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第1話 犬と少年

 赤髪の少女は、目の前の光景を見て死を覚悟した。

 緑色の鱗に覆われた巨大なドラゴンが、金色の瞳でじっとこちらを見下ろしている。少しでも身体を動かせば、鋭い牙で食い千切られそうだ。


 人間が敵うような相手ではない。腕っぷしには自信のある少女でも、ドラゴン相手には太刀打ちできそうになかった。

 もういっそ、ひと思いに殺してくれ。痛みを感じないほど一瞬で逝かせてくれるのが、せめてもの優しさだろう。すべてを諦めて深く息を吐いた時、異変が起きた。


「危ない!」


 少年の叫び声が響く。その直後、太陽よりも明るい光に包まれて、目を細めた。肺まで焼かれそうなほどの熱風に襲われて、少女は尻もちをつく。

 恐る恐る顔を上げると、つい先ほどまでこちらを見下ろしていたドラゴンが青白い炎に包まれていた。


 グギャオオオオオオーーーーーー


 地鳴りのような叫び声が、山の中に響き渡る。ドラゴンは青白い炎から逃れようと、尻尾を振り回しながら身を捩らせていた。しかし、どんなに暴れまわっても青白い炎が消えることはなかった。


 ドラゴンは地面に倒れて、動きを止める。青白い炎は骨まで焼き尽くし、灰だけが地面に残った。風が吹くと、真っ黒な灰が宙に舞う。


 ドラゴンを一撃で仕留めた。こんなのは、王国騎士団でもできやしない。

 一体誰が……と周囲を見渡すと、癖のあるベージュの髪色をした少年が立っていた。


 幼さの残る顔立ちに、オリーブ色の瞳。年齢は15歳前後と推測できる。少年の手には、背丈と同じくらいの大きな杖が握られていた。


 少年の足もとには、大きな犬がいる。白と黒の混じった毛並みに、狼のような鋭い顔つき。瞳は鮮血のような赤色をしていた。北の国では、コールドハスキーと呼ばれている犬種だ。

 少年は杖を下ろすと、にっこりと微笑む。


「大丈夫? 怪我はない?」


 軽い足取りで駆け寄ってくる少年を見て、少女を息を飲んだ。


「化け物……」

「うん。化け物はもう退治したよ。だから、もう大丈夫!」


 少年はキラキラとした眼差しで、グッと拳を握る。自らが化け物と称されているとは、微塵も思っていないようだった。足もとにいる大型犬は、どこか呆れたように少年を見上げていた。

 驚きのあまり立ち上がれずにいると、目の前に手が差し出される。


「立てる?」


 こちらに敵意を向けていないことは分かったが、少年の手を取るのは躊躇われた。


「平気だ」


 少年の手を借りずに、立ち上がる。少女の足は、まだ震えていた。

 早くこの場から立ち去ろうとしたものの、渓谷にかかる吊り橋が倒壊していることに気付く。先ほどの熱風で、橋が壊れてしまったようだ。


「あ……もしかして橋を壊したのって僕?」


 少年は「しまった」と口を開くと、すぐさま崩壊した橋の傍に駆け寄った。


「待っててね、すぐにもとに戻すから」


 少年は、渓谷を覗き込む。杖を構えると、目を閉じながら何かを唱えていた。


 次の瞬間、川底から次々と木版が浮かび上がり、垂れ下がったロープに繋がっていった。みるみるうちに吊り橋が修繕されていく。それはまるで、スローモーションで時間が巻き戻っているようだ。


「なんだ、あれは?」

「時間を巻き戻す魔法だよ」

「魔法?」


 その言葉で、すべての現象に説明がついた。


「あんた、魔法使いなのか?」


 金色の瞳でじーっと見つめると、少年は笑顔を浮かべたまま頷いた。


「うん。僕は魔法使いのオリヴァー。こっちの大きな犬は師匠のバーナード」

「師匠?」

「あ、えっと……。師匠じゃなくて……相棒かな?」


 少年は、あははーっと誤魔化すように笑う。その足元では、大きな犬が「バウッ」と威嚇するように吠えた。

 吊り橋がもとの状態に戻ると、少年は恐る恐る橋を渡る。一歩一歩確かめるように渡って、中央まで渡り切ったところでホッと息をついた。


「大丈夫! ちゃんと直ってるよ!」


 少年は大きく手を振りながら合図する。次の瞬間、大きな犬がタンッと地面を蹴って橋を渡った。


「おわっ!」


 橋が揺れて、少年がよろける。慌ててロープに掴まると、少年は犬を咎めた。


「師匠! もっとゆっくり渡ってよ!」


 キッと睨みつけるも、犬は素知らぬ顔で足元を通り過ぎるばかり。モップのようなフサフサとした尻尾を恨めし気に見つめながら、少年は溜息をついた。それから犬に続いて橋を渡り切る。


 彼らが無事に渡り切ったのを確認すると、赤髪の少女も橋を渡る。対岸まで辿り着くと、少女はまじまじと目の前の少年を観察した。


 背丈は少女より少し高い程度で、男性にしては小柄だ。腕も腰も細く、体格の良い方ではない。魔法使いなら体格は関係ないのかもしれないが、それにしたってドラゴンを一撃で仕留めるような人物には見えなかった。


