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敗北の臨時勇者、イケメンすぎて強大な竜娘に夫を強請られる?!

作者: 水平衡(すいへいこう)
掲載日:2026/10/24

第1章 勇者なんてもうやりたくない


俺はアロック。十八歳、見習い騎士。フランエイトン帝国王都騎士団に所属している。


「所属」なんて言うと聞こえはいいが、実態はただの雑用係だ。聞こえのいい言い方は「騎士候補」、本音を言えば「雑用をしつつ剣の稽古をするだけの存在」。


毎日の仕事は、正規騎士の鎧磨き、伝言の奔走、訓練場で先輩に叩かれること。


給料は雀の涙、将来は真っ暗。唯一のメリットは食事が出ることだ。


俺の人生設計は極めてシンプルだった。無事に正規騎士に昇格し、安定した給料をもらい、俺を嫌わない女の子と結婚し、子供を二人儲け、老後は田舎に土地を買って野菜を育てる。出世なんて望まない、ただ平穏に過ごしたい。


だが、この平凡な計画はフランエイトン帝国の秋、一頭の竜によって完全に崩された。


その朝、俺は兵舎の入り口で饅頭をかじっていた。秋の王都は空が高く雲は淡く、風に落ち葉と焼き栗の香りが混ざっている。街は人でにぎわい、すべてがいつも通りだった。その時、城壁の警鐘が鳴り響いた。


「ゴォ――ゴォ――ゴォ――」


全域警戒の鐘だ。俺は饅頭を喉に詰まらせそうになった。周りの騎士や兵士たちが一斉に動き出し、城壁や武器庫へと駆け込んでいく。


流れに乗って二、三歩走ったところで、俺はふと思い出した――見習い騎士に、明確な任務なんてない。


「アロック!ぼんやりするな!城壁に上がれ!」小隊長が俺に怒鳴った。


「はい!」


城壁に上がると、人で埋め尽くされていた。誰もが北方を眺めている。俺も視線を北に向け、その光景を目にした。


真紅の巨竜が、北方の地平線からゆっくりと飛来してくる。翼幅は少なくとも四五十メートルはあり、全身の鱗は陽光を浴びて焼けた鉄のように輝いている。


飛び方はゆったりとして、まるで自宅の庭を散歩するような様子だ。


王都上空に到着すると、二回旋旋し、下界を一瞥してから大きくあくびをした。


そのあくびの大きさは尋常じゃない。口の中に並ぶ牙は、一つ一つ俺の身長より長かった。やがて口を閉じ、羽ばたいて城外へ飛び去り、城北の山に降りて動かなくなった。


王都全体が沈黙に包まれた。


「……去ったのか?」隣の人が小声で囁く。


「いや、去ってない」


「じゃあ何が目的だ?」


「分からん。ただ……寝てるように見える」


「竜って寝るのか?」


「俺に聞かれても知らん」


報せは王宮に届き、国王は緊急会議を招集した。俺は昼まで城壁で立ち番をし、交代後食堂で食事をしながら、周囲の竜の話を聞き耳を立てていた。


「陛下は討伐隊を派遣するらしい」


「討伐?何で討伐する?王都の兵力を全部合わせても、あの竜の餌にもならん」


「勇者を派遣するって聞いたぞ」


「勇者?どこの勇者だ?」


答えは午後にすぐ届いた。


伝令兵に王宮議事堂へ呼び出された俺は、何が起こるか知らなかった。ただ「陛下が召す」とだけ言われ、用件を聞いても「良い話だ」とはぐらかされた。


今思えば、あいつは必死に笑いをこらえていたに違いない。


議事堂には重臣たちが座し、国王は中央に厳粛な面持ちで座っている。将軍は地図の前に立ち、さらに険しい表情だ。


俺は広間の真ん中に立ち、ただ茫然としていた。


「見習い騎士アロック」国王が口を開いた。


「は、はい!」


「朕は聞き及んでいる。お前は武芸に優れ、胆力に満ち、王都騎士団稀代の人材である」


いつ武芸が優れて胆力がついた?先月の稽古試合では、先輩に棒で頭を叩かれ、半刻も気絶していた。誰がこんな推薦文を書いたんだ?


「今、王国は危機に瀕し、凶竜が城外に巣くい、民は恐怖に怯えている」


国王は立ち上がり、俺の前に出て肩に手を置いた。「朕、お前を竜討伐勇者に任命する。即刻出発せよ」


「……陛下、俺は見習いです」


「見習い勇者も勇者だ」


「正規騎士にすらなっていません――」


「帰還次第、正規騎士に叙任する」


「いや、竜討伐なんて――」


「重臣、勇者装備を持ってこい」


重臣が一式の装備を捧げてきた。古倉から掘り出したような鉄の剣、縁の欠けた小さな盾、毛は白く老化し、立っているだけでふらつく老馬一頭。


「これは朕が特別に用意したものだ」国王は微動だにせず言った。


特別に用意?


完全に廃棄品を適当にかき集めただけだろ。あの老馬は厩舎で二年も退役し、荷物運び専用だった。それが勇者の乗馬だと?


「陛下」俺は声を潜めた。「本当のことを教えてください。ただ体裁を整えるために俺を行かせるのでは?」


国王の表情が一瞬曇ったが、すぐに厳粛さを取り戻した。「卿、何を言う。朕は心から凱旋を願っている」


隣の宰相が咳払いをし、小声で囁いてくれた。「体裁だけでいい。陛下は竜が攻めてくるのを恐れ、民心を鎮めるために人を派遣したいだけだ。山まで行って、竜は危険で長期警戒が必要だと報告すれば済む。経費は後で検討する」


やっぱりそうか。


「もし竜に襲われたらどうするんです?」


宰相は俺の肩を叩いた。「安心しろ。あれほど巨大な竜に狙われたら、逃げられん。苦しまずに済む」


これは慰めなのか?!


国王の命令は絶対だ。見習い騎士といえど、騎士の本分は命令を遵守すること。


欠けた鉄剣を抱え、ふらつく老馬を引き、市民の見送りを受けて城を出た。「勇者様、頑張ってください」と声援が上がるが、頑張って何になる?早く逃げるためか?


