神楽 「双子のパラドックス」
夢 ――The Heroine’s Side――
九、
「どうして弟だけが歳をとってしまったんだ? どうして時間のヤツは裏切ったんだ? アリス、教えてくれよ」
――まさか此処で「双子のパラドックス」にぶつかるとは思わなかったわ。恨むわ、命刻。さて、どうしましょうか……。
「あ、あの、私たち急いでるのでこのあたりで……」
少女は逃げ出した。しかし、回り込まれた。
「待ってくれよ! 頼むよ、アリス。此処は時間が止まってることだし、な?」
厄介な兄弟、兄が詰め寄ってきた。目が真っ赤に充血している。弟は兄を止めもせずに、相変わらずユラユラしている。
――弟も真相を知りたいのね……。
少女がどうしたものかと戸惑っていると、黒の猫が見上げていた。
「落ち着きなよ、アリス。そもそも君が産み出した問題なんだから、解決してあげなよ」
「う……」
それを言われるときつい。確かに、彼らは彼女の「夢」であるから、それを解決する責任があるのかもしれない。
――でも、「夢」でまで責任取らないといけないの?
猫はそれ以上何も言わず、少女を見上げるだけだったので、少女は折れるしかなかった。
「――分かったわよ。ちょっと待ってね。今思い出すから」
「おお!! アリス。ありがとう、ありがとう!!」
「ふふふ。兄さん、すごい喜びようだね」
――貴方も、知りたかったのでしょう? まあ、良いか。
それから少女は記憶をたどる。
――そんなに旧い記憶ではない。そう、確か三ヶ月くらい前の話だ。命刻が「相対性理論がよく分かる本」なるものを差し出してきて、どうにも断れずに受け取って……。そして、読んだなあ。なんて書いてあったっけ?
「もぅ。何? この『双子のパラドックス』って? 誰よ、こんなこと言い出した人。アインシュタイン先生がそうだって言ってるんだから、納得しなさいよね」
「――ははは。まあ、当時は信じがたい理論だったからね。まあ、今でもよく分からないけど」
「そうよ。そもそも『相対性理論』からよく分からないわ」
「あ、それ同感」
「……は? 貴方ねえ……。どうしてそんなもの読ませるの? ふざけてるの?」
「え? い、いや、そんなつもりじゃないよ」
「じゃあ、どういうつもりなのかしら?」
「だって、ほら、自分の好きなことって、知ってもらいたいでしょ? ……特に神楽には」
「……こほん。いいわ。そういうことにしましょう。でも、こんなわけの分からない本を読ませた責任は取ってもらうわよ?」
「責任?」
「どういうこと? どうして弟だけ歳をとってしまったの? 教えなさい」
「ああ、そういうことか。うん。分かったよ。これは僕にも理解できたからね」
「無性に悔しいのはなぜでしょうね?」
「さ、さて、このパラドックスだけど、簡単なことなんだよ。いいかい? 特殊相対性理論は、観測者が等速直線運動をしていることが絶対条件なんだよ」
「そういえば、そんなことを読んだ気もするわね」
「つまり、二人がそれぞれ等速直線運動をしている場合のみ、お互いの時間が、『遅れている』という状態が発生するわけだね」
「そうなの?」
「そう。で、兄は光の速度で宇宙に旅に出たけど、問題がある。分かる?」
「分からないわよ。喧嘩なら買うわよ?」
「すみません。……ええと、そう。兄は地球を出発するときや、ある程度進んでから方向を変えるとき、等速直線運動じゃなくなるでしょ?」
「そうなるみたいね」
「そのタイミングで、兄は加速度運動、つまり、速度や方向が変化するわけだ。そうするとね、兄は宇宙船の床とかに押し付けられるんだよ。……そうだね、エレベーターとかがそうだね。上がるとき、下に引っ張られる感じがするでしょ? ……あ、エレベーターだよね? あの箱のヤツ。エスカレーターだっけ?」
「……エレベーターよ。いい加減覚えたほうが良いわよ」
「うん。で、宇宙船の中に『見かけの重力』が発生するわけだね。で、それの『見かけの重力』によって、兄の時間が遅くなって、その間に弟の時間は進んでしまった。というわけさ」
「そういえば、『見かけの重力』とかも書いてあった気がしないでもなくもない?」
「……どっち? まあ、要するに、そういうことだよ。『見かけの重力』の発生に気が付かないと、分からないね。つまり、真犯人は『見かけの重力』ってことだよ」
「へえ」
「え? それだけ? これだけ説明させておいて、反応はそれだけなの?」
「だって、それ以外になんともいえないもの。なんていうか、問題は面白いのに、答えはつまらないわね」
「ま、まあね。なんだか地味な答えだよね」
「まったくだわ。だって、問題は面白いのに、答えが、『あっそ』っていう感じのものだし」
「そこまで言わなくても……」
――つかの間見た、幸せの記憶。
この夢は、命刻の面影が、ある。
つまらない現実なんかよりも、よっぽど
「つまり、そういうことよ」
「さ、さすがだアリス!!! というと、あれか? 『時間』は悪くなかったのか?」
「そうじゃないの? 『見かけの重力』ってやつに宇宙船で押しつぶされて仕事ができなかったんだから、『時間』は悪くないわよ」
そうだったのか、とがっくりと肩を落とす迷惑な兄弟、兄。
隣は驚愕しながらも、微笑みながらユラユラしている迷惑な兄弟、弟。
「つまり、つまり、アリス。『時間』は我々をだまそうとしたわけではなく、だましたわけでもなく、ただ、『見かけの重力』というヤツに押しつぶされて、時間を止め切れなかっただけなのかね? 彼はしっかりと仕事をしていたというわけかい?」
「そうなるんじゃないかしら?」
「なんということだ!! 俺たちは『時間』を『牢獄』に入れてしまった。懲役一時間だが、『牢獄』の中は時間が止まっている。ヤツが出てくることはないだろう。ああ、すまない『時間』よ!! 私が悪かったのだ!!」
「まあ、すんだことは仕方が無いじゃないか、兄さん」
――意外と薄情な弟なのね。
相変わらず厚くなっている兄と、微笑みながらユラユラしている迷惑な弟、この嫌な兄弟に挨拶をして、少女は兄弟の家を出た。
すると、兄が声をかけてきた。
「アリス!! ありがとう。それで、『シロウサギ』を追いかけてるんだったね、あいつなら、さっきこの前を駆け抜けていったよ。それはもう、恐ろしいほどの速度で疾走していたね」
「ははは、兄さん。もっと気の利いたことが言えないのかい?」
――まあ、貴方たち二人ともよく分からないわ。
「それじゃあ、御邪魔しました」
少女は迷惑な家から出て、ウサギを追いかけることにした。
猫が少女を見上げる。口を黄色くくりぬき、三日月のように裂けた口を見せる。――笑っているのだろうか?
「よかったね、アリス。さあ、ウサギを追いかけよう」
少女の目の前には昨日もみた暗い穴。「ウサギの穴」。「ワームホール」が開いていた。
少女はためらい無くその虚無に堕ちていった。
――そして、少女は目を覚ます。
偽りの、虚構に目を覚ます。
魔術師の用意した、絶望の世界に目を覚ます。