ふるさと
君と私が過ごした日常
あそこを離れるまで、あそこの良さを理解することは無かったと思う。
私の故郷は何もないと思っていた。幹線道路から見ると街の方は明かりが奇麗なのにあそこは暗い。バスだって一日に5本しかない。バス停だって遠いし。学校だって延々と続く田んぼ道の中を歩いて行った。高校になってからは自転車だったけど、毎日片道1時間かけて通ったものだ。当たり前のように夏は暑く、そして冬は寒い。雪が降る地方じゃなかったからそこはありがたいと思うけど、それは私の中で当たり前だったし、冬は風が強く寒いから嫌いだった。
私の故郷は一般的にいえば田舎だったんだろう。典型的な車社会で車は2台あって当たり前。大人の数だけ車がある家も珍しくない。どこに行くにも車で行く、それは田舎の象徴のようだった。でも全国を見れば故郷より田舎だと言われる所は沢山あって、それがまたたまらなく嫌だった。
私は大学進学先に同じ県内を選んだ。県庁所在地にあるその大学は、郊外にあるが交通の便はいい。バスが10分に1本来る。しかし、私の実家からは片道2時間以上かかってしまう。私は一人暮らしを決意した。とても楽しみだった。新たな生活に心を躍らせ、アパートのな内覧をし、家具や家電をそろえて引越しをした。両親は「近いんだから何かあったら帰ってきなさい」と言うし、私も大丈夫だと思った。
しかし、実際は違った。何か故郷の面影を残すものを見るたびに「何かが違う」と思ってしまう。茶畑を見て、「あそこならここには田んぼがあるはず」と思ったり、山を見て、「こんなに山が近くない」と思ったり。もっと都会に、例えば東京のような大都市に住んでいたらそんなことを思う余裕がなかったのかもしれない。でも私が引っ越したのは地方都市と呼ばれる規模で、また同じ県内であったから、似ている部分は沢山あった。しかし、どこか故郷と違う。そうして暫くぶりの帰省をしたときに漸く分かったのだ。嗚呼、私は故郷が好きなのだと。
故郷にはたくさんの思い出がある。住んでいた時はマイナス面しか見えていなかったのが、離れているからだろうか、あそこの良いところが思い出と共によみがえってくる。そして、その思い出の中には君もいるんだ。
君と私は家が近かった。といっても200mほど離れていたが、同じ地区だったからご近所さんだろう。そして、地区唯一の同い年だった。君の家とは家族ぐるみの付き合いで、親や祖父母も何かと仲が良かったっけ。勿論、私と君も仲が良かった。そうだよね。
小学生のころ、二人でたくさんの事をした。
春には田んぼにタモとバケツを持っていって、オタマジャクシを捕ったなあ。捕ってきたオタマジャクシはバケツに入れて家まで持って帰るんだけど、バケツに蓋なんてしないからカエルになって絶対逃げて行っちゃう。それだからか、私の家の庭ではよくカエルを見ることができた。いつか、君が田んぼに落ちて泥だらけになって、二人してもういいかって泥遊びしたことあったよね。私は帰ってから母に怒られたけど、君はどうだったのかな?
夏は、夏休みでお互い別の友達と遊ぶことも多かったけど、一回近所の川で遊んだことなかった?くるぶしより少し高いくらいの水深の川で、二人で歩いたり、川岸に座ってお菓子を食べたり。水着は着なかったから、川に入るのはふくらはぎまで。だって水着を着たらどこかで泳いだって親にばれちゃうでしょう。大人にばれたら絶対怒られるからって、私今でも両親に秘密にしてるんだよ。本当はやってはいけない事だったかもしれないけれど、だからこそ、君と感じたそのスリル感は今でも鮮明に覚えている。
夏の終わりから、祭の練習が始まる。10月の初めの3連休に私たちの地区ではお祭りがある。小学生は太鼓を叩く役割があった。夜に週2回。あの時間が楽しかった。年上のお兄さん、お姉さんの格好いい叩き方を見よう見まねで真似したり、空いた時間で皆で鬼ごっこをしたり、練習も頑張ったけど同年代の普段遊ばない子たちと遊べるのが楽しかった。そこでもやっぱり私達はお互いしか同級生がいないから、二人でやることが沢山あった。特に、太鼓は学年ごとに叩く部分が大体決まっていて、盛り上がる部分は6年生が担当する。君と私で二人で小太鼓を叩いたよね。とても盛り上がって、屋台が全然進まなくて予定より随分長い時間叩いてたの君は覚えているのかな。
冬は寒いし、早く日が暮れてしまうからあまり遊ぶことはなかったけれど、お正月に一緒に初日の出を見てた。地区の神社は見晴らしがとても良くて、正月の朝は地区の人が多く集まる。君と私もその一人だった。ドラム缶の中で焚火が焚かれていて、その周りにはおじいちゃん達が沢山いたっけ。子どもには甘酒が用意されていて、飲んだよね。大人になったらお屠蘇だから、もし来年一緒に行ったら二人で吞むのかな。
私と君は友人だった。でも、中学生になって、お互いに部活や勉強に忙しくなってからは今までのように遊ぶことは無くなった。それは誰もが通る道だろう。私と君もそうだったというだけだ。でもお祭りの時だけは違った。一緒に太鼓を叩くことはなくなったけど、周りに他の同級生がいないからか、小学校の時に戻った気がした。私は中学生になって横笛を始めたから、今までと同じように練習に顔を出していたし、太鼓を小学生に教える君もそれは同じだった。そうして、練習が終わったら、暗い、街灯がほとんどない道をぽつぽつと話ながら家に帰る。これが日常だった。
高校生になって、通う学校が違ったから、君とは益々会わなくなった。でも時々家の前で「よう」って挨拶してたの覚えているかな。君は必ず自転車のハンドルから右手を軽く上げて私に挨拶してくれたっけ。その時私はなんて返したんだろう。君のことは覚えているのに、自分のことになると忘れているなんて、変なの。
大学生になってからは1回しか会っていない。君は忙しいもんね。教員志望で隣の県で頑張ってるって聞いた。私は君の消息を人づてに聞くしかなくなってしまった。「よう」と手を挙げて挨拶する君をもう随分見ていない気がする。
全ては、あの田園のなかの故郷であったこと。でも、どうしてだろう。思い出を紐解くと君のことも鮮明に思い出せるのは。私の思い出が実は「君との思い出」だったのはなんでなんだろう。ねえ、君はなんでか知ってる?君ももしそうならとても嬉しいのに、君に面と向かって聞けない私がいる。
ねえ、君は今元気かな。大学に通っているのかな。それとも一人暮らしのアパートでパソコンに向かっているのかな。
「私は元気です」
この一言が伝えられたらいいなと、君も同じことを思っていてくれたらと、そんなことをつらつら考えながら、また逢う日を楽しみにしている。君と過ごした故郷での記憶をかみしめながら。
ありがとうございました。
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