振り返ると、城門楼で国王と重臣たちが手を振っていた。国王の顔は君主らしい凜々しい笑みだが、遠くからでもその眼神が「厄介事を押しつけられて嬉しい」と語っているのが分かった。


いいだろう。十八歳、見習い騎士のアロック、今日は国王の看板役にされた。


北へ半日歩くと、老馬が立ち止まった。手綱を引いても微動だにしない。


腹を蹴っても、馬は振り返って一瞥し、「蹴られても進まない」と言わんばかりの眼差しを向ける。


「おい、面目立ててくれ。一応勇者様の乗馬だぞ、サボるな」


馬は鼻を鳴らし、やっぱり動かない。


「山裾まで連れて行ってくれれば、後は好きに休め。いいか?」


馬は少し考えてから、ゆっくり歩き出した。速度は普通の馬の三分の一程度。馬上の俺はたまらく気まずかった。


道中の村々では、村民が「騎士様はどこへ?」と問う。「竜討伐だ」と答えると、敬畏の表情が同情に変わる。


「若者、惜しいことをした」お年寄りが焼き芋を二つくれた。


「まだ死んでませんよ」


「もうすぐだ」


……ありがとう、おじいちゃん。


数日歩き続け、ついに山裾に到着した。


丸い饅頭のような山で、頂上の平らな場所に竜が横たわっている。裾から眺めると、真紅の鱗が夕陽にきらきら輝いている。


馬から降り、手綱を離す。老馬は即座に引き返し、去り際に「幸運を祈る」と言わんばかりに俺を見た。


「帰って、俺の訃報……いや、無事だと伝えてくれ」


馬は去った。俺は山裾に立ち、深呼吸して頂上を仰ぐ。


錆びた鉄剣を抜き、欠けた盾を手に取る。眼前の巨体と、粗末な装備を見比べ、心を決めた。


「よし、行こう」


山を登り始めた。


中腹まで来たところで、完全に後悔した。坂は急で岩だらけ、二度転んで膝を擦りむき、盾はいつの間にか背中から滑り落ち、谷底へ転がっていった。


鉄剣だけは手に残っていた。手汗で少し持ちやすくなっただけだ。


頂上に着くと、竜は目を閉じて眠っていた。均整の取れた呼吸で体が緩やかに上下し、尻尾の先がゆらゆら揺れている。本当にただ眠っているだけだ。


横たわる場所には、宝飾が山積みになっていた。金貨が一面に敷き詰められ、宝石や王冠、ネックレス、金杯があちこちに転がっている。


夕陽に照らされ、地面全体が黄金に輝いている。俺はしばらく見惚れ、一つの考えが浮かんだ――これを一袋持ち帰れば、騎士なんて辞めて、店を開いて毎日金を数えて暮らせる。


だが無理だ。俺は竜討伐に来た勇者だ。到底勝てないと分かっていても、国王の体裁のために、せめて剣を抜いて演技くらいはしなければ。


深く息を吸い、鉄剣を高く掲げた。


「凶竜め!」


声は小さく、竜は目を覚まさない。もう一度大きく叫ぶ。


「凶竜!フランエイトン帝国の竜討伐勇者アロック、ここに参上――」


その瞬間、竜が目を開けた。


俺の頭より大きな琥珀色の竪瞳。巨体がゆっくりと頭を上げ、俺を一瞥した。


「……」


「……」


俺の手の剣が震え、全身が戦慄し、剣先がブンブンと音を立てて震える。竜は首を傾げ、困惑したような仕草を見せた。


そして巨大な爪を上げ、一本の爪先で俺の剣を弾いた。鉄剣はくるくると回転し、どこかへ飛び去った。


続けてもう一方の爪が伸び、俺の兜を弾く。


「カーン――」


兜が吹き飛び、俺の頭は重い音で鳴った。


竜の爪は宙で止まり、じっと俺の顔を見つめてくる。俺は地面に仰向けになり、巨大な琥珀色の瞳が眼前に迫ってくるのを眺めた。熱い吐息が顔にかかり、硫黄の香りが漂ってくる。


「お前……」


竜が話し出した。低く重い、確かな人語だ。


「とても綺麗な顔をしているな」


「……は?」


次の瞬間、竜の体が縮み始めた。三十メートル超の巨体が内側から圧縮され、鱗は光の粒となって消え、翼も収まって跡形もなくなる。


光が晴れると、一人の少女がそこに立っていた。


赤い髪に琥珀色の瞳、透き通るような白い肌。頭には小さな赤い角が二本生え、背中にはハート形の尻尾の先がついた尾がゆらゆら揺れている。


身長は俺の顎くらいだ。


彼女はしゃがんで俺を真剣に見つめ、口を開いた。


「名前は?」


「ア、アロックです……」


「アロック」


彼女は俺の名前を繰り返し、頷いてから手を差し出す。


「私はスカーレット。結婚してくれる?」


「……は?」


「貴方は綺麗すぎる。三百年生きてきて、これほど美しい人間は見たことがない」


彼女は澄んだ瞳で真剣に告げる。


「竜の掟だ。宝より美しいものに出会ったら、自分のものにする」


「その掟、誰が定めたんです?」


「今、私が定めた」


俺は目を閉じ、深く息を吐いた。


俺、アロック、十八歳の見習い騎士は、命令を受けて凶竜討伐に来た。


敗北した。あまりにもあっけなく。


そして竜が人間に姿を変え、俺に求婚してきた。


陛下、この仕事、もう無理です。誰が好き好んでやるか。


第2章 竜の巣は王宮より金持ち


地面にしばらく横たわり、頭の中で様々な思いが巡った。


頭を打って幻覚を見ているのか?


兜が飛んだ時に首の骨が折れ、死ぬ前の走馬灯を見ているのか?


国王は最初からこうなることを知っていたのか?


