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【連載版】花粉症令嬢は運命の香りに気付けない。~え、なにここ地獄?~  作者: 藤 都斗


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にーじゅなな

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 大事な話がしたい、というキャロルの手紙を受けて、心臓が嫌な音を立てた気がした。その手紙は大切にそっと金細工の箱にしまい込んで、小さく息を吐く。


 この箱には、キャロルから誕生日に貰ったタイピンなどの小物や、彼女が落としたハンカチや、忘れていったハンカチを入れてある。会うたびにいつもハンカチを忘れたり落としたりしていくものだから、ときどき侍女や彼女本人に返却してはいるものの、気付けばいつも三枚はこの箱に常備されてしまっていた。

 きっと、彼女なりの愛情表現というか、独占欲なのだろう。ハンカチだけでも俺といつも一緒にいて欲しいなんて、どうしようもない愛しさしか湧かない。


 そんな彼女からの、この手紙だ。……いったいどんな話だろうか。

 恐ろしくは感じるが、それでも話は聞きに行かなければ。きっと彼女は、お気に入りのあの場所によく似た、あの温室に居るのだろう。


 ぐっと拳を握りしめて、教室を出る。そのまま校舎の外へ出て、丁寧に整備された小道に入った。

 昼食後の空き時間だというのに道中誰一人ともすれ違わなかったのは、この道の先には俺が占有許可をもぎとった温室しかないからだろう。


 ことのほか重く感じる足にどことなく不甲斐なさも感じながら、歩を進める。

 それでも俺は彼女を手放す気など一切無い。だからこそ、彼女を説得しなければならなかった。俺が恐れているのは、己の感情だけを押し付け、彼女に無理強いしてしまわないかということだけだ。

 彼女は優しい。だから、きっと自分を押し殺してしまう。ゆえにこそ、そんな蛮行などあってはならないのだ。


 そうして、たどり着いてしまった温室の扉を開けると、ガラスを通したことで柔らかくなった自然の明かりを受けながら、彼女はひとりで花を愛でていた。

 贈ったヴェールが彼女の表情を隠しているのをいつも残念に思っていたのに、今ばかりは彼女の顔を見るのが少し怖い。……怖い、はずだった。

 だけど、陽の光を浴びる彼女はどこまでも清らかで、美しくて。まるで、絵画の世界に飛び込んでしまったのではないか、と錯覚しそうなくらいには非現実的で、もはや神秘的な彼女の姿に息を飲む。

 内心ではいつまでもその光景を見ていたいと思ったのに、なぜだか口からはポロリと彼女の名前がこぼれ出てしまった。


「……キャロル」


 その声に気付いた彼女が、ふわりとヴェールをなびかせながらこちらへと振り返る。その姿はまるで天に遣わされた乙女のようで。その荘厳な光景に俺は自然と目を細めた。


「殿下……」


 彼女の透き通った声と、涼やかな甘い香りが心地好い。だけど。


「あ、あの……わたくし」


 真剣な彼女の声に、嫌な予感がした。


「…手紙ありがとう。なにか相談ごと?」

「わたくし……、わたくしには、王妃なんて大役、務まりません……!」


 問いに対する応えは、無理矢理に絞り出したような、苦しそうな声で。


 あぁ、やはり。

 いつかそうなるだろうとは思っていたけれど、実際にそうなってしまうと何とも言えない虚しさを感じる。


「……誰かに、そう言われたのかい?」

「いいえ、いいえ! そんなはずがありません。この国の皆さまは、こんなわたくしにもとてもお優しいです」


 彼女の今にも泣きだしそうなほどに悲しげな声が、心に痛い。


「わたくしは殿下に、隠していることがあるのです」


 それは、思いもよらない言葉だった。


「わたくしは、殿下が思うような、淑やかで、高貴な令嬢ではありません」


 そして気付く。彼女はこんなにも、追い詰められていたのだと。


「乱暴で、粗野で、ミミズを素手で掴めるような女なのです」


 震える手が、声が、痛々しくて。今にも消えてしまいそうな彼女へと、つい駆け寄ってその小さな体ごと抱きしめた。


「……キャロル。大丈夫だよ。誰になにを言われたのかは聞かないが、どんなキャロルでも、俺は君を愛すと誓おう」

「待ってください殿下、そんな、そんなことを軽率に仰ってはいけません! わたくしは、わたくしは……!」


 泣いているのか、こんな俺のために。

 震える彼女を、苦しくないように、それでも離さないようにギュッと抱きしめながら、口を開く。


「キャロル。不安にさせてしまってすまない……俺が不甲斐ないばかりに、君にばかり心労をかけてしまっている……」

「違います、殿下は、殿下は悪くありません……! わたくしが、すべてはわたくしが悪いのです……!」

「キャロル……」


 彼女が、自分の病弱さに引け目を感じていることは知っていた。今までひとつも漏らさず、自分の中にその感情を溜め込んでいたのだろう彼女の、その思いが痛々しくて。


「どうして……どうして……!?」

「俺が王子だからこそ、『それ』が君の重荷になってしまっているんだね」


 戸惑う腕の中の彼女を、一度だけ強く抱きしめてから離す。


「そうじゃないんです、違うんです、殿下……!」


 追いすがるように手を伸ばす彼女を、振り切って離れる。突き放すわけじゃなく、そっと。


「殿下……!」


 悲痛な彼女の声に心が引き裂かれるような切なさを感じながら、彼女を置いて、出口へと歩き出したのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 そんな感じで殿下に放置されたキャロルはというと、全力で頭を抱えていた。


「なんでじゃあ……!?」


 むしろそれはこっちが聞きたい。なんでなん?


