神楽 「狂気と殺戮」
現 ――The Heroine’s Side――
八、
ピピピ、ピピピ、ピピピ……。
けたたましいアラームが鳴り響く。
黒髪長髪の少女はアラームのスウィッチを叩きつける。
むくりと上半身を起こす。おかしな夢のせいでいまひとつ寝た気がしない。しかし、あの不可解な状況から救い出してくれた目覚まし時計はある意味救世主でもある。……まあ、昨晩は割りと楽しめたわけだが。
なにしろ、どこまでも頭の痛くなる夢だ。どうして夢でまで物理について考えなければならないのだろうか。物理苦手なのに。
しかし、少年の面影を残す夢に少女が心惹かれ始めたことは否定できない。
着替えて、顔を洗って、朝食の支度。少女はこの決められた一連のパターンをいつもどおりにすばやく済ます。
朝食を作りながら、テレビのスウィッチを入れて、ニュースをつける。あいにく、ニュースではなく、占いだった。
「……それでは、今日の占いです」
まあ、しかし今日もニュースという気分ではなかったので、占いはちょうどよかったともいえる。さてさて、今日の運勢は? フライパン片手にテレビを見やる。ちなみに少女はさそり座だ。
「……。さそり座の貴方は、今日は大きな失望を感じることでしょう」
なんて物騒な占いなんだろう。普通、当たり障りなく、まずまず、くらいには言うだろうに。
というか、昨日も同じことを言っていなかっただろうか? やる気あるのだろうか、このテレビ局。
「ラッキーカラーはブルーです」
青か……。
というか、昨日も青だった気がするのだが? やる気が無いのか? このテレビ局。
食卓の上に「青い薔薇」。とりあえずはこれが今日も運勢を良くしてくれるらしい。はなはだ怪しいものだが。
しかし、この薔薇、二日たってもいまだに綺麗だ。
「さて、支度して出かけるかな」
それから少女は登校の支度を済ませ、家を出る。
今朝は病院には寄らない。なぜなら、無駄だからだ。葛木命刻は目を覚まさない。それは間違いない。あの空間において、そんなことはありえない。そう、少女は確信していた。
とりあえず、学校に行って、帰りに寄ろう。そう思って、少女は登校した。
昼休み。少女は一人昼食を食べる。
場所は教室。であれば、周りにはクラスメイトたちがいるが、葛木命刻の不在の中――それも、意識不明の重体だというのに――楽しくおしゃべりする気にもなれず、また、楽しくおしゃべりしているクラスメイトたちの中にもいたくなかったため、少女は一人で昼食を食べる。
黙々と食事をすると、いやでもクラスメイトたちの会話が聞こえてくる。
そもそも、つい最近まで、このクラスはこんなに冷たいクラスじゃなかった気がするのに、どういうことだろう。少年が入院したとなれば、ほとんどの人間が心配していただろうに、どういうわけか今の彼らは一切そんなそぶりは見せない。
このクラスは変わってしまったのだろうか。そう少女が考えていると、その間もクラスメイトたちは楽しそうにおしゃべりをしている。
たわいもない話ばかり続いていたが、その中に、聞き流せない話が出てきた。
「命刻君、大丈夫かな?」
「きっと大丈夫だろ、アイツしぶとそうだし」
「早く良くなるといいよね」
「まあな」
葛木命刻のことなどすっかり忘れているのではないかと思っていたクラスメイトたちが彼の身を案じている。そう感じて少女の頬は弛緩する。
そうだ。このクラスメイトたちは自分が思っているほど冷たい人間たちではなかったはずだ。どういうわけか、葛木命刻が入院してから、クラスの雰囲気がガラッと変わってしまった気がしたが、それは自分の思い違いだったのかもしれない。
「――でも、笑っちゃうよね。神楽ちゃん助けに入って自分が入院しちゃったんでしょ?」
――え?
「うーん。助けに入ったのはかっこいいんだけどね」
「ついでに言うと、代わりに怪我したのもかっこいいよね」
「おいおい何言ってんだよ? アイツが怪我したのは、別に代わりに車に轢かれたとかじゃないだろ?」
「うんうん。たしか、壁に激突したんだっけ?」
「くすくす。なんか、らしいよねー」
「そうそう」
「あははははは」
――みんな、なにを言っているの?