いや、あいつにそんな予知能力はない。竜のことで日夜悩んでいる男が、予知なんてできるはずもない。


「……大丈夫?」スカーレットが隣にしゃがみ、心配そうに俺を見る。


「大丈夫。ただ頭が混乱してるだけだ」


体を支えて起き上がり、彼女と山積みの宝飾を交互に眺める。「本当に貴方があの竜なの?」


「うん」


「さっきの巨大な姿の?」


「そうだよ」


「どうやって変身したの?」


「魔法だよ」彼女は首を傾げる。「竜なら誰でもできる。知らなかったの?」


「今日まで、竜の知識は『巨大』『火を吐く』『触るな危険』だけだった。変身魔法なんて知識にない」


「そう」彼女は真剣に頷く。「じゃあ今から教える。巨大、火吐き、危険、それに変身もできる。人型の方が場所を取らなくて便利だから」


「貴方が一番場所を取るだろ」俺は後ろの宝飾を指す。「これ、全部貴方の?」


「もちろん!」尻尾が嬉しそうに揺れる。「二百年かけて集めたの。綺麗でしょ?」


綺麗に決まってる。


金銀宝石が積み重なり、夕陽に輝く頂上は、まるで黄金の世界だ。


宝飾のそばにしゃがみ、金貨を一枚拾う。重厚で模様も精巧で、どこの国の貨幣か分からない。


袖で拭い、歯で噛んで確かめる。


歯が痛む、本物だ。


「何してるの?」スカーレットが寄ってくる。


「本物か確かめてる」


「本物に決まってる」彼女は不機嫌そうに唇を尖らせる。「全部奪ってきたんだもの」


「……奪ったの?」


「うん。人間の隊商から奪ったり、他の竜から奪ったり、山から掘り出したり」指を折って数える。「ずっと集めてた。でも、今から全部あげる」


金貨を戻し、手の埃を払う。「なんでくれるの?」


「アロックが綺麗だから」


……この論理はもう問い詰めないことにしよう。


「スカーレットさん」


「スカーレットでいいよ」


「分かった、スカーレット。俺の任務は貴方を討伐することだった」胸の王国紋章を指す。「貴方を倒すために来たんだ」


彼女は瞬きする。「討伐?なんで?」


「貴方が王都上空に現れて、街中の人がみんな怖がったからだ」


「ただ人間の街を見てみたかっただけだよ」彼女は当然のように言う。「二回旋ったらつまらなくなって帰ろうとしただけ」


「なら城外に留まったのはなぜ?」


「飛び疲れて、ちょっと寝たかっただけ」


「貴方が寝たせいで、街の人は数日城外に出られなくなった。市場の野菜の値段まで上がったんだ」


「人間が臆病すぎるだけ」彼女は唇を歪める。「火も吐かない、人も食べない、ただ寝ただけなのに。人間は面倒くさい」


反論しようと口を開くが、よく考えれば彼女の言う通りだ。


ただ山で眠っていただけで、誰も襲わず建物も壊さなかった。国王が勝手に怯え、体裁のために人を派遣しただけだ。


「分かった」俺は立ち上がる。「じゃあ、どう収める?俺がただ『竜はただ寝てただけです』なんて報告したら、国王は俺が狂ったと思うか、反逆者だと思う」


「じゃあ帰らなければいい」スカーレットが即座に言う。


「無理だ。給料は少ないけど、飯が出る仕事だからな」


「こっちでもご飯あげる」


「何を食べるの?」


「焼き羊」


「……やっぱり食堂のご飯を食べる」


「じゃあ私もついていく」


「何のために?」


「アロックと結婚するため」


俺はまた沈黙した。この少女は、不合理なことを当然のように言い張る天才だ。


「スカーレット、理屈で話そう。一、俺たちは敵同士。二、出会って一時間も経ってない。三、貴方は竜で俺は人間だ」


「一、勝てない相手は敵じゃない。二、時間なんて関係ない。一目見て、アロックが運命の人だと分かった。三、人型になれば人間と変わらない」


「全然違う。角も尻尾もあるじゃん」


「角、可愛いでしょ?」彼女は首を傾げ、角を見せつけてくる。


……確かに少し可愛い。だがそれは問題じゃない。


「仮に全部無視できるとして」俺はこめかみを揉む。「なんで俺なの?」


「綺麗だから」


「綺麗以外の理由は?」


「綺麗だけで十分だよ」


彼女は「当たり前でしょ」という顔で言う。


完全に言い返せなくなった。この単純で強引な論理は、無敵だ。


「じゃあ、今後どうするの?」


「アロックについていく」


「どこへ?」


「アロックが行く場所、どこでも」


「王都に戻って任務を済ませる」


「じゃあ王都についていく」


「国王に差し出す気か?」


「アロックじゃ私に勝てないもの」


……確かに。彼女の一本の爪にも敵わない俺が、どうやって捕まえるんだ。


俺はため息をつき、諦めた。そもそもこの任務はただの体裁だ。国王は俺に何も期待していない。


正直に「竜に悪意はない」と報告しても、狂ったと思われるだけ。だが竜を連れて帰るのは絶対に無理だ。


「いいだろう。ここで待っててくれ。俺が王都に戻って、竜を追い払ったと報告する。そしたら――」


「嫌だ」


「まだ話終わってないのに」


「アロックは帰ったら戻ってこない。人間はみんなそう。『待ってて』って言って、二度と戻らない」


「俺は違う」


「誓って」


「分かった、誓う」


「竜の掟で誓って」


「竜の掟って何?」


「戻ってこなかったら、私がアロックを食べる」


「……いいだろう。アロックが戻らなかったら、スカーレットが俺を食べればいい。これでいい?」


彼女はしばらく俺を見つめ、満足そうに頷く。「じゃあ行っていい」


こんな簡単に許してくれるのか?意外だ。


「でも」彼女は付け加える。「私もついていく」


「行かせるって言ったじゃん」


「アロックが行く、私も行く。ただ道が同じなだけ」


「王都に行ったら街中がパニックになる」


「人型になってるから大丈夫。見えないでしょ?」彼女はくるりと回る。赤い髪がなびき、尻尾の先がハートを描く。「分からないでしょ?」


「尻尾がバレる」


彼女は尻尾を収め、出し、また収める。「自由自在だよ」


「角は?」


「角は収められない。帽子で隠せばいい」


リュックから予備の皮帽子を取り出し、彼女に渡す。帽子をかぶると、二本の角が帽子の上を押し上げ、可愛い突起になった。


「……まあ、ギリギリ大丈夫だ」


「じゃあ決まり!」彼女は手を叩き、嬉しさのあまり尻尾が宙をくるくる回る。「行こう!」


「待て。最後に一つ聞かせてくれ」


「何?」


「人間を食べたことある?」


彼女は一瞬呆然とし、侮辱されたように眉を顰める。「ありえない。まずいじゃん。焼き羊と焼き牛しか食べない。人間は骨だらけでつまらないって聞いた」


