躊躇
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「僕のこと匿って」
昨日、あの少年は、切羽詰ったようすもからかうようすもなくそう言った。
ナイフを目の前にしては、その言葉にいくら動揺しようとも「YES」以外の答えは出せたはずもなかった。
鍵を出せ住所を教えろ、やっぱり一緒に帰ろうなんて早口に次々まくしたてられ、取り敢えず頷いて私はその場を凌いでいた。
あの少年には、翠には家はないはずだ。なんせ両親を殺したのだから。だからといって路地裏で襲った(後々油断したとはいえ反撃もくらっていたはず)女の家に転がり込もうとするのだろうか。
翠のことがあまりにもわからない。
「ねえ先輩、聞いてます?」
「えっ! えあっ、え、ごめん、なに」
ひとり心の中で唸っていると、蒼に肩を叩かれた。いつもの私の適当な返事とは異なった動揺っぷりに、「荒先輩どうしました?」と蒼が眉間にしわを寄せこちらを覗きこんでくる。
ただいま難航している夫婦殺しの件について、「僕が殺しました」と主張する息子をとくに逮捕することもなく家に連れ込んでいます。
__なんって、口が裂けても言えるはずがない!
頬を叩いてバカみたいな思考を追い払った。
パンッていい音がしたものだから、蒼はいよいよ飛び跳ね
「ほんとにどうしちゃったんですか先輩……」
一歩身を引いて、顔を引きつらせて、狭めた瞼の隙間から私のようすを注視しはじめた。
「……ご、ごめん、ちょっと、考え事してた」
「あ、あー、あ……そう、そうですかあ」
そーっと体勢を戻して蒼は「そうだ先輩、なんで呼んだかっていうと」と言って話を切り替え、またいつものようにスマホを鞄から取り出してメモを読み上げ__ではなく、画面をこちらに向けてきた。
切り替えすごいな、なんて感心しつつスマホに顔を近づけてみる。
昨日の少年とご対面した。
「……」
「藤堂翠の顔写真手に入れたんです。覚えてます? 隣人さえ顔も見たことがないって言ってた謎の少年」
「あ、ああ、うん……流石に覚えてるけど」
昨日会ったよ。
「なんかふたつ横に住んでるお婆ちゃんが一年前に写真撮ったみたいで。一枚だけ残ってたみたいっすよ」
「たった一枚なんだねー……」
うわの空で適当な相槌をうつ。
「相変わらずその変な顔なおらないっすね」って蒼が私を小突いてきた。こいつにしてはずいぶん鋭い。
事件をともに捜査している仲間に対してこんな隠し事をしていること、とても苦しくなってきて、罪悪感に苛まれ始めた。そんなとき
「あっ、そんなことより先輩、ちゃんと褒めてくださいよー? この顔写真ひとつ探すのに結構苦労したんすから!」
「ま、優秀な俺のことなんで? 一日かからなかったっすけど!」
蒼に無邪気な笑顔を向けられた。
蒼とは学生時代からのながい縁がある。
現在のようなチャラチャラした雰囲気とは違って、学生のころの蒼はあまりにもやさしく、損な役回りを何度もおしつけられてきた。だからこそ、私はそんな蒼を気に掛ける頼りになる先輩であってきた。
蒼に私の弱い部分を見せたことはない。路地裏で事件の犯人に脅され、言いなりになって匿っていますなんて伝えてしまったら、どんな顔をするだろうか。
そうして私は、なにも言えないままであった。