少女の心が黒く溢れかえっていく。
「そもそも、運動できないんだから、かっこつけようとするなよなー」
「いやいや、でもそうしたら一条さんは助からなかったじゃない」
「そうか……。あ、そうだ、こういうのはどうだ? 一条を助けて、自分は代わりにトラックにはねられて瀕死の重体」
「お、それならかっこいい!!」
「たしかにねー。彼もどうせ怪我するならトラックにはねられていたらよかったのに」
「そうしたら、超ヒーローだよね!」
「かっこいい!!」
「でも実際は、壁に激突」
『あはははははははははははははははははは!!』
クラス全員が笑う。廊下の奴らまで笑う。クラスが嗤う。廊下が嗤う。隣のクラスが笑っているのが聞こえる。クラスが嗤う。廊下が嗤う。隣のクラスが嗤う。そして、その隣が。その隣も。その隣も。
嗤う。みんな嗤う。聞こえるはずもないのに、全校が嗤っている。教務室まで嗤っている。嗤っている。嗤っている。
少年の勇気を嗤っている。あの悲劇を嗤っている。現状を嗤っている。嗤っている。嗤っている。
「――あ、あはは、あははは……」
少女の雰囲気が変わり、乾いた笑いを漏らす。
「くすくす。あはは」
そんな少女にクラス全員が、廊下の学生が、隣のクラスが、教務室が、全校が、凍りつく。
――強い意志は具現する。
それは、世界の隠された基本法則。
「『かっこいい』? くす。なら、貴方たちも格好良く死なせてあげるわ」
――そして、少女の黒が溢れかえった。
「きゃあああああああああああ!!」
「うわあああああああああああ!!」
轟轟と少女の周りを黒の嵐が包み込む。
黒の嵐は少女の近くにいたいくらかのクラスメイトを飲み込み、壁に叩きつける。
それを見て、いくらかの生徒は叫びながら逃げ出し、残りの生徒は足がすくんで動けなくなる。
「あはははは。いいわよ。格好良く死になさい」
逃げ惑う生徒たちに少女は腕をかざす。
「逃がさない」
少女の黒が渦を巻いて彼らを飲み込み、一瞬にして生徒たちの命を奪う。黒の渦はまるで削岩機のように、圧倒的な暴力で生徒たちを粉々に、バラバラに砕いていく。
「くすくす。派手に逝きなさいよ。その方が格好良く死ねるわよ」
逃げ出した生徒たちは残さず血潮と肉塊に成り果て、黒の嵐の中、壁に張り付いている。
「あははは、バラバラじゃないの」
バラバラになった生徒たちのパーツを見、気を失うもの、少女に命乞いをするもの、それらも少女は一切の容赦なく破砕する。
「なに? あきらめたの? あはは、まあいいわ。死になさい。そこで震えてる貴方も、飛び切り格好良く死なせてあげるから」
その教室という限定空間は黒の嵐と血潮と肉塊と叫び声で満たされた。
だが、少女の黒は一向に納まらない。黒は轟轟と渦を巻きながら、廊下、隣の教室、そしてその隣の教室と順々に通過する。
「あはははは。みんな格好良いわよ。だって、バラバラに分裂して壁に張り付くなんて芸当、普通できないもの」
廊下が叫びと黒と彼らの血潮で満たされ、隣の教室から叫びと殺戮の音が聞こえる。
轟轟、轟轟と黒がとどろき、生は叫び、血潮が弾け、肉塊が張り付く。阿鼻叫喚の殺戮音を聞きながら、少女はまた黒を溢れかえらせ、教室すらも殺戮する。
「まだまだ、もっと叫んで。もっと赤い血潮を撒き散らして」
上の階や下の階からも殺戮音が聞こえてくる。
「いいわ。これこそが殺戮。暴力の芸術。みんな、格好良いわ」
少女の黒は、教務室すらも殺戮し、少女の黒は校舎全体を包み込み、殺戮しつくした。
――少女の意思が学校という限定空間を完全に飲み込み、塗り替えた。少女の黒が、全校の生を飲み込み、死に塗り替えた。
そして、少女の黒は学校の周りをも飲み込み、全てを黒に帰した。
視界全てが虚無に通ずる黒に塗り替えられたのを確認した少女は極上の笑みを浮かべ、その場に倒れた。
あるのは、絶対の虚無のみ。少女は、彼女の世界を殺戮した。