対比
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「……うわぁー……、気持ち悪い、吐きそう……」
荒が酒場から出てきた。
なにやら胸のあたりを押さえ、苦しそうに呼吸をしている。
飲み屋街の喧騒でまた頭がガンガンと痛む。どうやら相当に酔ってしまったらしい。
会いたくも話したくも聞きたくも関わりたくもない親の、「世間話」と称した「監視」の電話に表通りで時間を割いて、あまりにもむしゃくしゃしたのでその足で酒場に向かったのだった。
「監視」__荒は捜査官になって幾年も経つが、いまに至ったきっかけは親であった。
両親はともに元捜査官で、現在引退こそしていれども、ふたりがもたらしている影響は大きく、その存在はとても尊大であった。
それがゆえ、両親は荒のことを縛った。夢を与えられることなく、両親の言うとおりに人生を進め、気が付いたときには、両親と同じ職に就いていた。両親がもつ余計なプライドのおかげで、彼女は随分窮屈な場所で生きていくことを強いられていた。
彼女をじぶんと同じ職に就かせることが善である、と親は信じて疑わない。
地位こそ約束されど、彼女は、親に感謝することはなにひとつなかった。
じぶんたちが持つ威厳にそぐうような娘であるか、両親はいまも彼女を「見守って」いる。
また嫌な話を思い出した、と荒は溜め息を吐いた。いまさらどうこうしようという気は、もう起きないのに。
ふらつく足取りを抑え、鞄を肩にかけなおす。少し近道をして帰ろうと裏路地の入口で靴音を鳴らした刹那で
「…………常習犯?」
荒は誰かの手を、骨が軋むほど強く掴んだ。
「……」
ナイフを手に持ち、荒にその手首の骨を折られそうになっているのは、小柄な男であった。
苦悶の色は表情になく、ただ無で、荒を睨んでいる。
翡翠色の瞳。表通りからわずかに漏れ出す街灯の光が、鉱石のような瞳を鈍く光らせる。
「質問に答えて。飲み帰りの女性を路地裏で襲うのが趣味なの?」
荒が振り返ってはじめて男と目を合わせた。
路地裏で人を襲っておきながら反抗されたことに対してなんの動揺も見せない男の姿に、彼女が動揺し始めた。この流れで消えていた酔いの不快さがぶりかえしてきたように、頭が痛んだ。
「ううん、違う。男女問わずここを通った人はみんな脅して金をもらってる」
男はゆっくり答える。
「金、持ってない。生きていくには、綺麗ごとなんて気にしないで奪って手に入れなきゃ、どうしようもないでしょ?」温和な調子で、しかし声は酷く冷たい。
「見たところ、そんなに年をとってるようには見えない。親は」
「いないよ、僕が殺したんだ」
男が睫毛ひとつ動かさず放った言葉に、呆気にとられた。
男の肌は白く、筋肉も乏しい。黒い髪色も、路地裏の暗さに溶け込んで似つかわしい。日に晒されることを避けてきたような雰囲気を纏っていた。
親殺し。長い間日光を嫌ってきた体__外に出ることは稀であったはずだ。年は高校生か大学生ほどに見える。
荒は、今日の昼の蒼との会話を思い出した。できすぎた展開ではあると期待を抑えこみながらも、彼女は聞いてしまった。そしてこの行動には、じぶんが憎んで堪らなかった「親」という存在を殺して一寸も感情を変えない男に対しての、少しの興味も関係していただろう。
「名前は」
男は先ほどと同じように、冷ややかな表情のまま黙っていた。だが、しばらくして、赤くなっているじぶんの手首と、彼女の真っ赤に光る瞳に目をやってから、固まっていた眉と目元を崩してようやく感情を見せた。
__微笑んでいる。
「翠」