第14話 報復
オリヴァーとバーナードは、丘を下り、山の方向へ走った。矢を放った人物は山の中にいる。
「もう逃げられちゃったかな?」
「いや、まだ近くにいる。こっちだ」
「師匠は魔法で気配も追えるんだね。流石」
「……いや、これは犬になって鼻が利くようになっただけだ」
怪我の功名というやつか。理由は何にせよ、バーナードの鼻のおかげで矢を放った人物と対面できそうだ。
森の中を照らすのは、夜空に輝く星と月だけ。うっかり木の根に躓かないように、慎重に山道を走った。
バーナードの後を追いかけると、見覚えのある小柄なシルエットを発見する。夜空を見上げながら、目を閉じて両手を合わせていた。
祈りを捧げているのだろうか? そのおかげで、こちらの気配には気付かれなかった。
「君だよね? 僕を狙ったのは」
オリヴァーが背後から声をかけると、ゆっくり振り返る。そこにいたのは、赤髪に金色の瞳をした少女だった。コーランドの町を訪れる前に、オリヴァーが助けた山人だ。
「生きて、いたのか……」
少女はまるで幽霊でも見たかのように呆然としている。オリヴァーは苦笑しながら頷いた。
「魔法使いだからね。回復なんてお手の物だよ」
「厄介だな。魔法使いって奴は」
少女はギリッと奥歯を噛みながら、両手を握った。
「それよりさ、理由を聞いていい? どうして僕を狙ったの?」
彼女から殺意を向けられている理由が分からなかった。ドラゴンから命を助けたのだから、感謝こそされど闇討ちされるなんて想像もしていなかった。
オリヴァーが尋ねると、少女は鋭い眼差しを向けながら理由を明かした。
「仲間を殺したからだ」
「仲間?」
「レッドウルフを殺しただろう? 13体も」
そこでオリヴァーは、先日のクエストを思い出す。レッドウルフ討伐のクエスト受けたことで、オリヴァーは13体のレッドウルフを殺した。それは紛れもない事実だ。
殺意を含んだ眼差しに捉えられて、スーッと肝が冷える。何も言い返せずにいると、少女は責め立てるように言葉を続ける。
「あいつらは、私の家族だった。あいつらに拾われて、生かされてきたんだ。それなのにお前は……」
家族という言葉が重くのしかかる。山人は山に棲む生き物を共存して生きている種族だ。モンスターであるレッドウルフも、彼女にとっては家族だったのだろう。
「命を救ってもらったことには感謝をしている。だけど家族を殺されたとあれば、黙ってはいられない」
少女の言い分を聞いて、オリヴァーは深く溜息をつく。
「そっか。そうだったんだね……」
罪悪感に苛まれる。町を脅かすレッドウルフを討伐してヒーロー気取りになっていたけど、彼女からすれば家族を殺めた憎き魔法使いなのだろう。
やっぱり人に優しくするのは難しい。正義だと信じて実行したことが、別の立場から見れば悪になっていることもある。全ての人に等しく優しくするのは不可能なのかもしれない。
沈黙に包まれると、風が吹き抜けて木々の葉を揺らす。風が収まった時、少女は冷めた眼差しでこちらを見つめた。
「追ってきたということは、私のことも始末するつもりか?」
オリヴァーはすぐさま首を左右に振って否定する。
「そうじゃない!」
彼女を追いかけたのは、狙われた理由が知りたかっただけだ。矢で射貫かれたのはショックだったけど、反撃するつもりはない。
こちらには敵意がないと伝えたものの、少女には伝わらなかった。懐に手を忍ばせると、古びた短剣を取り出す。
「大人しく殺されるつもりはない。化け物相手でも、私は戦う」
意思の籠った瞳でオリヴァーを見据えた直後、少女は地面を蹴って走った。短剣を構えながら、オリヴァーに狙いを定める。
「危なっ!」
軽やかな動きで飛んできた少女を、寸でのところでかわす。あとで回復できるとはいえ、痛い思いをするのはもうごめんだ。
「バウッ!」
バーナードが少女に飛び掛かる。突如大きな犬に飛び掛かられたことで、少女は地面に尻もちをついた。
体勢を崩したところで、バーナードは少女に襲い掛かる。仰向けに転がして、鋭い歯で首元に噛みついた。
「ああああっ……」
痛みで顔を顰める少女を見て、オリヴァーは慌てて止めに入る。
「やめて、師匠! 彼女を傷つけないで!」
「はあ?」
オリヴァーの言葉を聞いて、バーナードは呆れたように振り返る。その油断がよくなかった。一瞬の隙をついて、少女はバーナードの腹部を躊躇いなく短剣で刺した。
「グルルルルーー」
「師匠!」
バーナードは地面に横たわる。白と黒の毛並みは、みるみるうちに鮮血で染まっていった。
