狭間 「我は『殺戮』なり」
狭間 ――The Murderer’s Side――
三、
――白。
――黒。
白と黒の、パノラマの世界。
一条神楽の、壊れた世界。
一条神楽が、壊した世界。
「ワタシ」が此処に逃げ込んでから、ずいぶんと長い時間がかかった。
「ワタシ」は此処を探索してみたが、あるのは白黒の花屋とその周囲、そしていくらかの人々のみ。
探索も何も、此処はほとんど何もない。本来続いているべき道も、今はその先が虚無へと続いている。
――きっと、此処は一条神楽の捨てた世界なのだろう。彼女の捨てた世界だからこそ、「夢の虚部」から独立し、あの恐ろしい「自我の爆発」から逃れられたのだ。そして、これからも「自我の爆発」の影響を受けることはないだろう。「ワタシ」はまだ主観を持っていないが、それまでは此処に隠れていよう。一条神楽は葛木命刻を失ってから世界に絶望しているから、またすぐにでも新しく世界を壊して此処に届けてくれるだろう。
世界に触れれば、「ワタシ」の「客観」も「主観」を持つだろう。それこそが、否、それだけが「客観」の「ワタシ」が望むたった一つのもの。「客観」が「主観」になることのみが、消え行く自分のもっとも望むもの。
ならば、何か行動しよう。
なにをしようか。
何ならできるのか。
……「客観」しか持たない「ワタシ」が何かしたいなどという意思を持つはずもない。
なら、「客観」たる「ワタシ」は、どうすればいい?
このパノラマの世界で、何をすればいいのか?
このパノラマの世界は、何のためにあるのか?
死んだ世界。
殺した世界。
殺戮された世界。
殺戮されるだけだった、この世界。
そこで気づく。
この世界は、ある一つの現象によって統制されてできた世界なのだと。
すなわち、「殺戮」。
この世界は、「殺戮」たる意思によって統制され、「殺戮」され、「殺戮」たる状況を作り上げた。
あらゆるの意思を塗りつぶす、過剰なまでの「殺戮」。
すなわち、この世界は「殺戮」。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。
此処に存在する状況は「殺戮」のみ。
此処に存在する意思は「殺戮」のみ。
此処から得られる物は「殺戮」のみ。
然らば。
此処でなすべきことは「殺戮」のみ。
然らば。
此処にいるワタシとは「殺戮」である。
然らば。
此処でワタシは全てを「殺戮」するのみ。
「――なら、殺戮しよう」
――驚く。「ワタシ」が思考した。
これが、「主観」なのか? たとい、その「殺戮」たる限定空間の強靭な意志に影響されたのだとしても……今のは、「客観」たる「ワタシ」の思考ではない。
此処に存在する、「ワタシ」が自発的にそう思考した。
「殺戮」の中にあって、「自分は殺戮したいのだ」と思考した。
歓喜する。「ワタシ」が思考した。
ならば、その思考に身をゆだねて。
この空間を、再度「殺戮」しよう。
右腕に、一振りの日本刀。
ひたすらに美しい、流麗なるそのフォルム。
西洋の剣のように、無骨でない。ある種の美意識がそこには内在している。
叩くのではない。斬るのだ。
日本刀は、その剣自体が暴力。
ひたすらに美しく「殺戮」する。
「殺戮」たる「ワタシ」に最も似合った凶器。
「ワタシ」はこれで、「殺戮」しよう。
「――さあ、殺戮しよう」
花屋の周りで井戸端会議を開いている主婦たち。
まずは、その一人の首筋を、切断する。
音もなく近づき、音もなく切断する。
どう切断すればいいのか?
どう切断するのが最も効率が良いのか?
どう手際よく切断するのか?
そもそも、切断できるポイントはどこなのか?
何もかもが、全て分かる。
なぜならば、ここは「殺戮」で「ワタシ」は「殺戮」だからだ。
「殺戮」たる空間に産み落とされた「ワタシ」は「殺戮」でできていて、「殺戮」の何たるかを、熟知している。
「客観」たる「ワタシ」は舌を巻く。人間が、息の仕方を、心臓の動かし方を生まれたときから知っているように、この「ワタシ」は「殺戮」を完全に理解している。
主婦の首筋。最も「殺戮」しやすいポイントに、最も「殺戮」しやすい角度で、もっとも「殺戮」しやすい速度で、「殺戮」たる刃を打ち込む。
瞬間。主婦の一人は言葉を失った。何しろ、首から上がない。
驚きに目を見開く主婦たちも、すぐに声を失った。何しろ、首から上がなくなった。
「ワタシ」は瞬く間に、四人の主婦を「殺戮」した。
瞬間において、一切の音はない。驚く主婦は悲鳴を上げることすらかなわず。斬りおとされた首は、鮮血を上げることすらかなわない。
四人の「殺戮」が終わると、今頃になって彼女たちの時間が動き出すかのように、首を失った胴体が鮮血を上げる。
その中で、「ワタシ」は喜悦の笑みを浮かべながら血潮の雨に濡れていた。
ひたすらに美しい「殺戮」。
悲鳴の中であらゆるを粉みじんにしていくような派手な「殺戮」ではない。一切の無駄を捨てた、生命の剥奪。
何者も、自身の生命の剥奪に気づけない。抵抗できない。ひたすら一方的かつ、美的なまでに無駄を削除した「殺戮」。
これこそが、「殺戮」たる「ワタシ」の、「殺戮」行為。
何もかもを「殺戮」できる「ワタシ」だけの美しい「殺戮」。
「殺戮」から産まれた「ワタシ」の、たった一つの、しかし絶対的なアドヴァンテージ。
その空間内の生命を「殺戮」し尽くすのに、時間はそうかからなかった。