「なら安心だ。行こう」


「……待って」


「また何?」


「アロック、名前何だっけ?」


「アロックだ」


「アロック」彼女は名前をつぶやき、小虎牙を見せて笑う。「いい名前だね」


首の後ろが少し痒い。兜を弾かれた衝撃が、まだ残っているような気がした。


第3章 竜娘との同行


下山道は登り道の十倍も難儀だ。


理由は単純、スカーレットがうるさすぎるからだ。


「あれは何?」


「ウサギだ」


「美味しい?」


「肉だから美味しいけど、食べないでくれ」


「これは?」


「キジだ。追いかけたら全部逃げる」


「はい」二秒だけ静かにして、また問いかける。「これは?」


「草だ」


「食べられる?」


「何でも食べようとするな」


「竜は見たものを食べたくなる習性なの」


俺は立ち止まり、彼女に向き直る。帽子は歪み、角が二つ帽子を押し上げている。彼女は無邪気な顔で俺を見上げる。


「スカーレット、人間は食べる前に食べられるか確認する。分かった?」


「分からない」


「……まあ、ゆっくり覚えればいい」


下山後、俺は真っ直ぐ王都に向かわず、南に迂回した。


理由も単純、竜を連れて堂々と入城するわけにはいかないからだ。万が一彼女が元の姿に戻ったら、大惨事になる。まず宿を取って、状況を整理することにした。


小川に寄って顔を洗う。膝の擦り傷が水に染みて痛むが、大したことはない。スカーレットは隣でしゃがみ、尻尾を川につけてかき回して遊んでいる。


「何してるの?」


「水遊び」


「水を濁らせないで。俺が飲むんだ」


「はい」尻尾を引っ込めるが、二秒後にまた浸ける。


「……もういい」


顔を洗い終え、リュックから乾いたパンを取り、半分に割って渡す。彼女は受け取って嗅ぎ、一口齧る。


「まずい」


「まずくても我慢しろ」


「嫌だ」パンを返してくる。「自分でご飯探す」


彼女は立ち上がり、森へ歩いていく。止める間もなく「ドスン」と音が響く。追いかけると、木の枝を折って鳥の巣から卵を取り出していた。地面には卵の殻が散らばっている。


「何してるんだ!」


「卵採り!食べる?」


「親鳥が悲しむだろ」


「そっか」彼女は卵を巣に戻し、歪んだ巣をそのままに飛び降りる。「戻したよ」


「巣が歪んだままだ」


「木は育つから、巣も直るでしょ」


「木と巣は違う」


「ふーん、人間のルールは難しいな」


午後ずっと歩き、夕方に大木の下で野営することにした。最後のパンを分けると、彼女は今回は嫌がらずに食べた。


食後、彼女は木にもたれて足を揺らし、空を眺める。


「アロック」


「うん?」


「なんで騎士になったの?」


「飯を食べるためだ」


「え?」


「騎士は食事と給料が出る。他に理由なんてないだろ」


「人間はみんな、姫を救うとか、偉大な夢のために騎士になると思ってた」


「姫様は部下が数百人いる。俺みたいな雑用係が何の役に立つ」


最後のパンを飲み込み、手の埃を払う。「俺は孤児だ。騎士団で雑用をしながら育った。騎士にならなかったら、生きていく手段がなかった。畑仕事なんてしたこともない」


「孤児って何?」


「両親がいない人のことだ」


「そっか」彼女は少し考えてから言う。「私も両親いない。竜は子供の面倒なんて見ない。卵から出て、自分でご飯を探し、住む場所を見つける。アロックの方が恵まれてる、ご飯をくれる人がいたんだから」


俺は彼女を眺める。平然と、当たり前のように話す表情だ。


「三百年、ずっと一人だったの?」


「完全に一人じゃない。竜はそれぞれ縄張りを持って、めったに会わない。たまに喧嘩して宝を奪い合うだけ」


「寂しくなかった?」


彼女はしばらく考える。「今まで考えたことなかった。アロックが聞くから、少し寂しかったかも」


俺は言葉を返さなかった。三百年生きた竜が寂しいと言うなんて、奇妙な話だ。だが彼女の真剣な瞳は、嘘をついていなかった。


「まあいい」俺は上着を脱いで地面に敷く。「今夜はここで休もう。君はこっち、俺はあっちで寝る」


「なんで別々?」


「男女の別があるからだ」


「男女の別って何?」


「……まあ、俺のこだわりだと思ってくれ」


「アロック、変な人だ」彼女は真剣に頷く。「綺麗な私の隣に寝ないで、冷たい地面で寝るなんて」


「俺は好きでこうしてるんだ」


夜半、寒さで目が覚めた。秋の夜は冷え込み、薄い上着一枚では全然足りない。体を丸め、朝まで耐えようとした時、熱い体温が寄ってきた。


目を開けると、スカーレットがいつの間にか隣に寄り添って眠っている。人間よりずっと高い体温が、まるで小型の暖炉のように温かい。


離れようと思ったが、寒さに勝てない。二秒迷った末、このままでいいと諦めた。暖かければ何でもいい。


翌朝、彼女は既に起きて、しゃがんで俺の寝顔を眺めていた。目を開けた瞬間、眼前の琥珀色の瞳に驚いて声が出そうになった。


「何してるんだ?」


「寝顔を見てる」


「何が面白いんだ」


「アロックは何をしても綺麗だから」


俺は言葉もなく起き上がり、服の埃を払う。膝の擦り傷は昨日より痛み、少し足を引きずる。スカーレットが気づいた。


「足、痛いの?」


「大丈夫、下山で擦りむいただけだ」


「見せて」


「いい、小さな怪我だ――」


彼女は俺のズボンをめくって傷を確認する。皮がめくれ、青く内出血した膝を眺め、手のひらをかざす。


手のひらが淡く光り、熱い温もりが傷に染み込んで痛みが消える。一瞬にして内出血も薄くなり、違和感が完全になくなった。


「治ったよ」


「こんな治癒魔法も使えるの?」


「竜なら誰でもできる。小さな怪我なんて簡単」


「ありがとう」


「どういたしまして」彼女は立ち上がり、尻尾を揺らす。「行こう!」


少し歩くと、胸までの高い岩が道を塞いでいた。迂回しようとした瞬間、スカーレットが岩に手をつく。「カチャ」と音を立てて岩は真っ二つに割れ、道端に転がった。


「何するんだ!」


「道を開けてあげたの」


「迂回すれば済むだけだろ」


「迂回は面倒くさい」


「岩を砕く方が面倒だろ!」


「全然。力を使わないから」彼女は指を動かし、平然と言う。


細かいことは気にしないことにした。さらに進むと、枯れた木が道に倒れていた。反応する間もなく、彼女の口から小さな火の粉が吹き出し、枯れ木は一瞬で燃え尽きて灰になった。


