4話
新たな日課は最早私の一日に何の違和感も溶け込んでいる。
かれこれ一ヶ月、毎日欠かすことなく奇怪と遭遇していればいい加減違和感などこれっぽっちもなく、一日のスケジュールに奇怪との交流は含まれていた。
「さすがにもう慣れてきちゃったよ」
言いながら、ぐねぐねと生き物のようにうねる道を歩く私。
「それはよくないな。確かに最近、前みたいに驚かなくなってきたなーとは思ってたけど」
踏み鳴らすように歩きながら道を元の直線へと戻していく限野。
「だってもう一ヶ月だし」
「そもそもだ、基本的に対処してるのは俺だぜ? 一宮はいつもその辺をどうでもよさげに突っ立ってるだけだろうが。少しは俺を見習って自分で何とかしてみようとか思ってもよくね?」
「まぁ任せっぱなしなのは心苦しいけど」
「嘘つけ」
「こればっかりはどうにもならないよ。魔術の使い方? とか奇怪現象と遭遇した時の追い払い方とかそういうのは全然思い出さないんだもの」
「せーっかくこの俺が餌を撒いて、お守りもくれてやって、本格的な危険がない程度にああいうのと交流できるようにしてやったのに慣れちゃったとかな。もうお守り返せよ、荒療治でヤバイ奴に狙われたら必死になって思い出す気も起きるだろ?」
呆れ顔で言ってくる限野の先を歩きながら「嫌だ」と返しておく。
「この一ヶ月、俺は一宮の観察をしているわけだが」
「観察って言うな。この間も言ったけど、人を朝顔やカブトムシみたく言わない」
「さすがにこうも変化がないと飽きてきた」
観察してきた挙句に飽きたとは何て勝手な言い分だ。
その勝手な限野は考え込むような顔をして首をひねってた。
「どうすっかな。短い人間の人生の一ヶ月をこうも無駄にされるとは。俺の予定ではそろそろ全部思い出してもいい頃だと思ってたんだけどな。俺の予定を崩すあたりが一宮らしいっちゃらしいが」
「限野には私が一体どういう風に見えてるのか気になるよ」
「さぁて。どうだろうな」
限野は意地悪く笑った。答える気はなさそうだ。
「そう言えばさ、私って前世で何やってる人だったの? 何か色んな光景がありすぎて自分が何だったのか全然想像もつかないんだけど」
「そこは頑張って思い出せよ。俺が教えたらつまんねーもん」
「じゃあせめて私と限野は前世でどんな関係だったのか教えてよ」
「それも言ったらつまんねーから絶対嫌だ。俺は自力で知った時の一宮の反応が見たい」
偉そうに言っているけど、けっこう我がままな言い分じゃないか。
「もし前世で限野と夫婦だったりしたら死にたくなるんだけど」
「俺も死にたくなるわ。そしてもう二度と生まれ変わろうとか考えない」
久しぶりに意見が一致した。
言われる側としては屈辱的な一致だけれど。
「ま、それはないってわかってるけど」
「ん? わかってるのか」
「夫婦とか、そういうんじゃない。もっと何か別の形。こうもっと……あーうまく言葉にならない」
「そっかそっか」
限野は一人で納得したように頷いている。
「その辺がわかってるならまだいいか。これで前世で結ばれる運命だったのに結ばれなくて来世で幸せになりましょうとか言って心中した仲とか言われたら、スカイツリーから飛び降りたくなっちちまう」
「せっかくの新たな観光名所を惨劇現場にしないでよ」
「一宮がその程度はわかっててよかったなぁ、ホント」
人の話など全く聞かずに限野は安堵の息を吐いた。
本当にマイペースな奴だ。
「ま、私だって前世にロマンを感じてるわけじゃないしね。て言うか、本当は前世前世なんて言いたくないわけよ。どうもロマンチックな単語っぽくて。痛いロマンチストみたいじゃない」
「少なくとも思春期で思い込みの激しい考えすぎの痛い奴だとは思われるかもな」
「不本意」
「ご愁傷様」
