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Blue Rose  作者: 無名の霧
15/40

神楽 「不思議な双子」

夢 ――The Heroine’s Side――


八、


 少女は森の中にいた。

 生い茂っていて、全体的に暗い森だ。そんな中で、少女が立っている小道は光が差し込んでいて比較的明るい。

 周囲の森は光が差し込んでおらず、暗い。しかし不思議なことに、その暗黒に恐怖はなかった。暗黒だけではない。その森そのものに何の不安も感じない。森はどこか陽気な印象を少女に与え、この森ならば、迷っても大丈夫だと少女に思わせる。

 此処は少女の夢ではあるが、少女には見覚えのない場所だ。小道を逸れれば間違いなく迷うだろうが、その心配はなかった。小道には光が差しているし、何より少女の隣には猫がいた。

 黒く、影のような猫。目だけが黄色くくりぬかれ、時たま口もくりぬかれる。先ほどは黒に霧散し、少女を夢へといざなった不思議な猫。

 その不思議な猫が口を開いた。

「急ごう、アリス。ウサギは遠くに行ってしまった。早くしないと女王に見つかって首を落とされちゃうよ、アリスが」

「え? 私がどうして首を斬られなきゃならないの?」

「女王が君を殺したいからさ」

「だからどうして?」

「ウサギを捕まえちゃいけないからさ」

「いけないことなの?」

「いけないことだよ」

「じゃあ、どうして私にそんなことさせているのよ!?」

「だって、早くしないと女王に首を切り落とされちゃうからだよ」

「……ごめんなさい、意味が分からないわ」

「つまりね。この夢の中では女王は君を殺したがっている。君がウサギを捕まえられる可能性を持っているからね。そして、ウサギは捕まえちゃいけないものなんだ。でも、君はそれができる。危ないから、女王は君を殺そうとしているんだよ」

「ウサギを捕まえる理由にはならないわ」

「なるよ。ウサギを捕まえれば、女王から逃げられる」

「なるほどね。女王から逃げるためにウサギを捕まえるのね?」

「そうだよ。でも、急がないといけない」

「――どうして?」

「女王の城より向こうに行ってしまったら、女王を倒さないと先に進めないからさ」

「それじゃ意味ないじゃない」

「そう、だから急がないと。とりあえず、しばらくは此処をまっすぐ進めばいいよ」

 猫はそういうと、口をしまって、少女の先をすべるように進む。

 少女も猫についていく。

 その間、少女は思考する。

 大変なことになったものだ。早くウサギを捕まえないと女王に殺されてしまうという。

 女王。「不思議の国のアリス」で、アリスの首をはねようとしたアイツのことなのだろう。自分の夢なのだから、ある程度予想はできる。ほぼ間違いなく「ハートの女王」だろう。

 そして、ウサギが女王の城を越してしまったら、女王と戦わないといけないらしい。まったくもってふざけた夢だ。「トランプの兵士」たちに襲われたらひとたまりもないだろう。