「ほら、迂回しなくて済んだ」


「山火事になったらどうするんだ!」


「火を吐ける私が、消火もできるに決まってる」


「……まあいい」


王都近くの関所に着くと、道が封鎖され、兵士たちが警戒についていた。国王が竜の侵入を防ぐため、警戒を強めたらしい。


俺は遠くで立ち止まる。


「どうするの?」スカーレットが問う。


「俺が一人で交渉する。君はここで待ってて」


「なんで入れないの?」


「角がバレる。帽子で隠しきれない」


彼女は帽子を触り、確かに角の突起が目立つことに気づく。そして口から拳大のルビーを取り出す。


「これあげる」


「何これ?」


「宝石。結納の品だよ」


「いらない。返して」


「なんで?綺麗じゃない?」


「綺麗だけど、問題はそこじゃない。口から宝石が出るなんて異常だろ!」


「竜は宝を体内に蓄えてるから。口の中は手持ち、お腹は貯金だよ」


「……手持ちが百八十個あるってこと?」


俺はルビーを三秒眺める。国王の王冠の一番大きな宝石の十倍はある、こんな巨大なルビーは一生見たことがない。


「返すぞ」


「あげたものは返さない」


「俺たち、そんな関係じゃない――」


「すぐなるから」


俺はため息をつき、宝石をリュックにしまう。まず関所を突破するのが先だ。


彼女を木陰に隠し、一人で兵士の元へ向かう。俺の胸の紋章を見た兵士は、丁寧に対応してくれた。


「竜討伐勇者様、生きて帰還されたのですか!」


「生きてる。竜は退散させた」


「退散?どうやって?」


「戦って追い払った。王宮に報告したいので、通してくれ」


「申し訳ありません。上層部の命令で、人間に化けた竜の侵入を警戒し、全員検査することになっています」


俺の背中に冷や汗が流れる。国王は馬鹿だが、部下は賢い。竜の変身能力まで予測していたなんて、幸い彼女を連れてこなくてよかった。


「構わない。検査してくれ」


兵士がリュックを検査し、パンくずと巨大なルビーを見つける。俺は即座に「家伝の宝物だ」と誤魔化す。


兵士は疑問を抱かず、リュックを返して通行を許可する。


城に入り、振り返ると木陰からスカーレットが顔を覗かせ、歪んだ帽子のまま手を振っていた。


俺は「動くな」と合図する。彼女は大きく手を振り返し、慌てて頭を隠す。


俺は急いで王宮へ向かった。


第4章 竜、国王に謁見する


王宮に入る前に、リュックを整理した。


巨大なルビーをパン袋の奥に隠し、目立たないようにする。深呼吸して、伝令兵に従い議事堂に入る。


数日間と全く同じ光景だ。国王は中央に座り、重臣たちが並び、将軍は地図の前に立つ。唯一の違いは、俺が装備を何も持っていないことだ。剣も盾も失くし、手ぶらの帰還だ。


「見習い騎士アロック」国王が声を上げる。「帰還したか」


「陛下のおかげで、無事帰還いたしました」


「凶竜はどうした?」


「討伐、退散させました」


「退散させた?詳しく話せ」


「激戦の末、北へ逃がしました。短期間は再襲来しないでしょう」


国王と重臣たちは顔を見合わせ、満足そうに頷く。


「見事だ!アロック、まさに王国の忠臣だ!」


俺は心の中で後ろめたさを感じる。まあ、竜は去ったし、街は平和になった。これでいいだろう。


「だが」一人の重臣が口を開く。「顔に埃がついている、膝も怪我をしている。首の赤い跡は何だ?」


俺は首元を触る。昨夜スカーレットが寄り添って眠った跡だ。熱い体温で赤く跡が残っていた。


「寝ている時に圧迫された跡です」


重臣は疑わしげに眺めるが、追及はしなかった。国王は手を振る。


「よし、労苦を労う。褒賞を受け取り、休養せよ」


「ありがとうございます」


俺は退席しようと振り返った瞬間、澄んだ声が議事堂に響き渡った。


「アロック!どこにいるの!」


俺の体が硬直する。


スカーレットが脇門から駆け込んできた。帽子は脱げ、二本の赤い角が堂々と頭に生え、隠しきれなかった尻尾が後ろで揺れている。真っ赤な髪が舞い、まるで燃えるような少女だ。


議事堂は一瞬で静まり返る。重臣たちは目を見開き、国王は杯を持った手を止め、将軍たちは剣の柄に手をかける。


「貴方は……」国王が目を細める。


「私は――」


スカーレットが話し出す瞬間、俺は飛びついて彼女の口を塞ぐ。


「こ、これは従妹です!田舎から来た、少し頭が悪い子です!気にしないでください!」


「むぅ――むむっ――」スカーレットが俺の手の中でもがく。


「従妹?」国王は眉を顰める。「卿に従妹などいたか?」


「遠縁の従妹です。とても遠い田舎の!」


「頭の角は何だ?」


「装飾です!田舎の風習で、角をつけると未婚の若者だと分かるんです!」


「尻尾は?」


俺は下を見る。スカーレットの尻尾がスカートから出て、先にリボンまでついている。


「……造り物の尻尾です!手芸が得意だという風習です!」


「朕を馬鹿にするな」国王は杯を置き、顔色を曇らせる。スカーレットをじっと眺め、重臣に問う。「この姿、あの日の竜にそっくりではないか?」


老将軍が単眼鏡を取り出し、観察する。スカーレットはじっと見られて嫌がり、俺の後ろに隠れる。


「陛下、肌の色、瞳の色、頭の角、すべて赤竜の特徴と一致いたします」


「やはりそうか」国王は立ち上がり、俺に向き直る。「アロック、説明せよ」


俺は手を離す。スカーレットは即座に大声で告げる。


「私は竜です!この人と結婚したいの!」


俺は目を閉じ、完全に諦めた。


議事堂は大騒ぎになる。重臣たちがささやき合い、将軍たちは警戒態勢を取り、国王の顔は青くなったり赤くなったりする。


「静かに!」国王が机を叩く。「貴方が凶竜なのか?」


「そうだよ」スカーレットは堂々と頷く。「王都の街を見たくて飛んできただけ。疲れて山で寝ただけで、誰も襲ってない、火も吐いてない。人間が臆病すぎるだけ」


「……で、人を襲う気はなかったのか?」


「ないよ。ただ人間の大都会ってどんなものか見てみたかっただけ。二回旋って飽きたから帰ろうとしたの。飛び疲れて山に止まったら、そのまま寝ちゃっただけだ。火も吐いてないし、人も食べてない。なにをそんなに慌ててるの?」


国王は口を開けたまま、しばらく閉じられなかった。重臣たちは顔を見合わせ、微妙な表情を浮かべている。ある大臣が小声で囁いた。「臣、最初から言いましただろう。体裁だけ整えて人を一人行かせれば済む話だと。陛下がどうしてもと仰るから……」


