第13話 初めて教わった魔法
「オリヴァー! 起きろ!」
――痛い。苦しい。
「こんなところで死んだら、ぶっ殺すぞ」
――うるさいな。めちゃくちゃなこと言わないでよ。
「魔法を発動しろ! それか俺の首輪を外せ!」
――そんないっぺんに言われたって分からないよ。
一度意識を失ったオリヴァーだったが、バーナードの喚くような声で目を覚ます。虚ろな瞳でぼんやりしていると、バーナードに指を思いっきり噛まれた。
「……痛ったいなぁ」
言葉を絞り出したところで、バーナードはホッとしたような表情を浮かべる。
意識を取り戻すと、焼かれるような痛みに再び襲われた。
――もう嫌だ。こんなことなら、もういっそ死んでしまいたい。
意識を手放そうとした時、もう一度バーナードに指を噛まれた。
「おい! 俺が最初に教えた魔法を忘れたのか?」
「最初に、教わった、魔法?」
「ああ、攻撃魔法でも防御魔法でも生活魔法でもない。もっと大事なことだ」
バーナードと出会ったばかりの頃の記憶を呼び戻す。そうだ。最初に教わったのは、この魔法だ。
「回復魔法……」
そう口にした瞬間、走馬灯のように過去の記憶が蘇った。
◇
オリヴァーとバーナードが出会ったのは二年前のことだ。オリーブの木の下で倒れている少年を、犬になったバーナードが発見した。
「おい、大丈夫か?」
男の声に呼びかけられて目を覚ますと、もふもふとした大きい犬に見下ろされていた。
「うわああっ!」
少年は驚いて声をあげる。狼のようにも見える巨大な犬が、突然視界に入ってきたら誰だって驚く。
「そんなに驚くなよ。別に取って喰ったりはしねえよ」
「ええええっ!? 犬が喋った!?」
今度は別の意味で驚く。犬が喋るなんて常識的に考えてあり得ない。木の根元まで後退りして慄いていると、目の前の犬は「へっ」と呆れたように笑った。
「驚くのも無理ねえか。俺は魔法使いのバーナード。おっかない性悪魔法使いのせいで犬の姿に変えられたんだ」
「魔法使い? 犬の姿?」
「ああ、俺は元人間だ」
説明されても、すぐには納得できない。魔法使いに会ったことだって一度も……。
ふと、過去の記憶を辿ろうとしたものの、何も思い出せないことに気付く。どうしてここにいるのかも、どこに住んでいたのかも、自分の名前すら思い出せなかった。
「お前、名前は?」
「……分からない」
「はあ?」
バーナードと名乗った犬は、呆れたように首を傾げる。そんな反応をされるのも無理はない。自分の名前すら分からないなんて異常事態だ。
「記憶喪失……かもしれない」
いまの状況で考えられるのはそれしかない。途方に暮れていると、バーナードは大きく溜息をついた。
「面倒くせえ……」
「そんな言い方しなくても……。僕だって困ってるんだから」
あまり優しくないバーナードの態度に、少なからずショックを受ける。
「まあいい。それより頼みがある」
「頼み? なに?」
「この首輪を外してくれないか?」
バーナードは、前脚で首輪を鬱陶しそうに引っ掻く。首輪には、空っぽの小瓶が括りつけられていた。
「分かった。外せばいいんだね」
少年はバーナードの目の前でしゃがんで首輪に手をかける。留め具を首輪の穴から引き抜くと、あっという間に首輪が外れた。
「これでいい?」
頼まれた通りに首輪を外したものの、バーナードは驚いたように目を瞠っていた。
「お前、これが外せるのか?」
「記憶喪失だって、首輪くらい外せるよ」
「いや、そうじゃなくて……」
バーナードの赤い瞳は、まじまじとこちらを凝視する。なんだか値踏みをされているようで居心地が悪い。
「お前……とんでもない魔力を宿しているな……」
「魔力?」
「ああ。あの性悪魔法使いと同等……いや、それ以上の魔力があるかもしれない」
言われている意味がよく分からない。バーナードは肩を震わせながら笑った。
「これは、とんでもない拾い物をしたもんだ」
少年はわけが分からず置いてけぼりにされる。そんな中、バーナードは思いがけない言葉を発した。
「お前、この俺の弟子にならないか?」
「弟子?」
「ああ、俺についてこい。そして従え。そうすれば、この俺が直々に魔法を教えてやる」
そんなことを突然言われても困る。だけど記憶を失くしたいま、行く宛がないのも事実だ。悩んでいると、バーナードがオリーブの木を見上げた。
「オリヴァー」
「え?」
「名前がないと呼びにくいからな。オリーブの木の下にいたからオリヴァー。それが今日からお前の名前だ」
名前を与えられた。出会って間もない犬の魔法使いに。
なんだか不思議な感覚だ。名前を与えられたことでぼやけていた自分の存在が、はっきりと形を持ったような気がした。
この出来事がきっかけで、オリヴァーはバーナードと師弟関係を結ぶようになった。
旅が始まってからは苦難の連続だった。
オリヴァーは、自由奔放に振舞うバーナードの尻ぬぐいをしてばかり。バーナードの代わりに頭を下げたのも、一度や二度ではない。
そして肝心の魔法の指導もスパルタだった。旅が始まって数日経った頃、バーナードから医学書を渡される。
「なんで医学書? 別に僕、医者になるつもりは……」
「まずは医学書で人体の構造を理解しろ。話はそこからだ」
わけが分からなかったが、オリヴァーは言われるがままに医学書で人体の構造を勉強した。
それから一週間後、事件が起きた。
「いっただきまーす」
山奥で野営をしていた時のことだった。オリヴァーが携帯食料を口にしようとしたところ、突如背中に何かが突き刺さる。
「え……なに……」
激痛が走り、オリヴァーは地面に突っ伏した。背後に視線を向けると、バーナードがニヤニヤとこちらを見つめている。
「どうだ、痛いか?」
「なに……したの……」
「魔法で背後から撃った。安心しろ、急所は外している」
「なんで……そんなこと……」
意味が分からない。なぜ師匠であるバーナードから攻撃をされたのか?