 そもそも、二日続けて同じ世界の夢とはどういうことなのだろうか。


 すると、前方に一軒の家が見えてきた。


「ん? ねえ、あの家はなに?」

 前方を滑っていた猫が止まり、少女に振り向く。

 真っ黒な顔に、黄色い口を浮かべる。

「あれはパラドックス兄弟の家だよ。ウサギがどこに行ったか聞こう」

「パラドックス兄弟? どんな人たちなの?」

「若い兄と老人の弟だよ」

「……それ、おかしくない?」

「おかしいね」

「どうしてお兄さんが若くて、弟がお年寄りなの?」

「本人たちも分からなくて困っているんだよ」

「……本当にわけがわからないわ」

 猫はまた先をすべるように進んで行き、家の扉の前で止まった。

 すぐに少女が追いつく。

 猫は少女を見上げている。そして、顎をくい、と家の中に向けた。

「入れということかしら?」

 少女の言葉に、猫は口元に黄色い三日月を作る。少し怖い笑顔だが、少女はそれを肯定とみなし、ドアをノックする。

「誰だね?」

 家の中からはしわがれた老人の声が返ってきた。おそらくこれが弟だろう、そう少女は判断し、自己紹介をする。

「アリスです。少しお聞きしたいことが……」

 少女がアリスと名乗ると、それを最後まで聞き終わらないうちにドアが開いた。

 中には二十代の若者と、安楽椅子に腰掛けた老人がいた。

 若者はにこやかに少女を迎え入れる。

「やあやあ、アリス。まさか君が此処に来てくれるとは思わなかったよ。いやあ、実に困っていたんだ。助けてくれよ」

「え、いや、あの……」

「兄さん。アリスが困っているじゃないか。まずは自己紹介からだろうに。……悪いねアリス。兄さんは君にあえてうれしくてしょうがないみたいだ。私は弟のディーだ、よろしく」

 弟はさすがに年長者だけあって、落ち着いている。やさしく少女を見つめながら、安楽椅子を前後に揺らしている。

 それを聞いて若者も自己紹介を始める。

「悪かったね、アリス。確かにはじめに自己紹介をするのが礼儀だったね。いやいや、うれしくてね。私は兄のダムだ。よろしく頼むよ」

「え、ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」

 若者に椅子を用意されて、少女はそこに座る。

「紅茶でも?」

 若者は少女の答えも聞かずにさっさと少女の前に紅茶の入ったカップを置く。笑顔で進めてくるので、少女もありがたくいただくことにした。

「いただきます」

 そんな様子を老人が微笑みながら見ている。その横には少女の猫が座っている。

 兄が提供してくるどうでもいい話――しかし、この不思議の国の話なので、少女にはほとんど理解できないことばかりだが――を聞きながら、少女は思考する。

 この兄弟は、おそらく「鏡の国のアリス」に登場する兄弟だ。「トゥイードル・ダムとトゥイードル・ディー」だろう。たしか、双子で瓜二つだったはずなのだが、どうしてこうも歳が離れているのだろうか。それも、兄より弟が歳を取っているなんて、普通は考えられないことだ。

 少女が思考していると、弟が話しかけてきた。

「気になるかね? 私と兄の歳の差が」

「ええ、まあ。お兄さんの方が若いというのはどういうことですか?」

 すると弟は、ははは、と笑った。隣で兄の目線が鋭くなったのを少女は感じた。

「これでも、昔は私と兄は瓜二つの双子だったんだよ。それはもう、区別ができないほど似ていたんだよ」

「じゃあ、どうして今は弟のディーさんの方が歳をとっているの?」

「それなんだよ、アリス!!」

 アリスの問いに、悲しげに微笑む弟とは違い、兄はアリスに詰め寄る。その眼はカッと見開かれていて、少女は怖気づいた。

「まあまあ、兄さん。アリスが怖がっているじゃないか」

「おぉ……悪かったね、アリス。脅かす気はなかったんだよ……」

「え、ええ。大丈夫です。気にしないでください」

 ……嗚呼、びっくりしたわ。この話題には触れないほうがよさそうね。少女は二人の歳の差についてはこれ以上触れないことを固く誓った。

 しかし、時すでに遅し。兄は一人で盛り上がって、弟がなだめている。関わらないと誓った少女だったが、すぐに話を振られてしまう。

「アリス。頼むよ、アリス。どうしても納得できないんだ! どうして弟だけ歳をとってしまったんだ!?」

 そんなこと私が知るわけないじゃない! とはさすがに言えず、仕方がないから少女はわけを聞くことにした。

「何か原因があるはずだわ。心当たりはないの?」

「あるともさ!!」

 じゃあ不思議がることないじゃない!! ともさすがに言えず、少女は話を聞くことにした。

 説明するのは熱くなっている兄で、弟は安楽椅子を前後に揺らしながら微笑んでいる。

「俺たちは、『時間』の野郎にはめられたんだ!」

「……『時間』にはめられた?」

「そうなんだよ、アリス。『時間』のヤツ、適当なこと言いやがって……」

 兄が怒りに震えているが、少女はそれどころではない。少女には今の話がほとんど理解できていない。「時間」というものが擬人化されているのかしら? はっきり言って、意味がわからない。