「黙れ」国王は睨みつけ、再びスカーレットに向き直る。「で、今さら王都に何の用だ?」


スカーレットは俺を指さした。「この人を探しに来たの。綺麗だから」


国王が俺を見る。重臣たちが俺を見る。将軍たちが俺を見る。広間の真ん中に立たされた俺は、まるで丸裸で市場に放り出されたような気分だった。


「……アロック。彼女の言う『綺麗』とはどういう意味だ?」


「文字通りの意味です、陛下」


「じゃあお前たちは……」


「何もありません。彼女が先走っているだけです。今お断りしているところです」


「お断り?」スカーレットが振り返り、少し委屈そうな顔をする。「なんで断るの?昨日は一晩中私に寄りかかって寝たくせに」


「あれは寒かったからだ!凍えるから仕方なかっただけだ!」


「寄りかからないという選択肢もあったでしょ。寄りかかったってことは、私のことを心の中では気にしてるってことだよ」


「そんな論理あるか?!」


「竜の論理だよ」


横で聞いていた国王は、驚きから困惑へ、困惑から微妙な興味へと表情を変えていく。椅子の背にもたれ、肘掛けを指で叩きながら。


「名前はスカーレットと言ったか?」


「うん」


「あの真紅の巨竜、貴女のことか?」


「そうだよ」


「たくさん金を持っているとか?」


「持ってるよ。二百年かけて集めたの。いっぱいある」


国王の目がぱっと輝いた。身を乗り出す。


「では……王国に投資してはくれないか?」


スカーレットが瞬きする。「投資?」


「つまり、金を朕に貸してほしい。毎年少しずつ返し、利子もつける。損はさせない」


「陛下!」横の大臣が慌てて袖を引く。「それはいかがなものかと」


「何がいかがなものか。竜は人を食わない、しかもこれほど金持ちだ。アロック、お前は大功を立てたぞ」


俺は横に立ったまま、頭が回ってこない。さっきまで「竜と通じた罪」を問われていたのに、もう金の話か?


「ちょっと待ってください、陛下――」


「アロック」国王は立ち上がり、今度は随分真诚な顔で俺の肩を叩いた。


「よくぞ働いた。いいだろう、今日から正規騎士だ」


「え?」


「称号は『竜騎士』だ。どうだ、威勢がいいだろう?」


「いや、陛下、俺は――」


「結婚式は朕が主催する。王宮の大広間を貸そう。酒は朕が出す」


「ちょっと待って!まだ同意してない――」


「同意も何もない」


国王はスカーレットの方へ顎をしゃくる。「竜のお嬢さんが議事堂まで追いかけてきてくださったのに、手ぶらで帰すわけにはいかんだろう?」


振り返ると、スカーレットがにっこり笑い、小虎牙を見せて尻尾をくるくる回している。


「アロック」彼女が耳元に寄って小声で言う。「あなたの国王、いい人だね」


「いい人なものか。お前の金目当てだ」


「そうなの?」彼女は少し考えてから言う。「別にいいや。金なんて私にとってどうでもいいし、アロックと交換できるなら割に合うよ」


彼女の真剣な顔を見て、俺は突然なにも言えなくなった。


第5章 竜の夫


正直に言って、結婚式というものに対する俺の態度は、最初から最後まで明確だった。乗り気じゃない、と。


だがその乗り気のなさも、各方面からの総攻撃の前にあっけなく崩れ去った。


国王の言い分は「王国に竜の金が必要」。


宰相の言い分は「竜のお嬢さんの王国への好感を長期的に維持すべき」。


騎士団長の言い分は「もう竜騎士になったのに、そんなこと気にするのか?竜騎士の称号がどれほど稀有か分かってるのか?」。


同僚たちの言い分が一番直接だった。ダレンが肩を叩いて言う。「頭おかしいんじゃないか?あれは竜だぞ!金持ちで!人間に化けられて!あの見た目だぞ!何を悩んでる?」


「頭に角がある」


「それは萌えポイントだ」


「後ろに尻尾がある」


「それも萌えポイントだ」


「機嫌を損ねたらミンチにされるぞ」


「毎日機嫌が悪いわけじゃないだろ。あいつ、お前にべったりじゃないか」


年長のヨークおじさんまでわざわざ話に来た。前後を聞いてしばらく黙り、一言こう言った。「お前、あの子が綺麗すぎるのが嫌なのか?」


「違います――」


「じゃあ金持ちすぎるのが嫌か?」


「違います――」


「じゃあ強すぎるのが嫌か?」


「……」


「ほら見ろ」ヨークおじさんが肩を叩き、若造は世間知らずという年長者の荒波を乗せた声で続ける。


「綺麗で、金持ちで、腕も立って、お前を好いてくれる。何を贅沢言ってる?俺が昔かみさんをもらった時なんて、彼女は木工しかできないわ、気は強いわで、毎日殴られてたんだ。俺はなにか言ったか?」


「おじさん、それはあなたの奥さんです」


「だからこそ言うんだ。早く承知しろ。この店は逃すと次はない」


こうして国王の主催、全重臣と騎士団同僚の見届けのもと、俺、アロック、十八歳、正規騎士・竜騎士はスカーレットと結婚した。


式当日、スカーレットは白いドレスを着ていた。尻尾がドレスの後ろから伸び、先にリボンを結んでいる。角を隠そうと帽子をかぶりたがったが、国王は「帽子なんてかぶらなくていい、朕がけち臭いと思われるだろう」と止めた。


だから二本の小さな角が堂々とむき出しになり、白いドレスと合わさって、「異国の花嫁」とでもいう独特の趣を放っていた。


神父が壇上で誓いを読み上げる。「スカーレットを妻として娶ることを承諾するか」のところで、俺は一瞬止まった。会場が静まり返る。


「アロック?」スカーレットが顔を上げ、瞳を輝かせる。「嫌なの?」


「嫌というわけじゃない」


「じゃあ承諾だね」


「ちょっと待て、最後まで言わせろ」


「言っていいよ」


「俺はただの普通の人間だ。本当に。たいした腕もない。騎士になる前は雑用係だった。本当にもう一度考え直さなくていいのか?」


スカーレットが首を傾げる。「アロックのどこが普通なの?」


「どこも普通だ。この顔だって大したことない」


「私が見た人間の中で一番綺麗だよ」


「その理由、浅すぎるだろ……」


「アロック」彼女が少し近づき、小声で囁く。「ぐずぐずしてると結婚式で竜に戻っちゃうよ」


「竜に戻ってどうするんだ?」


「嬉しいから。竜は嬉しいと原形に戻って鳴くんだ」


周りの人々を見、国王を見、スカーレットを見て、俺は最後にため息をついた。


「承知した。するよ」


スカーレットがにっこり、本当に綺麗に笑った。そして本当に竜に戻った。


「バゴンッ」と白いドレスが弾け破れ、真紅の巨竜が王宮大広間に出現し、天井へ頭を上げて長く吠えた。屋根の瓦がガラガラと崩れ落ち、国王は杯を持ったまま三歩後ろへ逃げた。


