り混じった強力な意思は、少女という器を溢れかえらせる。
もし。
もしもこの龍があの一言を口走ったとしたら。
破壊しよう。
花屋のように。
破壊しよう。
学校のように。
破壊しよう。
病院のように。
破壊しよう。
あの黒で。
要領も覚えた。激情に任せなくても、あの黒は体現できる。
――強い意志は具現する。
それは、世界の隠された基本法則。
それを認識した少女は、世界に自身を具現できる。少女にとっては、それが「黒」だった。
言う。
きっと言う。
あの龍は言ってしまう。
だから。
準備する。
自身に「黒」を満たしておく。
世界に「黒」を具現できるように。
「アリス」
猫が少女をいさめる。しかし、少女は答えない。答える必要なんてない。なんと言われようが、引けないものは引けない。
しかし、猫は言う。これだけは、と少女に伝える。
「アリス。良いのかい? ジャヴァウォックを殺すということは、君を殺すということだよ」
しかし、少女がその言葉の意味するところを図り知る前に、龍が禁断の一言を口走ってしまった。
「勢い余って頭を打ち付けて死んだ? はっ! 実にくだらん!! 阿呆らしい!! 馬鹿馬鹿しい!! 奴は無駄死にだ!! いや、無駄ではないか、助けることには成功しているからな!! だが、だがしかし!! その後に、自分から死ぬなどと……実に馬鹿馬鹿しい!! そう思わんのか? あんな阿呆な男のことなどさっさと忘れ、世界に生きろ!! そうだ、あんな阿呆な」
「もういいわ」
――瞬間。
少女の「黒」が溢れかえった。