「まだ思われてないって」
そんな意味なんてこれっぽちもないやりとりをしながら私達はいつの間にか平面に直線に戻った道を駅へと進む。
電車の中で限野と別れ、私は一人自宅までの道を歩く。
空を見上げれば薄らと赤く染まっている。すぐそばを小学生らしい子供たちが笑いながら駆けて行く。住宅街なので周りから色々な料理の匂いが漂ってくる。
平和だ。
ついこの間まで、私の平和的日常とはこういうものだった。間違っても前世からの因縁だとか、魔術だとかそんなものは日常にはなりえなかった。
高校に入学して二ヶ月。ほんの二ヶ月でそれが随分と変わるものだ。
「世の中わからないものだよねぇ」
そう独りごちた時。
空気が変わった。
びりびりと肌を刺すような感覚。
そう気付いた時にはもう辺りには誰もいない。鳥も猫も何もいない。町中から生き物という生き物が消え失せてしまったかのよう。だけどどこか離れた場所で何か重い物が歩くような音が聞こえてくる。異様なぐらい重い音と振動が、少しずつ少しずつこちらへと近づいてくる。
嫌な感じだ。
こんなにあからさまな遭遇は一人ではしたことがないのに。限野がくれたお守りの効力が切れたんだろうか。スクールバッグのポケットからお守りを取り出して見てみたけれど、特に変わった様子はない。傍目には変化のないお守りをポケットに戻し、耳を澄ます。
その間も重い足音は近づいてくる。
まずいな。
限野の言った通り少しは自分で何とかできるよう努力はすべきだったかもしれない。努力でどうこうできるものかはわからないけれど、何もしないよりは良かったかもしれない。少なくとも心の準備はできただろうし。
さぁどうしようか。
限野に連絡……してもあの気まぐれが助けに来てくれるだろうか。そろそろ限野も自宅最寄り駅に着いている頃だろうし、面倒くさがって来てくれない気もする。
けど連絡しないよりはしたほうがいいだろう。そう思い携帯電話を取り出してみる。
ディスプレイを見れば、赤字で圏外と表示されている。
「……電波までどこか行っちゃうのか!」
衝動的に携帯を叩きつけたくなったけれど、そこはぐっとこらえた。
足音が近づいてくる。
とりあえず逃げよう。逃げ切れる保証なんてない、逃げたからってどうなるものでもない。けど今私が出来ることと言ったらそれくらいだ。
来た道を走り戻る。
重たい足音の主は実際に体重も重いのだろう。ゆっくりゆっくりと歩いているらしく、走ればそれなりに距離を開けそうだ。
基本的にあの奇怪な連中は私に危害を与えに来る。限野が撒いた餌につられて。
とは言え今の今まで被害らしい被害は受けたことがないけれど。それは悔しいけれど限野のお守りと限野自身が撃退してくれたからだ。
燃え盛る炎に囲まれても焼け死ぬことも酸欠で苦しむこともなかったし、ナイフが頭に直下してくることもなかった。巨大猫に噛みつかれることも小鬼が投げた石に当たることもなかった。
「でもあんな重たい足音の奴に遭遇したことはなかったけどさ」
せめて一度、相手の姿を確認すべきか。相手の全容が知れたら何かしら突破口が開けるかもしれないし。今の無力なる私じゃ開けない可能性も高いが。
走っても走っても足音は聞こえてくる。あの重い足音が遠ざかることはない。こっちは走っていて、向こうは明らかな鈍足で歩むペースも変わっていないと言うのに。
走りながらどうしたものかと考え込んでいたところ、ブレザーのポケットから振動が伝わってきた。
そんなことあるわけないのに。そう思いながらも慌ててポケットをまさぐってみれば、さっきまで圏外だったはずの携帯が着信を知らせて震えている。そのディスプレイに表示されている名前は限野。何てタイミングだろう。半ば呆れ、半ば助かったという気分で通話ボタンを押す。