「屋根の修理代は誰が出すんだ?!」国王が叫ぶ。


スカーレットは口から宝石をひと掴み吐き出し、ざらざらと床にばらまいた。


「足りる?」


国王がしゃがんで一つ拾って眺めると、態度が即座に変わった。「足りる足りる。どうぞご自由に。屋根くらい好きに揺らしてくれ」


スカーレットが人型に戻った頃にはドレスはボロボロの残骸だ。俺は慌てて上着を脱いで彼女にかけた。


「一言前もって言えないのか?」


「言ったでしょ、嬉しいと戻るって」


「それが『一言』ってやつか?」


「前もって言ったよ。さっき言った」


「さっき言ったのは『ぐずぐずしたら戻る』だろ――」


「承諾した。だから私は嬉しい。だから戻った。論理的でしょ」


論理的なわけあるか。俺は首を振り、上着をきつく彼女に巻きつけた。


式が終わり、俺は騎士団の兵舎を出た。国王から新しい家を賜り、官邸より広い。


流石は「竜騎士」の邸宅だ、格が落ちるわけがない。スカーレットが山から宝を運び下ろし、地下室をぎっしり埋めた。


毎日の生活は案外単純だ。朝俺が起きる頃、スカーレットはまだ寝ている(竜は皆寝坊好きらしい)。


庭で剣の稽古をしていると、途中で彼女が目を覚まし、窓から頭を出して飯を呼ぶ。料理はできないが、俺は彼女に湯沸かしだけ教えた。


覚えた途端、毎日竜息で湯を沸かすようになり、スピードが桁外れだ。やかんを置くと「フッ」と一瞬で湧く。火加減を誤ると、やかんごと溶ける。


一週間で三つ溶かした。四日目に火の大きさの調整を教えた。


「竜の炎って『大』と『特大』しかないのか?」


「『小』もあるよ」彼女は唇を尖らせ、小さな火の粉を一吹き。「見て」


「もっと小さく」


彼女は息を吸い、さらに小さな火を吹く。蝋燭の炎くらい。


「よし、それで湧かせろ」


「こんな小さいの?時間かかるよ」


「時間かかっても、やかん溶かすよりマシだ」


彼女は唇を尖らせながら従い、やかんはようやく無事になった。


午後は騎士団の勤めへ。「竜騎士」の称号をつけていても、やる仕事は変わらない。


国王は「竜騎士だって騎士、騎士は勤めに出ろ」と言う。だから訓練場へ報告に行き、立ち番をし、伝走りをする。


唯一変わったのは同僚の態度が「あの雑用見習い」から「あいつの嫁は竜」へ変わったことだ。


「アロック、今日奥さん来ないのか?」


「来てどうするんだ?」


「見たいじゃないか。近くで竜を見たことないし」


「だめだ。来たら全員逃げることになる」


「なんで?」


「くしゃみで火が出るんだ」


「……じゃあいいや」


夜帰ると、スカーレットがだいたい玄関で待っている。一日の出来事を話してくれる。今日は庭で蝶を追いかけて三匹捕まえた、今日パン作りに挑戦したら炭になったけど形はまあまあ可愛かった、今日隣の家の子がノックしてきて頭の角を触っていいか聞くから触らせてあげた、子供は帰って母親に「竜のお姉さんの頭は硬くて面白い」と言ったらしい。


「それで?そのお母さんの反応は?」


「謝りに来たよ。大丈夫だよ、二回触ったくらいで落ちないって」


「むやみに人に角を触らせるな」


「なんで?」


「別に理由はない。とにかく、むやみに触らせるな」


彼女はしばらく俺を見つめてから笑い、尻尾をすごい勢いで振った。


「アロック、やきもち焼いてるの?」


「焼いてない」


「焼いてる」


「焼いてない」


「焼いてる。顔赤いよ」


「寒いだけだ」


「部屋はストーブ焚いてるだろ」


「……ほっとけ」


彼女は笑いながら寄ってきて、頭を肩にすりつける。角が当たって少し痛いが、俺は避けなかった。


日々はこうして過ぎていく。地味で派手な出来事もないが、悪くはない。


夜ベッドに横になると時々考える。半年前は兵舎の入り口でパンをかじっていた、人生の目標は平穏に定年まで過ごすことだった。今は?正規騎士で、竜騎士で、家も金もあって、嫁は竜だ。