「どうしたのキャロル」


 さすがにそんな妹の異常に気付いた兄者が、不思議そうにやって来た。


「ワシ……このままやと王妃や……!」

「え? やっと気付いたの?」


 むしろなんで気付いてなかったのか。


「兄者貴様……! 気付いとったならなんで言ってくれんかったんや……!?」

「いつ気づくかなぁ、って思ってた」

「薄情者ぉ……! ゆるふわ癒し系ボーイのくせに!」

「うん、それはよくわかんないけど、一体どうしたの急に」


 兄者からすればまったく意味が分からないので、真っ当な疑問である。それはそう。


「殿下に本性見せれんかったんよ……」

「えっ」


 なんか落ち込んでいるキャロルだが、兄からすれば物凄い爆弾発言である。


「なんでか知らんが、殿下の前で令嬢モードがオフ出来ぬ……!」

「ちょ、待って、殿下の前で今のキャロルを出そうとしてたの?」

「うん。だってこのままじゃワシ王妃になるかもしれんやん」


 そういう問題じゃない。


「だとしてもなんで誰にも相談せずにそんなことを……!」

「え、サマリーは知っとるよ?」


 完全に何が駄目だか分かっていない顔である。兄者は盛大に頭を抱えてのけぞってから、大きく息を吸い込んだ。


「サマリーよりも先に僕に相談しておくべきじゃないかなぁ!?」

「そんなんよりもワシこれからどうしたらいいと思う!?」


 兄者の言葉というかツッコミはとても常識的なもののはずなのだが、それよりも今後のことが重要なキャロルは間髪入れずに聞き返す。


「そんなんって……、はぁ、頑張って王妃になればいいんじゃない?」


 大きな溜め息を吐いたあと、兄者は全てを諦めたような顔で爽やかに微笑んだ。


「なんでじゃあ!! 無理無理無理無理!! ワシそんな器ちゃうねんぞ!!」

「大丈夫大丈夫。キャロルは頭悪くないし素行が表に出なきゃ完璧な令嬢なんだから」

「やだぁあああああ! 心が死ぬううううう!!」


 さすがに今回は取り乱してしまっているのか、キャロルは半泣きで喚きながら、兄者の服の袖を掴んで離さない。そのまま、ぐんぐんぐいぐい引っ張っている。袖引きちぎる気なのかなこの子。


「えぇ……、でも殿下と結婚出来るんだよ? 嬉しくないの?」

「イケメンと結婚は嬉しいけども!!!」


 兄者の言葉に、きりっとした顔で答えるキャロル。まんざらでもないというか、むしろ好感度は高いようである。しかしながら、婚約者であるはずの殿下に対する壁のようなものが見え隠れしていた。

 そして、それを実の兄である彼が気付かない訳がなく。じっとキャロルを見た兄者は、普段通りの、いつもの微笑で口を開いた。


「じゃあキャロル、殿下本人のことは、一体どう思ってるの?」

「はぇ?」


 考えたことは、果たしてあったのだろうか。キャロルの表情が、珍しくこわばった。戸惑っているような、それと同時に、緊張しているような、何とも言えない顔だ。


「好きなの? 嫌いなの?」


 確かめるような兄の問いかけに、キャロルはぱちぱちと瞬きを繰り返した。家族だけが知る、彼女が恥ずかしがっているときの癖だ。じっと兄を見て、それから一度視線を落としてから、また兄を見た。


「……嫌い、じゃない」

「じゃあ好きなの?」

「顔と性格と言葉遣いは好き」

「……それ、ほぼ殿下の全部じゃない?」


 冷静だけど優しい兄の言葉に、キャロルの言葉が詰まる。


「…………でもワシ、匂い分からんもん……!」


 そうして出てきた言葉には、困惑と憤り、それから少しの悲しみがあった。

 普段はなにも考えていないキャロルでも匂いが重要視されるこの世界では、疎外感というものを彼女なりに感じ続けていたのだろう。


「匂い分かれへんかったら、結婚したらあかんねやろ?」


 今にも泣きだしそうな顔で呟くように問いかけるキャロルの姿は、外見の儚さも相俟って『この世の争いを悲しむ聖女』にすら見えた。


「いや、別にそこは気にしなくていいよ?」

「うぇ?」

「そりゃあ後からキャロルにとっての運命が分かったら悲惨だろうけど、キャロルは今後も匂いが分からないんだろう?」

「……うむ?」


 まあそこらへんに関しては杞憂でしかないのだが、彼らにそれを知る由はないので、仕方ない部分ではある。


「だったら、結婚しても大丈夫じゃないかな?」

「なるほど?」


 それで納得してしまうあたり、さすがキャロルというか、なんというか。


「……ほんでも、ワシ匂い分かれへんやん? 王妃としてどうなんそれ」

「殿下に合わせてたら何とかなると思うよ?」

「そーゆーもん?」

「うん」


 不安そうに眉を下げるキャロルに、兄は穏やかな声で答える。


「じゃあ……病弱キャラとか、どないしたらええと思う?」

「……そこはもう、それっぽい振る舞いするしか」

「そこがしんどいねんって!!」

「がんばれー」

「うええええええん!!!」


 薄情者ぉぉおおお、というキャロルの声は、外からの強い風の音でかき消されていった。


 

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