命刻 「魔術講義」
現 ――The Hero’s Side――
三、
「相談……ですか?」
「そう。相談」
探し物が見つからず、疲れ果てて意気消沈とした様子でコーヒーをすすっている少年に、通りすがりの美人が、魔術師だのと言いながら、見ず知らずの少年の相談に乗ってくれるという。正直に言って、これ以上怪しい話はない。そして、少年にとって、これは願ってもないことだ。少年に是非もない。
どれほど怪しい話であっても、今は時間がない。どうせ歩き回っても見つけられるかどうか怪しいのだ。何かを知っているというこの女性の話を聞くことは、大きなメリットにはなっても、大きなデメリットになることはない。デメリットがあるとすれば、それは時間の浪費というくらいで、当てもなく歩き回ることと大差ない。
故に、少年の答えは一つ。
「お願いします」
それを聞いて、女性は満足そうにうなずく。ただ、親身になって相談を聞こうとしているというよりは、それを愉しもうとしている様子なのが少し気になるが、逆に相手もそれを愉しんでくれるなら、一方的に頼っているという負い目を、多少は感じずにすむ。
「では、ことの瑣末を出来るだけわかりやすく、丁寧に、簡潔に、どうぞ」
クレアは、意外と難しい説明を要求してきた。
とりあえず、少年は出来うる限り丁寧に、一条神楽が入院したあたりから、事細かに説明するのだった。
「……成程。それで、その神楽君の病室の空気がおかしい、と」
「はい」
「それを何とかする為に、同じように『異質』なものを探し彷徨っていた、と」
「はい」
「で、そこに私が声を掛けた、と」
「そうです」
「成程……」
クレアはそこまで聞くと、暫く考え込む。
伏せていた目を開き、冷めた紅茶を一口含み、話し始めた。
「その部屋の『異質』さは、十中八九、結界だね。仕掛けているのは高度な魔術師。残念ながら、何を考えているのかは分からないけど、キミの考えるように、永遠に眠らせるためのものではなく、神楽君を使って何か術式を完成させようとしているんだろうね」
「えっと……」
結界。魔術師。術式。
少年にとって、現実では聞かない単語の連続に彼は戸惑う。
そんな様子を見て、クレアは微笑む。
「ああ、キミは魔術師でもなければ魔術すら知らないんだったね。いいかい? 大前提として、魔術というものは存在する」
魔術が存在する。
そんなファンタジーな設定をいきなり持ち出されて、受け入れられる人間はそうそういない。それでも、少年にはそれを信じるしかない。寧ろ、それを信じることで、一条神楽の病室の「異質」を正しく認識できる。
故に、少年にはそれを了承するほかない。
「分かりました。それは信じます」
「よろしい。魔術が存在するならば、それを行使する人間もまた存在する。当然のことだろうね。そういった人たちを、魔術師と呼ぶ。小説とかに出てくるだろう? 御伽噺の魔法使いさ。そして、私もその一人。神楽君の病室に結界を張っているのも、魔術師さ」
「結界……あの、寺とか神社のあれですか?」
「寺、神社……ああ、日本にはそんなものもあったね。そうだね……まぁ、ほとんど同じと言っていいね。結界というのは、限られた空間内に、一定のルールを付加することを言うんだよ」
限られた空間内に、一定のルール。
一条神楽の病室という限定された空間において、少女が目覚めないという一定のルールを付加する。まさに、その状況がそれだった。
「さて、順番がおかしくなったけれど、魔術というものの基本原則だけ教えてあげよう。それは世界の隠された基本法則なんだ。即ち――意思が世界を創り上げている。これさ」
「意思が世界を創り上げる?」
「そう。というか、さっきから、キミはまるでオウムだね。まぁ、魔術に関しては無知だから仕方ないか」
先程からクレアの台詞を範唱してばかりの少年に困った笑顔を浮かべる。
「簡単に言うとね、世界は意思の塊なんだ。世界なんてものはいくらでも考えられてね、ほうって置くとどんどん混沌として、わけのわからないものになってしまうんだよ。世界なんてこんな広大なもの、たかだか一人で認識できるわけはないんだ。だから、みんなで集まって、世界を一つの形に収束させている」
「集まる、ですか?」
「そう。ユングという心理学者を知っているかな? 集合的無意識という言葉がある。一般の心理学者とは見解が若干異なるのだけれど、簡単に言えば、全人類の無意識の集合領域のことさ」
「無意識の集合?」
「難しい話だから、深く考えることはないよ。深層無意識では、私たちは色々なことを望んでいる。最も大きな願望の一つとして、世界の秩序があるんだよ。もっと理路整然としていて欲しい。その願望が、集合的無意識において、より強固な思念となって世界を固定している。つまり、世界は意思によって固定されているということ」
「……なんとなく分かりました。でも、それが魔術とどう関係するんですか?」
「魔術というのは、この、世界の基本法則を利用したものさ。強い意志によって世界が固定されている、形作られているならば、強い意志で以って世界を塗り替えることもまた可能であろうというのがそれ。例えば、目の前に『炎がある』と強く強く念じ、それがその空間を支配する集合的無意識を塗り替えるほどの強さになれば、それは具現する。ただ、限定された空間といえども、複数人の集合的無意識を相手にするわけだから、普通に願っても叶わない。それを手助けし、自分の意思で世界を塗り替える技術を、魔術というのさ」
「難しいですね……でも、そんなこと可能なんですか?」
