命刻 「魔術師との邂逅」
現 ――The Hero’s Side――
二、
一条神楽は目覚めない。
それがあの病室という限定された空間に付加された絶対のルール。
その正体すらも確かに分からない彼に、そのルールを打ち破ることなどできない。
ならば、同じく、一定の空間に何らかのルールを付加できる人間を探すしかない。
そんな人間聞いたことがない。しかし、先程「異質」を経験した彼にはそれもまた信じるに値する。
少年は、一条神楽の病室のような「異質」な空気を探して町中を彷徨っていたが、ここ十数年生きて来て一度も出会っていない「異質」をすぐに見つけられることは出来ず、一度休憩をいれるために近くのカフェテリアに立ち寄った。
会計を済ませ――当然少年はブラックの珈琲だ――一息入れる。
その間も、周囲に「異質」がないかどうか、気を配ることは怠らない。
酷く疲れる作業だが、そんなことも言っていられない。
急がなければ……
少年は焦っていた。
――一条神楽が目覚めない。
それ自体はさして問題はない。どんなに時間をかけてでも、いずれ何か方法を見つけて起こしてみせる。それだけの覚悟はある。
だが、そのルールを付加した人間としてはどうだろうか。少年からみれば、永遠に一条神楽を眠らせ続けるメリットがまるでない。
恐らくは、時間稼ぎなのだ。相手は一条神楽を眠らせ準備ができ次第、何か、それも一条神楽を使った何かを実行するに違いない。
故に、少年には時間がない。
正体不明の相手に、原因不明、時間制限ありの勝負をしかけるのだ。その制限時間すらも、分からない。
それでも、彼女を諦めるわけにはいかない。どんなに不利な状況でも、彼女を助ける。その思いが、少年に、常に周囲に気を配り続けるという大変な負担のかかる行為を強いていた。
しかし、どれだけ強く決意をしても、今日初めて「異質」を知った少年が、また他の「異質」を見つけられるのかと言えば、それは難しい。
少年が十数年生きて来て、今まで一度も知ることのなかったものだ。そんなものが、また見つけられるのか?
迷う暇はない。何時とも知れないタイムリミットは刻一刻と迫っているに違いないのだ。
祈るだけでは、願うだけでは変わらない。非力、無知な自分でも、行動を起こさなければ。
「神楽を……取られてたまるか」
そう、強く決意する。
しかし、少年は気付いていなかった。
――「異質」に関して全くの無知である少年が「異質」を見つけることは至難の業だが……その逆は真ではないということを。
「少年。結界にもなっていない様な気を撒き散らして、キミはいったい何がしたいんだい?」
「え……?」
振り替えると、高級そうな――しかし決して厭らしくない――黒のスーツに身を包んだ女性がいた。
「隣を失礼するよ」
「え……あ、はい」
女性は、良く香りの立ったダージリンティーを置いて座った。
若い女性で、歳は二十代前半といったところか。腰ほどまである長い黒髪と西洋人的な白い肌と、透き通る様な蒼い瞳。美人と言って何ら問題ないだろう。
「あの……貴女は?」
どこか神秘的な雰囲気を醸し出している女性に、少年は気後れしながら問う。
女性は軽く微笑んで答えた。
「ローゼンクロイツ、と言えば分かるかな?」
「ローゼンクロイツさん……ですか?」
少年が問い返すと、女性は、今度は驚いた様な、呆れた様な顔をする。
「……その通り。私はクレア・カータレット・ローゼンクロイツ。しかし、少年……仮にも魔術師ならば、自分よりも絶対的優位な存在の名前くらいは覚えておいた方がいいかな」
「ええと……魔術師、ですか?」
聞き慣れない――小説などにはよく出て来るが、日常生活ではまず聞かない――単語に、少年も困った様に答える。
「……まさかとは思うけれど、キミ、魔術師でないのかい?」
「まさかも何も、何のことだかさっぱりです」
それを聞くと、女性は今度こそ驚いた様子で聞き返してきた。
「本当に?」
「ええ……」
「まさか……いや……ふむ……となると、この少年の魔術ポテンシャルは途轍もなく高いのか……若しくは何らかの魔術的恩恵を受けているのか……しかし、それらしいものは感じない……やはり、この少年の才能か……」
女性は、何かぶつぶつとつぶやきながら、自分の世界に入ってしまっている。
取り残された少年は、仕方なくコーヒーをすする。
女性の言っていることは途方もなくファンタジーでオカルトチックで、今までの少年なら、ためらいなくその場を離れたであろう。
しかし、正体不明の「異質」を探している今、彼女がその「異質」に近いものだと直感的に判断した。正確に言えば、彼女の言う「魔術」が、少年の探している「異質」なのではないか、と。
「少年」
「……え? あ、はい」
いつの間に帰ってきたのか、突然女性に呼び止められて少年は虚を突かれた風に上ずった返事をする。
そんな少年の様子には構わず、女性は問いかける。
「キミは、何か探しモノがあるのではないかい?」
「え……ええ、探しています。あるのかどうかも怪しいものですけど」
それを聞いて、女性は口元を愉しそうに軽く釣り上げ、身を乗り出す。
「よろしい。この『薔薇十字』、クレア・カータレット・ローゼンクロイツが、キミの相談に乗ってあげよう」
女性――クレア――は新しい玩具を見つけた子供のように、愉しそうにそう言った。