そうこうしているうちに、背中からドクドクと血が流れ、意識が遠のいていく。
「おい、気絶するなよ。いまから魔法を教えるんだから」
「こんなときに……何言って……」
「いまから教えるのは回復魔法だ。いまのお前に一番必要な力だろ?」
「回復魔法?」
教えるんじゃなくて、いますぐ回復魔法で助けてほしい。そんなオリヴァーの願いが届くことなく、バーナードは悠長に解説を始める。
「いいか? この世界で生き抜くために必要なのは、死にかけた時に自分の力で立ち上がることだ。回復魔法さえ覚えていれば、どんな窮地だって乗り越えられる」
その理屈は何となく理解できる。だからって、いきなり攻撃してくるのはあんまりだ。スパルタにもほどがある。
「いま撃ったのは広背筋だ。場所は分かるだろ? 傷口に魔力を送り込んで細胞を活性化させろ」
「そんなこと言われたって……」
傷口に意識を集中させてみたものの、痛んだ組織を修復することまではできない。練習なしでいきなりやってみろというのが、そもそも無理なんだ。
「無理……できない……助けて」
「人をアテにするな。傷ついても誰かが助けてくれるなんて甘っちょろい考えは捨てろ。窮地に陥った時、自分を守れるのは自分だけだ」
バーナードは助けてくれなかった。その間にも、痛みが全身を支配していく。出血も止まりそうになかった。
この痛みから逃れるためには、自分で何とかするしかない。オリヴァーは傷口に意識を集中させて強く念じた。
「もとに戻れ、もとに戻れ、もとに戻れ!」
医学書で見た筋肉を思い出す。傷のない状態に戻れと何度も念じた。
すると、少しずつ痛みが引いていくのを感じる。バーナードは、「ほう」と感心したように声をあげた。
「回復魔法とは少し違うが、そういうやり方もアリだな」
戻れ、戻れと念じながら魔力を送り込む。しばらく経った頃には、完全に痛みが消えていた。
「回復、できた?」
「傷口は塞げたようだな。撃たれる前の状態に戻したというのが適切か」
なにはともあれ、傷は修復できた。バーナードの教えに基づいて、初めて魔法を使った瞬間だった。
バーナードに不意打ちで攻撃されたのは、一度きりではなかった。旅の中で何度も不意打ちを喰らった。
山道を歩いている時に背後からズドン。食事を摂ろうとしている時も、眠りにつこうとしている時も、容赦なく攻撃された。その度にバーナードは尻尾を揺らしながらニヤニヤ笑っていた。
「ほらほら、早く回復しないと手遅れになるぞー」
オリヴァーが「こいつ……」と恨めし気に睨みつけるも、助けてくれる気配はない。バーナードから攻撃されるたびに、オリヴァーは自力で傷口をもとの状態に戻した。
「不意を突かれても焦るな。冷静になって魔力を巡らせれば回復できる」
旅の中で、そんな訓練を何度も繰り返してきたんだ。
◇
過去を思い出して、オリヴァーはようやく正気に戻る。気をしっかり保ち、目の前にいるバーナードを見上げた。
「思い出したよ。なんで師匠にもう一度首輪を付けたのか」
オリヴァーは背中に手を回して矢を抜く。痛くて仕方ないけど、ここで焦ってはだめだ。冷静さを失わなければ、何度だって復活できる。
「ゆっくり抜けよ」
「分かってる」
「抜いたら、すぐに魔力を送り込め」
痛みに耐えながら矢を抜ききると、すぐに魔力を送り込む。傷口に意識を集中させて、正常な組織を想像し、戻れ、戻れと何度も念じた。
すると痛みが徐々に引いて、まともに息ができるようになった。傷ついた組織がもとの状態に戻ったようだ。
「戻せたよ」
「見せてみろ」
オリヴァーはシャツの裾をまくり上げて背中を見せる。
「よし、傷口は塞がってるな。上出来だ」
バーナードは安心したように笑う。一命を取り留めたことで、オリヴァーもホッと力が抜けた。
「師匠の言葉を思い出したんだ。だから回復できた」
「旅の中で散々不意打ちで攻撃してきたからな。あの時の特訓が活きたってわけか」
「でも、もうあんなのはごめんだよ。だから師匠に首輪を付けたんだ」
一度外したバーナードの首輪を、もう一度付けた理由。それは、不意打ちで攻撃されるのを防ぐためだった。
いつ攻撃されるか分からない地獄のような日々だったけど、その経験がいま役に立っている。あの特訓がなければ、オリヴァーは自力で回復できず、息絶えていただろう。
そう考えると、あの荒っぽい特訓もバーナードの優しさだったのかもしれない。
「ありがとね、師匠」
「ああ。それよりも、お前を狙った奴を探そう」
「そうだね。何が目的か分からないけど、あの子が来る前に片を付けないと」