「ねえ、『時間』って、あの『時間』よね?」

「それ以外に俺は『時間』を知らないよ」

 少女が頭を抱えていると、猫が助け舟を出してきた。

「アリス、よく考えてごらん。此処は君の夢なんだから、知っているはずだよ。尤も、知っていてもいなくても、問題はないけどね」

 少女は記憶をたどる。猫の言うとおりならば、おそらくこれも「不思議の国」か「鏡の国」の「アリス」の物語に出てくるネタのはず……。

「思い出したわ」

「そうだろ?」

 確かに、「不思議の国のアリス」に出てくる「時間」は擬人化されていた。……まあ、あって見なければ、人型かどうかはわからないけれど、確かにそんなんだったわね。帽子屋あたりがお茶会に呼んでいた気がするわ。まあ、猫の言うとおり、知っていてもいなくても、基本は私の知っている「時間」に変わらないだけだから、問題なかったわね。

 そうとわかれば問題ない。少女は兄弟の話の続きを聞くことにした。

「それで、『時間』にだまされたって言うのは?」

「ああ、俺は『時間』の言うことを信じたのさ! それで、裏切られたらしい!」

「……わからないわ」

 少女が困惑していると、安楽椅子の上でゆらゆら揺れていた弟が、熱くなった兄をたしなめた。

「兄さん。それじゃあ分からないだろ。順を追って説明しないと。……そうだね、旅行に出かけるあたりからかな?」

「……ああ、少し熱くなりすぎたみたいだね、悪かったね、アリス」

 兄は深呼吸すると、事の詳細を話し始めた。

「……少し前、ああ、俺にとって少し前の話で、弟にとって見れば六十年前の話だ」

 ……いきなりよく分からないわ。しかし、口を挟めばまたうるさいから、少女は黙って聞いておくことにした。

「俺は宇宙旅行に出かけたんだ。『白のナイト』が連れて行ってくれるというから、お願いしたんだ」

 「白のナイト」というのは、きっと「鏡の国」に出てくる発明家だろう、と少女は推測する。「時間」もそうだが、いくらかは「アリス」の物語のままの名前らしい。

「最初は断ったんだ。宇宙旅行なんて、いつ帰って来られるか分からないだろ? そうしたら、『時間』のやつが言ったんだ。――大丈夫さ。『光』に乗せてもらえれば、君の時間を止めてあげるから、若いまま帰って来られるよ。僕も『光』に乗ってみたかったんだ。――ってね。だったら、安心だろ? それで乗ったらこうなったんだ……。確かに俺は若いまま還って来られたよ。でも、この国の時間は普通に流れていたんだ!」

 ここまで話を聞いて、少女はいやな予感がした。……この話。どこかで聞いたことあるわ。というより、アイツが貸してきた本にあった気が……。できればその展開はよけたいと思った少女は口を挟む。

「でも、それって当たり前のことじゃないの? 『光』に乗った『時間』はゆっくり進めてくれるかもしれないけど、この国はそうでないのだから」

 すると兄は眼を見開いて、黒目をギョロリと動かして少女を見つめた。若干血走っていて、少女は迂闊に口を挟んだことを後悔した。

「本当にそう思うのかい? 悪いが、俺はそう思わない! いいかい? 俺たちの宇宙船は確かに『光』に乗って飛んだ! 『白のナイト』は天才だったさ! ……初めてまともな発明をしたんじゃないのか? まあ、それだけ完璧だった! 何しろ質量を持ったまま『光』に乗ったんだからね!」

 すると、ゆらゆらしていた弟が口を挟んだ。

「『光』は意地悪だからね。乗られたくないんだ。質量を持った誰かが乗ると、遅くなるんだ。それでも、『光』に乗って走らせ続けると今度は魔法を使う。スピードを上げれば上げるほど乗っている誰かの質量を増やすんだ。スピードが出ないようにね。それでもスピードを上げれば、また魔法を使う。スピードが上がれば上がるほど、乗っている誰かは重くなって結局『光』に乗り切れなくなってしまう。どんなに小さくたって、例外はないんだよ。少しでも苦労したくない。何も背負いたくない。そういうやつなんだよ、『光』は。だから、『白のナイト』の発明は偉大だったんだ。だから、私も喜んで兄さんを送り出した。そんな飛行船に乗れるなんて名誉なことだからね」

