神楽 「恋人と殺戮」
現 ――The Heroine’s Side――
十一、
ピピピ、ピピピ、ピピピ……。
けたたましいアラームが鳴り響く。
黒髪長髪の少女はアラームのスウィッチを叩きつける。
むくりと上半身を起こす。おかしな夢のせいでいまひとつ寝た気がしない。しかし、あの不可解な状況から救い出してくれた目覚まし時計はある意味救世主でもある。
……先日まではそう思っていたが、今では違う。むしろ、夢から醒めることが残念で仕方がない。愉快な夢と、悲壮な現実。比べたら、夢を望むことは間違っていないだろう。
着替えて、顔を洗って、朝食の支度。少女はこの決められた一連のパターンをいつもどおりにすばやく済ます。
朝食を作りながら、テレビのスウィッチを入れて、ニュースをつける。あいにく、ニュースではなく、占いだった。
「……それでは、今日の占いです」
まあ、しかし今日もニュースという気分ではなかったので、占いはちょうどよかったともいえる。さてさて、今日の運勢は? フライパン片手にテレビを見やる。ちなみに少女はさそり座だ。
「……。さそり座の貴方は、今日は大きな失望を感じることでしょう」
……またか。毎日毎日、同じことしか言っていないように感じるのだが、このテレビ局、やる気があるのだろうか?
とすれば、ラッキーカラーも分かりきっている。
「ラッキーカラーはブルーです」
やはり青。しかし、三日も続けて同じ占いとは。此処まで手抜きだとかえってすがすがしくもある。
食卓の上に「青い薔薇」。とりあえずはこれが今日も運勢を良くしてくれるらしい。はなはだ怪しいものだが。
しかし、この薔薇、相変わらず瑞々しい。
「さて、支度して出かけるかな」
――どこに?
そうだ。学校は昨日壊してしまった。では、他にどこに行く? 私が知っているところといえば、後は少年の眠る病院くらいだ。
……考えていても始まらない。仕方がない。学校もないのだし、病院に寄ろう。起きない少年を見に行こう。
そして、少女は家を出た。
冬森市県立総合病院、四階、四百六十八号室。
ネームプレートは「葛木命刻」。
自分を助け、それ以降眠り続ける少年に少女は会いに来た。
少年は依然眠り続け、病室の異質な空気はやはり変わらず、少年が目覚めないことを決定している。この空間においては、少年は絶対に目覚めない。それは、その場にいるものであれば、誰もがそう気づくであろう。それほどその病室は異質なのだ。
先日、少女はこの異質さにあきらめ、絶望し、この部屋から退室した。今日来たことも、少年が目覚めることを望んできたのではない。尤も、少年が目覚めることは少女が切に願うところであるが、この異質な空間において、それはまず有り得ないと少女は判断する。
つまるところ、少女が此処に再び来た理由は一つだ。特別此処に用事があったわけではない。しかし、学校までも壊した少女は、自分の知る世界は、あとは家とこの病室くらいなのだ。となれば、自然此処に足が向かうのは当然であろう。
少女は面会者用の椅子に腰を下ろし、少年を見つめる。
どうしてこうなってしまったのだろう。あの事故から、世界が崩れていく。
少年は目を覚まさない。事件のあった花屋の近くの主婦たちは少年を笑う。個人的に気に入っていたクラスメイトたちも、信じられないくらい薄情で、少年を笑った。学校までもが笑った。そして、この病室。少年を絶対に目覚めさせないようにしている。
「ここよ、ここの患者さん。何でも、女の子を事故から助け出して勢い余って……」
廊下から看護師たちの声が聞こえる。
分かる。どうせ、また彼女たちも少年を笑うのだろう。今朝の占いを思い出す。「大きな絶望」。まさにそれだ。これ以上世界に絶望するのは願い下げだ。
ならば。
彼女たちが禁忌に触れる前に、もうこの病室を破壊してしまおう。
彼女たちが禁忌に触れる前に、もう彼女たちを破壊してしまおう。
そう。
今までと同じように。
ここも殺戮しつくそう。
――強い意志は具現する。
それは、世界の隠された基本法則。
もう要領も覚えた。
自分の中の殺意を形にする。
顕現する。
全て、選択の余地なく、限られた空間を殺戮しつくす嵐を。
――そして、少女の黒が溢れかえった。
少女から放たれた黒は圧倒的な破壊力を持って、全てを破壊していく。
轟轟と。
病室を。
轟轟と。
看護師達を。
轟轟と。
近くの病室も。
轟轟と。
廊下も。
轟轟と。
ナースステーションも。
轟轟と。
入院患者たちを。
轟轟と。
外来患者たちを。
轟轟と。
医師たちを。
轟轟と。
壁も。
轟轟と。
足元も。
轟轟と。
空気さえも。
――轟轟と。
眠る恋人さえも。
――少女の黒は、あらゆるを殺戮した。
視界はまったくの黒。否、黒すらない虚無。
その中で、少女は静かに涙を流していた。
静かに、決別するかのごとく、表情は凛としていた。
その中で、少女の目の前に黄色い二つの瞳が覗いている。
やがて、二つの瞳の下に黄色い三日月がくりぬかれる。
「やあ、アリス。ずいぶん派手に壊したね」
それは見知った顔になり、にんまりと笑っている。
「どうしてかしら。私、涙は流れているけど、悲しくないの」
少女はそっと震える声で猫にたずねる。
猫はにんまり笑いを崩さない。
「悲しいから涙は流れるんだよ。でも、悲しくないのは悲しくないからだよ。つまり、悲しいことだけど、悲しくはないんだね」
相変わらずの要領を得ない返答に、少女は微笑む。
「貴方は変わらないわね」
「つい最近あったばかりだけどね」
虚無の中、少女はまた微笑む。
「さあ、シロウサギを探しに行きましょうか」
猫は先ほどよりも、やわらかく見える笑顔をつくる。それは少女の目の錯覚だったのかもしれないが、どこか優しさを感じさせた。
「うん。シロウサギを探しに行こう」
――そして、少女は夢を見る。