「どうしたの?」


 悪意なんて微塵も滲んでいないような笑顔を向けられる。その笑顔を見ていると、先ほどの光景は幻だったのでは思えてきた。


 だけど幻なんかではない。少女はいまも生き続けているのだから。


「ありがとう。あんたのおかげで助かった」

「うん。どういたしまして」


 少年はにっこりと微笑む。ただ、それだけだった。


「じゃあ、私はこれで」

「うん。気を付けてねー」


 少女は逃げるように山の中を駆けて行く。その後ろ姿を眺めながら、少年を大きく手を振っていた。



 赤髪の少女と別れてから、オリヴァーは足元にいる大きな犬、バーナードに話しかける。


「よかったね。間一髪のところを助けられて」


 ほのぼのとした笑顔を浮かべると、バーナードが顔を上げて人の言葉を発した。


「たくっ……お前の魔力は相変わらず規格外だな。ドラゴンを一撃で仕留めるなんて、並みの魔法使いにはできないぞ」

「突然のことだったから魔力を抑えられなかったんだ。やり過ぎちゃったかな?」

「いや、いい。ドラゴンを倒すには、あれくらいの魔力をぶっ放つのが正解だ」

「なら、よかった」


 オリヴァーは目を細めながら微笑むと、バーナードの頭を撫でる。もふもふとした感触を堪能していると、鋭い歯に噛みつかれそうになった。


「犬扱いすんなって、いつも言ってんだろ!」

「ああ、ごめん。つい」


 オリヴァーは慌てて手を引っ込める。バーナードは、ふんっと鼻息を荒くしながら、山道を歩き始めた。オリヴァーは揺れる尻尾を追いかける。


「つーか、あの嬢ちゃんを助けてやったんだから、報酬のひとつでも請求しても良かったんじゃねーか? 路銀だって、もう残り少ないだろう」

「それは、そうだけど……なんというか、あの子から金品を請求するのは忍びなくて」

「まあ、金を持っているようには見えなかったな。あいつは恐らく山人だ。人里離れた山奥に住んで、動物達と仲良くやってる種族だろう」

「うん。そんな感じがした」


 赤髪の少女は、粗末な身なりをしていた。明らかにお金を持っていなさそうな野生的な少女から金品を請求するのは気が引ける。


 それにドラゴンを倒すくらいオリヴァーにとっては大した手間でもないから、報酬など受け取らなくても構わなかった。


「お金は貰えなかったけど、マナは貯まったんじゃない?」


 オリヴァーは先を歩くバーナードの前に回って、腰を下ろす。それからバーナードの首輪に付いた小瓶に触れた。


「ほら、ちゃんと貯まってる」


 小瓶にはオレンジ色の液体が4分の1ほど注がれていた。バーナードは、けっと悪態をつく。


「これでマナも貯まってなかったら助け損だ」

「またそういうこと言う。師匠は損得勘定でしか動けないの?」

「損得勘定で動くことの何が悪い? 賢い大人の生き方だ」

「そんなんだからアナベル様に犬にされるんだよ?」

「馬鹿っ! あの女の名前を軽々しく出すな!」


 ガルルルッと威嚇するバーナードを見て、オリヴァーはやれやれと両手を仰いだ。


 道幅の狭い山道を下っていくと、木々の隙間から町が見えた。ハイド山脈の麓に位置する町、コーランドだ。


「次の目的地はあそこだね」


「ああ、あの町でマナを貯めるぞ」


「うん。みんなの役に立てるといいね」


 褐色屋根の建物が立ち並ぶコーランドの町を見下ろしながら、オリヴァーは柔らかく微笑む。その横顔を見たバーナードは、小馬鹿にするように笑った。


「相変わらず、お前はお気楽だな」

「そうかな?」

「ああ。お気楽でお人よしだ。見返りも求めずに、すーぐに厄介ごとに首をツッコむんだからな」


 それは否定できない。これまでの旅でも幾度となく厄介ごとに首をツッコんできたから。だけどそれには、オリヴァーなりの信念がある。


「僕、思うんだ。魔法って人を幸せにするためにあるんだって」


 魔法使いになって早二年。師匠の教えの甲斐あって、()()()()に魔法が使えるようになった。そんな中、自分なりに導き出した答えが先程の言葉だ。


 魔法とは何か? そんな質問を魔法使いに投げかけたら、十人十色の答えが返ってくるだろう。

 バーナードに尋ねたら「楽に生きるための手段」なんて返ってくるかもしれない。彼はそういう魔法使いだ。

 正解なんてないけど、自分なりの軸を持つことには意味がある。


「こんな話をしたら、笑われると思うけど……」

「ああ?」


 そう前置きをしてから、オリヴァーは告げる。


「僕は人を幸せにするために魔法を使いたい。それで、世界一優しい魔法使いになりたいんだ」


 純真無垢な瞳を目の当たりにしたバーナードは、静かに目を伏せる。


「俺はいま、初めてお前の成長が楽しみになった」

「本当!?」

「ああ。いまはなーんにも知らないお気楽な坊ちゃんが、現実を知って薄汚い大人になっていくのが楽しみで仕方ねぇ」


 くくくっと下種な笑いを浮かべるバーナードに、オリヴァーは冷え切った視線を送った。


「……なんてこと言うんだ」

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