第11話 優しい魔法使い
「ねえ、見て! あの子、犬に本を読み聞かせてる」
「本当だ~! 可愛い~!」
芝生で覆われた広場の木陰で、オリヴァーとバーナードは魔導書を読んでいた。
バーナードの前脚ではページがめくれないため、代わりにオリヴァーがページをめくっていた。傍から見れば、犬に本を読み聞かせているような状態だ。
若い女性達からクスクスと笑われて、オリヴァーは恥ずかしそうに本で顔を隠す。
「うう……なんか恥ずかしい。絶対に犬馬鹿だって思われてるよ」
「気にするな。それよりさっさとページをめくれ」
「はいはい……」
言われた通りにページをめくるも、オリヴァーにはさっぱり内容が入って来ない。
「師匠は内容が分かるの?」
「ああ、大体の原理は理解した」
「やっぱり凄いや……」
あらためてバーナードに感心したオリヴァーだった。
しばらく広場で読書をしていると、お昼の時刻を知らせる鐘が鳴り響く。オリヴァーはパタンと魔導書を閉じて、立ち上がった。
「そろそろランタン設置のクエストの集合時間だ。行こう」
「あーあ、面倒くせえなぁ。そっちは大した金にならないんだから、引き受けなくても良かっただろ」
「そうはいかないよ。人手が足りなくて困ってるんだから。それにクエストを達成すればマナだって貯まるよ?」
「けっ! これだからお人好しは」
面倒くさがるバーナードを説得しながら、オリヴァーは集合場所へと向かった。
◇
クエストの依頼人である役場の職員から説明を受けた後、クエストの参加者達はランタンの設置を始めた。
カボチャのような形をしたオレンジ色のランタンを吊るしていく。大通りを跨ぐように建物と建物の間にランタンが吊るされると、町中は一気に華やかになった。
「おーい、こっちの柱にも紐を括りつけてくれー」
「はーい、ただいまー!」
クエスト参加者の男性から声をかけられて、オリヴァーはすぐさま駆け寄った。大きな杖を掲げると、宙に浮いた紐とランタンは手を使わずとも柱に括りつけられた。
「この位置で大丈夫ですか?」
「ああ、バッチリだ! それにしても魔法は便利だねぇ。梯子を使わなくても高い場所まで届くんだから」
男性は感心しながら吊るされたランタンを眺めていた。
「これくらいお安い御用です。僕にできることがあれば、何でも言ってくださいね」
「おお、頼もしいや!」
男性は、がっはっはと豪快に笑った。
ふと、バーナードの首輪に付いた小瓶に視線を向けると、オレンジ色の雫が一滴注がれた。ランタン設置を手伝ったことでマナが貯まったようだ。
「良かったね」
声を潜めながら伝えると、バーナードは「当然だ」と言わんばかりにふんっと荒い鼻息で返事をした。
その後もランタン設置を手伝っていると、三つ編みを揺らしながらアメリが通りを歩いていることに気付く。
「おーい、アメリー!」
オリヴァーが大きく手を振りながら呼びかけると、アメリもこちらの存在に気付いて近寄ってきた。
「何やってるの?」
「ランタン設置のクエストだよ。町中にランタンを吊るすのを手伝っているんだ」
「魔法を使って?」
「うん、そうだね」
そう答えると、アメリは目を細めながら微笑んだ。
「貴方はいつも人助けのために魔法を使っているのね」
思いがけない言葉をかけられて、オリヴァーはきょとんとする。だけどすぐに穏やかに微笑みながら頷いた。
「うん。魔法って、人を幸せにするためにあると思っているからね」
あまりに純粋な言葉を聞いて、今度はアメリが目を丸くする。しばらくオリヴァーを凝視した後、呆れたように苦笑いを浮かべた。
「一体どんな育て方をしたら、こんなに純粋な子に育つのかしら? 実家が大富豪で何不自由なく育ったとか?」
アメリから質問を投げかけられると、オリヴァーは決まりが悪そうに頬をかく。
「あー……。実は僕も、よく分からないんだ」
「どういうこと?」
きょとんと首を傾げるアメリに、オリヴァーは正直に伝えた。
「記憶がないんだ。二年前に師匠と出会ったことは覚えているけど、それ以前の記憶はまったく」
オリヴァーは、少し離れた広場に視線を向ける。そこではバーナードが子ども達に追いかけ回されていた。
「オリヴァーって名前も、オリーブの木の下で倒れていたからって師匠に名付けてもらったんだ。だから僕は、本当の名前も、年齢も、どこに住んでいたのかも分からない」
オリヴァーは背中を丸めながら視線を落とす。いつもの朗らかな雰囲気はなく、悲壮感が漂っていた。その様子を見て、アメリは神妙な面持ちで口を開く。
「これは、もしもの話だけど……」
「ん?」
「もしも貴方が、悪い魔法使いに酷いことをされて、そのうえ記憶まで消されたとしたら?」
思いがけない質問を投げかけられて、オリヴァーは固まる。アメリは澄んだ瞳を向けたまま追求した。
「それでも貴方は、優しい魔法使いのままでいられるの?」
頭から冷や水を浴びせられたかのような感覚になった。オリヴァーはあらためて自分の境遇について考える。
過去のことを思い出そうとしたことは何度もある。夜、眠りにつく前に幼い自分の姿を想像してみた。どんな家に住んでいて、どんな家族に囲まれていて、どんな暮らしをしていたのか。だけどそれは全て空想で終わり、過去の記憶に結びつくことはなかった。
いくら考えたって分からない。だから次第に、思い出そうとすることを放棄していた。
だけどアメリが言うように、自分が悪い魔法使いに騙されて、いまの状況に陥っている可能性もある。
全てを知っても、自分は自分のままでいられるのか? 何があっても変わらないという保証は、どこにもなかった。
言葉に詰まらせていると、アメリは慌ててフォローする。
「ごめんなさい! こんな話をしても仕方ないわよね!」
早口で謝ると、アメリは三つ編みを揺らしながら踵を返す。
「それじゃあ私はこれで。クエスト、頑張ってね」
「……うん」
空っぽなまま返事をして、アメリの背中を見送る。しばらくぼんやりしていると、子ども達から解放されたバーナードが戻って来た。
「まったく、酷い目にあったぜ」
バーナードは、声を潜めながら愚痴を零す。オリヴァーはその場でしゃがみ込み、バーナードのふわふわとした背中を撫でた。
「どうした? 暗い顔して」
「うん、ちょっとね……」
「んだよっ。何かあるならはっきり言え!」
バーナードに促されると、オリヴァーは自嘲気味に笑った。
「僕は、何者なんだろうね……」