 そんな話も聞いたことがあるわね……。どこまでこの世界はアイツ好みなのかしら? そう少女が恋人を懐かしんでいると、兄が話しを続けた。

「まあ、重要なのはそこじゃないんだ。いいかい、アリス。『時間』は『光』に乗っていれば、時間を止めてくれるんだ。現に俺は歳をとらずに帰って来られた」

 ……それも知っているわ。正確には、「光速」に近づけば近づくほど時間が遅く流れるのだけど。

 兄は続ける。

「それで、だ。いいかい、よく考えてくれ、アリス。『時間』が『光』に乗っている間、俺の時間を止めてくれたのは、決して善意だけじゃない。それが義務だからだ。『ハートの女王』様が定めたこの国の法律の一つ『相対性理論』に明記されているんだ。――『時間』は『光』に乗った際、その時間を止めなければならない――ってな!」

 ……ひどい法律だ。「相対性理論」を法律にするなんて。

「で、いいかい、ここが核心だ。アリス。『時間』は法律を破ったんだ!! 確かに! 俺たちは『光』に乗った!! そして、『時間』も義務を果たした!! ――俺と一緒に『光』に乗った『時間』はな!!」

「……ど、どういうこと?」

 少女の顔は引きつっている。少女の予想が現実になりかけているからだ。

 そして、いやな予感が的中する。

「みんながだまされても俺はだまされない!! いいかい? 『相対性理論』に、こういう法律もある。『相対速度』だ。勿論、この『相対速度』にも法律は適応される!!」

 また弟がゆらゆら揺れながら口を挟んだ。

「『相対速度』って言うのはね。知っているだろうけどね。誰かから見た速度ってやつだよ。例えば、すごい勢いで走るAがいるとしよう。けど、それは止まっているBから見たものだ。Aと同じ速さで走るCから見たらAは速いどころか止まって見えるだろう? 逆にAと逆方向に走るDから見たら、Aはさらにもっともっと早く見えるだろうさ。つまり、見る人によって速さが代わる。それぞれから見た速さを『相対速度』と言って、それも『ハートの女王』様の定めた法律に当てはまっているんだよ」

 ……因みに、光の速さは誰が見ても一定だから、「光速」は「絶対速度」というらしい。アイツが言っていたわ。

 それにしても、いよいよ雲行きが怪しくなってきたわ、と少女の表情が引きつっていくが、兄はかまわず続ける。

「つまり!! 俺から見たらこの国が『光』に乗って飛んでいたんだ!! まさに、『相対速度』に当てはまるだろ!! 法律が適用されるはずだ!! だったら、この国に残った『時間』も義務を果たさなければならなかったはずだろ!? だって言うのに、俺が帰ってきたら、弟はこんなになってしまっていた!! どうして、どうして弟だけが歳を取ってしまったんだ!? おかしいだろ!? 弟だって、俺から見たら『光』に乗っていたんだから、歳をとらなかったはずだろ!? だって言うのに、弟は歳をとってしまった!! 『時間』の野郎がサボったからだ!! 俺は『時間』を訴えた!! 『ハートの女王』様は『時間』裁いてくださった!! 『時間』は『懲役一時間』を食らって、『監獄』にいるさ!! だから、俺の家にはいま『時間』がいない。ここでは時間が止まっているのさ!! だから、アリス。ゆっくりしていってくれ!! いくらいても歳はとらないぞ!!」

 それを聞いて少女は安心した。ウサギに逃げ切られることもなさそうだ。

 安心した少女だったが、しかし、兄は言った。

「しかしな!! 俺は不思議なんだ!! 『時間』は俺たちを裏切るようなやつじゃなかった!! きっとわけがあったはずなんだ!! そのわけを、教えてくれ、アリス!! どうして、弟だけ歳をとってしまったんだ!?」

 少女はガックリと頭を垂れる。

 いやな予感が的中した。


 ――この二人。「トゥイードル・ダムとトゥイードル・ディー兄弟」なんかじゃない。もっと厄介なネタでできている。「相対性理論」に難癖つけてきた厄介な問題。


 ――そう。この二人は、「双子のパラドックス」だ。



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