「限野!?」
「よぉ一宮。元気ー?」
「元気じゃない。お守り効果が切れたのか知らないけれど、突然町から人も動物もいなくなって、挙句にやたら重い足音の奴が近づいてきてるみたい。異様に肌がびりびりするし、どう考えても雑魚レベルって感じじゃない」
早口に言い募ると携帯の向こうで限野は声を上げて笑った。
「マジで? 一日に二個も超常現象に遭遇できるとかなかなかねぇよ。さっすが一宮」
何がさすがなのか。と言うか笑うのをやめろ。仮にもこっちは危機に陥っているんだ。
「で、足音が重い奴ってどんなよ?」
「知らない。まだ姿は見てない。けどどこまで行っても足音が途切れない。鈍足っぽいkuse
に距離を開けた気がしない」
「はぁん。じゃあいっそどんな奴なのか見てみろよ」
真剣さなんて欠片もない声で限野が言う。
「それは私もさっき思ったんだけど、でも見ちゃって大丈夫なの? て言うか姿が見えるほど近くまで行ったら捕まりそうな気がする」
「いや、知んないけど。けど見なきゃどうにもならねーだろ?」
「そうだけど」
「じゃあいい機会だから自分で何とかしてみろよ。お守りに効果がなくなってきたってんなら、尚さら今後のことを考えれば自分で対処できるようになったほうがいいだろ」
限野の言うことはもっともだ。
もっともだとは思う、思うのだけど……。
「そもそも限野が餌を撒いたりしたから私はこんな目に遭ってるんだけど」
「あっはっは」
白々しい笑いに本日二度目の携帯を叩きつけてやりたい衝動に駆られた。
「まぁ一宮。ピンチはチャンスとか言うじゃねーのよ。つーわけでチャンスと思ってがんばれ。俺は狩りにでも出つつ一宮の武運を祈ってるから」
それから小声で「あ、やべぇ回復回復」と聞こえてきた。
「……狩りにって……ゲームか! モンスターをハント中か!」
「俺初心者だから、翼竜一匹狩るのも大変なんだよ」
「知ったことか!」
「一宮も今度オンラインでやろうぜー」
「今度があるかすら怪しい危機に私は今遭遇してるんだけど!」
「うん、だからとりあえず相手の姿を確認してこいって。そうすれば俺もアドバイスくらいできるかもしんねーし」
「アドバイス……」
してもらったところで私に何か出来るだろうか。限野のように魔法じみたこと、本当に私に出来るだろうか。
「私一人でも何とか対処できる方法はあるの?」
「あん? 当たり前だろ? 俺が言うんだから間違いねーよ。お前に出来なきゃ誰にも出来ねえ。自覚しろ、てめぇがどういう生き物か。どういう経緯で今この世に生きてるのか」
初めて聞く、面白がる調子のない声だ。
「やりもしないうちに出来ないなんて言わせねぇ。無理だから諦めるなんて許さねぇ。てめぇがそんな腰ぬけなんて絶対に許さない」
自分勝手な言い分だ。
だけれども、そうだ。
私だって、やる前から出来ないと諦めるなんて、そんな自分は許し難い。
私が腰ぬけだなんてあってなるものか。
どうやら私は焦って自分を見失っていたらしい。何もかも他人任せなんて、そんなのは私じゃない。
そして絶対的な現実として理解する。
――限野に出来ることが、私に出来ないわけがない。
それが世界の道理、違えることのない法則、真理ですらあるかのように理解する。
「じゃあ、あの鈍重ゴーレムを見てくる」
「おう。見て来い、見て来い」
その声はもう笑い混じりに戻っている。
「あ、電話切らないで。どういうわけかさっきまで圏外だったから、また繋がらなくなったら困るし」
「りょーかい。……あ、逃げられた。くっそ、フィールド上飛びまわってんじゃねーよぉ」
「ゲームを置けっ!」
通話ボタンは押したまま携帯をポケットに突っ込んで、私はそう遠くない場所に聞こえる足音のほうへと向かった。