「可能だよ。特に、密室、限定空間などにおいては集合的無意識が薄いから、比較的簡単にできる。勿論、そういった空間においても常識を逸したことをするにはそれ相応の力が必要だけど。魔力というのを聞いたことがあるかい?」
「ええと……魔法を使うための力とか、ですか?」
「そうだね……概ね正解。先程、世界は意思によって構成されていると言ったね。でも、意思といっても現象だから、それを伝導するものが必要になる。音なら空気、波なら水といったように。それが『大源』と呼ばれるもの。正確には、集合的無意識を取り込んだ伝導体をそう呼ぶのだけど。つまり、マナの数が世界を創り上げている。我々魔術師は、これを利用するのさ。マナから意思をろ過し、そぎ落とし、ただの意思の伝導体としたものを『小源』と呼ぶ。我々は『魔術回路』を用いてマナをオドにろ過し、そこに自分の意思を含み、自分の意思が世界に与える影響力を上乗せし、世界を塗り替える。これが、魔術」
正直に言って、話の半分も理解できていない少年の様子が分かったのか、クレアは苦笑する。
「まぁ、これが魔術の基本だけど、知らなくてもいいよ。幸い、キミには天賦の才があるようだから」
「天賦の才ですか?」
「そう。キミは実に優秀な魔術適性を持っている。キミは『魔術回路』がすでに出来ているから、後は開くだけだね。魔術の基本は体がすでに理解しているから、あとは強く願うだけで頭も理解できるようになる。きっと、病室で結界に触れたときに覚醒したんだろうね。キミは気づいていないだろうけど、さっきから結界に近い意思の流れを周囲に流し続けているよ。きっと、『異質』を探そうという強いし思念に身体の『魔術回路』が作用して、勝手に魔術を行使していたんだろうね。洗練されていない、雑な魔術だったけど、強力だったから気になったんだ。稀にいるんだよ、そういった先天的才能をもった魔術師が」
自分に魔術師の才能があるときかされてもピンと来ないが、それよりも優先して聞くことがある。
「それで、どうしたら神楽の病室の結界を壊せるんですか?」
それを聞くと、クレアは暫く黙り込んでしまう。
何かを悩むようにして、やがて口を開く。
「悪いけれど、キミに協力できるのはここまでだね。私にも仕事があって、君の手伝いをしている余裕はないんだ。だから、結界を壊すにはキミが頑張るしかない」
「……分かりました。そこまではお願いできません。でも、せめてどうやったらいいか教えてくれませんか?」
「初心者のキミに、結界破壊の魔術を使わせるのは無理だね。なら、あとは正攻法しかない」
「正攻法?」
「魔術の基本原理……世界の隠された基本法則……即ち、強く願うこと。キミの意思が、魔術師の意思を上回れば、結界は壊れるだろう。正確には、塗り替えられる」
「強く、願う……」
「ただし、覚悟はしておいた方がいいね。相手は魔術師。病室には魔術師のオドが充満している。病室という、限定空間ではあるけれど、一人の人間にしては広すぎる空間全てを多い尽くしている魔術師の意思を、キミが塗り替えないといけない。強く、強く願うんだ。キミには優秀な『魔術回路』がある。ともしたら、魔術師の意思を塗り替えられるかもしれない」
「分かりました。強く願えばいいんですね?」
「そう。何者にも負けない強い意志で」
――神楽を助ける。
その意思において、少年は何ものにも負けない自身がある。
願うことで彼女を救えるのならば、少年に勝機はある。
「ありがとうございました。何とかなるかもしれません……いや、何とかしてみせます」
それを聞いて、クレアは愉しそうに微笑む。
「良い意気込みだ。それならきっと、キミが勝つ。そうだ……」
言いながら、クレアはスーツの内ポケットに手を入れる。
「折角出会ったんだ。これも何かの縁。ということで、これをあげよう。キミが、魔術を確かに信じられるように」
そう言って取り出したのは、トランプほどの大きさの羊皮紙。透き通るような蒼いインクで、薔薇が刻印されている。
「これは?」
「これはタリスマン。この国で言うお守りみたいなもの。付加されている魔術効果は意思疎通。……気づかなかったかい?」
「何にですか?」
クレアは愉しそうにニヤリとする。
「私がドイツ語を話していること。それとも、キミはドイツ語を話せるのかな?」
「え……」
言われてはじめて気がつく。
クレアは確かにドイツ語を話していた。――尤も、少年はドイツ語をほとんど知らないから、日本語、英語、中国語でないことくらいしか分からないが。
つまり、少年はドイツ語を話すことはおろか、聞くことすら出来ないのにも関わらず、どういうわけかクレアと会話できていた。
「ついでに言うと、私は日本語が分からないね」
もう決まりだ。
これだけ現実的に見せ付けられては信じるしかない。
魔術は確かに存在し、このタリスマンが異なる言語圏で意思の疎通を可能にしている。
確かに、これで疑いなくクレアの話を信じ、強く、決壊を打ち破るために願うことが出来る。そういう意味で、これは間違いなくお守りだ。
「信じたかい?」
「はい。信じるしかないです」
「それはよかった」
「でも……もらっていいんですか? これがないと、クレアさんが困るんじゃないですか?」
「そんなことないよ。また新しいのを作ればいいから」
「それじゃあ、ありがたくいただきます」
「よろしい。……それじゃあ、私もすることがあるから、そろそろお暇するよ」
そう言って、クレアは立ち上がる。
少年も立とうとするが、クレアに制された。
「別に立って送ってくれなくていいよ。キミはまだその冷めたコーヒーがあるじゃないか」
笑いながらそう言って、クレアは出口へ向かって行った。
「じゃあ、健闘を祈るよ、才ある魔術師君。何れまた会うことがあるかもしれないね」