オリヴァーが慌てて駆け寄ろうとした途端、少女はバーナードの首元に短剣を突きつけて牽制する。
「これ以上近寄ったら、お前の相棒も殺す」
先ほど躊躇いなく刺したことから、ただのハッタリではないことに気付く。少しでも刺激をしたら、バーナードは首元を引き裂かれるかもしれない。
嘆かわしいことに、バーナードの首輪はまだ外していない。これでは回復魔法も使えなかった。
バーナードの行動を制したことで油断を生み、命の危険に晒してしまった。ほんの一瞬の判断ミスが、状況を悪化させてしまった。
この状況を打破するには、魔法で少女を攻撃するのが手っ取り早い。レッドウルフを撃ったときのように、少女のことも撃ち抜けばバーナードを救うことができる。
だけどオリヴァーは、この場に及んでも魔法を使うことを躊躇っていた。
――魔法は人を幸せにするためにある。
ずっとそう信じてきた。だからこそ、人を傷つける目的で魔法を使いたくなかった。
とはいえ、そうも言っていられない状況に陥っている。バーナードは、大量失血したせいか、地面に横たわってぐったりしている。
いまのバーナードは、魔法を使うことができない。文字通り、ただの犬だ。彼を守るためには、魔法で反撃するしかない。
「仕方、ないか……」
オリヴァーは、杖を構える。その瞬間、少女の顔に恐怖が滲んだ。
魔力を抑えるのは、正直苦手だ。命までは奪いたくないけど、加減を間違えて殺してしまうかもしれない。それでも、今はこうするしかなかった。
その時だった。地面に横たわっていたバーナードが、突如声をあげた。
「曲げるな! 自分の美学を貫け!」
ハッと顔を上げる。バーナードの言葉が、矢のように胸に突き刺さった。
傍でナイフを構えていた少女も、驚いたようにバーナードを見下ろす。
「犬が喋った……」
突如喋り出したバーナードに驚いている様子だった。それが彼女の油断に繋がった。
バーナードは、短剣を持つ彼女の手に噛みつく。
「くっ……」
少女は慌てて手を引っ込め、短剣を地面に落とした。
「いまだ! オリヴァー!」
バーナードが叫ぶ。オリヴァーは地面を蹴って、少女に立ち向かった。
やっぱり魔法は、人を幸せにするためにある。人を傷つけるためなんかに使いたくない。バーナードのおかげで、自分の美学を曲げずに済んだ。
――ありがとう、師匠。
目の前まで走ってきたオリヴァーを見て、少女は息を飲んで固まる。次の瞬間、オリヴァーは少女の片腕を掴んだ。
「秘儀、一本背負投!」
「は……?」
少女の身体はふわりと宙に浮き、オリヴァーに投げ飛ばされた。まさか体術を仕掛けられるとは思っていなかったのだろう。少女はポカンと口を開け、されるがままになっていた。
投げ飛ばされた少女は、受け身を取ることもできずに地面に強打される。そのまま意識を失った。
地面に伏しているバーナードは、堪えるように笑う。
「くくくっ。まさか魔法使いが体術を使ってくるとは思わねえよな。東の国の秘術を仕込んでおいてよかったぜ」
明らかに面白がっているバーナードとは対照的に、オリヴァーは申し訳なさそうに目を細める。
「ごめんね、痛かったよね」
意識を失っている少女の赤髪をそっと撫でる。それから少女の周囲に結界を張った。
「少しだけ、ここで眠っていてね」
結界を張ったことで、外からも中からも介入できない状態になった。これでオリヴァーが狙われる心配はないし、少女が野生動物に襲われる心配もない。もちろん、全て事が済んだら解放してあげるつもりだ。
「おい、首輪を外せ……」
バーナードから声がかかって、慌てて駆け寄る。
「すぐ外すね!」
オリヴァーは首輪の留め具に手をかけて外した。その直後、バーナードの身体が黄色い光で包まれた。回復魔法だ。
「ったくよぉ、普通刺すか? ほんっとに山人は野蛮な奴しかいねえ!」
文句を言いながらも、バーナードの傷は次第に塞がっていく。数秒経った頃には、完全に復活していた。毛皮についた血までは落とすことはできなかったけど。
「無事でよかった。刺された時は心臓が止まるかと思ったよ」
「急所は外していたからな。あれくらいじゃ死なねえよ」
短剣で刺されたというのに、バーナードはいたって冷静だった。そんな姿を見て、流石だなぁと感心していた。
「そんなことより、クエストはいいのかよ? そろそろ約束の時間だろ?」
「そうだ! アメリのところに行かないと! 行こう、師匠!」
オリヴァーは、山道を駆け降りて、待ち合わせをしていた丘へ走った。