唯一の問題は、彼女が寝ると原形に戻ることだった。


初日の夜は知らなかった。夜中に寝返りを打ったら鱗一枚に触れ、ベッドに何かが潜り込んだのかと思い、慌てて床へ転がり落ちた。


明かりをつけて見ると、全長三メートルほどの小さな赤い竜(原形よりずっと小さい、彼女曰く「睡眠モード」)がベッドで丸まり、鼻の下に泡を吹いている。


今はもう慣れた。彼女は彼女で戻り、俺は俺で寝る。たまに鱗で当たると彼女を押し、彼女はぶつぶつ言いながら人型に戻り、くるりと向きを変えてまた寝る。


今朝目を覚ました時、彼女はまだ戻っていなかった。真っ赤な塊がベッドの脇で丸まり、尻尾の先が俺の腿にかかっている。


尻尾をそっと撫でた。竜の尻尾は撫でられると痒いらしいが、寝ている間は大丈夫だと彼女が言っていた。


すると尻尾がピクンと動き、彼女がうとうと人型へ戻り、布団に縮こまって琥珀色の瞳を覗かせた。


「アロック」


「ん」


「今日の朝ごはん、何?」


「……俺が作る」


「うん」彼女は布団にくるまって一回転し、全身を巻き寿司のように包み、頭の角だけ出す。「アロックが一番綺麗」


「朝っぱらからそういうこと言うな」


「なんで?」


「別に。起きて飯食え」


ベッドから降り、扉まで歩いてまだ振り返る。彼女はまだ布団にくるまって、にっこりこちらを向いている。


まあ、こんな日も悪くない。


エピローグ 竜の夫


結婚して三ヶ月目、一通の手紙が届いた。差出人はカリムだ。


内容は短い。結婚したと聞いた、相手は竜だとか。いつか連れて会いに来い。あと、こっちは城壁を修理中で金が足りないから、お前の奥さんに少し赞助してもらえないか、と。


手紙を持ってスカーレックのもとへ行くと、彼女は庭で蝶を追いかけ、尻尾をヒュンヒュン振っている。


「スカーレット」


「ん?」彼女は止まり、頬に泥をつけている。


「昔の団長から手紙が来た。会いたいって」


「いいよ。いつ行く?」


「金が足りないらしくて、赞助できないかって」


「いいよ。いくら?」


「……なぜ使い道も聞かないんだ?」


「どんな使い道でもいいよ」彼女は手の泥を払い、俺のそばへ寄ってくる。「アロックの友達でしょ。金を貸して返ってこなくてもいい」


「無闇に太っ腹になるな。返すものは返してもらえ」


「じゃあアロックが取り立てに行って」


「なぜ俺が行くんだ?」


「アロックの方が怖いから」


俺が怖い?いつ俺が怖くなった?この娘の「怖い」の定義、何かの間違いじゃないか。


結局行くことにした。スカーレットを連れてゲノーの街へ戻る。カリムは彼女を見た時、微妙な表情をしていた。心の中で「竜形態」と「人間形態」のギャップを計っていたのだろう。


スカーレットは熱心に手を握り、「アロックは昔お世話になりました」と言う。カリムは俺を一瞥し、俺は肩を竦めた。


去り際、スカーレットがカリムに金貨の袋を渡し、カリムは辞退せず受け取った。


二人はゲノーの城壁の防御工事についてしばらく話し込んだ。スカーレットが城壁の西北角が低すぎる、竜があの角度から急降下するとぶつかりやすいと指摘し、カリムは真剣にメモを取り、帰ったら嵩上げすると言った。


帰り道、スカーレットが問う。「昔、あの人のこと崇拝してたの?」


「うん。あの人が俺を救ってくれた」


「じゃあ、あの人、私に勝てるの?」


「……そんなこと比べるな」


「比べてないよ。ただ口にしただけ」尻尾を振りながら俺の隣を歩く。「今のアロックはあの人に勝てないの?」


「勝てない。正規騎士になって数ヶ月だぞ」


「じゃあ教えてあげる」


「何を?」


「喧嘩の方法だよ。竜の喧嘩は強いんだ。覚えれば少なくともあの人には勝てる」


俺は彼女を見た。「お前が俺に教えるのか?」


「うん。授業料はツケでいい」


「……授業料ってなんだ?」


彼女が寄ってきて俺の頬にキスし、何事もなかったように前へ歩き出す。


「これでいい。一日一回、これ。安いだろ?」


俺はその場に立ち、頬を拭った。


彼女は振り返って呼ぶ。「行こう!家で飯!今日は肉を焼いてみる!火加減ちゃんとできるから安心して!」


彼女の背中を見る。赤い髪、二本の小さな角、メトロノームみたいに振れる尻尾。


半年前は兵舎の入り口でパンをかじっていた。半年後には竜を娶った。人生設計なんて結局役に立たない。


だが、これでいい。


「行くぞ」俺は足を速めて追いつく。「肉を焼くとき火は小さめだ。また鍋を貫くなよ」


「わかったわかった」


「先日貫いた鍋、まだ国王に勘定を申請してないんだ」


「じゃあもう一つ宝石吐いてあげる。それで精算して」


「……お前の口の中、いったいいくつ貯めてるんだ?」


「もう少ないよ。百八十個くらいかな」


「……まあ、いいか」


あとがき


俺はアロック、十八歳、正規騎士。称号「竜騎士」。既婚、配偶者は三百歳の真紅の巨竜。


毎日の仕事は訓練、立ち番、伝走り、そしてスカーレットが蝶を追いかけて遠くへ行きすぎたときに呼び戻すこと。たまに貫かれた鍋や溶かされたやかんの後始末をする。毎週彼女を連れて市場へ買い物に行き、彼女は試食係、俺は値切り係。市場のおじいさんおばあさんは彼女をもう知っていて、「竜ちゃん」と呼ぶ。彼女は嬉しそうだ。


唯一の悩みは、たまに突然竜形態に戻ってくしゃみをし、街中の猫や犬をみんな逃げさせることだ。隣人が何度か苦情に来たが、あとはスカーレットが口から宝石を一つ出してお詫びに渡すと、それっきり来なくなった。


今朝彼女が聞いた。「アロック、私を娶ってよかったと思う?」


俺は卵を焼きながら答える。「まあまあだな」


「まあまあってどういう意味?」


「悪くないってこと」


「悪くないって、良いの?悪いの?」


「良いって意味だ」


「じゃあ『良い』って言って」


「良い」


「何が良いの?」


「良い」


「何が良いの?」


俺は振り返って彼女を見る。彼女は机にうつ伏せ、二本の足を揺らし、満面の笑みだ。


「お前を娶って良かった」俺は言う。


彼女が一瞬固まり、そして顔を赤くした。初めて見る赤面だ。赤が耳の下から顔全体へ広がり、彼女の髪より赤い。


「わ、私の勝ち!」突然立ち上がり、支離滅裂に叫ぶ。「先に言わせた!」


「何の勝負だ?」


「前に自分と賭けてたの。いつアロックがこういうこと言うか。三ヶ月って言ってたの!ちょうど三ヶ月!」


「……自分の旦那を相手に賭けてたのか?」


「勝ったからいいの!」


「勝ったらご褒美は?」


彼女は考えてから、口からサファイアを一つ取り出す。


「ご褒美、あげる」


「……俺へのご褒美を、俺に渡すのか?」


「そうだよ。私の宝石を受け取ったら、私の勝ちを認めたことになる」


「それはどういう論理だ?」


「竜の論理!」


俺は宝石を受け取り、手のひらで軽く弾く。まあいいか。


「受け取った。俺の負けだ。これでいいだろ?」


「いいよ!」彼女は満足そうに頷き、また机にうつ伏せる。「じゃあ明日次の勝負をしよう」


「何を賭ける?」


「いつアロックから主动的にキスしてくれるか、だよ」


「……この賭けには関わらない」


「じゃあ他の人と賭ける」


「勝手にするな」


彼女が笑った。本当に楽しそうに、尻尾が椅子の脚に巻きつきそうなほどくるくる回る。


まあ、この日々は本当に悪くない。

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